第9話「追放の証拠が、暴かれる」
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手紙が届いたのは、タイスの侵入から三日後だった。
マーゴが朝食のトレイと一緒に持ってきた封筒を、リシェルは不思議そうに受け取った。
差出人の名前を見て、少し目を見開いた。
グレイン。
王都魔術師団の、あの若い術士だ。
「……何が書いてあるんだろう」
封を切って、中の紙を広げた。
文字は少なかった。
『リシェル・フォーン氏の追放に関する、新たな証拠が出ました。詳細は直接お伝えしたい。可能であれば、近日中にお時間をいただけますか。 グレイン』
リシェルはその一文を、三回読んだ。
新たな証拠。
何が出たのか。
胸の奥で、何かがざわついた。
◆
朝食の後、書斎に向かった。
ディルヴァルトは既に執務机の前にいた。
タイスの件の後処理が続いているらしく、ここ三日は書類仕事が多かった。
「おはようございます」
「ああ」
リシェルは手紙を差し出した。
「グレインから来ました」
ディルヴァルトが手紙を受け取り、目を通した。
表情は変わらない。
でも、読み終えてから少しだけ間があった。
「……来させる」
「ここに、ですか?」
「王都で会うのは危険だ。ここなら俺が管理できる」
「でも、グレインさんが応じてくれますかね」
「応じる」
「なぜそう思うんですか」
「あの男は、味方になりたがっている」
ディルヴァルトが手紙をリシェルに返した。
「証拠を持ってわざわざ伝えに来ようとするのは、そういうことだ。王都で会いたいと書かなかったのも、気遣いだろう」
「なるほど」
「返事を出せ。ここへ来い、と」
「わかりました」
リシェルはペンを借りて、その場で返事を書いた。
書きながら、ふと気になったことを聞いた。
「タイスは、今どこにいるんですか」
「領内の牢だ。王都に引き渡すかどうか、検討している」
「王都に引き渡したら、アンセルに握り潰されませんか」
「そうならないよう、手を回す。ちょうどいい伝手がある」
「どんな伝手ですか?」
「第二王子だ」
リシェルが顔を上げた。
「第二王子?」
「第一王子はアンセルと近い。だが第二王子は、別の立場をとっている」
「そんな構図があったんですね、王都に」
「王都の権力争いは、辺境の魔獣より厄介だ」
ディルヴァルトが、淡々と言った。
「魔獣は正面から来る。人間は、どこから来るかわからない」
リシェルは封筒に返事を入れながら、その言葉を噛み締めた。
(正面から来るほうが、まだわかりやすい)
六年間の工房生活で、それは骨身に染みていた。
「……ディルヴァルト」
「何だ」
「第二王子と、どんな関係なんですか?」
「昔、一度だけ助けたことがある」
「助けた?」
「魔術的な事故に巻き込まれそうになったのを、封印術式で止めた。それだけだ」
「それだけ、とはまた謙遜を」
「事実だ」
「命を救ったんじゃないですか」
ディルヴァルトが視線を逸らした。
「……大げさな話ではない」
「大げさじゃないです。でもそういうこと、ちゃんと覚えていてくれる人がいるんですね」
「義理堅い性質らしい」
「よかった。味方が王都にもいるなら、心強いです」
リシェルが立ち上がると、ディルヴァルトがふと言った。
「頬の傷は」
「ほぼ消えました。薬が効いてます」
「そうか」
「良い薬でした。どこで手に入れたんですか?」
「城の薬師が作っている」
「そうなんですね。今度、お礼を言いに行かなきゃ」
ディルヴァルトが、書類に視線を戻した。
「……礼を言うな」
「なぜですか」
「俺が持ってきたんだから、礼は俺に言え」
リシェルは一瞬、固まった。
それから、少しだけ笑った。
「……ありがとうございます、ディルヴァルト」
「行け、仕事があるだろう」
「はい、行きます」
書斎を出て、廊下を歩きながら、リシェルはそっと口元を押さえた。
(なんで、そんなこと言うんだろう)
礼は俺に言え、なんて。
胸がうるさくて、困る。
◆
グレインが城に来たのは、それから五日後だった。
リシェルとディルヴァルト、それにカルロスが同席して、小さな会議室で向き合った。
グレインは最初、ディルヴァルトに圧倒されたように緊張していたが、リシェルが「気にしないでください、普段通りで」と言うと、少しほぐれた。
「では、お持ちした証拠の話を」
グレインが、革の鞄から封筒を取り出した。
「これは、王立魔術工房の内部書類です」
封筒の中から、何枚かの書類が出てきた。
リシェルはそれを受け取った。
見た瞬間、息が止まった。
「……これは」
「リシェル・フォーン氏が提出した、修復前の状態報告書です」
そう、これはリシェルが書いた報告書だった。
アンセル卿の呪具を修復する前に、欠陥を記録して提出した、あの書類だ。
工房長は「提出されなかった」と言っていた。
だが今、この書類は目の前にある。
「これは……どこから」
「工房の内部告発者からです」
グレインが、真剣な目をした。
「リシェル・フォーン氏の追放から数日後、師団に一通の匿名の書状が届きました。工房の追放手続きに不正があったという内容で、この書類のありかが記されていました」
「内部告発」
「工房の中に、今回の件を不正だと思っていた人間がいたんです。表立って声を上げられなかったが、師団には知らせることができた」
リシェルは書類を見つめた。
自分の字だ。
間違いなく、あのとき書いたものだ。
「この書類には、修復前の呪具の状態が詳細に記録されています。内部構造の亀裂、欠陥の箇所、完全修復が困難である旨の明記。これを工房長が握り潰していたことは、明らかな不正行為です」
「……それで、師団はどう動きますか」
「正式な調査に入ります。工房長と副工房長の処分は、ほぼ確実です」
リシェルは黙っていた。
処分。
六年間一緒に働いた人たちが、処分される。
スカッとするかと思っていた。
でも実際には、複雑な感情があった。
「リシェル・フォーン氏の追放処分は、無効となる可能性が高いです」
グレインが続けた。
「手続きの不備と証拠の隠滅が確認されれば、名誉回復の手続きが取られます」
「名誉回復」
「はい。修復士としての資格も、正式に復元されます」
リシェルはその言葉を、ゆっくりと飲み込んだ。
名誉回復。
資格の復元。
それが欲しかったものだ。
ずっと、ずっと欲しかったものだ。
六年間、真面目に積み重ねてきたものを、ちゃんと取り戻せる。
「……ありがとうございます、グレインさん」
声が少し揺れた。
「わたしは何もしていません。内部告発してくれた方がいたおかげです」
「それでも。動いてくれたのは、あなたです」
グレインが、少し目を伏せた。
「……師団でも、おかしいと思っていた人間は多かったんです。ただ、アンセル卿の影響力が大きくて、表立って動けなかった。でも今回の件で、動けるようになった」
「今回の件?」
「タイスが捕まったことで、アンセル卿と彼の繋がりが浮上しました。師団の上層部も、もはや見て見ぬふりはできない状況です」
ディルヴァルトが、静かに口を開いた。
「タイスの件は、意図的に師団に流した」
リシェルはディルヴァルトを見た。
「流したんですか、自分で?」
「第二王子の伝手で、師団の中立派に伝えた。これで師団がアンセルに圧力をかける状況を作れる」
「……計算してたんですね」
「当然だ」
当然、という顔をしている。
でも、これだけの根回しを、あの三日間でやっていたのだ。
書類仕事が多いと思っていたが、そういうことだったか。
「グレインさん」
ディルヴァルトが、グレインを見た。
「師団の中立派を束ねているのは誰だ」
「ルーカス上席魔術師です。アンセル卿に長年批判的で、ただ力が及ばずにいた方です」
「ルーカスに伝えろ。式典に向けて、協力関係を組みたいと」
「……わかりました」
グレインが頷いた。
「閣下、一つ確認してもよいですか」
「何だ」
「式典でアンセル卿を追い詰めるつもりですか?」
「追い詰めるだけでは足りない」
ディルヴァルトが静かに答えた。
「終わらせる」
グレインが、少しだけ目を見開いた。
それから、深く頷いた。
「……わかりました。協力します」
◆
グレインが帰った後、リシェルは中庭に出た。
一人になりたかった。
少しだけ、整理する時間が必要だった。
名誉回復の可能性。
追放が無効になるかもしれない。
修復士の資格が、正式に戻る。
それは嬉しいことだ。
本当に、嬉しいことだ。
でも。
(もしそうなったら、わたしはどうなるんだろう)
王都で正式に修復士として認められたら。
追放が無効になったら。
ここにいる理由が、なくなるわけではない。
契約はまだ続いている。
ディルヴァルトの呪いも、まだ解けていない。
でも、何かが変わるような気がして。
「何を考えている」
背後から声がして、振り返った。
ディルヴァルトが中庭に立っていた。
「……少し、整理してました」
「グレインの話か」
「はい」
ディルヴァルトが近づいてきた。
リシェルの隣、少し距離を置いて立つ。
「名誉が戻ることを、喜ばないのか」
「喜んでます。ただ……複雑で」
「何が複雑だ」
リシェルは少し考えてから、正直に言った。
「名誉が戻ったら、わたしはここを出ることもできる、と思ったんです」
ディルヴァルトが、リシェルを見た。
「出たいのか」
「出たくないです」
即答だった。
自分でも少し驚くくらい、迷わなかった。
「出たくないけど、でも……いつかは、そういう話になるかもしれないと思って。それが少し、怖くて」
ディルヴァルトが黙っていた。
空に雲が流れていく。
「俺は出て行けと言っていないが」
「そうですね」
「契約はまだ続いている」
「そうですね」
「呪いも、まだ解けていない」
「そうですね」
「だから、お前がここにいる理由は、まだある」
「……そうですね」
リシェルは空を見た。
そうですね、ばかりだ。
でも、それしか言えない。
本当は、契約とか呪いとか、そういう理由とは別のところに、ここにいたい気持ちがある。
でもそれは、まだ口には出せなかった。
「リシェル」
「はい」
「一つ、聞いていいか」
「何ですか?」
ディルヴァルトが、珍しく言葉を選ぶように間を置いた。
「お前は、王都に戻りたいか」
「戻りたくないです」
「なぜ」
「……ここのほうが好きだから」
「ここが、か」
「ここと、ここにいる人たちが」
最後の一言は、思ったより素直に出てしまった。
リシェルは少し顔が熱くなるのを感じながら、空を向いたままでいた。
ディルヴァルトは答えなかった。
でも、隣の気配が少しだけ近くなった気がした。
「……式典の前に、もう一度だけ封印された部屋の状態を確認したい」
「わかった。一緒に行く」
「ありがとうございます」
「礼を言う前に、一つ言っておく」
「何ですか?」
「お前が出て行くつもりなら、俺が引き止める」
静かな声だった。
命令でも、脅しでもなかった。
ただの、事実のように言った。
リシェルは思わずディルヴァルトを見た。
男は前を向いていた。
でもその耳が。
夕暮れの光の中で、確かに赤かった。
「……わかりました」
リシェルは、また空を向いた。
胸が、ひどくうるさかった。
◆
その夜。
施術を終えて、リシェルが書斎を出ようとしたとき。
「リシェル」
「はい」
「今日の施術で、一つ変化があった」
ディルヴァルトが、自分の手を見ていた。
黒い痣のある手首。
「何か?」
「痣が、少し薄くなった」
リシェルは近づいて、確認した。
確かに。
手首の黒い痣が、ほんのわずかに、薄くなっていた。
「……本当だ」
「初めてだ。この痣が薄くなったのは」
「毎日の施術が、少しずつ効いてきてるんだと思います」
「そうか」
ディルヴァルトが手を下ろした。
その顔に、感情が浮かんでいた。
隠そうとしているが、隠しきれていない。
安堵だと思った。
長い間、一人で戦い続けてきた人の、安堵だ。
「ディルヴァルト」
「何だ」
「必ず治します」
リシェルは、まっすぐに言った。
「呪いも、痣も、全部。絶対に」
ディルヴァルトが、リシェルを見た。
その目が。
今夜は、いつもより近かった。
「……ああ」
短い返事。
でも、それだけで十分だった。
第9話 了




