木魚虫
あるお寺の住職から聞いた話である。
その寺には代々伝わる少し変わった話があるという。
江戸時代、この辺りの山には「木魚虫」と呼ばれる虫、あるいは妖怪がいたと伝えられている。
夜になると、
ポク……ポク……
と、木魚を叩くような音を鳴らす。
当時、村には寺が1つしかなく、夜に木魚の音が聞こえれば、誰もが和尚の読経だと思っていた。
ところがある晩、和尚は村人の家へ泊まりに出掛け、寺は無人だった。
それでも山の方から、
ポク……ポク……
と、いつもの木魚の音が聞こえた。
不思議に思った村人が翌朝、寺へ入ると、境内の切り株の上で黒い虫が何匹も腹を打ち付けて音を鳴らしていたという。
腹は傷付き、体液が滲んでいたとも伝わっている。
それを見た和尚は、
「畜生の身になっても、徳を積もうとしておるのか」
と言い、人が虫を殺めぬよう、山へ返した。
以来、その虫を見つけても殺さず山へ返すようになり、「木魚虫」と呼ばれるようになったそうだ。
もっとも、本当にそんな虫がいたのかどうかは分からない。
寺の昔話として残っているだけだという。
この話をしてくれた住職は、その和尚の子孫にあたるそうだ。
数年前、本堂で朝の勤行をしていると、長年使ってきた木魚の音が急に悪くなった。
ポク……ではなく、
ゴン……。
湿ったような鈍い音しかしない。
古い木魚だから仕方がない。
そう思って、その日は勤行を終えた。
その夜だった。
寝ようとしていると、本堂の外から、
ポク……。
ポク……ポク……。
小さく木魚のような音が聞こえてきた。
境内を見回したが、人の姿はない。
音だけが寺に響き渡っていた。
夜更けまで途切れ途切れに続いたという。
翌朝。
試しに木魚を叩いてみると、
ポク――。
以前と同じ、澄んだ音が本堂へ響いた。
どこか直したわけではない。
木魚をひっくり返して見ても、変わったところは何1つなかったそうだ。
住職は笑いながら、こう話していた。
「直ったのは偶然でしょうけどね。まぁ……夜中に木魚の音が聞こえたら、そっとしておこうということになりました」
それ以来、その寺では夜更けに境内から木魚のような音が聞こえても、誰も見に行かないという。
「もしも言い伝えの虫が一生懸命に修行をしているなら、邪魔するのも悪いでしょう」




