クロノ・フラワー
十二花結晶のネックレス、クロノ・フラワーは、すでに壊れてしまったらしい。
もちろん初耳である。
「ええ? 壊れた? 戦争?」
ハイドロは驚き、隣に座っている女の子に聞き返した。すると彼女は、「そうそう。戦争」と頷いた。
「近くに住んでいる森の妖精たちといざこざがあってね。領主様は、前線の士気を高めるためにクロノ・フラワーを身につけて、戦場に赴いたんだよ。でも運悪く敵の魔法が直撃して……」
「それで壊れちゃったの?」
「……うん」
女の子が気まずそうにうつむいた。
家宝である大事なネックレスを前線に持っていき、破壊してしまった?
そんな間の抜けたことがあるか?
そのときの現場の空気を想像して、なんとも言えない気持ちになるハイドロだった。士気を高めるどころか、多いに盛り下げたことだろう。
今現在この街が支配されていないところを見るに、戦争には勝ったか、あるいは停戦協定が結ばれたか――いずれにせよ争いごとが終わってくれてよかったとハイドロは思った。そうでなければ救いがない。
ハイドロは森の妖精との戦争について訊きたいことが山ほどあった。でも女の子は、
「ねえ、君はどこから来たの?」
話題を変えてしまった。何か言いたくないことがあるのかもしれない。ここは会話の流れに乗った方がいいだろう。
ハイドロがどこから来たのか、か。
ここに来る前に滞在していた街のことを訊いたのか、それとも故郷のことを訊いたのか。
どっちかわからなかったので、
「世界の外から」
ハイドロはそう答えた。
「外の世界じゃなくて、世界の外? 変なの」
女の子はちょっと笑ったけど、すぐに興味津々といった様子で顔を近づけた。
「でも確かに、世界の外から来たような見た目だね」
ハイドロは、燃えるような赤髪に、黒い角を頭の両側から二つ生やしている。この世界に住んでいるどんな種族とも違う見た目に、女の子は戸惑っているようだ。
「君からは火の魔力を感じるけれど、火の妖精は角なんて生えていないから、違うよね?」
「ああ」
「見たところ、人間でもないし悪魔でもないし……うーん。君は、なんていう種族なの?」
「ドラゴン」
「聞いたことない」
「まあ、珍しい種族だからね」
ハイドロはごまかすように言ったけど、ドラゴンは珍しいなんてもんじゃない。なんせ、この世界に九匹しかいないのだから。さまざまな土地の神話に朧気ながら登場する程度で、実際に見たことのある人はそういないだろう。
ドラゴンと言えばとてつもない長命種だが、死なないわけじゃない。
一匹が死ねば、世界のどこかに一匹生まれる。増えもしなければ減りもしない。
世界に九匹。
それがこの世界における、ドラゴンという種族のルールだ。
ドラゴンがどこから来るのか誰にもわからない――ドラゴン自身にも。
ちなみに、ハイドロはドラゴンの幼体だ。翼も尻尾も、まだ生えていない。成体になってしまえば、人前に姿を現すことはなくなる。
――美しいものをたくさん見なさい。
それが、どこで生まれ、どこからやってきたのか自分でもわからないハイドロの本能に刻まれた、唯一の言葉だ。だからハイドロは旅をしている。
美しいものを見れば、大人になれると信じて。
女の子は、じーっとハイドロの容姿を見ていたけれど、急に「あ、そうだ!」と言った。
「自己紹介がまだだった! 私の名前はクリスタ」
「僕はハイドロ。よろしく」
自分の名前は、生まれた瞬間から決まっていた。
ハイドロとは遠い国の言葉で『水』を意味するらしい。
炎を得意とするドラゴンに、どうしてこのような名前が割り当てられたのか、ハイドロ自身にもわからない。
水そのものというよりも、流れるというイメージから派生して付けられたのではないか、と解釈してくれた友人がいた。ドラゴンとは、この世界を流れるエネルギーの集合体なのだと。
真相はわからないけど、ハイドロ自身はその解釈を気に入っている。
自己紹介をしながら右手を差し出したら、クリスタは不思議そうに首をかたむけた。
もしかして、握手をする習慣がないのか?
雪の妖精は体温が極めて低い。他種族に触れるという慣習がなくても不思議ではない。
ハイドロは何事もなかったかのように右手を引っ込めた。そのタイミングで、
「さっきからうるせえぞ!」
横合いから、いきなり怒鳴られた。
少し離れたところで、ずっとヤジを飛ばしていた妖精だ。他の妖精たちと同じく白いコートを着ているものの、どこかだらしなく気崩していた。髪は薄い水色の短髪で、顔は四角張っている。
氷でできたグラスを片手に持ち、じとっとした嫌な目つきでハイドロとクリスタを睨んでいた。どうやら酔っぱらっているらしい。
どんな場所にも酒場はあり、酒はある。
噂によると、雪の中で貯蔵する雪中埋蔵酒や、特別な結晶の中で保存する結晶埋蔵酒なんていうものまであるのだとか。
こんなときでも他種族の食べ物が気になるハイドロだった。
特に酒は、その土地を知るための良い指標だ。水や気候、文化が詰まっている。
「さっきからごちゃごちゃと、うるせえ! 黙ってスノウリンクスを見ろ!」
酔っぱらいは、持っていたグラスをこっちに投げつけた。ハイドロが躱すと、グラスは壁に当たって粉々に砕けた。
「だいたい街に住んでいない奴が、神聖な闘技場に足を踏み入れるな。さっさと出ていけ!」
ただの難癖だ。
だって、この闘技場は旅人にも開かれているのだから。
たとえば、街が発行している溶けない通貨――氷貨幣だけじゃなく、王都の貨幣でも支払いができる。
さらに観戦だけではなく、戦いに参加することも可能だと受付で聞いた。そんな場所でよそ者も何もない。この街は雪と氷に閉ざされているけれど、精神的な意味ではそれなりに開けている。
酔っぱらいの視線が、クリスタに向く。
何やら顔の辺りをジロジロと見ている。
「お前さ、巧妙に隠しているけど『割れ者』だろ」
酔っぱらいが馬鹿にするように言った。
クリスタの顔が、目に見えてこわばった。
割れ者という言葉が何かわからないけど、侮蔑的な意味合いが含まれていることくらいは、ハイドロにもわかった。
「割れ者は醜くて反吐が出る。その男と一緒に消えちまえ!」
「取り消せ!」
酔っぱらいに飛びかかろうとしたクリスタを、すんでのところでハイドロが抑えた。背後から羽交い絞めにしているけど、とんでもない力で振りほどこうとしてくる。
酔っぱらいはニヤニヤしながら、
「なんだあ? 文句があるなら、戦いで決着をつけようか? スノウリンクスなら相手を攻撃しても、罪にならないもんなあ。あ! しまった! 割れ者はスノウリンクスにエントリーできないんだった!」
わざとらしく挑発してきた。
旅人でさえ参加できるスノウリンクスに、割れ者はエントリーできないらしい。
「ハイドロ、放して。私は牢屋にぶちこまれてもいい。今すぐこいつをぶっ飛ばさないと気がすまない」
そんなことを言われても、放すわけにはいかない。
「おうおう、威勢がいいねえ」
酔っぱらいが、なおも挑発してくる。ハイドロの腕の中で、クリスタが必死にもがく。どうすればいいかわからないまま抑えていたけど、急にクリスタが、
「ぁああああぁああッ! あ、熱い! 熱いよ!」
喉の奥から絞り出したような、とんでもない悲鳴を上げた。
クリスタの体から湯気のようなものが湧き出ていることに気がついた。
どうやらハイドロの触れている部分が溶けだしたらしい、慌てて体を放した。
するとクリスタは立っていられなかったのか、ふらふらとよろめき、床に膝をついた。荒い呼吸をしながら自分の両肩を抱く。他種族なら寒さに震えるときの仕草だけど、雪の妖精はその逆のようだ、体内の熱を逃がし、体を冷やすために魔力を練っているのが感じ取れる。
素肌が見えている二の腕は、熱で溶けたせいなのか輪郭が少しあいまいになっていた。痛ましいとハイドロは思った。
ただ触れるだけでもダメージが大きいのか。
「そうやって跪いているのがお似合いだよ」
酔っぱらいが見下ろす。
クリスタは立ち上がろうとしたけれど、体勢を崩して床に倒れこんでしまった。ハイドロは反射的に手を差し出そうとし、でも触れれば逆効果になると思い返して、手を引っ込めた。
物理的に寄り添うことも手を貸すこともできない。
それでも、今の自分にできることはある。
ハイドロは、クリスタの前に立ち、
「僕が代わりにエントリーする」
酔っぱらいに向かって言った。
するとクリスタは顔を上げて、
「へ?」
と気の抜けたような声を発した。
それとは対照的に、酔っぱらいが鋭くハイドロを睨んだ。
「なんだって?」
「僕がエントリーする」
「俺とやろうってのか?」
「なんだよ、怖気づいたのか?」
ハイドロが挑発すると、酔っぱらいは、すっと目を細めた。どうやら酔いが醒めるほど怒ったらしい、明らかに空気が変わった。
「いい度胸だ。俺が誰なのか、知っていて、口にしているんだろうな」
「知らないよ」
「そうかい。それじゃあ教えてやるよ。受付に来い」
酔っぱらいは背中を向け、そのまま観客席の階段を下りていった。
しばらくして、ようやく立ち上がったクリスタは、酔っぱらいを追いかけるようなことをせず、心配そうにハイドロの顔を覗きこんできた。
「今の、何?」
「今のって?」
「『僕がエントリーする』って……」
「言葉の通りだけど」
クリスタは不愉快そうに眉根を寄せた。これは、出過ぎたマネをしたかもしれないな。
でもどうすれば、あの場を丸く収められたかわからない。いや、収まってはいないか。
「どうして、かばってくれるの?」
「僕も腹が立ったんだよ」
「私のせいで、君が傷つく必要なんてないよ。すぐに街から出た方がいい」
「クリスタが報復される」
「私が売られたケンカだし。私が何とかするよ」
「最初に売られたのは僕だったような……」
「あれ? そうだっけ?」
クリスタが首をかしげた。
どっちでもいいことだと判断したのか「とにかく」と彼女は話を続ける。
「ハイドロは逃げて。あいつは騎士だよ」
「騎士?」
いきなり、想像もしていなかった言葉が飛んできた。とはいえイメージが合わないとは思わない。
旅する中で、ろくでもない騎士なんて山ほど見てきた。むしろ高潔な騎士を探す方が難しいだろう。どんな種族であれ、その比率は変わらない気がする。
それにしても、騎士文化と闘技場文化が共存しているのは珍しいな。
ここは妖精族が住まう土地でありながら、王都に忠誠を誓う封建的な領主がいる。
家柄という名誉と、闘技場で勝つことという名誉が併存している。
その二つを統括している概念があるはずだ。
「この街を治めていた領主様には、三人の息子がいるの。その中で、次男の旗印のもとに集まったのがあいつら――『骸晶騎士団』」
いろいろと訊きたいことがあるけれど、その中でもとりわけ気になったことを口にする。
「治めていた領主様? どうして過去形なんだ?」
「……領主様はもう亡くなっているから」
「な、亡くなった?」
さらに事態がややこしくなる。
「この前の戦争で、領主様はクロノ・フラワーを身につけて前線に赴いたって言ったでしょ? それで敵の魔法が直撃したって」
「うん」
「そのときネックレスと一緒に、領主様の命も壊れてしまったの」
よほど無防備だったのか、あるいは運が悪かったのか。
とにかく領主は、家宝と一緒に亡くなってしまったらしい。
命が壊れた、という言い方は文化的なものだろうか。
「だから現在この街は、ヴェイル家の家督を誰が継ぐかで揉めているんだよ」
ヴェイル――それが領主の家名か。
それにしても、まさか家督を巡って争っている真っ最中とはね。
これはとんでもない時期に訪れてしまったと、ハイドロは後悔した。
軍の規律も指揮系統も、滅茶苦茶になっているかもしれない。それどころか、有力な騎士たちが好き勝手に領主の子どもを擁立して、身内同士でドロドロに争っているという可能性もある。
「クリスタは相手が騎士だとわかっていて、ケンカを買おうとしたの?」
「そうだよ? だってあいつのローブに、黒い六角板の紋章が描かれていたからね」
どうやら身につけている物で、誰を支持しているのか判別できるらしい。
「お、おいおい! たとえあっちが悪くても、領主の息子を敵に回したら、ただじゃすまないだろ!」
でもそれだけ『割れ者』という言葉が侮辱的だったのかもしれない。
クリスタはうつむいた。そして、
「わかっているよ。でももう限界なんだよ」
ハイドロの胸が張り裂けそうになるほどの、悲痛な声音だった。
クリスタとはついさっき出会ったばかりだというのに。彼女がこの街でどういう扱いを受けているのか知ってしまった。その悲しみの一端に触れてしまった。
ほんの少しの時間で、これだ。
悲しみの密度を想像することもできない。
思わず手を伸ばそうとしたけれど、それをムリヤリ止めた。差し出すことはできないのだとわかっていた。
「私のことは心配しないでよ。偶然、闘技場で隣の席に座らなければ、こんなことにならなかったんだから」
「……」
「話ができて楽しかった。じゃあね」
クリスタが背を向けた。
「待ってくれ!」
思わず呼び止めてしまった。
クリスタが振り返る。その顔は、今にも泣きそうな表情をしていた。
ハイドロは、何を言えばいいのかわからない。
――領主の家が関わっているんだ。絶対に面倒なことになる。ここで自分の気持ちに従って行動しても、後には地獄が待っている。
迷っていると、わっと歓声が上がった。
どうやら、鉄球使いと氷の杖使いの勝負がついたらしい。ひときわ大きな風が吹きあがり、クリスタの前髪をふわりと持ち上げた。
左側の目元にヒビが入っている。
「やっぱり僕が戦うよ」
ハイドロはそう言った。




