第6話「呪いの黒幕は、王都にいる」
三日間、リシェルは仕事に没頭した。
東側の結界修復を終わらせ、城内の呪具台帳を全部確認し、損耗している防衛術式をリストアップした。
作業しながらも、頭の片隅にはずっと、封印された部屋のことがあった。
ディルヴァルトが何を調べているのか。
三日後に何を話してくれるのか。
それと同時に、もう一つ気になっていることがあった。
护符のことだ。
あの日から、リシェルはずっと護符を首にかけていた。
金属は少し冷たいのに、不思議と安心感がある。
ディルヴァルトが作ったと言っていた。
時間をかけて、丁寧に術式を刻んだもの。
(なんで、そんなことしてくれるんだろう)
考え始めると止まらないので、作業中はなるべく考えないようにした。
◆
三日目の夜。
夕食を終えてから、ディルヴァルトが静かに言った。
「来い」
「今からですか?」
「話す、と言っただろう」
「はい」
案内されたのは、書斎とは別の部屋だった。
地図室、とでも言うべき場所だ。
壁に大きな地図が張られ、テーブルの上にも何枚もの地図と書類が広げられている。
リシェルはそれを見て、ディルヴァルトが三日間、何をしていたかを理解した。
「調べていたんですね。この三日間」
「ああ」
「何を?」
「繋がりを」
ディルヴァルトがテーブルの前に立った。
リシェルも隣に並ぶ。
地図の上に、いくつかの印がつけられていた。
王都、辺境、そしていくつかの中間地点。
「五年前に、この城に侵入者があった話はしたな」
「はい」
「その侵入者の痕跡を、ずっと追っていた。なかなか尻尾を掴めなかったが、今回の干渉跡と照合して、一つわかったことがある」
ディルヴァルトが、王都の印を指で示した。
「侵入者は、王都の貴族と繋がっている」
「王都の貴族」
「アンセル家だ」
リシェルの息が止まった。
「……アンセル、卿?」
「知っているか」
「知っています。わたしを追放するきっかけになった、あの依頼品を送ってきた人です」
ディルヴァルトが、ゆっくりとリシェルを見た。
「知っていた」
「え?」
「お前の追放に、アンセルが絡んでいることは、調べがついていた」
「……それを知っていて、三日前から言わなかったんですか」
「今日、全部話すと言った」
「それはそうですが」
リシェルは深く息を吸った。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
「……続けてください」
ディルヴァルトが頷いた。
「アンセルは、表向きは王都の有力貴族だ。だが裏では、魔術闇市場に関与している」
「魔術闇市場」
「禁忌の呪具を売買する組織だ。王国では禁止されているが、地下で動いている」
リシェルは地図を見た。
「それと、ディルヴァルトの呪いが繋がっているんですか」
「ああ。俺の家の封印された呪具は、闇市場で最高値がつく代物だ。五年前の侵入者は、それを盗み出そうとした。だが完全には成功せず、逃げる際に呪具を一部損壊させた」
「損壊させた、それが」
「俺の血統魔術に干渉した。呪いの進行が速まった原因は、これだ」
リシェルは沈黙した。
つまり。
「ディルヴァルトの呪いは、事故じゃなくて……誰かが意図的に引き起こしたもの?」
「意図したかどうかはわからない。だが、結果としてそうなった」
「アンセルが?」
「直接手を下したのは別の人間だ。アンセルは指示した側だろう」
リシェルは拳を握った。
頭の中で、ばらばらだった点が線になっていく。
アンセル卿が禁忌の呪具を狙った。
侵入者を送り込んだ。
呪具は完全に盗めなかったが、ディルヴァルトに呪いの影響を与えることになった。
そして一年前には、再び封印への干渉があった。
まだ諦めていない、ということだ。
「……わたしの追放は」
リシェルはゆっくりと口を開いた。
「そのアンセルが、依頼品の件を利用してわたしを工房から追い出した、ということですか」
「ああ」
「なぜわたしを追い出す必要があったんですか」
ディルヴァルトが、リシェルを見た。
「お前が修復士として優秀すぎたからだ」
「……それが理由?」
「アンセルは、この城の封印を再び解こうとしている。そのためには、俺の術式に干渉できる者が必要だ。だがお前のような腕のある修復士が王都にいれば、俺が雇う可能性があった。それを阻止したかったのだろう」
「つまり、わたしを王都から追い出して、使えなくするために」
「そういうことだ」
リシェルは呆然とした。
六年間の工房生活。
真面目に働いてきた日々。
一瞬で崩れた信頼と地位。
それが、こんな陰謀の一部だったとは。
「……馬鹿みたい」
思わず声に出た。
「俺が?」
「違います、わたしが」
リシェルは地図を見た。
「六年間、ちゃんとやってれば大丈夫だと思ってた。技術を磨けば、誰かに認めてもらえると思ってた。でも、最初から潰す気でいた人間がいたなら……そりゃあ、どうにもならない」
「お前は何も間違っていない」
ディルヴァルトが、低く言った。
「アンセルが間違っている。それだけだ」
「……怒っていいですか」
「怒れ」
「じゃあ、少し怒ります」
リシェルは深く息を吐いた。
悔しい。
それが正直な気持ちだった。
悔しくて、情けなくて、でも同時に、ようやく全部わかったことへの奇妙な安堵もあった。
「アンセルは今、何をしようとしているんですか」
「次の干渉を狙っている。時期は、おそらく近い」
「なぜ今、急いでいると思うんですか」
「俺の呪いが進行しているからだ」
ディルヴァルトが静かに言った。
「感情が失われれば、俺の抵抗力も落ちる。封印の維持も難しくなる。アンセルはそれを待っていた」
「……つまり、ディルヴァルトが弱るのを見計らって」
「そうだ」
リシェルは拳をもう一度、強く握った。
「それは、させません」
「リシェル」
「呪いの進行を止めます。その呪具の封印も、もっと強固にします。アンセルが何をしようと、その前に全部直してやります」
ディルヴァルトが、リシェルを見た。
その目に、かすかな光が宿った気がした。
「……できると思うか」
「できます」
「根拠は」
「わたしの術式はディルヴァルトの魔術と同調できることは、証明済みです。それと」
リシェルはディルヴァルトを見返した。
「怒ると、仕事が捗るタイプなんです」
一瞬の沈黙。
ディルヴァルトが、ほんのかすかに口の端を動かした。
笑った、わけではなかった。
でも、笑いに近い何かだった。
「……頼む」
「任せてください」
◆
その夜から、リシェルの仕事は一段上のフェーズに入った。
結界の修復と並行して、ディルヴァルトの呪いの進行を遅らせる作業を始めた。
毎夜、書斎でディルヴァルトの手に触れ、歪んだ術式を少しずつ整える。
これは繊細な作業だ。
力任せに押し込んでも意味がない。
相手の魔術構造を読んで、波長を合わせて、ゆっくりと歪みを解いていく。
一回の施術は、三十分から一時間ほど。
「……今日も大人しくしていてください」
「動いていないだろう」
「動いてないけど、魔力が暴れそうになってます。感情的になると術式が荒れるので、落ち着いてください」
「俺は落ち着いている」
「嘘です。今日の閣下……ディルヴァルトは、何か苛立っていますよね」
ディルヴァルトが、かすかに目を細めた。
「なぜわかる」
「術式を触ればわかります。感情が魔力に出るので」
「……王都から書状が来た」
「アンセルから?」
「違う。王家から、来月の式典に出席しろという命令だ」
「式典?」
「王都で毎年行われる、国の魔術師たちを集めた式典だ。本来は辺境公爵も出席が義務だが、ここ三年は断ってきた」
「それを、今年は断れなくなった?」
「第一王子が、直々に命令状を送ってきた」
リシェルは術式を整えながら、考えた。
「それは……行かないわけにはいかないですね」
「ああ」
「アンセルも、当然いる」
「いるだろう」
「……わたしも連れていってください」
ディルヴァルトが、リシェルを見た。
「何のために」
「契約妻として、でしょう。それに」
リシェルは手を止めずに続けた。
「アンセルの顔を、一度見ておきたいので」
「危険だ」
「わかってます。でも、敵を知らずに戦えません」
「戦うつもりか」
「最初から、そのつもりです」
ディルヴァルトが、また少しの間リシェルを見ていた。
「……お前は、思ったより強い」
「追放されたくらいで折れてたら、修復士は続けられません」
「王都では、ずっと我慢してきたのではないか」
リシェルは少し黙った。
「……してきました。でも」
「でも?」
「ここでは、我慢しなくていい気がします」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
「……変なこと言いました。忘れてください」
「忘れない」
「え?」
「忘れるな、と言っただろう。俺には」
リシェルは視線を手元に戻した。
頬が少し熱い気がした。
我慢しなくていい、と思えるのは。
この人が、どんなことを言っても怒らないからだと気づいていた。
否定しない。
馬鹿にしない。
ただ、聞いてくれる。
それだけで、どれだけ楽になるか。
「……術式、今日はここまでにします」
リシェルは手を離した。
「どうだ」
「少し楽になっていると思います。ディルヴァルトは?」
「……ああ。楽だ」
「毎日続ければ、もっとよくなると思います」
「毎日来るか」
「来ます。仕事ですから」
ディルヴァルトが頷いた。
それから、静かに言った。
「リシェル」
「はい」
「王都の式典は、二ヶ月後だ」
「はい」
「それまでに、お前を連れていける状態に持っていく」
「どういう意味ですか?」
「契約妻が、式典に出席するなら、それ相応の準備が必要だ。ドレスや作法の話だけではない」
ディルヴァルトが、真剣な目をした。
「王都に行けば、アンセルだけでなく、様々な者がお前を試す。修復士として、公爵妻として、それに耐えられるだけの――後ろ盾が必要だ」
「後ろ盾」
「俺が、お前の後ろ盾になる」
静かな言葉だった。
なのに、その重さがずしりとリシェルに落ちてきた。
「それは……」
「契約妻を守るのは、夫の義務だ」
さらりと言った。
義務だから、という言葉のはずなのに。
なぜか、それだけじゃない気がした。
「……わかりました」
リシェルは頷いた。
「でも、守られるだけじゃないですよ。わたしも、役に立ちます」
「知っている」
「本当に?」
「お前が来てから、城の術式が全部生き返っている。それだけで十分だ」
生き返っている。
その言葉が、胸の奥に温かく落ちた。
◆
書斎を出て、廊下を歩きながら、リシェルは夜空を見上げた。
辺境の夜は、星が多い。
王都では魔術灯が明るすぎて、こんなに星は見えなかった。
(二ヶ月後、王都に戻る)
アンセルに会う。
工房の人間にも、会うかもしれない。
怖くないかと言えば、嘘になる。
でも、今は違う。
後ろにいてくれる人がいる。
毎朝、並んで歩いてくれる人がいる。
弁当箱を持って会いに来てくれる人がいる。
わたしのために護符を作ってくれた人がいる。
(それだけで、全然違う)
廊下の窓から、結界の光が見えた。
北東の、リシェルが直した区間が、きれいに輝いている。
壊れたものを直す。
それがわたしの仕事だ。
結界も、呪具も、術式も。
そして。
(この人の、呪いも)
必ず、直してみせる。
リシェルは護符を、そっと手で包んだ。
金属の感触が、手のひらに馴染む。
廊下の向こうで、ディルヴァルトの部屋の灯りがまだついていた。
あの人も、まだ起きている。
地図を広げて、アンセルのことを調べているのか。
それとも、別の何かを考えているのか。
リシェルはしばらく、その灯りを見ていた。
消えることなく、静かに、ただそこにある光を。
第6話 了




