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27.忘れえぬ思い出にある真相は

 



 もう八年も前のことになる。

 生まれた世界にいた最後の時間、リッカは自宅の庭で作業をしていた。祖母の遺言通りに、祖母がその生涯をかけて慈しみ育ててきた薔薇を大切な人たちへ贈るための作業だった。

 贈答用にふさわしく優美に咲き誇った薔薇。その鉢植えの一つを抱え上げた時だ。ふいに、耳鳴りがした。視界は青紫がかった闇に塗りこめられ、身体から感覚が遠のき、自分が立っているのかも定かではない。貧血の症状に似ていた。

 しかし決して貧血どころの騒ぎではないことを、リッカは思い知ることとなる。

 身体に感覚が戻り、正気に返った時にはリッカは異世界にいた。

 その時にはもちろん、何が起こったのか分からなかった。いきなり変わった景色にとまどい、あたりをきょろきょろ見回す。

 恐ろしいほどに澄んだ青空、遠目に見える異国の建物、あたりはところどころに欠けた石柱のようなものが点在する草地だった。呼吸をするたびに入ってくるのは日本の気候とは違った、からっとした空気。爽やかな緑の匂い。

 リッカは膝の上に薔薇の鉢植えを抱え、草地に座り込んでいた。呆然と遠くをさまよっていた視線が手前に戻ってきて、ようやくすぐ傍に人がいることに気づく。

 美しい人が、横たわって眠っていた。

 野草の垂れた葉先がくすぐっているのは白いきめ細かな頬。伏せられた睫毛は金色にけぶる扇のようだ。繊細でいて長く、それが化粧品でつくりあげた作品でないことが信じられない。陽光にきらきらと輝く金色の髪も長く、背中の下にまで敷かれていた。

 野の花にうずもれた眠り姫。

 リッカは重い鉢植えを抱えたまま、おとぎの国へと迷い込んだ夢でも見ているのかと自答した。

 



******




「その後、起きた金髪美女が私を王立薔薇園まで連れて行ってくれたわけなんですよ。話しかけられても言葉がわからなくて、ぴぃぴぃ泣いちゃったんですけど、彼女は舌打ちしつつも手を引いてくれて……。優しい人だったなぁ……」


 うっとりしつつも語り終えたリッカだが、男三人は微妙な表情でしばらく沈黙していた。代表して口を開いたのはユーグだ。


「……薔薇の鉢植えを持っていたのか?」

「そうそう。薔薇が見事に咲き誇っているやつを」

「……水を差すようで悪いが、おそらくその女はお前を王立薔薇園から薔薇を盗んだ子どもだと勘違いしていたと思うぞ。でなければ薔薇園へ連れて行く道理がない」

「…………ええええっ!」


 リッカは半回転してユーグを見た。勢いが良すぎて垂らした黒髪がひるがえる。


「そんな、思い出をぶちこわすようなことを!」

「その女が親切心でお前を薔薇園に連れてきたと、そうメリザンド・メイエか庭師に聞いたのか?」

「いや……あの人は薔薇園の門番に何か言うと、すぐに去っていっちゃったし……言葉を覚えてから、あの人にお礼を言いたいって訴えても所長には『うん、ちょっとねホントにどこの誰だかわからない上に、リッカちゃんがそこまで恩に着る事態でもないというか、だからもう忘れていいというか』とか言われ……。当時の門番は口をつぐみ……」

「決定的だな。どうせロクなことを言わなかったのだろう」

 

 ユーグは大仰なため息をつきながら、そう結論づけた。

 そんな……とリッカは思いつつも、そうかと納得もした。思い当たる節がないわけではない。あの人が宝石のように美しい青の瞳を細めて、いぶかしそうにリッカを見ていたこと。舌打ちがやたらに多かったこと。拘束するように手首をつかんだ握力の強さ。リッカを盗人だと思っての反応だったと考えれば、自然である。

 だがあの人の心情がどうであっても、リッカにとって救いとなったのは確かだ。

 シェーヌ王都は日本ほど治安が良いわけではない。右も左もわからない、言葉も分からないリッカが異世界人として王立薔薇園に無事に保護されたのは、あの人のおかげだった。

 感謝していても罰はあたるまい、リッカなりにそう思った時、ふいに強い視線を感じた。

 目を向けると、今までほとんどこちらを見ようともしていなかった人物と目が合う。

 青騎士セルジュ・デュノア。

 彼の凍てついていながらも鮮やかな青の瞳が、じっとリッカに据えられていた。

 おぼろげな疑問が浮かび上がりかけ……そして神官ギーの能天気な声にさえぎられる。


「まぁとりあえず、リッカさんの話からその人物を探し出すのは無理そうということが再確認できました! あの条件がアグネシュカ様から提示されてから、メイエ所長側でも探していたみたいですがね……やっぱり八年前ということで無理でしょう。どんな美女を見たとしても記憶は薄れるもの。人間はそんなにはっきりと顔を覚えてられませんからねぇ。アグネシュカ様がリッカさんが最初に会った人物を『殿方』と断定していたのは気にかかりますが、この話はここまでにしましょう」

「貴様が話をふったんだろう、貴様が」


 苦りきった口調でユーグが毒づくが、ギーは晩餐用に整えた髪をぐしゃぐしゃに崩しながらアハハと笑うばかりだ。


「それじゃ館の探索を開始しましょうか。昼間の調査でもう怪しい場所は目星をつけてあるんですよ。僕、優秀ですから。邪術で隠されてる場所なんですけど、ここから近い方からまわりましょう」

「邪術を破りながら行くということか?」

「そうですね。小細工はしますが、最初のを無効化した時点で常にバレることを意識しといた方がいいと思いますよ? だから四人で行動します。マズイ時には手はず通り、ユーグ様とセルジュ様と名無しの影の力を頼りに全力で逃げ出します」 


 言いながらギーはやたらと重そうな荷物を抱え上げた。すぐにでも出る体勢だ。

 リッカは迷いつつも小さく手を挙げ、問いを投げかけた。


「……さらわれた子供たちの行方はどうなっていますか?」

「わかりません」


 これ以上ないほど簡潔にギーは答えた。しゃべりすぎるほどしゃべるギーが、こんな物言いをするとひどく違和感があり、リッカは居心地の悪いものを感じる。

 ギーは淡々と補足をした。


「現時点では何もわかりません。名無しの影が調べられる範囲内にいないことは確かですが、だからといって邪術で隠されたどの部屋にいるのか、予測がつかない。ですから僕は得られる情報の有用性と移動距離の短さから、近場の部屋を優先します」


 壁に点された灯りが丸メガネに反射し、人の良さそうな薄茶色の瞳を隠している。有能な神官、王国の利益を優先する者としてのギーの顔を確かにリッカは見た。

 子供たちの命よりも、情報収集を優先する。一切のごまかしなく告げられた決定がリッカの脳内で渦を巻く。それでいいのか、何か別の手立てはないのか、という言葉が喉元までせり上げ、すんでのところで留まる。この四人の中で一番の足手まといは自分だということを、リッカは痛いほど分かっていた。剣を取って戦えもせず、この状況で役立つ技能があるわけでもない。リッカは囮としてこの館へやってきた。自分の身すら守れないお荷物が、なんの代案もなく異を唱えることはどれだけ無責任なことだろうか。

 ユーグが夜会用の手袋を脱ぎ、実用的な荒い布地のものをはめ直しながら、黙り込んだリッカの前に立つ。


「できうる限りのことはする。……お前は自分が狙われているということを自覚して、用心することを優先しろ」

「……うん」


 リッカはうつむいたまま、顔を上げることができなかった。ユーグの声にまぎれもない労わりが込められていることが、逆にいたたまれない。危険地帯にいる中で気遣われているだけの自分に歯噛みする。

 視界の端でユーグの右手が持ち上がり……そしてぴたりと静止した。


「なぜ行方知れずの子供の安否などを気にかける?」


 冬の夜を連想させるような冷えた声が、思いもよらぬほど近くから聞こえた。声の方を見るとセルジュがリッカのすぐ傍まで来ており、腕を組んでリッカをしげしげと見下ろしている。


「……この作戦の目的は、さらわれた子供たちの行方を探ることだと聞きました」

「その通りだ。だがその生死は問題ではない。確たる証拠になりさえすれば、血まみれの遺骸であったとしても目的は達成される」


 その言葉に頬を叩かれた思いがした。

 ふらり、とよろめいたリッカの背をユーグが支える。


「……貴様は何が言いたい。セルジュ・デュノア」

「なに、あまりにも現状認識ができていないのが憐れでな。口が滑った」

「こいつを傷つけるためだけに口を開いたというのなら、俺にも考えがある」

「決闘でも申し込む気か? 任務中に私情を優先するとは白騎士も堕ちたものだ」


 背を支えてくれている大きな手のひらが、怒りのために震えるのをリッカは感じた。殺気が放たれて張り詰めた空気よりも、その手のひらから伝わる感情のうねりの方が心にしみて、リッカは大きく息を吸う。


「……今、問題にすべきは私のことなどではありません。ギーさん、最初に探索する近い方の部屋とはどこのことですか?」


 無理やりに話を探索のことに戻し、リッカはユーグを見上げた。驚いたように見開かれた美しい灰色の瞳と目が合う。うなずいて、微笑んでみる。大丈夫だからこれからのことについて話し合おう、そう伝えたつもりだった。

 だがしかし、ユーグの頬がたちまち赤らんで、視線はものすごい早さで逸らされてしまう。……リッカは地味にショックを受けた。


「あー、まぁリッカさんも尋ねてくれたことですし、探索も早く始めたいんで言いますよ?」


 ひらひらと手をふりつつ、珍しく難しい顔をしながらギーが続ける。


「まず探索に向かうのは、近場の隠し部屋。……おそらくはアグネシュカ様個人の隠し部屋です」




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