第56話 番外編1 喧嘩するほど仲が良い(フレジット&キャロライン)
「こんの、熊女っ!」
「うるさいわねっひょろ男っ!」
「二人とも頭に辞書を乗せて廊下に立っていなさい」
「「ぎゃっ!」」
黒い不吉な靄がかかったようだ、と噂されたレイクリフ公爵の館は最近は明るいを通り越してとても騒々しい。
不吉な黒い靄だと思われていたものはただの汚れで、掃除が行き届くと、美しい館の姿をすぐに取り戻した。何か雑然とした印象を受けた庭もすぐに輝き、色とりどりの花が溢れ、ペムペム草は一本も見当たらない。乱れた樹形の庭木は流石にすぐに戻らないようだが、腕利きの庭師達が見苦しくないように刈り込み、洗練されている。
「なんじゃい? この扉」
「知らん。封鎖しよう」
庭の奥隅に隠されてつけられていた扉は壊され、誰も出入りが出来ないようになった。多分前からこの屋敷で働いていた者がいたならば、これが以前当主であったヘンリー・レイクリフやその妻が浮気相手の所に行くために使用した扉とか、盗みを働いた使用人達がこっそり街へ換金しに行くときに使った後ろ暗い通用門だと知っているだろうが、今、屋敷の中にはその当時の事を知る者はほぼいない。そういう輩はすべて解雇済みだからだ。
「やだわぁ、キャロライン様、フレジット様。また立たされているのですか?」
「ホント、仲が宜しくて羨ましい限りですわ」
「仲なんて良くない!!」
「羨ましいなら代わってあげるわ!!」
くすくす笑うメイド達にからかわれる二人は廊下で美しい姿勢を強要されたまま、また口喧嘩をしている。
「フレジットが悪いのよ!」
「はぁ? あの程度の事、覚えてない奴が悪いんだろ? その頭の中に詰まってるのはハチミツか?」
「キイイッ! 熊じゃないわよっ!」
キャロラインは悪態をつくが、その容貌は熊女ではない。艶々で白い肌に侍女達が若さを生かした薄い化粧を施し、栗色の髪もふんわり軽くまとめられている。偏った生活で太り気味だった体も細身を保っているし、猫背気味だったのに体もまっすぐ伸びている。
「まあ、最初より人間に近づいたけどな」
「最初から人間よ!!」
背中を丸め気味で敵意むき出しでぐるる、と低く唸っていたキャロラインはフレジットでなくても「熊!」と思った事だろう。だが、今はしっかり人間、いや令嬢に相応しい見た目だ。
「でも頭の中身はハチミツだ」
「うっ……なんであんな難しい物を覚えられるのよ……」
「母さんや姉さんは私よりもっと早く覚えるし、忘れないよ」
「アイーダ様やアイリーン様と私を一緒にしないで!」
「そうか」
「そうよ」
口喧嘩をしながらも二人は姿勢を崩さない。地位ある者は姿勢も大切だとアイーダからきっちり躾けられているからだ。
「それにしても母さんと姉さんは凄い……」
「知ってるわよ」
フレジットの口癖。本人は全く気が付いていないが「母さんと姉さんは凄い」。確かにフレジットの母親のアイーダはマナーに精通し、所作がとても美しい。そして姉のアイリーンは今はこのマルグ国の王妃で、その手腕を存分に振るっている。
確かにすごいのはわかる。しかし、その話をフレジットはどんな女性にもしてしまう。特にフレジットは自分の婚約者にもなんの悪びれもなく話してしまっていたのだ。何度も何度も聞かされる婚約者の気持ちはどうだろうか? フレジットにそんなつもりは毛頭なくとも、彼女たちは自分はどうせ駄目な女だと言われている気持ちになる。
そうしてフレジットは婚約者に逃げられ続けている。逃げる方にも問題はあったが、フレジットにも大きな問題があったのだ。
「でも、アイリーン様ってホント素敵。レンブラント殿下も可愛いし、紳士だし! あの殿下だけだわあ、私を令嬢として扱ってくれるのって」
「殿下とキャロじゃ釣り合わないもんな。殿下が素晴らしすぎて!」
「黙れ! この万年婚約者に逃げられヒョロ男!」
廊下から聞こえてくる二人の声にアイーダは大きなため息をついた。レイクリフ家の事を考えるとレイクリフの血を引くキャロラインとフレジットが結婚するのが望ましい。でもあの二人は顔を合わせるたびにああなのだ。
「キャロラインも頑張ってはいるけれど、勉強はまだまだだし。フレジットは頭でっかちになってしまって女性の事は全然わかってないし……」
アイーダが悩んでいる間も、キャロラインとフレジットはぎゃあぎゃあと喋り続けている。
「奥様、もしかしてなんですけれど」
「どうしたのかしら? リンディ」
疲れた顔のアイーダに少しだけ清涼感があるお茶を差し出して、メイドのリンディが声をかける。
「あのお二人、かなり相性が良いのではありませんか? そうでなければああやって何時間も何時間も喋っている事なんてできませんよ」
「……そう言えばそうね」
アイーダはマナーにばかり気を取られていた。しかしあの二人は罵り合いながらもずっと喋っている。傍から見ればとても楽しそうに。そして、気が付く。
「どちらかがどちらかを一方的に罵るのではなくて、平等だわ。それは二人が同じくらいという事……」
「ですから、悪くないのでは?」
「……そうかも」
もう少しだけ外に出しても恥ずかしくないように教育したら、あれはあれで良いのかもしれない。フレジットもキャロラインも根はとてもいい子だ。
「喧嘩するほど仲が良いって言いますものね」
「はい、奥様」
アイーダはお茶を優雅に一口。レイクリフ家はまだまだ騒々しいままでアイーダはまだまだ采配を振るう必要があるのだった。それでも心配事が減る気配がして、口元が少し安堵の形を取った。




