午後のひととき
院長室をノックすると、ふくよかで優しそうな顔立ちの中年の女性が顔を出した。彼女が院長のジェシーだ。
ジェシーはミレーユの姿を捉えると、「ミレーユ皇女殿下、ご機嫌麗しゅうございます」と、頭を下げた。
「工事、順調に進んでいるみたいね」
「はい。おかげさまで…!本当にありがとうございます。ミレーユ様のおかげで、ようやくこの孤児院の存続も正式に可能になりましたわ」
「それはよかったわ」
この孤児院は建物自体が相当古い。しかし支援が足りずに修復さえもままならない状態で、ギリギリの運営だったため、国の行政機関から取り壊すことを告げられていた。それを知ったミレーユがここを訪れたのが3ヶ月前だ。直接目で見て、ここは必要な場所だと判断した彼女が自ら支援者として名乗り出たのが始まりだった。工事の手配や段取り、資材の確認調達などを整え、2ヶ月前に着手した建て替え工事は順調に進み、あと1ヶ月もしないうちに完成するだろうと報告を受けた。
「今日は子供たちに必要な物資の確認をしに来たの。アステリア」
「はい」
アステリアは素早く資料を配る。
そこには、最低限必要なものがずらりと並んでいた。
上から優先順になっている。
「個人的見解ではありますが、子供たちがのびのびと遊べる広い園庭を最優先事項にしております。ここの中庭はさほど広さもないように思うので、遊具を置くと走り回れる場所が確保できずに危険です。もう少し拡大したいのが本音なのですが…」
「はい、私共も同じ考えでした。ただ…」
ジェシーもアステリアも言い淀む。そうしてみんな揃って、窓の外から中庭を眺めた。とても広いとは言えない庭は整備もされておらず、大きな石、ところどころに空いた穴などが目立つ。思いっきり走るにはいささか狭く、そして障害物だらけで危険だ。転んで怪我をする子供が続出するのは確定だった。外でたくさん遊んで、自然と触れて様々なことを学んでいく。それは子供の成長には欠かせない。しかしここではとてもそんな風には遊べない。どうにかして遊ぶ場所を確保したいが、ここを広げるにしても限度がある。どうするべきか職員、及び院長とアステリアの意見が飛び交う中、ミレーユは一人黙考していた。
「…拡大するのが難しいなら、新しく作ってもいいのではないかしら?」
「…新しく、ですか?」
「ええ。ここから少し離れたところに子供たちが安全に遊べる場所を作るの。そんなに遠くない場所だから、少し遊びに行く程度に留められるし、森に近い場所なら自然に触れることもできるのでなくて?」
「確かに…!」
「けれど、空いている土地があるかどうか…」
院長らが思案顔をしている中、アステリアがミレーユにこそっと耳打ちする。
「姫様、この近くならレオンハルト様が所有されている土地がございます」
「……レオンハルトの…」
ほんの少しだけ逡巡したミレーユだが、すぐに顔を上げ、「そうね。レオンハルトに頼んでみるのもいいかもしれないわね」と、頷いた。そうしてアステリアに、彼に面会の約束を取りつけるよう指示すると院長らに向き直った。
「少し時間をもらえるかしら。ツテがあるから、協力してもらえないか頼んでみるわ」
「もちろんですわ!よろしくお願いいたします…!」
また連絡する旨を伝え、本日の視察を終えた。深々と頭を下げる職員らに見送られ、ミレーユたちは馬車に乗る。子供たちが「またきてね!」と、元気に手を振った。笑顔で振り返すと、馬車はゆっくりと動き出した。
「姫様、お疲れ様でした」
「ええ、あなたもね」
「このあとの予定は特にありませんので、お城に着いたらティータイムにしてはいかがですか?」
「…そうね、そうしようかしら」
「美味しいお茶とお菓子、用意します!」
「楽しみにしてるわ」
それから城に着いたミレーユは自室に戻り、着替えを済ませる。少ししてからティーポットとカップ、クッキーなどの軽い焼き菓子を乗せたワゴンが到着した。目の前で紅茶を淹れてくれるアステリアの見事な手つきに見惚れる。ミレーユは彼女の淹れる紅茶が大好きだ。アステリアは紅茶やハーブなどの知識が豊富だ。その優れた知識と技術を駆使して、いつもミレーユの体調やその日の気分、お菓子に合うもの、などを考慮した最良のものを淹れてくれる。
部屋にふんわりと立ち込める紅茶の香りに、ほっと心が和む。カップにミルクを一滴落とす。途端に琥珀色は、アステリアの髪の色とよく似た淡いグレージュに染まる。ミルクティーだ。目の前に置かれたティーカップを手に取り、さっそく一口含む。濃厚な甘みとコクがふわりと口の中に広がった。
「アッサムね」
「はい。さすが姫様」
アッサムはミルクティー向けの代表格とされる紅茶だ。その紅茶の渋みやコクが口の中をすっきりさせてくれるため、クッキーなどの焼き菓子ととてもよく合うとされている。アステリアの影響でそこそこ紅茶にも詳しくなっているミレーユは飲んだだけで、それがどの種類の茶葉かを当てられるほどだ。クッキーを摘み、ぱくりと食べた。さく、と、小気味良い音を立てて崩れていく。香ばしいバターの香りが鼻を抜ける。優しい味わいのクッキーは甘すぎずくどすぎない。あっさりとした味がミレーユ好みだった。そうしてまた紅茶を一口。ほぅ、と漏れるため息は、幸せに満ちていた。満足そうな皇女を眺め、アステリアもまた満足気に微笑んだ。日々忙しく、なにかと人の目にさらされている皇女という責任ある立場から、少しでも解放してあげられる瞬間のお手伝いができることが、アステリアの最大の使命だ。(もちろんこれは本人がそう思っているだけで、誰かに命令されたからなどではない。)
リラックスしている様子のミレーユが、ふいにアステリアに目を向けた。
「あなたも一緒にどう?」
突然誘われ、困惑する。メイドが高貴なる姫と共にお茶をするなど、あってはならないことだ。いくら親友のような二人とはいえ、アステリアはそこはきちんとわきまえているつもりだった。しかし、ミレーユはあまりそういったことを気にしない。身分というものに拘りがないと、前に言っていたのを思い出す。仮にもこの国を担う皇妃となるお方なのに。困った人だ、と。苦笑いを浮かべた。
「誰も見ていないし、たまにはいいじゃない」
「うーん…」
それでも渋るアステリアだが、ミレーユは諦めない。
「昔はよく一緒にお茶したでしょう?」
「まぁ、子供でしたからね」
「今もたいして変わらないでしょ」
「!?私、もう大人ですよ!」
「うふふ。そうやってムキになるところよ」
「〜〜!ミレーユ様のいじわる!」
「ほら座って」
「……メイド長に叱られたらミレーユ様のせいですからね。」
ミレーユの粘り勝ちだ。観念したようにため息をついたアステリアは、お邪魔します、と、彼女の前のソファへと腰掛けた。そうして嬉しそうに笑うミレーユにすすめられるがまま、クッキーを摘むのだった。




