ハイドロと森の妖精
グレイシアが一回戦で敗退した。
熱狂は混乱へと変わり、そこから混沌が生まれ始めた。
観客は、残ったフラストームを応援するものと、仮面の妖精を応援するものに二分されたようだ。
観客席のあちこちで、罵声が飛び交い、衝突が起こった。
「あれは誰だ? チャンピオンのカタクリか?」
「バカかお前! カタクリは大男だろうが。あんな枯れ木のような奴じゃない」
「でもその枯れ木みたいなやつが、グレイシア様を倒したんだぜ」
「フラストーム様なら勝てるだろ」
「っは! どうだかね」
という会話が、通路にいるハイドロのところにまで聞こえてくる。
さらに通路は通路で、
「後をつけろ。できれば今夜中に始末しろ」
グレイシアの部下が、そのように指示を発していた。
近くにはハイドロの他、トーナメント参加者が待機している待合室もあるというのに。
そんなことは歯牙にもかけず、なりふり構わず絶対に、仮面の妖精を討つつもりのようだ。
まあ、そうなるかと、ハイドロはどこか他人事のように思った。
仮面の妖精は、トーナメントが終わるまでずっと命を狙われ続けることになるだろう。
あるいは、終わった後も。
考えても仕方がない。
ハイドロはハイドロで、自分にできることをやるしかない。
グレイシアを勝たせるという目的は達成できなくなったけど、これでハイドロの役目が終わったわけではないだろう。
むしろ、もっと複雑で難易度の高いことを要求されるような気がする。あまりの展開に気が重い。
いろいろなことが起きると思っていた。
でもまさか、いきなりグレイシアが脱落するとまでは思っていなかった。
現実は、自分の想像力とは無関係に推移していく。
いずれにしろ、なんらかの指示を受けるまではトーナメントに参加し続けるしかない。
会場の熱気が冷めやらぬまま、二回戦が始まった。
さきほどハイドロの横で弓をつがえていた近衛兵――リアが出場していた。
対するはフラストームの師匠であるリキュールだ。
リアの動きは精彩を欠いていた。
グレイシアが負けてすぐの戦いだから、仕方がないのかもしれない。
リキュールが飛ばした無数の氷塊をさばききれず、見せ場という見せ場もなくリアは負けてしまった。最強の近衛兵という触れ込みだったが、その実力がわからないままの敗退だ。
続けて、三回戦、四回戦、五回戦、六回戦と、番狂わせもなく順調に終わった。
そして七回戦――ハイドロの出番がやってきた。
首元から提げていた氷狼のチャームを握りしめていると、グレイシアの部下がやってきた。
集中しているハイドロに構わず、話しかけてくる。
「グレイシア様は負けてしまったが、とにかくお前は勝ち上がれ」
「もし僕が負けたらどうなる?」
「本気で戦って負けたのなら咎めないさ。だが、わざと負けたりしたら、クリスタの命はないと思え」
しっかり脅された。
そもそも本気かどうかを、どうやって見分けると言うのだ。
勝っても負けても難癖をつけられる未来しか見えない。
ハイドロはため息をついて、闘技場の底へと歩を進めた。
同時に対戦相手も、反対側の通路から顔を出した。
ウェーブのかかった黒髪が、腰まで長く伸びている。ハイドロと同じく羊毛のマントを着ていて、防寒には力を入れているのがわかる。留め具はヒスイの宝石だ。おそらくは女だろう。
あれは雪の妖精じゃないな。
確か名前は――カカシだったか。
彼女は、光のない気の抜けたような瞳をあちこちにさまよわせている。焦点があっておらず、どこを見ているのかわからない。
でもその瞳が、急にハイドロを捉えた。
「あなたは……ヴェイル家の妖精じゃない?」
「違う。僕はドラゴンだ」
「聞いたことのない種族ね」
「珍しいから」
「そう」
ウェーブの子――カカシは、自分の髪の毛をくるくると人差し指に巻いた。
二人の間に立っている雪だるまが、木の枝でできている右手を高く掲げる。
「はじめ!」
カカシの周りで風が吹き、髪とマントがふわふわと浮き上がった。
中は、厚手のセーターとスカートを着込んでいる。そしてヒスイや黒曜石などの石をあちこちに巻き付けているのが見えた。
「あなたに恨みはない」
カカシが言いながら、手のひらを広げて、こちらに向けた。
「でも、ここで退場して」
突風が吹き、ハイドロの体にぶつかる。まるで巨大な壁にぶち当たったかのような衝撃だ。壁まで飛ばされ、背中を強打した。
「かはっ!」
息が漏れる。
そんなハイドロに追撃をくわえんと、カカシが浮き上がって一気に距離を詰めてきた。
体勢を立て直そうとしていたハイドロの前で急停止する。動きはふわふわとしているのに、近づくときは雷光のようだ。
緩急が凄まじい。
行き場を失った風が渦を巻いて上に抜けていき、辺りに漂っていた氷の欠片や石の破片も一緒に舞い上がった。
目の前に彼女の顔があり、その真っ黒な瞳の中にハイドロが映っていた。
「私は森の妖精の戦士」
カカシが言う。続けて、
「ヴェイル家に復讐を誓う者」
ハイドロの肩にそっと触れた。足元が地面から離れ、踏ん張ることも何かに掴まることもできずに、宙に浮かび上がらされた。
背後にあった壁からも遠ざけられ、どうすることもできなくなる。
「お、おいおい、これは……!」
腕や足は動くけど、ただバタバタとするだけで前にも後ろにも進めない。具体的な何かに拘束されているわけじゃないが、檻に閉じ込められたのと同じだ。
カカシが、懐から緑色のナイフを取り出した。そして、
「ショウジョウバカマのナイフ」
ためらうことなく突き出してきた。
地味にピンチだ。
体の自由が利くようで利かない――この状況が、ハイドロの対応に遅れを生じさせた。
迷っている暇はない、一気に魔力を練り上げてブレスを吐く。
寸前でカカシが避け、ハイドロはブレスの推進力で近くの壁まで吹っ飛んだ。衝撃で、ハイドロの体にかけられていた魔法が解けたらしく、浮力がなくなって着地した。
カカシがナイフを逆手に持ち直す。
森の妖精と言えば、少し前にこの街と争い、領主の命をヴェイル家の家宝もろとも粉々にした種族だ。その後、三男のクロノが争いを収めたとハイドロは聞いている。
カカシの口ぶりからしてヴェイル家に恨みがあるらしい。
まあ、それはそうだろう。そこは不思議じゃない。
問題は、どうして彼女がトーナメントに参加できたのか、ということだ。
誰でもエントリーは可能という触れ込みだけど、グレイシアとフラストームに不都合な存在なら、大会前に消されているはず。
事実、ハイドロも暗殺者に襲われたわけだし。
意図的にスルーされた?
前領主を亡き者にした森の妖精族をエントリーさせて、その子に、先の戦争の恨みを凝縮、象徴させる。
スノウリンクスでその子をボコボコにして、観客の留飲を下げさせる。
……とまあ、そんなところだろうか。
カカシはそういった事情をわかっていながら、それでもこの状況を好機と捉えたのか。
あるいは何も知らないまま踊らされているだけか。
どっちだろう。
どっちでも、ハイドロのやることは変わらない。
先の戦いで出力調整を学んだハイドロは、腹の中で魔力を練りながら、同時に相手のことをしっかりと観察した。そういった細かな所作が可能になっていた。
初撃こそ食らってしまったけど、もう同じ轍は踏まない。
カカシがふわりと近づき、左手でナイフを振った。
緩やかに見えながら、その実、速い。
彼女の動きにはつかみどころがなく、油断をすればあっという間に斬られてしまうだろう。
その剣筋から相当な鍛錬を積んでいることがわかる。
ハイドロは最小限の動きで躱した。
カカシは手首を回して、器用に次の斬撃を繰り出してきた。それもしゃがんで躱す。
攻撃がよく見える。
再び風を起こそうとしたのか、右手を前に伸ばした――もちろんさせない。伸ばした手に触れるのは危険だと考え、ブレスを吐いて相手の集中力を乱す。
魔法を発動させる隙を与えない。
こちらの得意魔法が炎ということも好都合だった。風を起こせば、火は燃え上がる。ハイドロは火に耐性があるけど、カカシにはなさそうだ。
この街に来て、ガロと戦い、グレイシアの部下に囲まれ、宿屋では暗殺されそうになった。そしてグレイシアと仮面の妖精の戦いを見て、ハイドロの中の何かが変わった。
戦いの経験値が急速に積まれたのだ。
「悪いな。勝つのは僕だ」
冷静に相手の攻撃を見極め、隙を狙ってブレスを吐いた。
ひたすらに堅実な攻撃を行う。
ブレスを躱した相手の懐に入って、本気で蹴り飛ばした。
カカシは何回か床で跳ねた後、壁に激突した。よろよろと立ち上がってきたけれど、すぐに膝をついてしまった。
「勝負あり!」
これ以上の戦闘は不可能と判断したのか、雪だるまが言った。
「ふざけるな! わたしはまだやれ、る……」
カカシは喋りながら床に倒れた。気絶してしまったらしい。
ハイドロが吐いた炎と、残った熱は、排熱システムによってすぐに闘技場の底から流れていった。観客席がざわついていることに、今更気がついた。
「あれは誰だ?」
「炎を吐いた?」
「一週間前、排熱システムを壊しかけたのはこいつか?」
だんだん目立ち始めた気がする。それも悪目立ちだ。
雪の街にあって、炎を武器とするのだから当然か。
「はあ~」
ため息をついた。口から少し炎が漏れ、観客席がちょっとした悲鳴を上げた。
カカシが雪の妖精に運び出され、ハイドロも闘技場の底から出る。
彼女が無事かどうか、あるいは無事だったとしてちゃんとした治療を受けられるのかどうかが気になる。
後で確認に行った方がいいだろう。
ハイドロと入れ替わるようにして、グレイシアの部下――リリリという名前の騎士が、闘技場の底に入っていく。
対戦相手はあのフラストームだ。
本日、最後の戦いが始まる。
ハイドロの背中に、八回戦の開始を告げる雪だるまの声が聞こえてきた。
気になったので、通路で立ち止まって見ていくことにした。
領主の次男、フラストーム。
グレイシアが狡猾だと評し、危険視している相手だ。
最初に因縁をつけてきた酔っぱらい――ガロは、このフラストームを支持している騎士だった。彼の言によると、領主になった暁にはすべての割れ者を街の外に放逐するつもりだとか。
もうこれだけでハイドロと相入れないのがわかる。
リリリが、氷の槍を構えて突っ込む。
かつん、という何かのぶつかる音がした。すると、突っ込んだはずのリリリがよろけて、派手に転倒した。
何が起こったのかハイドロにはわからない。
魔法か、暗器か。いずれにせよ手ぶらに見えるはずのフラストームが何かをした。
彼は倒れている相手に近寄って、そのままブーツで踏みつけた。
「ぐあッ!」
リリリが悲鳴を上げる。
フラストームは構わず、何度も何度も、倒れている相手を靴で踏みつけた。ハイドロは見ていられなくて、視線をそらした。
バキン、バキン、という音が響く。
「勝負あり! 勝負あり! 勝負あり! やめなさい!」
雪だるまの審判の、止めに入る声が聞こえた。
それでもしばらくは靴を踏み下ろしている音が聞こえ続けた。
明日の対戦相手はフラストームで決まった。




