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追放された魔術修復士ですが、呪われた辺境公爵に“契約妻”として拾われたら、なぜか国中の壊れた運命が直り始めました  作者:


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第3話「お前にしか、触れられない」

 辺境が近づくにつれ、空の色が変わった。

 王都の空は、どこか人工的な明るさがある。

 魔術灯の光が夜も街を照らし、霧さえも御しやすく整えられている。

 でも辺境の空は、違った。

 どこまでも広くて、どこまでも重い。

 雲の色が深く、地平線の向こうに黒い山脈が連なっている。

 山の稜線に沿うように、かすかに光る線が見えた。

「あれは?」

 リシェルが窓に顔を近づけた。

「結界だ」

 ディルヴァルトが答えた。

「辺境全体を囲む、第一結界。魔獣の侵入を防いでいる」

「……ずいぶん、大きい」

「王国最大だ。維持だけで、常時二十人の術士が必要になる」

 リシェルは目を細めた。

 修復士として、反射的に状態を見る癖がある。

 遠目から見ても、結界の光に揺らぎがある。

 一定に保たれているようで、ところどころ輝度が落ちている部分があった。

「……損耗が激しいですね」

「二週間前に、大型魔獣の群れが当たった」

「そのときに修復士を呼ばなかったんですか」

「呼んだ」

 ディルヴァルトの声が、かすかに翳った。

「来なかった」

 リシェルは息を吸った。

 来なかった。

 つまり、断られたのだ。

 呪われた公爵のいる辺境など、行きたくないと。

(そうか)

 それがどれほどの問題か、修復士なら瞬時にわかる。

 結界が劣化すれば、魔獣の侵入が増える。

 人が死ぬ。

 集落が壊される。

 なのに、誰も来なかった。

 この公爵が、恐れられているせいで。

「……辺境に着いたら、まず結界を見せてください」

「契約の話が先だ」

「並行してやります。仕事は早いほうがいいので」

 ディルヴァルトがリシェルを見た。

 何かを言いかけて、やめた。

「……わかった」

 ◆

 公爵領の城門をくぐったとき、リシェルは小さく息を呑んだ。

 城といっても、王都の華やかな邸宅とはまるで違う。

 黒い石造りの、要塞のような建物だ。

 装飾は最低限で、実用性だけが追求されている。

 門の両側には、魔術的な紋様が刻まれた柱が立ち、薄い光を放っていた。

 でも。

(綺麗だ)

 リシェルはそう思った。

 王都の華美な建物より、こっちのほうが好きかもしれない。

 無駄がなくて、でも確かな力がある。

「初めて綺麗と言ったな」

 隣からディルヴァルトの声がした。

「え? 声に出てましたか」

「少しな」

「……すみません」

「謝ることはない」

 公爵が、城門を抜けながら正面を向いた。

「この城を綺麗と言う者は、あまりいない」

「そうなんですか? なぜですか」

「暗くて怖いと言う」

「これは怖いんじゃなくて、強いんですよ」

 リシェルは言いながら、石柱の紋様を指でなぞった。

「この紋様も、ただの装飾じゃないですよね。防衛術式の一部だ。……少し歪んでますね、ここ」

「わかるのか」

「修復士ですから」

 ディルヴァルトが、かすかに眉を上げた。

 それだけだったが、リシェルにはなんとなくその意味がわかった。

 驚いているのだ。

 こんなところで術式の歪みを読む人間がいることに。

「後で直します」

「……ああ」

 短い返事の中に、何かがあった気がした。

 ほんのかすかな、安堵のような。

 ◆

 城の中へ案内されながら、リシェルはそこで働く人々を観察した。

 使用人が何人もいる。

 みんな一様に、主人と目を合わせないようにしている。

 ディルヴァルトが通ると、廊下の端に避けて頭を下げる。

 恭しいが、怖れている。

(難しい立場だな、この人)

 リシェルはちらりと横を見た。

 ディルヴァルトはまっすぐ前を向いて歩いている。

 使用人たちの態度に、何も感じていないような顔で。

 感じていないわけがない、とリシェルは思った。

 ただ、慣れてしまっているのか。あるいは慣れなければならなかったのか。

「リシェル様」

 突然、明るい声がして振り返った。

 廊下の奥から、小柄な女性が小走りで近づいてくる。

 エプロンをつけた、三十代くらいの女性だ。丸い目と人懐こい笑顔が、この城の空気の中で際立っていた。

「私はマーゴと申します。奥様のお世話係を仰せつかりました」

「あ……よろしくお願いします。リシェルです」

「存じております!」

 マーゴがにこにこしながら言った。

「閣下から、新しい奥様がいらっしゃると聞いて、お部屋を整えておりました。どうぞこちらへ」

 リシェルは歩きながら、ディルヴァルトをちらりと見た。

 男は廊下の向こうに歩いていく。

「閣下は?」

「閣下は執務がおありです。夕刻に、閣下の書斎へいらしてください、とのことです」

「わかりました」

 ◆

 通された部屋は、城の規模に比べると小ぢんまりとしていたが、清潔で十分な広さがあった。

 窓からは辺境の荒野が見える。

 遠くに山脈、手前には枯れた草原。

 王都の整えられた庭園とは全然違う。

 でも、リシェルはその景色を気に入った。

「質素で申し訳ありません」

 マーゴが申し訳なさそうに言った。

「いいえ、十分です。わたし、華やかなものは苦手なので」

「まあ!」

 マーゴが目を輝かせた。

「閣下も、質素なものがお好きなんですよ。もしかしてお二人、気が合われるかもしれませんね」

「……そうですかね」

「絶対そうです。閣下ったら、王都から華やかな花瓶が送られてきても全部倉庫に仕舞ってしまうんですもの」

 リシェルはつい笑ってしまった。

 マーゴが安心したように微笑んだ。

「リシェル様、笑うんですね」

「笑いますよ、普通に」

「よかった。前任の……いえ、なんでもありません」

 言いかけて、マーゴが口を閉じた。

 前任の、何だろう。

 聞こうとして、リシェルはやめた。

 今は聞かなくていいことがある。

「マーゴさん、結界の損耗箇所の地図はありますか?」

「は、はい?」

「仕事の準備をしたいので。地図と、あと城内の呪具の台帳があれば」

 マーゴがぽかんとした顔をした後、ふわっと笑った。

「……はい、すぐにお持ちします」

 ◆

 夕刻。

 リシェルは地図と台帳を手に、書斎の扉をノックした。

「入れ」

 声がして、扉を開ける。

 書斎は広かった。

 壁一面の本棚と、中央に大きな執務机。

 机の上には書類が積まれ、ディルヴァルトがそれに目を通していた。

 ランプの光が、横顔を照らしている。

「失礼します」

「ああ」

 ディルヴァルトが書類を置いた。

 リシェルに視線を向ける。

「座れ」

 向かいの椅子に座った。

 しばらく、二人で向き合う形になった。

「話す」

「はい」

「俺の呪いについてだ」

 ディルヴァルトが机の上で手を組んだ。

 その手首に、黒ずんだ痣が見える。

 馬車の中で一瞬見えたもの。

「俺の家系には、五代前から特殊な血統魔術が伝わっている。強大な魔力を引き出す代わりに、術者の感情を少しずつ削る術式だ」

「……感情を削る」

「怒り、喜び、悲しみ。そういったものが、魔術を使うたびに薄れていく。ゆっくりと、しかし確実に」

 リシェルは黙って聞いた。

「それを呪いと呼ぶかどうかは別として、俺の場合、五年前から進行が急速に速まった」

「なぜ急に?」

「理由は、まだわかっていない」

 ディルヴァルトは淡々と続けた。

「このまま進行すれば、あと数年で完全に感情を失う。そうなれば魔術師として暴走するか、人間として機能しなくなるか、どちらかだ」

 淡々としていた。

 まるで他人事のように。

 でも、この人がそれをどれほどの覚悟で受け入れてきたか。

(ずっと、一人で抱えてたんだ)

 リシェルは胸が締まる感覚を覚えた。

「これを知った上で、もう一つ話す」

「……はい」

「俺の呪いは、他者が触れると術式が暴走する。魔術師が近づくと特に顕著で、これまで治療を試みた術士が三人、重傷を負った」

「っ」

「だから今の使用人たちは、魔術を使えない者だけを残している。術士を側に置けない。修復士も、雇おうとするたびに同じことになった」

 リシェルは思い出した。

 馬車の中での言葉。

『俺がお前を必要としている、本当の理由』

 つまり。

「……わたしが、例外だということですか」

「三年前の任務の後、調査させた」

 ディルヴァルトが静かに言った。

「お前の修復術の特性を調べると、他の修復士と根本的に違う点があった。お前の術式には、相手の魔術構造に同調する性質がある。押し付けるのではなく、相手の波長に合わせて修復する」

「……それは、確かに言われたことがあります。わたしのやり方は特殊だって」

「その性質があれば、俺の術式の暴走が起きない可能性がある」

「可能性、ですね」

「試したわけではない」

 リシェルは少し考えた。

「……試してみますか、今」

「今すぐか?」

「早いほうがいいでしょう。話だけしていても確認できないので」

 ディルヴァルトが、リシェルをじっと見た。

「危険だぞ」

「わかってます」

「お前が重傷を負う可能性がある」

「それも、わかってます」

 リシェルは真っ直ぐに答えた。

「でも修復士として、触れずに判断するのは無責任なので」

 ディルヴァルトが、ゆっくりと手を机の上に置いた。

 黒ずんだ痣が、ランプの光を受けている。

「……手を出せ」

 リシェルは手を差し出した。

 自分の手が、かすかに震えているのがわかった。

 怖くないと言えば嘘になる。

 でも。

 ディルヴァルトの手が、リシェルの手に重なった。

 ◆

 瞬間。

 リシェルの中に、何かが流れ込んできた。

 大きな、大きな力だった。

 嵐のような魔力の奔流。

 それが内側から暴れようとして――

 リシェルは反射的に、自分の術式を広げた。

 押し返すのではなく、受け入れる。

 波に逆らわず、同じ波長に乗る。

 ゆっくりと、その奔流が落ち着いていく。

 まるで、嵐が凪いでいくように。

 数秒後。

 リシェルは深く息を吐いた。

「……大丈夫ですか、閣下」

 顔を上げると、ディルヴァルトがリシェルを見ていた。

 その顔が、見たことのない表情をしていた。

 驚愕、という言葉がいちばん近い気がした。

「……止まった」

「はい?」

「暴走が。止まった」

 ディルヴァルトの声が、かすかに揺れていた。

「これまで、他者に触れるたびに術式が暴れた。三年間、一度も止まったことがなかった」

「……そうですか」

「お前が、止めた」

 リシェルはまだ手を繋いでいることに、今更気づいた。

 慌てて引こうとした。

 ディルヴァルトの手が、そっと握り返してきた。

 逃がさない、という力ではなかった。

 ただ、繋ぎ止めているような。

「……閣下?」

「もう少し」

 低い声が、書斎に落ちた。

「このまま、もう少しだけ」

 リシェルは動けなかった。

 この公爵が、こんな声を出すと思っていなかった。

 無口で、冷徹で、感情がないと噂される人が。

 繋いだ手の向こうから、何かが伝わってくる気がした。

 言葉ではない、何か。

 ランプの炎がゆれた。

 二人分の影が、書斎の壁に重なっていた。

「……リシェル」

「……はい」

「契約の話をする前に、一つだけ聞く」

 ディルヴァルトが、ゆっくりとリシェルを見た。

 その灰青の瞳に、三年間で初めて、確かな色が宿っていた。

「お前は、俺の呪いを、修復しようとしてくれるか」

 それは公爵の問いではなかった。

 もっと小さな、一人の人間の問いだった。

 リシェルは一秒も迷わなかった。

「はい」

 即答した。

「壊れているものを放っておけないのが、わたしの悪い癖なので」

 ディルヴァルトがリシェルを見続けた。

 その目が、かすかに、本当にかすかに。

 和らいだ気がした。

「……ならば」

 男は静かに言った。

「契約を結ぼう。妻として、修復士として。お前には俺の隣にいてもらう」

 リシェルは頷いた。

「はい、閣下」

「ディルヴァルトでいい」

「……え?」

「名前で呼べ。契約妻が閣下と呼ぶのは、不自然だ」

 リシェルは少し固まった。

「……ディルヴァルト、様」

「様も要らない」

「……それは、さすがに」

「慣れろ」

 有無を言わせない口調だった。

 でも、その言葉の下に、ほんの小さな何かが隠れている気がした。

(名前で、呼んでほしいのかな)

 誰にも近づかせない公爵が。

 リシェルはもう一度、繋がれた手を見た。

 まだ、離してもらえていない。

「……わかりました」

 ゆっくりと、口を開く。

「ディルヴァルト」

 名前を呼んだ瞬間。

 男の手が、一瞬だけ、強く握り返してきた。


第3話 了

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