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アンノウンスノウ

 

 闘技場の底に、二人の雪の妖精が立っている。


 一人は長男グレイシア・ヴェイルだ。

 彼はゆったりとした動作で、一歩、前に進んだ。


「みなも知っての通り、一か月前に父上が亡くなった。戦うことを嫌い、周辺諸国との調整にその生涯を費やした、立派な領主だった。しかし、ずっと戦いから逃げていたせいで腕が鈍ってしまったらしい。森の妖精に攻め込まれたとき、敵の魔法が直撃して四十歳という若さで永久凍土へと旅立つことになった」


 観客席に向かって演説を行っている。


 礼装用の服ではなく、すぐにでも戦えそうな甲冑姿である。

 なぜならグレイシアは、この後すぐ始まる一回戦に出場するからだ。


「家宝のクロノ・フラワーもそのときに壊れてしまった。嘆かわしいことだ」


 それは確かに嘆かわしい。


 ちなみにハイドロは、闘士用の入り口からこの演説を聞いていた。


 トーナメント参加者は全部で十六人。

 東西の待合室に八人ずつ分かれ、待機を命じられている。


 グレイシアと近衛兵のリアはセレモニーで役割があるらしく、すぐに出ていった。


 残った六人が和気あいあいと歓談するはずもなく……。


 待合室には重苦しい空気が垂れ込めていたので、ハイドロはたまらず通路に出た。


 一人で壁に背をもたれかけさせて、首から提げた氷狼のチャームを触っていると、そのうちヴェイル家の演説が始まった。

 通路の奥まで歩き、リングがある闘技場の底の、入り口手前で立ち止まる。そこからセレモニーを見ることにした。


「父上は、この闘技場から排出された熱が魔力を帯び、街の周辺にいるモンスターたちをさらに凶暴化させているとお考えになっていた。そんなことは、どうでもよいじゃないか! 我々は、もっと戦うべきなのだ! スノウリンクスだけでは足りない! 近隣諸国が文句を言ってくるようなら力で黙らせるべきだ! 強い者が、この街を導くべきなのだ!」


 観客席が湧いた。

 その光景に満足したのか、グレイシアは一歩下がった。


 入れ替わるようにしてもう一人の雪の妖精――礼装用のマントを羽織った男が一歩進み出る。

 彼のマントは、はがれ落ちた氷樹の外皮を素材としているはずなのに、青ではなく黒かった。

 自然の素材をうまく使うのではなく、自分好みの色に染め上げているのだろう。刻まれている幾何学模様も金色に光っていて、かなり派手だ。


 留め具は黒く塗った六角板の形をしている。


 ――骸晶角板だったか。


「ゆえに僕たち兄弟は、領主の座を巡って、公正なトーナメントを開催することにした」


 あれが次男のフラストーム・ヴェイルなのか。


 グレイシアと比べると小柄な体格をしているけど、狡猾で抜け目のなさそうな顔をしている。


「このトーナメントには、ありとあらゆる素性のものがエントリーをしている。我らヴェイル家に忠誠を誓う騎士に、一発逆転を狙う没落貴族、この土地と縁もゆかりもない旅人、氷闘士、他種族、果ては父上の命を壊した森の妖精族まで、さまざまだ」


 などと言っておきながら、ヴェイル家にとって不都合な者は、この街に足を踏み入れた時点で目をつけられ、あらかた始末されているはずだ。


 グレイシアかフラストームの後ろ盾がなければ、この大会にエントリーすることはできない。

 できたとしても、それは意図的に見逃されているだけだ。


 有名な氷闘士も参加しているらしいが、やはりどちらかの派閥に所属しているのだろう。


 さっきアイオーンから渡された氷板の対戦表を見ればわかる。

 兄弟で戦う可能性があるのは、決勝戦だけだ。



 一回戦、グレイシア 対 アンノウン・スノウ

 二回戦、リア 対 リキュール

 三回戦、アイナ 対 獅子丸

 四回戦、ギミギミガジガジ 対 ササ

 五回戦、バドルル 対 アミ

 六回戦、ラクト 対 ジル子

 七回戦、ハイドロ 対 カカシ

 八回戦、リリリ 対 フラストーム



 特に注目すべきは、一回戦と二回戦、それに自分が出場する七回戦と、最後の八回戦か。


 演説は続いている。


「優勝した者が、この街の新しい領主となる。強い者が、みなを導くのだ!」


 グレイシアが両手を広げた。


「ただし割れ者には、参加する権利がないけどね。あいつらは脆いから、守ってやる必要があるんだ」


 フラストームが付け足すように言った。

 観客席の中から、クスクスと笑い声が聞こえてきた。嫌な笑いだ。


「それでは、さっそく第一回戦を始めようか。僭越ながらこの私、グレイシアが開戦の剣を取る。みなの手本となるよう、大会の始まりにふさわしい戦いをお見せしよう」


 観客が再び湧いた。

 これから始まる壮大なトーナメントに、胸を躍らせているのだ。


 熱狂し、排熱する。それが雪の妖精たちの寿命を延ばす。

 氷に閉ざされた闘技場の底にあって、今ここはドロドロに溶けた策謀と、灼熱の夢が混ざり合っている。


 隅で控えていた近衛兵のリアが、グレイシアに歩み寄って氷の大剣を手渡した。


「これは我が家に代々伝わる大剣――『大氷河』である! 今大会で、私は全力を出すと誓う!」


 観客が身を乗り出してまで、その剣を見た。もちろんハイドロも確認する。


 あれが家宝なのか?


 ちょっと大きいだけの、普通の氷の剣に見える。

 柄頭や鍔といった部分に細やかな細工が施されていて、意匠は凝っているけれど。


 でも剣に必要なのは切れ味だ。

 家宝と言うからには、持つ者の魔力を増幅させるとか、重さを感じない魔法がかけられているとか、そういった仕掛けがあるのかもしれない。


 大剣を手渡したことで役目を終えたのか、リアは顔を伏せたまま下がり、ハイドロのいる闘士用の入り口にやってきた。


 通路に入り、観客席から見えない位置まで来ると、やっと顔を上げた。

 そして近くの壁にもたれかかっているハイドロを一瞥した。


 でも、何も言わないで待合室の方に歩いて行った。


 ハイドロの口に剣を突っ込んだのは彼女である。そのことを思い出して、背筋に冷たいものが走るハイドロだった。


 ぶるっと体を震わせてから、もう一度、闘技場の底に視線を向ける。


 グレイシアの横に立つフラストームが一礼したところだった。

 彼は、ハイドロがいるのとは正反対の入り口から出ていった。

 入れ替わるようにして、仮面をつけた妖精が入ってくる。どうやらあいつがグレイシアの対戦相手らしい。


 対戦表には、アンノウン・スノウと書かれている。


 ……アンノウンねえ。


 顔には仮面をつけ、さらに氷でできている全身甲冑に身をつつんでいるため、誰なのかわからない。

 そのすらりとした体格は、見ている者に不安を抱かせる。あれでは甲冑を着ている意味がないだろう、一撃くらったらおしまいだ。


「なぜお前は顔を隠している? 雪の妖精か?」


 グレイシアが訊くと、謎の全身甲冑は頷いた。

 とりあえず仮面の妖精と呼ぼう。


「ふん。気に食わんな」


 グレイシアが吐き捨てるように言った。


 審判の雪だるまがやってきて、二人の間に立った。

 木の枝でできている右手を、高く掲げる。

 その場にいる誰もが固唾をのんだのが、ハイドロにはわかった。


 闘技場を満たしていた話し声や咳払い、ちょっとした動作音、それらすべての音がいっせいに消える。

 時が止まったかのようだ。


 雪だるまは焦らしているのか、いつも以上にたっぷりと間を取った。


 場の緊張が圧縮され、破裂しそうになった直前で――、


「はじめ!」


 領主の座をかけたトーナメント、その第一回戦が始まった。


 大歓声が沸き上がった。

 離れた通路にいるハイドロの耳が痛いほどの音量だ。


 グレイシアと仮面の妖精は、観客席から投げかけられる声を気にすることなく、静かに歩きながら両者の間合いに入っていく。


 お互いがお互い、相手の首筋を捉えることのできる距離で止まった。

 示し合わせたように、観客が再び沈黙した。


 何もかが凍ったように止まり、


「うおおおおおおおおおおお!」


 グレイシアの雄叫びで、時が動き出した。


 氷の大剣が振られ、太陽の光を浴びながらきらめく。

 他の妖精たちが使っている剣幅の、二倍はあるだろう。それをグレイシアは、軽々と振り回した。

 観客席が、どよめいた。


 柱や壁際に設置されている吸気口が、大きく音を立てた。それだけ一気に熱が放出されたらしい。


 グレイシアの大剣が振り下ろされた。

 空間が削り取られ、風が流れる。闘士用の入り口にいるハイドロのところにまで、余波が飛んでくる。あまりの衝撃にたたらを踏み、ハイドロは壁に背中をつけた。


 何かによりかかっていないと不安だった。


 大剣が振られた後には青色の軌跡が残り、確かにそこに斬撃があったのだと、観客に知らしめている。幾度も幾度も、青い軌跡が尾を引いた。


 問題は、その斬撃のどれ一つとして当たらないことだった。


 仮面の妖精は、ひらりひらりと、踊るようにすべての攻撃をかわしている。

 まるで風に舞う木の葉のよう。

 力任せの攻撃は無意味だ。


 仮面の妖精が持つ武器は、氷の剣の二刀流である。

 それも向こう側の景色が透けて見えるほど薄い刃の剣だ。

 攻撃を受け止めたら折れてしまうだろう。だから一度も、刃と刃が当たっていなかった。


 最初は湧いていた観客も、徐々に静まり返っていった。

 とんでもない攻撃の乱舞と、その乱舞が掠りもしない光景に、言葉が出てこないのだ。


 闘技場の底には、風を切るむなしい音しか鳴り響かない。そんな戦闘とは正反対に、闘士用の通路ではグレイシアの部下たちが慌ただしく行き来していた。


「あいつは誰だ?」

「対戦カードには、『アンノウン・スノウ』と書いてあります」

「誰がエントリーを許可した? 素性のわからない者は弾けと命じておいたはずだ」

「受付の者に訊いたところ、誰もわからないと……」

「そんな話が通ると思うのか?」


 そこに違う部下がやってきて、


「アンノウン・スノウを担当していたスタッフがどこにもいません」

「はあ? どういうことだ! 探せ!」


 妖精たちがばたばたと走り去っていった。


 そうか。あの親切な受付嬢――アイオーンもこのトーナメントに一枚嚙んでいたのか。


 アンノウン・スノウと繋がりがあり、グレイシアとは別に暗躍していたらしい。

 彼女はフラストームの手先か、それともまったく別の勢力か……。

 いずれにせよ姿を消したことだけは確かだ。


 また会いましょうと彼女は言った。敵か味方かわからないが、その願いは遠くないうちに実現するだろうとハイドロは思った。


 考え込んでいるハイドロの近くにリアがやってきて、通路の影で氷の弓を構えた。


 リアはハイドロをちらりと見たけど、やっぱり何も言わなかった。

 黙々と動き、弓に矢をつがえて引き絞る。

 矢は、アンノウン・スノウを狙っている。


 グレイシアを勝たせるためにここまでするのか。

 一対一の戦いであるスノウリンクスにおいて、横合いからの狙撃は、さすがに大会そのものを台無しにする行為であり、伝統に泥をぬる禁忌だろう。


 グレイシアのやり方は、これまでだって褒められたものではなかった。でも戦いの邪魔をするという行為は、それらの悪事とは質が違う気がする。


 ――始まったスノウリンクスの邪魔をしない。


 そこが、この街において守るべき最後の線であり、そこをないがしろにすれば大義が揺らぐはずだ。

 優勝しても、誰もついてこなくなる。


 リアもそれがわかっているから、氷の弓を用意しながら放つことができないでいる。


「うおおおおおおおおおおおお!」


 闘技場の底でグレイシアが吼えた。

 裂ぱくの気合で、大剣を振り下ろす。

 仮面の妖精は紙一重でそれを躱し、隙だらけのグレイシアに肉薄した。闘技場の熱気が、最高潮に達する。


 氷の二刀が、軽く振られる。

 その太刀筋の優雅さゆえに、まったく重さが感じられない。そこにあって当然の斬撃であり、だからこそグレイシアは避けられなかった。


 仮面の妖精とグレイシア。両者の動きが止まった。


 誰も、何も言葉を発しない。熱気を回収する吸気口の音だけが鳴り響く。

 少し遅れてグレイシアが膝をつき、前のめりに倒れた。ハイドロの横で弓を引き絞っていたリアの力が抜けていく。そして彼女は、


「う、うそだ……グレイシア様が、そんな……!」


 ずっと握りしめていた弓を、石床に落とした。

 からんと、乾いた音が響き渡った。


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