表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅の魔術師  作者: ベルナルド
二章 奇術師はいつだってタネを隠さない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/27

第二十話 奇術師はいつだってタネを隠さない

 相も変わらず、bar Emrys には閑古鳥が鳴いていた。


 昼下がりの店内には、磨かれたカウンターと、静かに並ぶ酒瓶と、そして大小二つの影があった。


 その二つの影は、平穏な午後には似つかわしくないほど騒がしく、カウンターの前で向かい合っている。


「ねぇ! 私のプリン食べたでしょ!」


「おいおい、小娘。ついには自分で食ったことすら忘れたか」


「最後に残してたの!」


「証拠はあるのか?」


 紅は煙草を吹かした。


 その顔は、ひどく腹立たしいほど勝ち誇っていた。

 まるで、プリン一つを巡る争いに勝利したことが、人類史に残る偉業であるかのように。


 紬は拳を握る。


 いつか絶対に、その憎たらしい顔面に一発入れてやる。


 そう、心に誓った。


「紅ってさ、本当に最低だよね」


「最高の間違いだろう」


「どの口が言ってんのよ」


「この口だ」


「その口にプリン詰め込んで黙らせたい」


 カウンターの奥で、マスターが静かにグラスを拭いていた。


 笑っている。


 少し前まで、この店にはなかった騒がしさだった。

 酒の匂いと古い木の匂いに混じって、紬の怒鳴り声が響く。

 それがいつの間にか、この店の日常になっていた。


 紅は椅子から立ち上がる。


「おい、小娘」


「なによ。謝る気になった?」


「今日は用事がある」


 紅は帽子を取り、出口へ向かう。


「家に帰っていろ」


「は? なによそれ。私を置いていくつもり?」


 紬は不満そうに紅を睨む。


 だが、紅は振り返らない。


 扉に手をかけたまま、面倒そうに言った。


「悪いが、今日はもう席が埋まっている」


「席?」


 紅が扉を開ける。


 外の光が差し込む。

 紅の赤い髪が、ほんの一瞬だけ明るく照らされた。


 そして扉が閉まる。


 光は消えた。


 残された紬は、ぽつりと言った。


「……え、紅って友達いたの?」


 マスターが、とうとう吹き出した。


     *


 店の前には、赤い車が停まっていた。


 磨き上げられた車体が、昼の光を拾っている。

 道路の上にあるのに、まるで美術館から抜け出してきた展示品のようだった。


 紅の持ち物らしく、それは無駄に派手だった。

 だが、不思議と下品ではない。

 深い赤のボディーは、陽光を受けるたびに宝石のような光を返し、通りかかる者の視線を自然と奪っていく。


 紅は運転席に乗り込んだ。


 普段なら、隣の席は空いている。


 だが、今日は違った。


 助手席から、金木犀の香りがした。


「まさか、貴様が来ているとはな。アリス」


 長く美しい髪が、嬉しそうに揺れた。


 助手席に座っていた女は、優雅に微笑む。

 その仕草一つで、車内の空気が変わった。


 紬といる時の紅は、口の悪い保護者のように見える。

 だが、アリスの隣に座る紅は違った。


 古い時代からそのまま歩いてきた怪物。


 そう呼ぶ方が似合っていた。


「招待をもらったのよ。今話題のヴァルカンコーポレーションからね」


「この俺を足に使うとは、相変わらずいい度胸だ」


「あら。この私の隣に座る権利なんて、あなたくらいしか持っていないでしょう?」


「今すぐ売りに出したい権利だな」


「誰も買えないわよ」


「それが本当に残念だ」


 二人の会話に遠慮はなかった。


 軽い。

 けれど、浅くはない。


 長く生きた者同士だけが持つ、慣れた間合い。

 言葉の奥に、積み重なった時間が沈んでいる。


 紅はハンドルを握り、車を走らせた。


 夕烙区の街並みが流れていく。


 古い商店。

 工事中の道路。

 雑居ビルの隙間に残る、時代遅れの看板。


 そのどれもが、いつもの街だった。


 だが、最近は少しだけ様子が違う。


 新しく設置された監視カメラ。

 道路脇の認証端末。

 工事用の柵に貼られた、見慣れない企業ロゴ。


 ヴァルカンコーポレーション。


 その名は、この数か月で夕烙区のあちこちに現れていた。


「随分と、この街に食い込んでいるな」


 紅が呟く。


「気になる?」


「不快なだけだ」


「あなたに不快と言わせるなら、大したものね」


「褒めるな。気色悪い」


 アリスは楽しそうに笑った。


 やがて赤い車は、夕烙区の中心部に建てられた巨大な会場へ辿り着く。


 ヴァルカンコーポレーション。


 近年、急速に名を上げた新興企業。

 その勢いは、魔導業界だけではなく、政府や海外企業の耳にまで届いていた。


 そして今日、そのヴァルカンが大きな発表を行う。


 会場前には、財界人、政治家、契約魔導士、報道陣、各国の関係者が集まっていた。

 誰もが着飾り、笑顔を浮かべ、これから始まる祝祭に胸を躍らせている。


 紅は車を降りると、助手席側へ回り込んだ。


 扉を開け、アリスへ手を差し出す。


「行くぞ、アリス」


「ふふ。ありがとう、紳士さん」


 アリスがその手を取る。


 二人が並んだ瞬間、周囲の空気が少し変わった。


 女たちは羨望の目を向ける。

 男たちは少し気まずそうに、隣の女性へ手を差し出す。


 まだ会場に入ってすらいない。


 それでも、そこだけが別の時代のようだった。


     *


 会場は、豪華だった。


 高い天井からシャンデリアの光が降り注ぎ、磨き抜かれた床がそれを映す。

 壁には過剰なほど美しい装飾が施され、奥からはオーケストラの旋律が流れていた。


 華やかだった。


 けれど紅には、どこか作り物じみて見えた。


 香水。

 酒。

 笑顔。

 拍手。

 整えられた言葉。


 どれも綺麗に並んでいるのに、そこにある人間の欲だけは隠しきれていない。


 漆黒のスーツに身を包んだ男が、紅たちの前で足を止める。

 背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「ようこそお越しくださいました。ローザンヌ様、アークロイド様」


「随分と大仰だな」


「あなたが呼ばれているのよ。大仰にもなるわ」


「迷惑な話だ」


 紅は面倒そうに言いながら、会場の奥へ進む。


 人々は二人を見た。


 喜ぶ者。

 怯える者。

 興味を持つ者。

 そして、関わるべきではないと直感する者。


 だが、近づく者はいない。


 紅の魔術師。


 その名を知っている者ほど、軽々しく声をかけることはできなかった。


 そんな中、一人だけが近づいてきた。


 整った顔。

 隙のないスーツ。

 若くして企業の頂点に立つ者の歩き方。


 そして、綺麗すぎる笑顔。


「存在するだけで空間を支配する。噂以上ですね」


 男は笑った。


「お越しいただき、光栄です」


 紅は男の顔をまともに見ない。


「誰だ、貴様」


「申し遅れました。多々羅司と申します。ヴァルカンコーポレーションの代表を務めております」


「そうか。貴様がこの俺をこんな場所に呼んだのか」


 紅は近くの椅子に腰を下ろす。


「俺を見世物にするなら高くつくぞ」


「いえいえ。ただ、あなたに会いたかっただけですよ」


「なら残念だ。俺は貴様に興味がない」


 司は笑った。


 上品に。

 丁寧に。

 礼儀正しく。


 だが、その笑顔は薄い仮面のようだった。


「紅様。あなたはきっと気に入りますよ」


「何をだ」


「これから始まる、最高のショーを」


 司が腕を上げる。


 指を鳴らした。


 舞台正面の幕が開く。


 音楽が鳴った。

 ダンサーが舞う。

 光が散る。


 会場が拍手に包まれる。


 華やかだった。

 見事な演出だった。


 だが、紅とアリスだけは拍手をしなかった。


 やがて音楽が止む。


 ライトが消える。


 会場に静寂が落ちた。


 一つの足音が、舞台に響く。


 多々羅司が、舞台の中央に立っていた。


「皆様。本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」


 声がよく通る。


 会場の全員が、司を見る。

 その一瞬で、彼はこの場の主となった。


「本日の目玉は、我が社の最高傑作のお披露目です」


 司はゆっくりと会場を見渡した。


「人類は、常に平和を目指してきました」


 誰もが耳を傾ける。


「法を作り、警察を作り、軍を作り、魔導士を作った。争いを終わらせるために、人は何度も仕組みを作ってきた」


 司は微笑む。


「ですが、人類誕生から今日に至るまで、真の平和は一度として実現されていません」


 会場が静まる。


「なぜか」


 司の声が低くなる。


「人は、自由である限り間違えるからです」


 誰かが息を呑んだ。


「感情で殴り、欲望で奪い、恐怖で殺す。善意だけでは平和は守れない。理想だけでは犯罪は消えない。祈りだけでは、誰も救えない」


 司は大きく手を広げる。


「ならば、平和に必要なものは何か」


 ライトが一斉に舞台中央を照らした。


 そこにあったのは、脳の形をした電子機械だった。


 透明な管。

 淡く脈打つ光。

 無数に絡み合うコード。


 生き物のようで。

 機械のようで。

 どちらでもない何か。


 会場がざわめく。


 それは美しい最新機器というより、どこか人間の内側を無理やり外へ引きずり出したような異物だった。


「管理です」


 司はその横に立った。


「これこそが、我が社の最高傑作」


 彼は高らかに告げる。


「人工知能マルス」


 拍手が起きる。


 だが、その拍手にはまだ戸惑いが混じっていた。


 司は構わず続ける。


「マルスは都市全体を管理できます。いや、都市だけではありません。国家を、やがては世界を、最適化することすら可能です」


 司は自らの腕に装着されたマギマギアを掲げた。


「マギマギア。監視カメラ。交通網。警備ドローン。医療情報。金融記録。公共設備。契約魔導士の活動履歴。そして、我が社の製品と、偉大なる伊弉諾重工の技術」


 伊弉諾重工。


 その名が出た瞬間、会場の空気が少し変わった。


 魔導産業の巨人。

 現代社会の根幹を支える企業。

 その名は、ただの企業名ではなかった。


「それらすべてを、マルスが統合します」


 司は言う。


「犯罪が起きてから駆けつける時代は終わります。これからは、犯罪が起きる前に止める時代です」


 拍手が大きくなった。


「危険人物は行動前に発見され、暴力は発生前に抑止される。逃走経路は封鎖され、武装は無力化され、被害者が傷つく前に救われる」


 司は片足を引き、深く頭を下げた。


「人工知能マルスは、人類の悲願である平和をもたらすでしょう」


 会場が湧いた。


 拍手。

 歓声。

 笑顔。


 誰もが未来を見ていた。


 犯罪のない街。

 安全な暮らし。

 誰も傷つかない世界。


 誰もが、それを歓迎していた。


 ただ二人を除いて。


     *


 紅とアリスは、会場に背を向けていた。


「どう思う?」


 アリスが問う。


「ろくなことにはならないだろうな」


「あら。平和は嫌い?」


「平和なんぞ、人類がいる限り無理だ」


 紅は淡々と言った。


「人類の歴史は暴力と共にある。それを認めぬ限り、一生かけても平和には届かん」


「あなたがそれを言うと、平和よりもっと物騒なものを信じているように聞こえるわ」


「事実だろう」


「ええ。だから嫌なのよ」


 二人が出口へ向かおうとした時だった。


 前を、一人の男が遮る。


 多々羅司だった。


「どうやら、お気に召しませんでしたか」


「当然だ。茶番だな」


 紅は退屈そうに言う。


「だが、酒はよかった。次は飲食店でも始めたらどうだ」


「ええ。ぜひ検討させていただきます」


 司は笑った。


「ですが、まだ感想を語るには早いかと」


「ほう。まだ何かあるのか」


「ええ」


「俺を呼び止めるほどだ。貴様が芸でも見せるか?」


「いえいえ。私など、滅相もございません」


 司は、わずかに目を細めた。


「ショーは始まったばかりです」


 紅の視線が、初めて司を正面から捉える。


 司はその視線を受けても、笑みを崩さない。


 その笑顔は不快なほど丁寧だった。

 敵意も、恐怖も、憧れも、何一つ表に出さない。


 ただ、紅を見ている。


 観察するように。

 測定するように。


「まだまだ、お楽しみください」


 そして、すれ違いざまに囁いた。


「親愛なる、紅の魔術師様」


 司は会場の喧騒へ戻っていく。


 紅は振り返った。


 だが、司の姿はすでに人混みに紛れていた。


「あら」


 アリスが面白そうに笑う。


「興味を持ったのね。珍しい」


「ふん。俺があいつに?」


「ええ。その割には、私の手を離しているもの」


 紅は自分の手を見る。


 さっきまで握っていたアリスの手を、いつの間にか離していた。


「茶番は終わりだ」


 紅は帽子を深く被り直す。


「さっさと帰るぞ、アリス」


「つまらないの」


 二人は会場を出た。


 赤い車が夜へ走り出す。


 背後では、まだ拍手が鳴っていた。


     *


 そのころ。


 bar Emrys では、紬がカウンターに突っ伏していた。


「ほんっと信じられない。プリン食べたうえに置いていくとか」


「まあまあ。代わりに作ってあげますから」


 マスターが苦笑しながら、新しいプリンを皿に乗せる。


 紬はむくれた顔で、それを受け取った。


 その時だった。


 壁の小型モニターが、ニュース速報を映し出す。


『ヴァルカンコーポレーション、新型人工知能マルスを発表』


 紬の手が止まる。


 画面には、大きな会場が映っていた。


 舞台上で笑う多々羅司。

 脳の形をした電子機械。

 拍手する人々。


 そして画面の端に、一瞬だけ赤い車が映る。


「……なにしてんのよ、あの人」


 紬は眉をひそめた。


 画面の中で、司が語っている。


『マルスはまず、実証実験として東京都夕烙区に導入されます』


 マスターの手が止まった。


 紬も、ゆっくり顔を上げる。


『犯罪のない街。誰もが安心して暮らせる街。その第一歩を、夕烙区から始めます』


 ニュースキャスターの声は明るい。


 けれど、店内の空気は少し冷えた。


 夕烙区。


 それは、今この店がある街だった。


「……夕烙区って」


 紬が小さく呟く。


 マスターは何も言わなかった。


 ただ、静かにモニターを見ていた。


     *


 夜が深まる。


 夕烙区の街灯が、一斉に瞬いた。


 交差点の監視カメラが、音もなく向きを変える。


 コンビニの防犯カメラ。

 駅前の交通管理システム。

 路地裏の警備ドローン。

 ビル入口の認証端末。


 街に散らばる無数の目が、眠りから覚めるように動き出す。


 画面の中央には、夜道を走る赤い車が映っていた。


 人工知能マルスは、その運転席の男を解析する。


 数秒の沈黙。


 そして、無機質な文字列が表示された。


《対象識別完了》


《登録名:レイモンド・アークロイド》


《別称:紅の魔術師》


《危険度:測定不能》


 監視カメラのレンズが、赤い車の後ろ姿を追う。


《観測を開始します》


 その夜。


 人工知能マルスは、初めて紅の魔術師を記録した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ