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第12話:届かない壁

進天学園しんてんがくえんの月曜日は、どんよりとした灰色の空で明けた。


それは嵐を予感させるドラマチックな灰色ではなく、何者にもなれない、退屈で特徴のない灰色だった。普通の月曜日なら、狐乃香このかは「気象データは生産性に影響しない」と無視し、狸子まみこは鏡の前で練習した憂いのある演技の背景として利用するような、そんな日だ。


しかし今日、その二人はいつもの彼女たちではなかった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆


弁論部の部室は、いつもと同じ匂いがしていた。紙とインク、そして不必要なほど冷えたエアコンの空気の匂い。狐乃香は午前7時42分、定刻より8分早く入室した。午前4時から一睡もできなかったからだ。


先にいた部員たちが、いつものように深々とお辞儀をして彼女を迎えた。

狐乃香は答えなかった。

無視したかったわけではない。彼らの姿が目に入っていなかったのだ。


彼女の手には、あらゆる議論の効率を測るためのストップウォッチが握られていた。しかし、ここ数年で初めて、彼女はボタンを押すのを忘れていた。初心者が聞いても失笑するような明らかな論理的謬説びゅうせつを部員が述べている間、彼女はじっと動かない針を見つめ続けていた。


善狐ぜんこさん……何か、おっしゃっていただけないでしょうか?」


一人の男子部員が震えながら尋ねたが、狐乃香は答えなかった。彼女の思考は無限ループに陥っていた。そのループには、ある姓名が刻まれている。


星野ほしの 真理まり


狐乃香は部員を無視したまま自分の席へ歩き、計算していたよりも強い力でタブレットを机に叩きつけた。そして、土曜日からずっと見直し続けているドキュメントを開いた。


まこととの再契約に関する分析結果だ。

4ページ。47の変数。17の想定シナリオ。

そして、そのどれひとつとして――絶望的なまでにひとつも、星野 真理という存在は含まれていなかった。


(それが、理解できない)


指が机を叩いた。一度、二度。そして、止まった。


(彼女はデータを持っていなかった。誠が教えるはずもない。彼の行動パターンからすれば統計的に明らかだ。私だってヒント一つ出していない。狸子まみこだってそうだ。彼女が自分の立場を台無しにするような真似をするはずがないのだから)


彼女は、長い間忘れていた動作――生唾を飲み込むということをした。


(なら、どうやって知ったというのか?)


その問いは、48時間もの間、彼女の脳内に突き刺さったままだった。どんな論理的なピンセットを使っても引き抜くことのできない、鋭いとげのように。


星野 真理は、検証可能な情報など何ひとつ持たずに保健室へ現れた。データも、タイムラインも、何が起きたのかについて確固たる結論を導き出せるような材料は、絶望的なまでに何もなかったはずだ。


それなのに、彼女は正しい結論に辿り着いた。


(ありえない)


だが、それは現実に起きたことだ。そして、それこそが最も恐ろしいことだった。狐乃香このかは、論理的な解決策がある問題なら対処できる。データや戦略、方法論を用いる敵なら受けて立つことができる。


しかし、それらすべてのパラメータの外側で動く存在には、手も足も出ない。その事実が、彼女を内側から蝕んでいた。


(彼女を計算することはできない。予測することも不可能だ。彼女は、私の力では修正不可能なシステムエラーそのものだ)


善狐ぜんこ様」


部員の一人が、身を守る盾のようにファイルを胸に抱え、恐る恐る近づいてきた。


「本日の演習の準備が整いました。いつもの構成で始めますか、それとも……」


「全員、出て行け!」


突然の怒声。彼女は机の上にペンを叩きつけた。


「今日のセッションは時間の無駄よ!」


部員たちは逃げるように去っていった。狐乃香は一人取り残された。目の下には不健康な隈が浮かび始め、強迫観念に駆られたように誠の新しいスケジュールを見直し続けていた。


もはや彼の「パフォーマンス」など求めていない。求めているのは「生存」だ。もし誠が1パーセントでも過度なストレスを感じれば、再びあの女が現れる。そして狐乃香は確信していた――自分の精神は、二度目の邂逅かいこうには耐えられないだろうと。


廊下で見た星野 真理の笑顔を思い出すだけで――


それは、脅迫する者の笑みではなかった。すでに勝利を収め、ただ寛容に振る舞っているだけの者の笑みだった。


(あんな風に私に笑いかけた人は、今まで一人もいなかった。)


(あんな風に私を……ちっぽけだと思わせた人も、今までいなかった。)


その言葉は、彼女にとって不快で、不正確で、受け入れがたいものだった。それでも、それ以外に当てはまる言葉はなかった。


狐乃香このかは先ほど投げ捨てたペンを拾い上げ、タブレットに新しいページを開いた。一番上にこう書き込む。


「行動分析:星野ほしの 真理まり、未分類対象」


それから丸四分間、彼女は空白の画面を見つめ続けた。それ以上、何も書くことはできなかった。


(分析できない。論理的なプロファイルを構築しようとするたびに、モデルが崩壊する。データが足りないのか……あるいは多すぎて、そのどれもが数値化できないのか。)


彼女はタイトルを消去した。ページを閉じた。


必要以上の力でペンを握りしめると、気分転換を求めて弁論部の部室を足早に出た。廊下には、数分前に追い出した部員たちや、ちょうど今やってきた部員たちが溜まっていた。


「入りなさい。今すぐに」


その声には、全員を震え上がらせ、中央のテーブルに座らせるのに十分すぎるほどの冷徹さがこもっていた。


中に入ると、狐乃香は今日の進行表が挟まったファイルを受け取り、誰とも目を合わせずに黒板へと向かった。その足取りはいつも通り、正確で、制御され、急ぐ素振りもない。


「始めます。今日のテーマは『権威に訴える論証』です」


彼女は黒板にタイトルを書いた。


「権威への訴え」


そして、誰にも気づかれないよう、一秒だけ長く黒板の前に立ち尽くした。


タイトルが、曲がっていたからだ。


善狐ぜんこ 狐乃香このかが文字を曲げて書くことなど、断じてあり得なかった。


彼女は誰かに見られる前に、素早くそれを消した。そして完璧に真っ直ぐに書き直す。いつもの無表情で振り返った。


だが彼女の目元にあるくまは、あるべき姿よりも色濃く刻まれていた。黒板消しから手を離した瞬間、その指先はわずか一秒だけ――安定を取り戻す前に、かすかに震えた。


誰もそれを口には出さなかった。

だが、弁論部の部室にいた全員がそれに気づいていた。

そして全員が、集団的生存本能に従い、そのことに二度と触れないと決めた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆


その後、セッションの最中に狐乃香このかは、月曜日のルーチンである中難易度の形式論理学の問題を提示した。


一人の部員が手を挙げた。

善狐ぜんこ様、演習の前提Bが、先ほどの例題の結論と矛盾しているように見えます。これは意図的なものでしょうか?」


狐乃香は問題に目を落とした。

いつもより長く、それを見つめた。


(前提B……)


読み、再読し、計算する。

そして、気づいた。


自分自身が、前提Bでミスを犯していた。些細なミス、本来なら事前の確認段階で数秒のうちに見抜いていたはずの論理の逆転。

彼女はそれに気づかなかった。

金曜日からまともに眠れていなかったからだ。

目を閉じるたびに、あの笑顔が浮かんでくるからだ。


室内には、あるべき時間よりも三秒長く沈黙が流れた。


「……その通りです」


ようやく狐乃香が言った。声は震えず、表情も変わらなかった。


「記述ミスです。修正します」


彼女はペンを手に取った。内側の混乱を一切感じさせない正確さで前提を修正した。

誰も何も言わなかった。


だが、ミスを指摘した部員は、隣に座っていた女子部員と一瞬だけ視線を交わした。


(善狐様がミスをした。善狐様がミスをして、自分で気づかなかった)


その思考が、誰一人口を開くことなく室内を駆け巡った。その集団的沈黙の中で、弁論部において絶対的な定数であったもの――会長は不謬ふびゅうであるという揺るぎない確信が、ほんのわずかにひび割れた。ほんの少し、全員がそれを感じ取れる程度に。


狐乃香も、それを感じていた。

そしてそれが、何よりも彼女を傷つけた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆


学園の反対側では、狸子まみこが自分自身の地獄を味わっていた。彼女は千の仮面を操るあるじであったが、今日、そのどれひとつとして顔に馴染まなかった。


「最初から!」


悲劇のシーンの稽古中だった。狸子は、数々の賞を総なめにしてきたあの「優雅な哀愁」を漂わせながら泣かなければならなかった。息を吸い込み、自らの内側に喪失感を探したが……何も出てこない。キャリアの中で初めて、彼女は意図的に泣く方法を忘れてしまったのだ。顔の筋肉は強張り、真理まりが見せた「優しさ」の記憶に凍りついていた。


「あの……弾正だんぞう先輩。あなたが書いた台本のこの行、ミスがあります。このセリフは私じゃなくて、あっちの子のものです……」


狸子は瞬きをした。手に持った台本は、まるで濡れた紙屑のように感じられた。シェイクスピアの全戯曲を一晩で暗記できるはずの彼女が、単純な構成のセリフを間違えていたのだ。


(私は素人だ。ままごと遊びをしている子供に過ぎない)


狸子のトラウマは、芸術的であり、同時に実存的なものだった。星野 真理は、彼女に「真の演技」とは何かを見せつけたのだ。無限の母性愛を完璧に放ちながら、その内側では相手を社会的にどう破壊するかを冷徹に計算している。そんな女に比べれば、自分はモナリザを模写しようとして失敗した棒人間のようなものだ。


「10分休憩」


沈黙。

部員たちは困惑して顔を見合わせた。


(休憩?)

(あの狸子様が休憩を出すなんて?)

(私たちは夢でも見ているの?)


部員たちが混乱する中、狸子は全員に背を向けた。自分の手が、震え続けているのを誰にも見られないように。


「ついてこないで」


彼女は更衣室に閉じこもった。鏡の中の自分を見つめ、そこに映るものを嫌悪した。自信という、とっくに克服したはずの感情が、今まさに彼女を食い尽くそうとしていた。


(まだ、彼女が見える)


内なるモノローグで使うようなドラマチックな響きはなかった。ただの事実として、飾り気のない平坦な声でそう思った。

星野ほしの 真理まりのあの笑顔が、今もそこにある。自分のどんな演技も及ばないほどの鮮明さで、記憶のどこかに刻み込まれている。


(私は、女優だ)


(8歳の時から演じてきた。表情、発声、ボディーランゲージ、すべてを学んできた。演技なんて3秒で見抜ける。1分もあれば、どんな人間だって読み切れるはずだった)


(それなのに、気づかなかった)


それこそが、彼女がどうしても手放せないものだった。真理の脅しに対する恐怖もあったが、それ以上に深く、居心地の悪い感情。プロとしての屈辱だ。

星野 真理は女優ではない。狸子まみこが学んできたことは何一つ学んでおらず、技術も、教養も、鏡の前での長年の訓練もない。


それなのに、彼女は完璧に自分をあざむいた。

あの温もり。優しさ。壊滅的な脅しを隠すための完璧な包装紙となった、心からの感謝の言葉。そのすべてが、あまりにも自然で、あまりにも隙のない演技だったため、狸子は手遅れになるまでそれが現実ではないと見抜くことができなかった。


(訓練も受けていない一人の母親がこれをやってのけるなら……)


その思考に続く問いこそが、彼女を最も傷つけた。


(……訓練を受けたプロの人間なら、一体何ができるというの?)


映画の世界、ハリウッド、プロの演劇界。そこには、真理が本能的にやってのけたことを、何十年もかけて磨き上げてきた者たちがいる。自分を武装解除し、操り、努力一つせずに新人のようにあしらえる者たちが。


(私は、自分が思っているほど優れた役者なの?)


(それとも、ただプロのふりをして遊んでいるだけの16歳の子供に過ぎないの?)


その問いは、空っぽの講堂に、どんな批評家も投げつけたことのない残酷さで響き渡った。

狸子は自分の手を見つめた。まだ制御不能なほどに震えている。


(止まれ)


彼女は自分に言い聞かせた。

呼吸を整え、いつもの仮面を探す。自信に満ちた演出家、演劇部のスター、決して揺らぐことのない自分。

それを見つけ出し、顔に張りつけた。

彼女が講堂に戻ると、部員たちはまだ狸子まみこの奇妙な振る舞いに困惑していた。一人の女子部員がおそるおそる近づいてくる。


弾正だんぞう先輩、あの、具合でも……」


言い終わる前に、狸子は不敵な笑みを浮かべ、彼女の唇に指を当てて制した。


「しーっ……。ちょっとしたミスよ。もう大丈夫。さあ、全員ポジションについて! 第二幕のシーンを仕上げるわよ。エネルギーが足りないわ、存在感を見せて! あなたたちが役者なのか、ただ制服を着た家具なのか、私に証明しなさい!」


部員たちは笑った。狸子がいつもの調子に戻ったのだと安心したのだ。……それが現実とは程遠いことだとも知らずに。

そして、誰も気づかなかった。

それこそが、狸子が誰よりも得意とすることだったから。


しかし、稽古の最中、主人公が善意の笑顔の裏に脅しを隠して宿敵と対峙するシーンを演出していた時、狸子は唐突に芝居を止めた。


「ストップ。止めて、止めて」


演じていた女子部員が困惑して彼女を見た。


「何か変でしたか、狸子様?」


「笑顔よ」


狸子は客席からステージに上がり、彼女に歩み寄った。


「本物じゃない。演技に見えるわ」


「それは……その、演技をしている最中ですから、狸子様……」


「分かってるわ。でも、そう見えてはいけないの」


部員は瞬きをした。


「……どう見えればいいんでしょうか?」


狸子まみこは、いつものように技術的な修正――口角の角度、目の周囲の緊張感、肩のポジション――を教えようとして口を開いた。


しかし、沈黙が降りた。

脳裏に浮かんだ答えが、技術的なものではなかったからだ。

それは、あの廊下で微笑んでいた星野ほしの 真理まりの姿だった。


(あんな風に。あんな風に見えるべきなのよ)


だが、そんなことは言えなかった。今この瞬間の自分にとって、あの笑顔の最高の見本が、保健室の廊下で自分を精神的に叩き潰したまことの母親だなんて、口が裂けても言えなかった。


「……自分で考えてみなさい」


彼女はようやくそう言い残し、背を向けた。


「温もりと鋭さの均衡を探すのよ。10分後に確認するわ」


彼女はステージ脇の暗がりに身を隠した。スマホを取り出し、何かを確認するふりをする。

そしてじっと動かず、誰にも見えない内側の震えが収まり、再び舞台に戻れるようになるまで静かに呼吸を繰り返した。


仮面はまだ、剥がれていない。

しかし内側では、弾正だんじょう 狸子まみこはその場にいる誰よりも自分が劣っていると感じる屈辱を、生まれて初めて味わっていた。

それは、ひどく不快な経験だった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆


二人の道が交差したのは、正午を過ぎた頃だった。

慣性に従うように、二人は外の空気を求めて、あの保健室の廊下へと足を向けていた。真理に「生きたまま食われた」あの場所へ。

顔を合わせても、いつものような火花散るライバル意識はなかった。「ロボット」だの「道化」だのといった罵り合いもない。ただ、重苦しい沈黙だけがあった。


金曜日、真理に追い詰められたあの窓の前に、二人は立ち止まった。


「……あの人のことが、頭から離れないの」


狸子は狐乃香このかを見ることなく、ぽつりと漏らした。その声は小さく震えていた。


「自分がちっぽけに思えて……。私の才能なんて、ただの安っぽい手品に過ぎないんだって、そう思い知らされた気分よ」


狐乃香は壁を凝視したまま、深く頷いた。


「彼女は論理を使わない。彼女自身が『結論』そのものなのよ。知るはずのないことを知っている。……壁だわ、弾正。私たちには登ることも、避けて通ることもできない巨大な壁よ」


あの日の含みのある脅しを思い出し、二人は同時に身震いした。進天学園で、自分たちにそんな口を聞く者は今まで一人もいなかった。彼女たちは女王であり、不可侵の存在だった。――あの盤上の支配者が現れるまでは。


「もう二度と、彼女には会いたくない」


「同感よ」


間が空いた。


「……今日は、ミスをした?」


前を見つめたまま、狸子まみこが尋ねた。

いつもより長い沈黙。


「……一つ」


狐乃香このかが認めた。彼女にとって、それは大惨事を告白するに等しいことだった。


「私は、理由も説明できずに稽古を途中で止めたわ」


狸子もまた、前を向いたまま言った。

沈黙。

二人は、それがお互いにとって何を意味するのかを理解していた。言葉にする必要はなかった。


「……なら、もう二度と、あいつを壊さないことね」


狸子が言った。狐乃香は一秒置いて答えた。


「……それは自己抑制を意味するわね」


「反吐が出るわ」


再びの沈黙。しかし、今度は少しだけ、空気が軽かった。

狸子は、ほんの少しだけ狐乃香の方へ顔を向けた。


「彼女を……分析できた?」


狐乃香はすぐには答えなかった。指先がタブレットの上を一回だけ叩いた。


「……いいえ」


飾り気のない言葉だった。変数や不完全なデータとして言い訳することもない、逃げ場のない「いいえ」だった。

狸子はゆっくりと頷いた。


「私も……読み取れなかった」


間を置いて。


「それが何よりも、恐ろしいのよ」


狐乃香は答えなかった。だが、否定もしなかった。

二人は数秒間、声も荒らげずに真理まりに武装解除されたあの廊下で立ち尽くしていた。まるで、その場所自体が、彼女たちにまだ聞き終えていない何かを語りかけているかのようだった。


先に動いたのは狐乃香だった。


「……では」


「ええ、また」


二人は別れた。それぞれの方向へ。視線を交わすことも、それ以上言葉を交わすこともなく。

しかし、二人とも決して口には出さないであろう感情を抱えていた。今この世界で、自分たちが感じていることを完璧に理解しているのは、皮肉にも最も競い合っている相手だけだという、奇妙で、わずかに居心地の悪い感覚を。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆


進天学園の中庭にある大きな木は、まことが二年の学園生活で見つけた最高の秘密だった。この時間は誰も来ない。芝生は柔らかく、木陰は広く、注意を払えば鳥のさえずりが聞こえるほど静かだ。


もっとも、イヤホンを耳に突っ込んでいる誠には関係のないことだが。


まことはリュックを枕にして寝そべり、胸の上にスマートフォンを置いて、週末に見始めた探偵アニメの第3話を見ていた。主人公である自信過剰な高校生探偵は、他の誰もが「当たり前すぎる」と見逃していた手がかりをちょうど見つけたところだった。


(この男、天才だ……)


誠は心からの感嘆を込めてそう思った。

次のシーンでは、探偵が遠くから容疑者たちを観察し、彼らの行動や矛盾、普段の振る舞いとプレッシャー下でのわずかな違いを脳内のノートに記録していた。


誠はエピソードを一時停止した。

枝の間から見える空を見上げる。

そして数週間ぶりに、違和感のある思考を追い払うのではなく、そのまま受け入れてみた。


狐乃香このかは昨日、メッセージを一通しか送ってこなかった。一通だ。その後の催促も、ペナルティの通告も、タイムラインの添付もなしだ)


狸子まみこは40秒のボイスメッセージを送ってきた。お仕置きのウィッグも、緊急の台本も、ドラマチックな演出もなしだ)


「変だな……」


彼は思った。


「あの二人が大人しくなった……。もしかして……俺のことを怖がってるのか?」


誠はガバッと起き上がった。期待と純粋な愚かさが入り混じった奇妙な輝きが、その瞳に宿った。


「分かったぞ!」


彼は独り言を叫んだ。


「これは『事件』だ! あの二人の身に何かが起きた。この性格の変化は異常だ。俺の直感が告げている……進天しんてんの影で暗躍する『闇の勢力』がいると。そしてこの名探偵・誠が、その正体を暴いてやる!」


彼は木の下でドラマチックなポーズを決め、立ち上がった。


「ステップ1:密着観察。ステップ2:潜入。ステップ3:すべてを吐かせる!」


誠は、自分自身が新しい調査編の主人公になった気分で高笑いした。


「覚悟しろよ、天才共。名探偵のお出ましだ!」


彼は新たな決意を胸に校舎へと歩き出した。自分が今まさに逃げ出したばかりの「大火災」を、自ら調査しに行こうとしているとは露知らずに。……ああ、なんてバカなんだ。


第12話:完

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆

あとがき

こんにちは!皆さん、お元気ですか?

約束通り、第12話をお届けします!「今週末には出す」と言いましたが、ちゃんと約束を守りましたよ。えっへん!


ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。もし気に入っていただけたら、お気に入り登録や評価などで応援してもらえると、ものすごく励みになります!


それから一つお知らせです。次の更新は来週の土曜か日曜まで待っていてください。というのも、今週は課題や勉強が完全にパンク状態で、文字通り「崩壊」しています(誰か助けて!)。


でも、その山を越えたらたっぷり自由時間ができるので、そしたら「1日1話投稿」をするつもりです(約束します!)。


それでは、次のチャプターでお会いしましょう!

(追伸:あの天才二人組のトラウマっぷり、最高にいい感じだと思いません?笑)


零時卿より


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