炎の魅力
仮面の妖精が、ゆらりとした足取りでリキュールに迫った。
そのまま左右の手に持っている氷の二刀を振ろうとした――でもなぜか急に動きを止めて、変な体勢から無理やりバックステップを行った。
ここからではよく見えないが、なんらかの攻防が、すでに幾度も交差しているらしい。
でもリキュールは、大きな袖のついている両手をゆらゆらと動かしているだけだ。武器らしい武器は持っていない。
「私は、武器などなくてもあなたを倒せる」
リキュールが言った。
すると、仮面の妖精の、右肩を守っている甲冑が砕けた。
キラキラとした氷の破片が飛び散る。
「次は左腕」
その予言通り、今度は左腕の籠手がはじけ飛んだ。
ハイドロの視線が、かろうじて『それ』を捉えることができた。
小さな氷塊が、とんでもない速度で放たれているらしい――日の光を浴びて、青く尾を引いたからなんとか視認することができた。
仮面の妖精も気がついたのだろう、左手の剣を投げつけた。リキュールのコートの袖が斬られ、はらりと落ちる。
その下には、氷製の分厚い籠手がまかれていた。
いや、籠手というよりも暗器に近い。
あれを使って袖の中で氷塊を生み出し、発射しているということ?
弟子である次男のフラストームも、昨日はこの戦法で勝ち上がったのだろうか。
「ネタがバレてしまったのなら、これはもう必要がありませんね」
リキュールはあっさりと籠手を外した。
「いやあ、重かった。まあ、こんなものはただの余興です」
両手をぶらぶらと動かした後、おもむろに空を指さした。
みなが同じように視線を上げると、
「ああ、間違えました。下です」
リキュールが言いなおした――その前に、仮面の妖精は高く跳んでいた。
闘技場の床から、氷の刃がいっせいに生えた。
もちろん観客席も、通路も無事だ。闘技場の底だけが一瞬で死地の剣山と化した。
仮面の妖精は空中で斬撃を放ち、床にスペースを作ってから着地した。それだけ刃は密集しているということだ。あのまま突っ立っていたら串刺しだっただろう。
コアを傷つけない自信はあったのか?
それとも、そんなことに配慮している場合じゃないのか。
急にあたりが暗くなった。太陽の光が、何かに遮られたらしい。
「今度こそ上ですよ」
リキュールが言うまでもなく、観客もハイドロも空を見ていた。最初は、それが何かわからなかった。青空が歪んでいるとハイドロは思った。もちろん違う。
闘技場よりも巨大な氷塊が、天蓋のように浮いていたのだ。
まさか、あれほどの氷を魔法で生み出したのか?
「う、うわああああああああああ!」
観客席から悲鳴が上がった。一目散に逃げだす者まで現れた。
「大丈夫ですって」
リキュールが笑いながら言ったけれど、混乱は収束しない。
大氷塊にヒビが入り、一気に砕けた。まるで空が割れたかのような光景に、悲鳴はより一層大きくなった。でも、観客席に攻撃がぶつかることはない。魔法の壁が、透明な屋根のように、攻撃のすべてを受け流していく。
仮面の妖精とリキュールのいる闘技場の底だけに、氷塊が降り注いだ。
床から生えている氷の刃が、次から次へと叩き折られていく。氷塊の上に氷塊が落ち、それでも氷塊は止まらずに降り積もる。
冷気と白煙が舞い上がり、闘技場が霞む。
リキュールも仮面の妖精も、白煙の中に消えた。
それでも氷塊は降り続いた。
視界が真っ白に染まり、通路からは何も見えなくなった。観客席からも見えないだろう。
氷の砕ける音だけが、ずっと鳴り響いている。
ここまでやるか、とハイドロは思った。
最初のちょっとした奇襲に、地面からの刃、続けて空から落ちる大氷塊。
ありとあらゆる方向からの攻撃と、大小織り交ぜた多彩な魔法。
これらすべてに対応するのは難しいだろう。
仮面の妖精は、もしかしたらもう……。
バキン、バキン、バキン。
何かの折れる音が聞こえてきて、ハイドロは顔を上げた。
白煙が少しずつ晴れていく。
ゴロゴロとした巨大な氷塊と、数多の小さな氷塊が、そこかしこに転がっている。
地面から生えた刃は、そのほとんどが折れていた。
まずリキュールの姿が見えた。あたふたと逃げ惑っているらしい、何かにつまずいて転んだものの、すぐに立ち上がって走り回っている。
闘技場の中央に、ひときわ大きな氷塊が転がっていた。その氷に、一筋の青い線が入る。少し遅れて、氷塊が斜めに両断された。
まるで観客をじらすように、ずるずると氷塊の上部が滑り落ちた。
向こう側に仮面の妖精がいた。
さらに剣を振り、残った氷の下部を、細かく細かく分割する。
そして、足を一歩前に踏み出した。ゆらゆらと歩きながら、リキュールに近づいていく。自分の歩を邪魔する氷があれば、細切れにして道を開ける。
青い亡霊のようだとハイドロは思った。
リキュールが再び転んだ。
恐怖で立ち上がれないのか、這いつくばったまま逃げた。でも結局追いつかれてしまい、仮面の妖精を見上げながら、
「化け物め……!」
怯えたように言う。
仮面の妖精が、ふっと軽く剣を振った。リキュールの肩をかすめた程度だったけど、それで戦意を喪失したのか気絶してしまった。
観客席は、異様な熱気に包まれていた。
湧くでも、叫ぶでも、ヤジを飛ばすでもない、無言と表現するにはあまりにも熱い沈黙が、闘技場内を満たしている。
吸気口がかつてなく大きな音を立てていた。
☆
クリスタは、観客席から今の戦いを見ていた。
一般席にいる観客の比率は、雪の妖精が一番多い。この街の未来に関わる大会だから当然だろう。
その他、人間にエルフ、ドワーフといった他種族もいる。
羊毛のマントや、ヒグマの毛皮でできているクッションを敷き、防寒対策をしながらの観戦だ。このトーナメントは、そうまでして見たいものらしい。
雪の妖精には排熱という目的がある。ここで熱狂すれば寿命が延びる。
でも他種族は、どうしてここにいるのだろう。なんでスノウリンクスを見るのだろう。
楽しいからかな?
ここぞとばかりに、雪の妖精には氷エールや結晶アイスを、他種族にはホットワインや兎肉のスープを売り歩いている商売人がいる。
活気があり、熱気もあった。
クリスタのような割れ者は、絡まれないよう、いつも以上に注意する必要がある。
周囲を警戒しながら、座席の隅っこに、目立たないように座っていた。
同じような場所で、同じように目立たず座っている妖精がちらほら目に入った。彼らもたぶん割れ者だろう、同胞はすぐにわかる。
わかったからといって、割れ者で固まって一緒に見ることはしない。
とにかく目立たないことが肝心だ。
「今の戦いはすごかったなあ」
クリスタは一人つぶやいた。
仮面の妖精とリキュールの戦いは、観客にヤジを飛ばす隙を与えなかった。
見ている者を茫然とさせる圧倒的な戦いだった。
そもそも、グレイシアやリア、フラストームにリキュールといった実力者たちの戦いを見られる機会はそうそうない。
彼らの実力はクリスタの想像をはるかに超えていた。
「荒くれ物たちの集う酒場で、誰にも負けたことがない。ちょっと腕に自信があるだけの看板娘か……」
クリスタは自嘲するようにつぶやいた。
いざとなったら、なんでもやるつもりでいた。
自分なら、どんな困難でも切り抜けられると思っていた。
それがとんだ思い上がりだと、今ならわかる。
恐怖を胸に刻むように、闘技場の底を見つめる。
二回戦、三回戦は何事もなく終わった。むしろ一回戦と比べて地味だったため、観客がまったく熱狂せず、吸気口が音を立てなかった。
そして四回戦。
ハイドロとフラストームの対決が始まる。
フラストームは、先の魔法使いリキュールに教えを受けている。しかも噂によれば、リキュール以上のセンスの持ち主だとか。
クリスタは無意識のまま両手を組んだ。
――どうか、無事で。
目をつむる。
「はじめ!」
雪だるまの声が聞こえる。
観客席を守っているのは、攻撃だけを防ぐ魔法壁だ。害にならない音や風は通り抜ける。それが見ている者に臨場感を与え、排熱を促す。
クリスタの頬に、熱風が吹きつけてきた。
目を開ける。闘技場の底が、オレンジに輝いていた。
「……炎だ」
誰かがつぶやいた。
ハイドロが両手を広げて立っている。今までのようなブレスではなく、両手に炎をまとわりつかせているのだ。炎が服の袖に当たっているように見えるけど、引火はしていなかった。
対するフラストームが氷の杖を掲げた。
「君は何者だ?」
「ドラゴン」
ハイドロが答える。
観客席がざわめいた。
「ドラゴン? 聞いたことのない種族だ」
「昨日は炎を吐いていたよな?」
「あいつの炎は、火の妖精よりも格段に強い」
「それにどこか神々しい気がするよ」
「炎が神々しいなんてことがあるか!」
そういった言葉が聞こえてくる。
フラストームはざわめきに構わず、
「これは『青兎の足』と呼ばれる、伝説の魔杖だ。兄の持つ『大氷河』と同じクラスの家宝だ。君が何者であるか知らないが、全力で叩き潰そう」
その魔杖を振った。
上空から、巨大なつららが降ってくる。基本的な氷魔法だけど、速度と密度がものすごい。破壊力だけで言えばリキュールの大氷塊に匹敵するかもしれない。
でも、そのつららが、闘技場の石床まで達することはなかった。
螺旋の炎がすべて消し飛ばしてしまったのだ。
あまりの熱さに顔を背けたり、その場から逃げ出したりする観客がいた。でもほとんどの観客は、イスに座ったままじっと炎を見つめていた。
フラストームが魔杖を振る。
今度は石床からもつららが生え、ハイドロを下から串刺しにしようとした。
ハイドロは右足を上げて、かかと落としのように石床を踏みつけた。炎が石床をなめるように這い、生えてきたつららと衝突して相殺された。
青い光と赤い光が、空間の奪い合いをしているみたいだと、クリスタは思った。
フラストームが、魔杖の先に氷の刃を作り出した。それを軽々と振り回す。ただの斬撃ではなく、軌跡がいつまでも残り続け、そこから新たな氷の剣が生まれる。
一回振るだけで十の剣が生まれ、ハイドロに向かって襲いかかった。
ハイドロは、両手に炎をまとわりつかせている状態で、氷の剣を殴った。ときには躱し、ときには破壊し、炎で溶かしつくした。
「なんなんだお前は! 当たれよッ!」
フラストームが怒鳴った。
今まで、雪の妖精たちは炎を忌避していた。
炎は熱であり、毒と同じ意味だった。でもハイドロの炎は何かが違う。
水と同じように千変万化し、ゆらめき、掴みどころがなく、それでいて何よりも強い。
見るものを引きつける強さがある。
雪の妖精たちにとって、強さの象徴はグレイシアであり、彼の持つ大剣『大氷河』だった。
あるいはフラストームであり、彼の持つ魔杖『青兎の足』だった。
徒手空拳ならばカタクリであり、四肢すべてを使ったトリッキーな戦い方だった。
それらすべてを凌駕するような、新たな強さの象徴として、炎が君臨しようとしていた。
炎に屈するなど、あってはならないことだった。
氷が最強でなくてはならなかった。
クリスタから少し離れたところに座っている雪の妖精が、おもむろに排熱教の本を取り出して、冒頭の一節を読み始めた。
それは、圧倒的な炎の脅威に対する祈りだった。
「水や風は、どこにでも入りこむ。ほんの少しの隙間があれば十分だ。しかし雪の妖精は、水を凍らせることができる。凍った水で、風を止めることだってできる。何者も、雪の妖精の中に入りこむことはできない」
その近くにいる雪の妖精が、続きを受け取るように口を開いた。
「ただ一つ、熱を除いて」
言葉はどんどん伝播していく。
観客席にいる雪の妖精たちが、排熱教の一節を次々に唱え始める。
「熱は、いつの間にか心の中にある。気がついたら体を溶かしている。どうやっても止めることはできない。熱を凍らせることはできないのだ」
やがて声が重なり、熱唱となる。
ハイドロが、フラストームの懐に飛び込んだ。
「ならば、あえて熱狂しろ」
炎の右手で殴りつける。
「泣け。叫べ。喚け。戦え」
フラストームは魔杖でガードしようとした。
「スノウリンクスではそれが許される」
魔杖が砕け散った。
「排熱を崇めよ」
ハイドロが至近距離からブレスを吐く。
「炎を恐れよ」
螺旋の炎が、高く高く吹きあがる。
直撃を受けたフラストームが、崩れ落ちた。
吸気口が猛烈な音を立てて、熱を排出していく。
それでも間に合わないほどの熱が、闘技場に充満する。雪の妖精にとっては、この場にいるだけでも苦しい熱さだ。
でも出ていくものは誰もいなかった。
螺旋の炎が、徐々に小さく、細くなっていく。
しんと静まり返った闘技場で、
「きれい」
誰かの声が、やけに大きく響いた。




