排熱教
2026/08/09 誤字脱字修正
その後も「逃げた方がいい」「いや、僕が戦う」の押し問答を続けたけど、結局クリスタが折れた。
酔っぱらいは受付前に陣取っている。闘技場から出ようとするのならどうしたってそこを通らなければならない。
つまりハイドロだけでもここから逃げる、なんてことはできないわけだ。
クリスタはスノウリンクスにエントリーできない。
現状を打破するには、ハイドロがあの酔っぱらいに勝つしかない。
「ごめん。ありがとう。気をつけて」
というクリスタの声に送り出されて、ハイドロは歩き出した。
階段を下りて受付に向かうと、酔っぱらいが腕を組んで、近くの壁にもたれかかっていた。
ハイドロを見ると、にやりと笑った。時間を置いたことで少し冷静になったらしい。こちらを小馬鹿にするような態度に戻っている。
「来ないかと思ったぜ。度胸だけは認めてやる」
「よく言うよ。ここを通らなきゃ闘技場から出られないだろ」
「ああ、そうだったかな」
と酔っぱらいはうそぶいた。
いちいち癪に障る喋り方をする。ハイドロは努めて冷静に口を開く。
「どうして僕とクリスタに絡んできた」
「お前は部外者であり、あいつは割れ者だ。それだけで充分だろ」
「割れ者ってなんだ?」
なんとなく想像はつくけど、この男の口から聞いておこうと思った。
下卑た言葉が、一番実情に近いだろう。
「驚いたな。お前は、そんなことも知らないであの女に肩入れしたのか」
酔っぱらいは、もたれかかっていた壁から背を放し、ハイドロの真正面に立った。
「俺たち雪の妖精は、胸の奥にコアがある。ひとひらの、雪の結晶が埋まっているのさ。これが俺たちの命だ」
酔っぱらいは、自分の胸のあたりを親指で指し示した。
胸の奥に埋まっている雪の結晶――コアか。
心臓のようなものだろう。
血液ではなく、魔力を全身に送っているとハイドロは予想した。
「このコアが左右対称な結晶じゃなかったり、崩れていたり、ヒビ割れていたりすると、その妖精の体にもヒビが入る。脆いし醜いしで、とても見られたようなもんじゃない。あの女の顔もそうだっただろ?」
ハイドロは答えない。
「俺が仕えているフラストーム様が領主になった暁には、そういった割れ者どもを一人残らず街の外に放逐するとさ。殺さないだけ、優しいだろ」
そのフラストームとやらが、元領主の次男の名前か。そいつは割れ者をぞんざいに扱っているらしい。この酔っぱらいの態度は、そのまま上に立つものの意見の表れだ。
「わかった。事情は理解した」
「そうかい。そいつはよかったぜ」
「理解したうえで言うよ。お前はクズだ。ぶちのめしてやる」
「……お前の体も、魂も、この土地で永久に凍りつくだろう」
それが煽り文句だとしても、ハイドロにはピンと来なかった。
先の戦いが早く決着したとかで、今夜の闘技場はまだ何枠か空いていた。
というわけで、ハイドロと酔っぱらいは順番にエントリーを済ませた。
もちろん対戦相手に、お互いを指名した。ここで酔っぱらいの名前がガロだと判明したが、覚えておきたくはなかった。今夜限りの縁にしたい。
受付にいる雪の妖精は、肩の上でまっすぐに切りそろえられた髪型をしていて、その髪色は銀に近い。夜遅くで眠いのか、ジトっとした目つきでハイドロのことをじっくりと観察した後、おもむろに口を開いた。
「雪の妖精は、胸の奥にコアがございます」
「知っているよ」
「それ以外の部位を破壊されても、時が経てば元に戻ります。失礼ですがあなた様は、そのような体の作りではございませんね?」
「うん。腕がもげたら、もげたまま。足がちぎれたら、ちぎれたままだ」
ドラゴンとはいえ、失った足や腕が生えてくることはない。
尻尾がどうかはわからない。
「スノウリンクスのルールは、コア以外の部分を攻撃し、相手の戦意をくじいた方の勝ちでございます。むろん、雪の妖精以外にもそのルールが適用されます」
「つまり?」
「意図的に心臓を攻撃されることはございませんが、腕や足の一本は失う可能性がある、ということでございます。私どもとは違って、元に戻ることはないのでしょう? ハイドロ様はそれでも出場いたしますか?」
「するよ」
受付の妖精は目をつむり、長い時間をおいてから、ゆっくりと目を開けた。
「……承知いたしました。それではこの先の扉を開けて、右の控室にお入りください。ガロ様は左に」
ハイドロとガロは、並んで受付奥にある扉まで歩き、一緒に中に入った。
その先のT字路で、左右に分かれる。
無言のまま、お互いに背を向けた。
長い廊下を進み、控室の扉を開ける。もちろんガロとは別の控室だ。戦闘開始まで対戦相手と顔を合わさなくてもすむよう配慮がなされている。
室内でまず目に入ったのは、壁にかけられているたくさんの武器だった。
鉄製のものから、氷でできているものまでいろいろとある。氷の剣なんて脆くて使えないじゃないかと思ったけど、魔法でコーティングされていて、強度は相当あるみたいだ。
どれでも好きなものを使っていいと、近くの鉄板に書いてあった。王都と同じ文字を使っている。
他には、簡素なオーク材の長イスが一つ、部屋の隅に同じくオーク材のテーブルが一つある。テーブルは六角形の形をしていて、その上にボロボロの本が一冊だけ置かれていた。
表紙には『排熱教』と書かれている。
手に取ってパラパラとめくってみる。タイトル通り、宗教の本だ。
排熱に対する信仰心が書かれている。どうやらこれが、この街の宗教らしい。
冒頭の一節を読んでみる。
――水や風は、どこにでも入りこむ。ほんの少しの隙間があれば十分だ。しかし雪の妖精は、水を凍らせることができる。凍った水で、風を止めることだってできる。何者も、雪の妖精の中に入りこむことはできない。
ただ一つ、熱を除いて。
熱は、いつの間にか心の中にある。気がついたら体を溶かしている。どうやっても止めることはできない。熱を凍らせることはできないのだ。
ならば、あえて熱狂しろ。
泣け。叫べ。喚け。戦え。
スノウリンクスではそれが許される。
排熱を崇めよ。
炎を恐れよ。
「ハイドロ様。お時間でございます」
名前を呼ばれたので、本をぱたんと閉じてテーブルの上に置く。
排熱教ねえ。
「君たち雪の妖精は、熱が大敵なのか?」
ハイドロが質問すると、先導しようとしていた妖精は足を止めて、こちらに向き直った。
「我々は生きているだけで、体内に熱が溜まってしまいます。そして限界を迎えると、体が溶けてしまうのです。寿命は、およそ五十年でしょうか。人間と大差ございません」
「……体が溶ける」
クリスタの悲鳴を思い出した。
「熱は毒でございます」
シンプルながら、価値観の相違を感じさせる言葉だ。
「たとえば闘技場のそこかしこに、特殊な鉱石を精錬、加工して作ったランプが設置されています。魔力を流し込むことで青く光るのですが、あれは冷光といい、熱を持ちません」
徹底して熱を生み出さないように配慮しているらしい。
「この闘技場内で熱のある場所は、貴賓席くらいでしょうか。お金のある他種族用の個室には暖炉がついていますが、それくらいでしょう」
ハイドロはさっき一般席で、雪の妖精に混じって、寒さに震えながらスノウリンクスを観た。
お金があれば、快適に過ごせる。
それはどこでも同じか。
「ハイドロ様は、この闘技場がなぜ作られたかご存じですか?」
「なぜって? 戦いを楽しむためじゃないのか?」
「間違いではございませんが、もう一歩踏み込む必要がございます」
もう一歩?
つまり、なぜ戦いを楽しむ必要があるのか、ということ?
「そもそもこの闘技場は、熱を排出するために作られたのでございます」
排熱を崇めよ。
さっきの本にそう書かれていた。
「あちらをご覧ください――」
雪の妖精が壁に向かって指をさした。見ると、壁の下の部分にちょっとした穴がたくさん空いている。
空気中に舞っている雪や煙が、その穴に吸い込まれていく。
「ここでスノウリンクスを観戦したり、出場したりすることで、雪の妖精たちは戦いに熱狂するのでございます。その熱が、吸気口を通って街の外に排出されるという仕組みでございます」
「熱が、毒だから?」
「その通りでございます」
雪の妖精が慇懃に答える。続けて、
「もちろん普段の生活でも活気や熱気はございます。ケンカをしたり、口論をしたりすることもございます。ですがスノウリンクス以外で熱くなっても、体内の熱は放出されないのです。この闘技場には、感情や想いといった心の熱を魔力に変換して、外部に放出することができる大規模な結晶装置がございます。この場所でなら、熱くなっても構わないのです」
そんなことが可能なのか。
一見して古臭い外観をしている石の闘技場だけど、その実、とんでもない技術で作られていたらしい。
ここで雪の妖精が、ちらりと扉の方を見た。時間を気にしているようだ。
あまり長話をして困らせるわけにもいかない。ここで話を切り上げるのがいいだろう。
「教えてくれてありがとう」
「お役に立てたのであれば、光栄でございます」
雪の妖精は丁寧に頭を下げた。
ある程度の疑問が氷解したことだし、行くか。
ハイドロは武器を手に取らず、先導してくれる雪の妖精の後をついて、控室を出た。
熱を持たないという、青い光の灯された壁掛け燭台が、左右にずらりと伸びている。
硬質な床と、冷たい光の中を黙々と歩く。
まるで死出の旅路のようだと、縁起でもないことを思う。
廊下の奥に扉はなく、その終着点は四角く光が切り取られていた。
「ご武運を」
そう言ってくれた妖精を通り越して、闘技場の底に足を踏み入れた。
満月の光が、戦いの場を青白く照らしている。まるで海の底のようだ。
観客席から見下ろすのとは全然違った。
雪の妖精たちが熱狂するその中心地にあって、ここはひどく静かで、幽かで、おごそかな場所だった。雪がちらちらと降っているのも相まって、その神聖さに圧倒される。ここで死ぬ気はないけれど、ここで死んでもいいと思えるような場所だ。
クロノ・フラワーを見られなかったことが悔やまれる。こんなにも綺麗な場所で日常を送っている妖精たちが口をそろえて言う『至宝』を、一目でいいから見たかった。
……見たかったな。
なんて考えても仕方ない。ハイドロは、一つ深呼吸をした。冷たい空気を肺の中に取り込んで、緊張で熱を帯びている魔力を、落ち着かせる。
ほどよく肌が泡立つ。
もう夜も遅いというのに、観客席にはたくさんの妖精たちがいた。
おそらく一つ前の戦い――鉄球使いと氷の杖使いの戦いの余韻に浸っていたのだろう。
もう一戦あるなんて聞いていないと、口々に言っている。
まあ、こちとら飛び入り参加だし。
観客の中にクリスタがいた。
前髪が長いから、表情があまりわからない。手を上げて挨拶しようかと思ったけど、今はクリスタのことを考えている場合じゃない。目の前の相手に集中しよう。
視線の先には、ケンカを売ってきた酔っぱらい――ガロがいる。こちらをじっと睨んでいる。お酒は完全に抜けているようだ。ハイドロにぶつけてくる殺気が、禍々しく研ぎ澄まされている。
ガロは、氷の斧を握っていた。
そんなガロの手前に、青いマフラーをしている雪だるまが立っている。あれが審判だと、さっきの戦いで見たから知っている。
雪だるまが木の枝でできている右手を高く掲げた。




