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クリスタの暗躍

 

 ハイドロは東側の通路を抜けて、受付奥のT字路まで戻った。

 そのまま直進して、西側の通路に入る。


 そして、西側に割り当てられた参加者たちの待機所の、さらに隣にある治療室に足を踏み入れた。


 氷で作られた長方形の、箱のような物の上にカカシが寝かされていた。

 もしかしたらあれは雪の妖精用ベッドかもしれない。

 他種族が横になった場合は、休憩するどころか体力が奪われるような仕様だ。


 ベッドの横には、グレイシアの部下が二人いた。所属はサーコートの紋章でわかる。

 彼らは闖入者に警戒したのか即座に剣を抜いたが、ハイドロだとわかって安堵のため息をついていた。


「なんだ、お前かよ」

「容態はどうだ?」


 ハイドロが訊くと、


「さあ、知らないよ。こいつはグレイシア様に仇なす存在だからな。もう用済みだ。それともあれか? お前、さっきの戦いだけでは満足できなくて、直にトドメを刺しに来たのか?」


 一人がそう言い、もう一人が「執念深い奴だなぁ」と笑った。


 ハイドロは、カカシに対して特に思うところはない。

 義務的に戦っただけで、恨みもなければここで助ける義理もない。

 一度手合わせしただけの相手だ。


 でも感傷的になるには、それだけで充分だったのかもしれない。


 一度振り返って、入り口を確認した。

 誰も来ていないことを確認してから、ごほんと咳払いした。


「グレイシアとリアが相次いで負けたことで、指揮系統が混乱している。一度兵舎に戻って部隊を再編制、その後改めて作戦を練り直す、だとさ。間違いなく伝えたからな。もうこんな伝言役はごめんだよ」


 ハイドロが言うと、雪の妖精二人は顔を見合わせた。

 それから横たわっているカカシを見て、


「こいつはどうするんだ?」

「僕の知ったことじゃないが、トドメを刺しておけと言うのなら、そうしよう」


 雪の妖精二人はもう一度顔を見合わせて、何かを相談し始めた。

 しばらくして結論が出たらしい、


「……っち。仕方ねえ。こいつをいたぶるのはあんたに任せるぜ。しっかりやってくれよな」


 そう言って二人とも出ていった。

 どうやらうまく騙せたようだ。

 ハイドロは、ほっと一息ついてから、横たわっているカカシに視線を向けた。彼女はばっちり目を開いていた。


「どこから起きていた?」

「少し前から」


 カカシは上体を起こしながら、


「……冷たい」


 と言った。そりゃ、氷のベッドに寝かされていればな。


 相変わらず焦点の合っていない瞳でハイドロを見て、


「……どうして助けてくれたの?」

「どうして助けに来たとわかった?」


 ハイドロが質問し返すと、


「見ればわかるよ」


 簡潔な答えが返ってきた。

 ハイドロはため息をついて、

 

「僕もグレイシアには思うところがあるんだよ」

「思うところって何?」

「詳しくは言えない」

「そう」


 カカシは素直に頷き、思い出したようにベッドから飛び起きた。


「お礼を言っておく。ありがとう」


 そして、スタスタと治療室から出て行こうとする。

 ハイドロは慌てて呼び止めた。


「あ、待て。一つだけ訊きたいことがある。ヴェイル家に何をされたんだ?」

 

 森の妖精と雪の妖精で、戦争があったことは知っている。

 単純にそのときの恨みか?


 カカシは立ち止まり、


「あなた、この街ではどこの派閥の人?」

「特にないよ。ただの旅人だけど、グレイシアに弱みを握られて参加を強制されているだけ」

「へえ、あなたも大変ね」


 同情されてしまった。


「じゃあ、言ってもいいかな。わたしが具体的に恨んでいるのは、グレイシアとフラストームの二人ね。前の領主は穏健派だったのだけど、あの二人はそんな自分の父親を焚きつけて近隣の集落に難癖をつけさせ、攻め入っていたのよ。領主が亡くなったことで停戦まで持ち込めたけど、それだってクロノがいたからなんとかなっただけ」

「クロノが?」

「彼は話のわかる雪の妖精だね。グレイシアやフラストームとは違って、まともだわ」

「じゃあ、クロノの現状にがっかりしたんじゃないか?」


 今のクロノは、森の妖精との戦争を収めたときとは別人のように堕落しているという噂だ。

 でもカカシは、こちらを蔑むように見た。


「あなたは何を言っているの?」

「何って……?」

「彼は動く。必ず」


 確信があるらしい。


「わたしはもう、自力でトーナメントを突破できなくなったからね。彼が動くであろう『そのとき』を待つだけ。じゃあね」


 カカシは前に向き直り、部屋から出ていった。でもいったん戻ってきて、


「あなたがしてくれた恩は忘れない」


 と律儀に言い足した。

 ハイドロもこんなところに用はない。カカシを追ってすぐに待合室から出たけれど、彼女はもうどこにもいなかった。

 ふわふわしているようで、動くべきときは素早い――そんな妖精だ。


 ハイドロは一人で受付前まで戻った。


「こんなところにいたか。ちょっとこい」


 そこでグレイシアの部下に呼び止められた。カカシをいたぶっていた奴らとは違う妖精だったけど、それでも身構えてしまう。


「……なに?」

「やはりお前は強いな。我々が想像している以上かもしれん」

「は、はあ」

「明日は絶対にフラストーム様を倒せ」


 違う要件だった。心の中で胸をなでおろす。

 でもどうしてわざわざ、念を押すように言うんだ?


「そうすればフラストーム様は、グレイシア様との話し合いに乗ってくるかもしれない」

「話し合い? フラストームが? なんで?」

「このトーナメント自体を仕切り直すためだ」

「どうやって?」

「参加する権利のないものがいたとか、他国が攻め込んでくるという情報が入ったとか、それらしい理由をでっちあげればいい」


 少し考えて、相手が何を言っているのかハイドロにもやっとわかった。


 今はまだフラストームがトーナメントに残っている。

 彼が領主の座につく可能性も、権利もある。


 でもグレイシアと同じようにフラストームも負けてしまえば、この大会自体を続ける理由がなくなる。

 最初からこのトーナメントは、グレイシアとフラストームの物だ。


 どちらかが勝つことを前提として開かれている。

 どちらも負けてしまえば、中止にするのが当然だ。

 つまり現状、グレイシア側に取れる手は一つだけ。


 フラストームを負かすしかない。


 これは責任重大だ。負けたら何を言われるかわかったものじゃない。

 

 グレイシアの部下と離れ、観客席へと続く階段を上る。

 ざっと見回してみたけれど、クリスタはいないようだ。


 とりあえず闘技場を出て、ぶらぶらと街中を歩いてみることにした。雪の妖精や、他種族、人間たちが、そこら中でスノウリンクスのことを喋っていた。


 話題はもっぱら、仮面の妖精のことばかり。


「かっこいいな!」

「この街を変えてくれるかも」

「正体は誰だ?」

「領主になってほしい~!」

「なんて美しい剣技だろう」


 などなど、とんでもない話題性だ。

 ハイドロを指さして何かを喋っている人とも頻繁にすれ違った。


「あれが炎の……」

「ああ、他種族なのに勝ち上がった……」

「熱を持ち込むとはどういうことなのか」


 断片的にそういった言葉が聞こえてくる。

 やっぱり悪印象な気がするけど、気にしない。そんな言葉の中で、


「ハイドロー!」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 少し離れたところで、クリスタがこっち向かって手を振っていた。こっちも振り返すと、小走りで近づいてきた。


「すごい戦いだったね! かっこよかった!」

「まあ、うん。ありがとう」


 褒められて悪い気はしない、というか単純に照れくさい。


「今はどこに行っていたんだ?」

「ん? ああ。私とハイドロの見張りがいなくなったか、確認していたの」


 どういうこと?

 困惑した表情が顔に出ていたらしい、クリスタが「ちゃんと説明する」と真剣な表情で言った。


「少し前に、仮面の妖精が闘技場から出ていったの。その後を、腕の立ちそうな集団がひっそりとつけていった」


 グレイシアの部下か。

 おそらく、四方八方からハイドロに剣を突きつけたあの影の集団だろう。


「……消すためだよな?」

「そう。でも仮面の妖精は、追手を全員返り討ちにした。そのおかげでグレイシア陣営は、私たちに人手を割く余裕がなくなったみたい」


 リアが負けたことも無関係ではないだろう。

 さっきカカシを助けるときに口から出まかせで「指揮系統がムチャクチャになっている」とハイドロは言ったけど、あながち間違っていないのかもしれない。

 それにしても、


「全員を返り討ちにしたって本当か?」


 仮面の妖精は確かに強かったけど、影の集団だって相当なものだろう。一度襲われたハイドロはその恐ろしさを身に染みて理解している。

 突出した個の強さで対抗できるとは思えなかった。


「本当だよ。仮面の妖精にも仲間がいるからね」

「クリスタはどうして知っているんだ?」


 何か、ハイドロの知らない情報を握っている様子だ。

 思い返すに、少し前からクリスタの態度は不自然だったような気がする。


 ハイドロを騙そうとか罠に掛けようとか、そういう感じではないが……。


 相手が言えないことを、訊ける間柄じゃなかった。

 大胆に踏み込める距離感じゃなかった。


 でもその一線を、クリスタの方から越えてきた――。


 とん、と軽やかに足を踏み出して、いつもより近い距離感でハイドロの瞳を覗き込む。

 そのまま顔を寄せてきて、耳元で、


「千載一遇のチャンスがやってきた」

「チャンス?」

「見張りのいない状況が生まれたんだよ。それでも一応、ね。近いけど許して」

 

 くすぐったいのと恥ずかしいのとで、ハイドロは言葉の内容がうまく耳に入ってこない。

 たぶん、今の自分の顔は真っ赤だろう。


 集中しろと自分に言い聞かせる。これは大事な話題だ。


「ハイドロに会ってほしい雪の妖精がいるの」

「え? 会ってほしい? 雪の妖精?」


 いきなりのことにハイドロは戸惑った。いろいろな可能性が頭の中を駆け巡ったけど、予想するだけ無駄だとすぐに悟った。

 とりあえず会えばわかる。


「今しかないの。私が怪しいのはわかるけど――」

「会うよ」

「え?」

「クリスタのことを疑ってなんかいない」


 そこを疑ったら、ハイドロがこの街にいる理由がなくなる。


 クリスタは相変わらず、ハイドロの耳元に口を寄せている。

 今の彼女がどんな顔をしているかわからない。ふっと、吐息のようなものが漏れて、ハイドロの耳をくすぐった。

 笑ったのかもしれない。


「ありがとう。君が命を懸けて戦っているから。私も命を懸ける」

「うん」

「実はね――」


     ◇


 しばらくして、クリスタが用意した会合はつつがなく終わった。


 その日の夜もハイドロはいつも通り、グレイシアの兵舎で寝泊まりした。

 クリスタは自分の部屋に戻っていった。あの後ろ盾ならば安心だろう。


 いろいろな思惑が絡み合い、その流れに翻弄されるだけだった今回の出来事にようやく一筋の光明が見えた。

 とはいえハイドロがやるべきことは変わっていない。


 トーナメントを勝ち進むだけだ。

 

 明日のために早く寝よう、そう思ってベッドに入ったけれど、兵舎が騒がしくてなかなか寝付けない。グレイシアとリアは負けてしまい、仮面の妖精は取り逃してしまった。

 それどころか追手にかけていた精鋭三十人が行方不明ときた。

 圧倒的に人手が足りないのだろう。


 最初は、通路を行き交う足音や話し声が気になって仕方なかったけれど、そのうち睡魔に襲われた。


 今日の会合で疲れていたのかもしれない、いつの間にか眠っていた。


     ◇


 朝になっても、兵舎は騒がしいままだった。

 ハイドロが闘技場に向かうと言うと、人手が足りないのに護衛をつけてくれた。フ

 ラストーム陣営に暗殺されないとも限らないし、仮面の妖精もどう出るかわからないからだろう。


 というわけで、無事に闘技場に辿りついた。


 会場前の熱気はおかしなことになっていた。

 なぜか、仮面をつけた雪の妖精がたくさんいたのだ。聞こえてくる話から察するに、グレイシアを倒したその戦いぶりで人気に火がつき、ファンがこぞって似たような仮面をつけているらしい。

 中には他種族も混じっている。


 ハイドロを護衛していたグレイシアの部下は、困ったように彼らを見ていた。このブームを止める必要があるのか考えているのかもしれない。

 

 結局、護衛たちは何も言わなかった。

 触らない方が得策だと判断したみたいだ。今はまだ――というだけの話だが。


 入り口の前にはクリスタがいた。ハイドロが来るのを待っていてくれたらしい。


「今日も観客席で応援しているからね」

「うん。ありがとう」


 と挨拶を交わして別れる。


 さらに歩を進めると、受付前に、本物の、仮面の妖精がいた。


 ハイドロの護衛についているグレイシアの部下たちが、緊張したように仮面の妖精を見た。たださえ冷たい空気がさらに冷え、一触即発の雰囲気が高まっていく。


 おいおい、まさかここで一戦やらかす気じゃないだろうな。


 仮面の妖精が殺気に気がついたのだろう、ちらりと首を傾けてこっちを見た。

 甲冑の奥で光っている青い瞳がハイドロの視線とぶつかる。でも何も言わず、背を向けて受付奥へと歩いて行った。

 幸いなことにグレイシアの部下たちは、その背中に飛びかかったりはしなかった。


 ハイドロに向き直り、


「護衛はここまでだ。後は頼む」

「仮面の妖精に斬りかかるかと思った」


 ハイドロが冗談めかして言うと、


「そうしたかったけど、俺たちじゃ敵わないからな。トーナメントの出場者に任せるよ」


 グレイシアの部下はそう答えて、肩をすくめた。 

 ハイドロは、ここまで護衛をしてくれたお礼を言って、彼らと別れた。


 受付の横を通り過ぎ、闘士用の控室に入る。フラストームも仮面の妖精もこっちの控室ではない。

 そのことがありがたかったけど、あの二人がどういう会話をしているのかも気になる。


 二日目の戦い――準々決勝は、全部で四回戦ある。


 注目すべきは一回戦、仮面の妖精とリキュールの対決だろう。

 後は、四回戦にある自分の戦い――ハイドロとフラストームの対決か。


「領主の次男……ね」


 一人、控室でつぶやくハイドロである。

 腕を組み、考え事をしながら自分の足元を見ていると、石床が幽かに揺れていることに気がついた。


 観客席が、人や妖精でいっぱいになっているのだ。

 噂話やささやき声、罵声や怒声。座っている人が足をゆすったり、踏み鳴らしたりと、そういった音や振動が集まって、ちょっとした地響きと化している。


 少し緊張してきた。


 昨日までは諦めに似た境地で参加していたからなんとも思わなかったけど、今日は違う。

 このトーナメントがどういう決着を迎えるのか知りたい。策謀の糸に組み込まれていく中で、自分の選択や、他の妖精の選択がどう重なっていくのかを見たい――そんな風に思った。


 ハイドロは控室を出て、闘技場の底へと続いている通路を歩いた。

 そして、入り口手前で立ち止まる。


 そんなハイドロの横を一人の妖精が通り過ぎていった。甲冑はつけておらず、ひらひらとしたシルエットのローブを何枚も重ね掛けしているような服装だ。


 フラストームの魔法の師匠――リキュールだ。

 

 リキュールは昨日の戦いで、リアを倒して勝ち上がってきた。

 グレイシアが負けたばかりで混乱していたとはいえ、最強の近衛兵であるリアを倒したのだ。


 そんな男が、仮面の妖精と激突する。

 反対側の通路から、仮面の妖精も姿を現した。


 二人の間に、雪だるまの審判が立つ。

 木の枝でできている右手を高く掲げる。


「はじめ!」


 戦いが始まった。


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