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紅の魔術師  作者: ベルナルド
一章 紅の魔術師

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第七話 燃え盛る茶会

 揺らめく陽炎が、戦場の中心を円形に囲っていた。


 その輪の内側に立つのは、たった二人。


 一人は、深紅のコートをまとった男。

 一人は、血の気配をまとい始めた傭兵。


 誰も容易には踏み込めない。

 冴も、和田も、床に崩れた紬でさえ、その空間だけは別の世界になったのだと本能で理解できた。


 熱で景色が歪む。


 その歪みの向こうで、二人の男は互いを見つめていた。


 戦意をぶつけ合うでもなく、すぐに襲いかかるでもない。

 まるで、この一瞬すら味わうように。


 先に口を開いたのは、傭兵の方だった。


「やっぱりな」


 口元を吊り上げる。


「あんたが紅の魔術師か」


 紅は煙草を指先で弾き、灰を落とす。


「いかにも」


 赤い眼が細くなる。


「俺がそうだ」


 その返答に、傭兵は心底嬉しそうに笑った。


 ぱん、と一度だけ手を叩く。


「俺の爺さんは兵士でな」


「酒が入るたび、何度も何度も昔話を聞かせてくれた」


 傭兵の声には、奇妙なほど素直な熱があった。


「戦場の武勇、敵国の化け物、死に損ないの英雄。色々あったが――」


 ぐっと拳を握る。


「その中でも一番好きだったのが、紅の魔術師の話だ」


 その眼に、どこか少年じみた光が宿る。


「戦場を業火で埋め尽くし、紅がいるところはすべて地獄に変わる」


「逃げる兵も、叫ぶ兵も、装甲も、城壁も、全部まとめて燃やし尽くしたってな」


 傭兵はうっとりしたように、しかし獰猛に笑う。


「最高にかっこいいぜ」


「だから俺は傭兵になった」


「いつか、あんたみたいな化け物を殺して、俺が最強になるためにな」


 そのまま腕を持ち上げる。


 傭兵のマギマギアが、血を内側から脈打たせるような不気味な光を放っていた。

 さっきまでのAGS連中が使っていた量産型とは違う。もっと個別で、もっと禍々しい。

 戦うためだけに研ぎ澄まされた上位機種だと、一目で分かる。


「あんたを殺して、俺が最強になる」


 紅は鼻で笑った。


「大きく出たな」


「貴様に背負えるほど、最強という名は軽くないぞ」


 傭兵はそれすら喜ぶように歯を見せた。


「そういうとこだよ、伝説」


 そして叫ぶ。


「魔装――展開!」


 血が弾けるような音が響いた。


 次の瞬間、傭兵の全身を覆う鎧が展開される。

 それは金属の光沢ではなかった。まるで乾ききらない鮮血を何層も塗り重ねたような赤黒い鎧。

 脈打ち、うごめき、生きているように微かに震えている。


 傭兵は恍惚の表情を浮かべた。


「ああ……これだ」


「何度体験しても、たまらねぇ」


「上位モデルの魔装は格別だぁ」


 喉を鳴らすように笑い、片手を掲げる。


「第三階位――血は沸き立ち、躍動する《ブラッド・ダイナミック》!」


 全身の血管が浮き上がる。

 眼球の白が赤く染まり、筋肉が一段階膨張する。


 次の瞬間、傭兵の姿が消えた。


「――っ」


 紅の頬を拳が掠める。


 空気が破裂した。


 紅はわずかに首をずらして回避したが、そのまま二撃、三撃と追撃が襲う。

 先ほど六話で見せた速度とはまるで違う。

 踏み込みの深さも、体重の乗せ方も、殺意の精度も、一段上だった。


 拳が脇腹を狙う。

 直後に膝。

 避けた先へ肘。

 さらに死角から掌底。


 紅は紙一重でそれらを躱し続ける。

 深紅のコートが乱れ、床を滑るたび、残像のような陽炎が一瞬遅れて追いかける。


 だが、当たらない。


 傭兵は殴るたび、むしろ笑みを深めていった。


「いい!」


「いいぜ、伝説!」


「まだ死んじゃいねぇ!」


 紅は軽く息を吐く。


「その程度で試したつもりか?」


 片手を持ち上げ、来いと挑発する。


「さっさと見せてみろ」


「貴様が俺を殺すと豪語した、その根拠をな」


 傭兵の顔が、歓喜に引きつる。


「さすがだ!」


「小手調べは失礼だったな!」


 床を踏み鳴らし、腕を広げる。


「第二階位――血はあたりを沈め、深淵に飲み込む《ブラッド・モラス》!」


 どろり、と音がした。


 傭兵の足元から血が溢れ出す。

 ただ流れるのではない。床一面へ広がり、沼のように粘性を増し、熱を奪いながら戦場そのものを侵食していく。


 紅の靴が、わずかに沈む。


 魔力を足へ込めなければ、底なし沼のように引きずり込まれるだろう。


「まだだ、紅!」


 傭兵が踏み込む。


「第二階位――血は凝結し、弾丸となり、敵を貫く《ブラッド・ランチャー》!」


 血の海から、無数の血弾が突き上がった。

 銃弾より遅い。だが、そのぶん軌道が生き物じみている。


 紅は身を翻し、陽炎をまとってかわす。


 一発。

 二発。

 三発。


 肩口を掠める熱。

 脚を狙う低い軌道。

 背後から跳ね上がる弾丸。


 陽炎がカーテンのように揺れ、血弾がその中を穿つ。

 傭兵の口元がさらに吊り上がった。


「逃がすかよ!」


 血弾が加速する。


 陽炎の幕を無理やり切り裂くように、一発が紅の左肩を貫いた。


 鈍い衝撃。

 血飛沫。


 紬が思わず息を呑む。


「紅……!」


 紅の身体が半歩だけ揺らぐ。


 傭兵は、その一瞬を見逃さない。


「第二階位――貫いた血は、毒となり、その身を汚す《ブラッド・ディファイル》!」


 肩へ食い込んだ血が、毒そのものになって体内へ流れ込む。

 焼けるような痛みが神経を逆撫でし、視界が揺らぐ。

 陽炎がふっと薄れた。


 傭兵は勝利を確信した。


 血の海から、再び無数の弾丸が浮かび上がる。


「ああ……さらば、俺の憧れよ」


「老兵は眠れ」


 傭兵はほとんど慈愛に近い笑みすら浮かべて、紅の死を見届けようと目を細めた。


 だが。


 紅の魔力は、消えない。


 それどころか。


 ぐ、と一段階、温度が上がった。


 傭兵の顔から笑みが消える。


「……なんだ?」


 次の瞬間、紅のコートが揺れた。


 ただの布ではない。

 深紅のコートそのものが燃え上がり、しかし形を失わず、灼熱の衣へ変貌していく。

 肩の傷を中心に炎が噴き上がり、毒を焼き、侵食ごと内側から焦がしていく。


 迫っていた血弾が、その衣に触れた瞬間、音もなく蒸発した。


 紅は顔を上げる。


 毒に侵され、膝をつくはずだった男は、むしろ先ほどより静かで、鋭い目を傭兵へ向けていた。


「第二階位――深紅のコートは、灼熱に変わり、その身を焦がす《イグニッション・ベール》」


 声は低い。

 だが、その一言で場の温度が塗り替わる。


 傭兵は一歩だけ後ろへ退きかけた。

 それを、自分で笑う。


「はは……っ」


 心が震えていた。


 恐怖か、歓喜か、もう区別がつかない。


 伝説は終わっていなかった。

 老人でも、時代遅れでもない。

 今ここで、本当に顕現している。


「感謝するぞ、神よ」


 傭兵は両腕を広げた。


「俺に伝説を引き合わせてくれたことを!」


 紅は静かに立つ。


 まるで舞台の中央に立つ役者のように、一度だけコートの裾を払った。

 深く、しかし過剰ではない礼をする。

 右足を半歩引き、床を鳴らす。


「俺の名は、レイモンド・アークロイド」


 赤い眼が、まっすぐに相手を射抜いた。


「紅の魔術師だ」


 それに呼応するように、傭兵も名乗る。


「我が名、ジョーン・ラーク!」


「血染めの鬼人だ!」


 その名が、決闘の合図になる。


「第二階位――血は荒れ、肉体を覆い、その姿は鬼と化す《ブラッド・オーガ》!」


 ジョーンの鎧がさらに膨張する。

 筋肉をなぞるように血が盛り上がり、両腕は異形のように肥大化した。

 角こそない。だが、目の前の存在はもはや人ではない。

 血と暴力で塗り固めた、鬼そのものだった。


 紅もまた右手を掲げる。


「第二階位――灼熱は湧き上がり、収束し、その姿を剣と化す《イグニス・グラディウス》」


 炎が掌へ収束する。


 揺らめいていた熱が一本へ凝縮され、形を持つ。

 赤でも橙でもない。白に近い灼光を放つ、剣。


 その刃は金属ではなく、ただ温度だけで世界を切り裂くような存在感を持っていた。


 ジョーンと紅の互いが笑う。


「第二回戦だ!」


「溶けるなよ鬼人!」


 床を砕きながら突進する。


 鬼の腕が横薙ぎに振るわれる。

 紅は半身で踏み込み、その灼熱の剣を合わせた。


 激突。


 金属音ではない。

 肉が焼け、血が蒸発し、空気が裂ける音。


 ジョーンの腕は硬い。

 血の装甲が何重にも凝縮され、純粋な強度で剣を止めにくる。


 だが、その接触だけで表層から溶け始める。

 赤黒い血装甲がぶくぶくと泡立ち、蒸気を上げた。


 ジョーンはすぐさま後方の血の海から血を引き上げ、自分の腕へ流し込む。

 傷が埋まり、厚みが戻る。


「はっ、まだまだ!」


 拳。

 蹴り。

 掴み。


 鬼のような膂力で押し潰そうとするジョーンに対し、紅は剣一本で切り返す。

 正面から受けるのではない。

 角度をずらし、熱で表面を削り、斬撃で芯を断つ。


 火花ではなく、蒸気と血飛沫が飛び散る。


 ジョーンの攻撃が一発入るたび、その代償として装甲が削れ、修復に魔力を回さなければならなくなる。

 対して紅は、一手ごとに相手の厚みを測り、必要な分だけ熱を乗せていく。


 次第に、差が見え始めた。


 ジョーンの腕は重い。

 だが、重いだけだ。


 再生のために魔力を使えば、踏み込みが荒れる。

 攻撃へ回せば、防御が甘くなる。


 紅はそれを見逃さない。


 右肩へ浅く一閃。

 返す刀で太腿を焼く。

 踏み込みの軸足へ熱を通し、ジョーンの重心を崩す。


「ぐっ……!」


 ジョーンの表情が初めて歪んだ。


 汗が流れている。

 それが熱によるものか、焦りによるものか、自分でも分かっていないだろう。


「底が見え始めたぞ」


 紅が冷たく言い放つ。


「貴様は強い」


「だが、強いだけだ」


 その言葉が、ジョーンの神経を逆撫でした。


「まだだぁぁぁぁ!」


 咆哮とともに、修復を切る。

 防御を捨て、攻撃へすべてを回す。


 血の海が暴れ、鬼の両腕が大きく広がる。

 あらゆる方向から叩き潰すための、捨て身の一撃。


 だが、その判断こそが仇だった。


「焦ったな」


 紅が剣を軽く振る。


 その瞬間、一本だった灼熱の剣が裂けた。


 二本。

 三本。

 五本。

 十。


 無数の灼熱の刃が、空中へ展開される。


「な――」


 ジョーンが目を見開く。


 四方八方から迫る熱刃。

 防御に転じようとしても遅い。


 一撃。

 二撃。

 三撃。


 鬼の血装甲が次々に剥がされ、焼かれ、蒸発していく。

 ジョーンは腕を交差させて身を守るが、守るたびに熱は蓄積し、再生は追いつかない。


 その嵐の中、一本だけがふっと消えた。


 いや、消えたのではない。


 再び収束したのだ。


 次の瞬間、一本へ戻った灼熱剣が、ジョーンの腹を真っ直ぐに貫いていた。


「――が、はっ」


 腹から血は噴き出ない。

 刺し貫かれた箇所は、高熱で焼かれ、その場で止血されていた。


 ジョーンの膝が折れる。


 紅は静かに剣を引き抜いた。


 ジョーンはふらつきながらも、笑っていた。


「お見事だ……」


「やっぱり、あんたは……最高だよ」


 そのまま背中から床へ倒れる。


 重い音が響いた。


 血の海がゆっくりと色を失っていく。

 灼熱の剣も、役目を終えたように光へ溶けた。


 戦場から、神話のような幻想が消えていく。


 それを受け入れられない男がひとりいた。


 和田だ。


 膝から崩れ落ち、顔を引きつらせている。


「ば、馬鹿な……」


「あの方からお借りした傭兵を使っても……なお……」


「倒せないだと……!」


 拳で床を叩く。

 一度では足りず、何度も、何度も。


 怒りなのか。

 恐怖なのか。

 もう本人にすら分からないだろう。


 冴はそんな和田を見下ろしていた。


「あんたの負けよ」


「言ったでしょう。彼は伝説だって」


 和田が顔を上げる。


 その目には、理性の光がほとんど残っていなかった。

 この世のすべてを呪うような、濁った色だけがある。


「お前のせいだ」


 震える手がポケットへ伸びる。


「この私が……こんなところで終わっていいはずがない」


「貴様だけは……!」


 取り出したのは、石だった。


 石と呼ぶにはあまりに禍々しい。

 不規則に脈打ち、見ているだけで胸の奥がざわつく。

 生きている魔力の死骸を無理やり固めたような、邪悪な石。


 紅の目が鋭く細まる。


「……それをどこで手に入れた」


 和田は答えない。


 むしろ壊れたように笑っていた。


「まだ許可はされていないが……構うものか」


「終わるくらいなら、全部壊してやる」


 そのままマギマギアへ石を差し込む。


 そして、自分ではなく――冴の腕へ、それを無理やり装着した。


「なっ……!?」


 冴が目を見開く。


 反射的に外そうとする。

 だが、外れない。


 腕輪は肉に食い込むように密着し、まるで生き物みたいに腕へ絡みついていく。


「何よ、これ……!」


「離れない!」


 和田の顔が、狂喜に歪む。


「やれ」


「魔装転生!」


 冴の意志を無視して、マギマギアが勝手に起動した。


 光が走る。

 いや、あれは光ではない。

 もっと濁った、神秘の出来損ない。


 魔装が冴の身体へまとわりつく。

 郷田のときと同じだ。

 だが、今回の異常は比較にならない。


「――ぁ、ああっ……!」


 冴の喉から苦悶が漏れる。


 その身体を覆うように、半透明の膜が生まれた。

 繭。

 そう呼ぶのがふさわしい、気味の悪い変成の殻。


 和田は、その光景に涙すら浮かべた。


「これだ……これぞ神秘だ……!」


「ははっ……はははははっ!」


 紬が床に手をつき、ようやく上半身を起こす。


 何が起きているのか、理解したくない。

 でも目が離せない。


「ふざけるな、貴様」


 紅の声が低く落ちた。


 その怒りは、これまでとは質が違う。


「戦いを汚すだけに飽き足らず、神秘を語るとは」


 紅の顔が、静かに歪む。


「万死に値する」


 手に業火が宿る。


 和田を焼き尽くすため、一歩踏み出したその瞬間。


 突風が吹き荒れた。


 床に散っていた紙片が舞い、ガラス片が転がり、陽炎すら押し返される。

 全員が反射的に上を見た。


 そこに、いた。


 繭を破って現れた冴の姿が。


「なんという……」


 紅が思わず目を細める。


 それは美しかった。

 だが、同時に冒涜的だった。


 輪郭は冴のまま。

 顔立ちも、髪も、体の線も、確かに冴だ。


 けれど、その背から広がる翼は異形だった。


 片方は、神々しい白に近い光を帯び、羽根の一枚一枚が神聖さを思わせる。

 もう片方は、夜を引き裂いたような黒で、刃のように鋭く、悪魔じみた禍々しさを放っている。


 天使のようで、悪魔のよう。

 清らかさと不吉さが、ひとつの肉体へ無理やり押し込められていた。


 冴の眼が開く。


 その瞳は、もう人間のものではなかった。

 すべてを見下ろし、裁くような、高すぎる場所の視線。


 紬の唇が震える。


「お、お姉ちゃん……?」


 返事はない。


 ただ、変わり果てた存在だけが、そこに浮かんでいた。

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