氷の皇女
スノウベル帝国。そこは一年を通して冷気に包まれた、北方の大帝国。冬になると一面白銀の雪原となり、夜になると時々オーロラが見られる。数ある北方の国の中でそのオーロラが一番美しく見える場所とされるのが、このスノウベル帝国である。街並みや王宮も白を基調としていて、その美しさから、他国からは「白銀の帝国」とも呼ばれていた。規律を重んじ、誇り高く、礼節を大切にする文化が深く根付いているそのスノウベル帝国の中心には、白い大理石と銀細工をふんだんに使った、まるで氷の城のような宮殿が聳え立っていた。大きなステンドグラスや煌びやかなシャンデリア、あちこちに雪の結晶を模した装飾が特徴な美しい皇宮内に、控えめなヒールの音が反響する。
「皇女殿下おはようございます」
使用人たちが、すれ違うたびに恭しく頭を下げて挨拶をする。ハニーゴールドの長い髪が、歩くたびにさらさらと流れる。窓から入り込む太陽の光を浴びて、より一層輝いた。ルビー色の瞳を縁取る長いまつ毛に、桃色の形のいい唇。まるで雪のように真っ白な肌。民からも絶大な人気を誇る彼女は、ミレーユ・フロスティ・スノウベル。このスノウベル帝国の第一皇女である。おはよう、と、微かに微笑みながら短く挨拶を返す皇女の背中を、使用人たちはぽぅっと眺めた。「ミレーユ皇女殿下、今日も美しい…」「笑いかけてくださったわ!嬉しい!」そんな色めき立つ使用人たちの声を背中に受けながら、ミレーユは颯爽と城の廊下を歩く。背筋の伸びた威風堂々とした佇まいは、いずれこの国の皇妃になるに相応しい姿とも言えた。
「アステリア、今日の予定は?」
「午前中は経営学の講義、午後からは慈善施設の視察が入っています」
手元の手帳を捲り、ミレーユの予定表を確認する。
「慈善施設…ああ、あそこね」
「はい。姫様が以前から気にかけていらっしゃるあの孤児院です」
スノウベル帝国は基本的に豊かな国だが、まだ十分な発展を遂げていない貧窮地があることも事実だ。食べるものに困る者、働く術がなくお金に困る者、親を亡くして孤独となり、行き場をなくした子供たち。はびこる犯罪。栄えた煌びやかな街の片隅に、そんな貧窮民が集う町が未だ存在していることに心を痛めているミレーユは個人的に慈善団体を訪れ支援したり、各地の貧窮地によく訪れている。大切な民だからこそ、幸せになってもらいたい。幸せでいてもらいたい。そんな強い想いを秘めている。その中でも特に行き場のない子供たちを保護する施設である孤児院はそんなに多くないため、もう少し増設することが最終の目標である。今ある孤児院も、資金が足りずに困窮しているところが多いと知り、なんとか力になろうと奮闘中なのだ。とりわけ今回視察予定の孤児院は建物自体がかなり古くてこのままだと崩れる危険があるため、早急に建て直す計画も同時に進行している。あと数日で工事も終わる予定だ。そろそろ次の段階に進もうと、進捗を確認がてら相談に行くのが今日の目的。元気にしてるかしら。孤児院で暮らす子供たちのことを思い出したのか、ミレーユの口元がほのかに和らいだ。
————……
午前中の経営学の講義を終え、昼食休憩を挟んだあと、ミレーユは孤児院へ向かうため、アステリアが手配した馬車に乗った。数人の護衛騎士を伴い、孤児院へと向かう。道中にアステリアがまとめた資料に目を通した。
マナーや読み書きを学ぶための教材や講師を担う人材の募集、小さな子供たちのための知育玩具、自由に体を動かせる広い遊び場などの確保、など、今後の課題は山積みだ。どれから手をつけるべきかの優先順位まで解説付きで丁寧にまとめてあり、非常に見やすい資料だった。
「相変わらず仕事が完璧ねアステリア。この資料、よく出来てるわ」
「お褒めに預かり光栄です」
嬉しそうに笑うアステリアに、ミレーユもふっと笑った。
幼い頃からずっと隣にいた、彼女の専属メイド。アステリア・ルーチェ。非常に有能なこのメイドは、ミレーユにとって大切な友でもある。城の中で唯一心を許せる使用人だ。彼女の作った資料を眺めながら、このあとの段取りを考えているうちに馬車は目的の孤児院へと到着した。
「あー!ミレーユさまだー!」
馬車から降りるなり、外で遊んでいた小さな子供がミレーユに気づき、駆け寄ってきた。一瞬身構えた騎士を目配せで静止させると、無邪気な笑顔で抱きついてくる子供を優しく抱き留めた。子供の目線までしゃがみ込み、久しぶりね、ユーリ、と、優しく微笑む。それを皮切りに子供たちがわらわらと集まってきた。
「こらみんな!礼儀正しく、っていつも言ってるでしょ!」
「皇女殿下、アステリア様!大変申し訳ございません!」
奥から駆け寄ってきた職員たちが深々と頭を下げる。その顔は青ざめている。大人からしたら、子供たちの無邪気な行いとはいえ一歩間違えれば首が飛ぶかもしれないのだから、当然の反応である。
「構わないわ。顔を上げてちょうだい」
「子供は元気が一番ですよ〜」
「アステリア〜だっこ」
朗らかに笑いながら、アステリアは抱っこをせがんできた小さな男の子を抱き上げた。嬉しそうに笑う男の子に、アステリアも笑い返す。ミレーユも群がる子供たちに優しい眼差しを向け、みんな元気だった?と、問いかけている。おそるおそる顔を上げた職員は、ほっと安堵したと同時に、皇女様って優しい方なのね、と、思い描いていたイメージとは少し違うことに驚きを隠せないでいた。ミレーユはその美しさとクールな性格から、氷の皇女。と呼ばれている。さぞかし冷淡で気難しいお姫様なのだろうと、彼女のことをよく知らない民はその言葉だけで好き勝手に憶測を立て、各々イメージを確立させていた。子供たちを見つめるルビー色の瞳には、冷淡さなど微塵も無い。だれが冷淡だ、なんて言ったのだろう。職員がそんな風に思っていると、ふいにミレーユが顔を上げた。ばちりと視線がかち合う。圧倒的な美しさに、はっと息を呑んだ。
「ジェニーはいるかしら」
「はっ!い、院長なら院長室にいると思います。ご案内します!」
「お願いするわ。アステリア、いくわよ」
「はい。」
またあとでね、と、子供たちに手を振ると、アステリアはミレーユに続き孤児院の中へと足を踏み入れた。




