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紅の魔術師  作者: ベルナルド
一章 紅の魔術師

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第九話 永遠宿し、輝く輪

 あたりはすっかり焼け落ちていた。


 ほんの数時間前まで、ここにはスカイローク社の威光とやらがあったはずだ。

 和田の城。

 欲望と虚飾と、他人を踏み台にして積み上げた王国。


 だが今、その天下を見下ろすように立っているのは、胡散臭い笑みを浮かべた一人の男だった。


 深紅のコート。

 焼け跡をものともせず、まるで最初からここが自分の舞台だったみたいな顔をしている。


「それで、久方ぶりだな、小娘」


 紅が面倒そうに言う。


 その視線の先には、ようやく落ち着きを取り戻した冴がいた。


 冴は妹を支えるように立ちながら、露骨に嫌そうな顔を紅へ向ける。


「あんたを呼ぶのは不服だったけどね」


「え、お姉ちゃん知り合いなの!?」


 紬が勢いよく顔を上げた。


 自分と同じように紅から“小娘”呼ばわりされている姉を見て、驚愕している。

 冴はそんな妹に一瞬だけ目を向け、それから諦めたように息を吐いた。


「彼も私も、同じ国家直属の立場にいるのよ」


「もっと簡単に言えば――上司」


「えええええええ!?」


 紬の声が焼け跡へ響いた。


 信じられない、という顔で紅を見る。

 便利屋だの、怪しいおじさんだの、好き放題に思っていた相手が国家に属しているなんて、想像もしていなかったのだろう。


「揃いも揃って失礼な小娘だ」


 紅が鼻を鳴らす。


 冴は呆れたように肩をすくめた。


「彼は最後の国家魔術師よ」


「しかも、その歴は現職の国家魔導士の誰よりも長いわ」


「え、じゃあ何歳なの、紅?」


 紬の質問に、紅の口元がにやりと吊り上がる。

 いかにも待ってましたと言いたげな顔だ。


 冴はそれを見て、また始まったという顔をした。


「俺は三百歳以上だ」


「お、お爺ちゃんだったの!?」


「誰がお爺ちゃんだ!」


 紅が即座に怒鳴る。


 冴はふっと笑った。


「ふふふ。残念だったわね」


「本当は尊敬の眼差しが欲しかったんでしょ」


「ちっ、つまらん小娘どもめ」


 不機嫌そうに吐き捨てながらも、紅の顔色は悪くない。

 紬はまだ驚きから立ち直っていないらしく、まじまじと紅の顔を見つめていた。


 そんな中、ふと思い出したように口を開く。


「そういえば、なんで生きてるの?」


 紅の眉がぴくりと動いた。


「だって確実に、紅の熱なくなってたよ?」


「どこまで失礼な小娘だ」


 紅は深くため息をつき、左手を持ち上げる。


 その指に嵌められていたのは、質素な指輪だった。

 一見すれば地味だ。装飾も少ない。

 だが近くで見ると、その奥に妙な威圧感が潜んでいる。


「これは《不死鳥の寵愛》と呼ばれる」


「最高位のアーティファクトだ」


 言い方が少しだけ自慢げなのが腹立たしい。


「この指輪は、装着者が死亡したとき一日に一度だけ、“不死鳥の寵愛”を発動できる」


「最初に装着した時点の肉体情報を記録し、それを基に復元する仕組みだ」


「そ、そんなの無茶苦茶じゃん!」


 紬が思わず叫んだ。


 あまりにも非現実的な性能に、驚きより先に抗議が口をついて出たらしい。


「はん。お前のような小娘に扱える代物ではない」


 紅は指輪をひと撫でしながら続ける。


「こいつは意志を持っている」


「気に入った人物にしか、まともに力を貸さん」


「え、じゃあ紅のことは好きなんだ」


 紬が素直に言う。


 その瞬間、紅の顔がわずかにしかめられた。


「……それが、少々癪なんだ」


「へ?」


「どうやら、こいつは“おじさん”が好きらしい」


 一瞬、空気が止まる。


 冴が先に吹き出した。


「……は?」


 紬は数秒遅れて理解した。


「え、なにそれ」


「いや、待って。紅、指輪に“おじさん枠”で好かれてるの?」


「黙れ」


 紅が即座に返す。

 だが耳のあたりがわずかに不機嫌そうだった。


「前に、マスターへ預けたことがある」


「そのときは、俺が使う以上の性能を発揮していた」


「えぇえぇえぇ!?」


 今度は別方向の驚きだった。


 紬は指輪と紅を交互に見比べる。


「ほんとにおじさん好きなんだ……」


「しかもマスターさんの方が上ってこと?」


「……黙れと言っている」


 紅は低く言う。

 だが、その声音にはいつもの威圧感より、どこか釈然としない響きが混じっていた。


 冴は肩を震わせる。


「ふふっ……なるほどね」


「それは確かに、ちょっと嫌かもしれないわ」


「笑うな、小娘」


「お姉ちゃんまで小娘って呼ばれてる……」


「そこは今どうでもいい」


 紅は苛立たしげに指輪を外すと、紬へ向かって投げた。


「試してみるか」


「えっ、ちょ、ちょっと待って――」


 慌てて受け取る。


 紬は半信半疑のまま、自分の指へ嵌めた。


 次の瞬間。


「あっつ!!」


 悲鳴が上がった。


 紬は慌てて指輪を外し、ぶんぶんと手を振る。


「熱い熱い熱い! なにこれ!?」


 自分の指が溶けていないか、本気で確認するほどの熱だった。


 紅は腕を組んだまま鼻で笑う。


「言っただろう。気に入らん相手には容赦がない」


「うわ、性格悪っ」


「お前にだけは言われたくない」


 紬は涙目のまま指輪を見つめ、それからじわじわと紅を見た。


「でもつまり、紅は好かれてるんだ」


「……不本意ながらな」


「しかも“おじさん”として」


「その話を引っ張るな!」


 冴の笑い声が、焼け跡の中に小さく響いた。

 紅は何とも言えない顔で指輪を取り返し、乱暴に指へ嵌め直した。


 そのタイミングで、焼けた窓枠を越えて新たな人影が入ってくる。


 紬は反射的に身構えた。

 だが、その頭を冴が優しく撫でる。


「大丈夫」


「彼らは仲間よ」


 現れたのは、国家魔導士たちだった。


 それなりに整った制服。

 だが顔には疲労と苛立ちがしっかり滲んでいる。


 先頭の男が、紅を見るなり露骨に顔を引きつらせた。


「あのですねぇ……我々、一応国家魔導士なんですよ」


「国側の人間なんですよ」


「そんな国の人間が、令状もなしに企業へ乗り込んで、会社半壊させてるんです」


「これ、どっちが悪党か分かんなくなるんですよ」


 その口調には、もはや遠慮がなかった。


 紅は平然としている。


「だから貴様らは役立たずなのだ」


「おてんば娘に先を越される」


「それについては何も言えないっす……」


 男は肩を落とす。


 横で冴が、なんとも居心地の悪そうな顔をしていた。


「……いや、それはほんとごめん」


「でも、レイモンドさんが回してくれたデータのおかげで、こっちも公式に動けるようにはなったんです」


「ただ――」


 周囲を見回す。


 焼けた床。

 崩れた壁。

 焦げ臭い空気。


「……どうやら遅かったみたいっすけど」


「お前らに横取りされると、つまらんからな」


 紅がしてやったりという顔を向ける。


 男は本気で殴りかかりたいような顔になった。


「もうちょい被害減らしてくださいよ……」


「叱られるの俺らなんすよ……」


「知るか」


「はぁーーー、まじでこの人……」


 額を押さえ、男は地団太を踏んだ。


 だが、すぐに気を取り直して部下たちへ指示を飛ばす。


「おい、全員動け」


「ネズミ一匹逃がすな。資料も端末も全部押さえろ」


「そこで丸焦げになってる豚も回収」


 男が指した先には、和田だった。


 もはや見苦しさの象徴でしかない焼け焦げた死体を、部下たちがどこか雑に運んでいく。


「レイモンドさん」


 去り際に男が振り返る。


「次は絶対、あの人に会ってくださいよ」


「じゃないと、あの人ほんと面倒なんですから」


「気が向けばな」


「向けてくださいよ、絶対」


 男の悲痛な声を背に、調査は本格的に始まった。


 ビルの中を国家魔導士たちが行き交う。

 証拠の回収。生存者の確保。残骸の確認。

 戦場だった場所が、今度は“事件現場”へ変わっていく。


 その間に、いつの間にか朝日は高く昇っていた。


 焼けた窓から差し込む光が、三人へ降り注ぐ。


 普段なら暑いだけの陽射しが、不思議と心地よかった。

 やっと、夜が終わったのだと実感できる。


     ◇


 それからしばらくして、冴は国家魔導士たちの手で精密検査を繰り返すことになった。


 だが、拍子抜けするほど何も異常は見つからなかった。


 魔粒子の濃度。

 魔術回路への影響。

 人工魔装の侵食痕。

 精神への汚染。


 どれも、信じがたいほど綺麗に消えていたという。


 そのため、冴は思っていたよりずっと早く退院した。


 あの日を境に、紬の世界には色が増えた。


 以前の世界は、いつもどこか灰色だった。


 教室も、通学路も、夕焼けも、人混みも。

 全部が薄暗く、くすんで見えていた。


 でも今は違う。


 朝の空は青く、制服の白は眩しく、夕方の街は思ったよりずっと温かい。

 世界は、自分が思っていた以上に明るくて、騒がしくて、色鮮やかだった。


「おい、出来損ない」


 聞き慣れた声が背後から飛ぶ。


 学園の廊下。

 いつものように、自分を見下したいだけの学友たちが立っていた。


「マギマギアはどうした?」


「ついに壊しっぱなしで買えなくなったのか?」


 少し前の自分なら、それだけで萎縮していた。

 視線を逸らし、息を潜め、やり過ごすことしか考えられなかった。


 けれど今は、違う。


 彼らもまた、自分と同じだ。


 弱いことを認めたくなくて、誰かを下に置いて安心しているだけ。

 自分を鼓舞するために、紬を使っていただけ。


 そう分かってしまえば、恐れる理由なんてなかった。


「ちっ、無視すんなよ」


 ひとりがマギマギアを向ける。


 発動するより先に、紬の指先がわずかに光った。


 ぱちっ、と小さな閃光が弾ける。


「ぐわっ、目が!」


「前が見えねぇ!」


 悲鳴を上げる彼らを、紬は振り返りもしなかった。


 そのまま校門を抜ける。


 以前の自分なら、まっすぐ帰るだけだった足取りに、今はもう一つの寄り道が増えていた。


 最初は驚くだけだった町の人混みも。

 暗くて怖かった路地裏も。

 今では少しずつ馴染みがある。


 でも、いちばん好きな場所はやっぱりここだ。


 BAR Emrys。


 重い扉を開ける。


 中では、いつものように空気が少しだけおかしかった。


「お願いよぉ、紅ちゃん!」


「あなたしか頼れる人はいないのよぉ!」


 筋肉隆々の女性――と呼んでいいのか分からない何かに腕を絡まれ、紅が本気で嫌そうな顔をしている。


「分かったから離れろ!」


「おい、小娘! この悪魔をどうにかしろ!」


 カウンターの奥では、マスターが実に楽しそうにその光景を眺めていた。


 紬は思わず笑ってしまう。


 今の自分の日常は、小さな非日常であふれている。


 けれど、その非日常はもう怖いものじゃない。

 むしろ少しだけ、誇らしい。


 そんな日常が、紬は好きだった。


「おい、小娘! 聞いているのか、小娘――!」


 紅の苛立った声が、店の中へ響く。


 紬は笑いながら、その喧騒の中へ歩いていった。


     ◇


 巨大なガラス窓の向こうに、東京の夜景が広がっていた。

 ビル群の灯りは宝石のように瞬いている。

 男は、背後で許しを請う声など存在しないかのように、窓の外だけを見ていた。

 だが、その輝きを、男はひどくつまらなそうに見下ろしていた。


 背後では、ひとりの男が床に額を擦りつけるようにして震えていた。

 汗の滴が、磨き上げられた床へぽたりと落ちる。


「見てみろ」


 低い声に、男の肩がびくりと跳ねる。


「顔を上げろ。あそこだ」


 恐る恐る視線を向けた先、巨大な窓の向こうには満月があった。

 白々と、静かに、何もかもを見下ろすように浮かんでいる。


「不愉快だろう」


 男は答えられない。

 ただ喉を鳴らし、乾いた唇を震わせた。


「あれは私を見下ろしている」


「は、はい……」


 男は小さくため息をついた。


「芸術は、完成しただけでは足りない」


 懐から無機質な拳銃を取り出す。

 その黒い金属が、月光を鈍く反射した。

 

「穢れてはじめて、価値を持つ」


「分かるか?」


「は、はい……!」


 震える声。

 返事はした。だが理解などしていないことは明白だった。


 窓の向こうでは、満月が変わらぬ顔で浮かんでいる。

 男はそれを見上げたまま、わずかに口元を歪めた。


「月が汚れ、空が穢れれば――」


 その声音には、奇妙な恍惚が滲んでいた。


「さぞ美しいだろうな」


 その言葉を最後に、男はようやく満月から視線を外した。

 静かに振り向き、土下座する男へ銃口を向ける。


「ま、待っ――」

 

 乾いた音がひとつ、部屋に響いた。


 静寂。

 硝煙の匂いだけが、ゆっくりと広がっていく。


 男はそのまま高級な椅子へ腰を下ろした。

 深く背もたれに身を預け、薄く目を細める。


「時は満ちた」


 漆黒のスーツに身を包んだ者たちが、無言で死体を回収する。

 その手際は、不気味なほど丁寧だった。


 男の唇が、わずかに吊り上がる。


「せいぜい抗ってみせろ」


 低い声が、夜景を見下ろす部屋に静かに落ちた。


「魔術の象徴――紅の魔術師」


 そのころ、東京の空にはじわじわと黒い雲が広がり始めていた。

 まるで巨大な都市そのものを、静かに呑み込もうとするかのように。

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