第28話 婚約指輪
「本当にここは良い場所ですね」
「だろ? 俺もここの空気感が好きなんだよ。癒されるっていうかさ」
「兄様は本当に昔からここが好きですよね。そんなに好きなら去年も戻ってきてくれたらよかったのに」
「いろいろ忙しかったんだよ。悪かったって」
温泉街を歩きながら目に入ったお店に入っていく。
そうしていると爽夏が頬を膨らませて俺を睨みつけてくる。
確かに昨年実家に帰らなかったのは悪いと思ってるけど、本当に去年は忙しかったのだ。
「爽夏さんは春斗くんの事が本当に好きなんですね」
「もちろんです! 自慢の兄様ですからね」
「なんか、そういうのを真正面から言われると照れるな」
「兄様が照れてる! 可愛い」
「本当ですね。いつも冷静沈着な春斗くんが照れてます。すごくかわいいです」
二人して俺のことをからかってくるけど、そこまで嫌な気持ちにならない。
というか、普段からあんまり誰かにからかわれる経験がないわけなんだけど。
「やめてくれって。でも刹那が楽しめてるようで俺は嬉しいよ」
「楽しいですよ本当に。というか、春斗くんと出会ってから毎日が楽しいです」
「ならよかったよ。これからも全力で楽しませていこうと思ってるから覚悟しておいてくれ」
俺たちは指を絡ませあって手をつなぎながら温泉街を歩く。
いわゆる恋人つなぎという奴で、刹那とこうして婚約する前まではなんでそんなことしてるんだろうと疑問だったけど今ならわかる。
こうしてるのが凄く幸せなんだ。
「二人とも……私がいるの忘れてないですか?」
「忘れてるわけないだろ。というか、そろそろ旅館に戻るか? いい時間だし」
時刻は午後六時。
五月が始まったこともあって日が落ちる時間は少しづつ遅くなっている。
辺りが薄暗くなりつつあることもあってそろそろ旅館に戻った方がいいだろう。
「それもそうですね。戻りましょうか」
「は~い」
旅館に戻ったら夕食を食べて温泉に入って。
なんて優雅な一日何だろう。
だけど、忘れてはいけない。
この旅行が終わったら本家に行かないといけない。
しかも、その時に対峙するのは俺の父親としての広隆寺冬夜ではなく広隆寺家現当主としての広隆寺冬夜なのだから。
「……」
「兄様? 難しい顔をしてどうかしたのですか?」
「何でもない。それよりも今日の夕食は何だろうな?」
「確か、バイキング形式でしたよね?」
「ああ。なんでも好きなもの食べれるぞ」
夕食は自分で好きなものを好きな量食べることができるので、どんな料理が出てくるか楽しみだ。
昔もここでバイキングをしていたけど、毎年毎年並ぶ料理が変わるので俺自身も楽しみだ。
◇
「流石に食べすぎじゃないか? 爽夏」
「い、言わないで。流石に私もやりすぎたと思ってるから……」
夕食後、爽夏は俺の部屋のベッドに寝転がってぐで~っとしていた。
食べ放題と言う事もあって、爽夏は張り切って食べまくっていたから気持ち悪くなってしまったのだろう。
気持ちはわからなくはないけど、明らかにやりすぎだ。
「まあまあ、大丈夫ですか? 爽夏さん」
「だ、大丈夫じゃないかもです」
「まあ、ゆっくりしてろって。この旅行はまったり羽休めするための物なんだし」
「ですね。眠くなったら私が部屋に運びますので」
「いや、俺が運ぶよ。というか、今から運ぼうか?」
この様子だと爽夏は絶対に今日は動けないと思う。
だから、今のうちに爽夏を部屋に運んでおいた方がいいと思ったのだ。
というか、そうしないと俺のベッドが使えなくなってしまう。
「あ、ありがと兄様」
「いいって。刹那はどうする?」
「私はもう少しここに居ようと思います。鍵渡しますね」
「ありがと。すぐ戻ってくる」
刹那から隣の部屋の鍵を受け取って爽夏を背負う。
久しぶりに爽夏を背負ったけど、やはり少し重くなってる。
まあ、こんなこと本人に絶対に言えないわけだけど。
「こうやって兄様におんぶしてもらうの久しぶりかもしれないね。なんか安心する」
「ならよかった。てか、爽夏はあんまり変わらないね」
「それど~ゆ~意味?」
「昔から可愛くて自慢の妹ってこと」
「……」
爽夏は黙りこくってしまうけど、俺の背中を抱きしめる力が強くなったのだから聞いてくれてはいるのだろう。
こういうところも可愛い妹である。
「じゃあ、これでいいか?」
「わざわざありがとね兄様」
「別にいいって。それじゃ。安静にしてろよ?」
「病人じゃないんだから」
苦しそうな爽夏を部屋に寝かせて俺は自分に割り当てられた部屋に戻る。
するとそこには、刹那があったかい緑茶を淹れてくれていた。
「春斗くん緑茶いりますか?」
「もらおうかな。ありがとう」
刹那から緑茶の入ったコップを受け取る。
一口飲むと、体の内側がじんわり暖かくなる。
「春斗くんって本当に爽夏の事好きですよね」
「そりゃな。一人の妹なわけだし」
「見てて微笑ましいですけど、私にも構って欲しいです」
刹那は俺のほうを見ながら微笑みかけてくる。
本当に可愛い婚約者だ。
だからこそ、俺は彼女に渡したいものがある。
「刹那、ちょっと真剣な話なんだけど聞いてくれるか?」
「はい? 何でしょうか」
俺の真剣な空気感が伝わったのか刹那は姿勢を正して向き直ってくれる。
そんな刹那を愛おしく思うし、これからもずっと一緒に居たいと思う。
「これ、良ければ受け取ってくれないか?」
刹那の前に膝をついて指輪の入っている箱を開けて刹那に差し出す。
婚約をしているというのに、いまだに指輪すら渡していなかった。
だから、この機会に渡そうと思っていたんだ。
「こ、これは?」
「婚約指輪ってやつだ。婚約してるのに贈ってないのが気になってさ。良ければつけてくれないかな?」
「さ、サイズはどうやって?」
「爽夏に協力してもらったんだ。だから、サイズはあってると思う」
爽夏に指のサイズを測ってもらって指輪を買いに行った。
「ほ、本当に私でいいんですか?」
「刹那がいいんだ。これから一生大切にするよ」
「じゃあ、はめてもらってもいいですか?」
「もちろん」
俺は刹那の右手を取って薬指に指輪をはめる。
「左手じゃないんですか?」
「左手は結婚指輪だからね。そっちは今度二人で買いに行こう」
「……はい!」
瞳に涙を受かべて嬉しそうに刹那は指輪を見つめていた。
これは刹那と婚約したという証と、俺の覚悟の表明だ。
親父に何を言われても刹那と結婚するという。




