第6話
「宝くじ」
焼き上がって冷めたパウンドケーキを均等に切り分けながら、驚いたように店長が繰り返した。
「それは幸運ですね」
「ああ、まあ」
一体いくら当たったのか。さすがにそれにはちょっと興味が引かれる。
老人はなんとも言いにくそうに、
「まあ、200万なんですけどね」
とまた白髪頭を撫でた。
聞かずとも明かされた答えに、「微妙な金額だな」という感想が率直に浮かんだ。
いやもちろんもらえるなら嬉しい。
けれども。使おうと思えば苦労せず使い切れそうなくらいの金額である。
「妻に先立たれて独り身でしてね、子供もいなくて、町内会くらいでしか人付き合いがなくて」
皿に残ったクッキーのカスを指で集めながら老人は言う。
「まあ、年金暮らしにはありがたいんですが、いちおう貯金もありまして、一人で贅沢するっていうのもあんまり性に合わないんですよね」
「いやあ、羨ましいですよ。無いよりあったほうがいいですよね、お金は」
切ったパウンドケーキをガラスの四角い容器にきれいに詰めて、店長は蓋をした。
どこまで本気で言っているのか全くわからない微笑をたたえている。
「それで……同じ町内の仲間にですね」
言いにくそうに老人は続ける。
「少し、生活の苦しいやつがいまして。今も遠くに住む息子さんに仕送りしてるそうなんですよ。それが結構負担みたいでですね」
その仲間というのは恐らく老人と同世代だろうが、何歳の息子に仕送りしているのだろうか。
老人はジャンパーの懐をごそごそとやる。
薄い手帳から大事そうに宝くじを1枚、取り出した。持ち歩いているようだ。
さっき、周りは畑ばかりのところに住んでいるとこの老人は言っていたが、最近は田舎でも強盗が多い。
でも落とすといけないし、家に大事に保管しておいた方がいいのでは……
──いけない。
すっかり手を止めて話を聞いてしまっている。
まるで俺まで彼の秘密を知りたいみたいだ。金の話には興味を持つなんて、自分が俗っぽいやつに思えてしまう。いや別に、俺は聖人でもなんでもないが。
やることを探す。が、開店したばかりでまだ片付けるものもない。仕方がなく水差しを持ち、あまり減っていない彼のグラスに水を足しに行った。
「ありがとう」と丁寧に礼を言われ、少し複雑な気分でキッチンに戻る。
水を一口飲んだ老人は、置いたグラスをじっと見つめた。
「それで私は、その仲間に少し……融通しようかなと思ってるんです」
「お金を?」
店長の問いに老人は「はあ」と煮え切らないような返事をする。
「寄付とかも考えましたが、顔を知らない人達よりは、身近な人の助けになる方がいいかなと、個人的には思いまして」
しかし、と老人の表情が沈む。
「まあ、他の仲間に知られてしまうとそいつがずるいって思われるかもしれんですし、そいつのプライドってものもありますでしょう。自分にくれって言ってくるやつもいるかもしれん。だから、これまで当たったことを、誰にも言えずにいました」
老人は寂しそうに宝くじを見つめているが、彼の懸念はそのとおりだろうと思う。
店長も頷きながら、
「言わなくて正解だと思いますよ、僕は。お金が絡むと人は変わることもありますから。宝くじに当たったことは、家族にも言わない方がいいと聞いたことがあります」
ケーキのクズが散らかった調理台を布巾で拭っている。
選択を肯定する店長の言葉に、老人は「ですよね」と小さく呟いた。
「老後の数少ない友人なもんで、余計なことはせん方がいいでしょうね」
コーヒーを飲み切った老人は溜息をつき、テーブルに置かれたひび割れたスマホをそっと撫でた。
「でも、妻がいれば、一緒に喜べたと思うんです」
それからほんの少し、口端を上げる。
「あいつは旅行が好きでしたから、200万じゃ足りないくらいかもしれませんがね」
それから言葉を止め、宝くじをまた丁寧に手帳に挟み直した。
「寂しいもんですな。幸せな話も分かち合える人がいないっていうのは」
「僕達が聞きましたよ。ここは、そういう場所ですから」
老人は何かを噛み締めるようにしてから微笑み、手帳を懐にしまう。そして代わりに小さな革のコインケースを出す。
「お客様。お代は結構です」
店長はカウンターから店内の方に出てきて言った。
「お客様の貴重なお話が、ここでの対価になりますから」
テーブルの上、空になったカップのすぐそばに、薄紫色の宝石が転がっている。小梅くらいの小さなものだ。
それを見たときの店長の目が、一瞬すっと冷たくなったような気がする。
……値踏みするような目だ。
不思議そうな顔をする老人に多くは説明せず、店長はごく自然な流れで緑色の扉へと促す。
「ご来店ありがとうございました」
腰を折る店長の横で、俺もおざなりのお辞儀をした。
「ここ行けば、帰れるんですかい?」
「ええ、迷うことはありませんよ」
「はあ……」
どこか呆けたように外を見つめていた老人は、宝くじをしまい込んだ懐にジャンパーの上から触れる。
「しかし、なんだか胸のつかえが取れたような気もしますな」
「そういう場所ですから」
店長は隙のない笑顔でもう一度その台詞を使った。
「宝くじ。お客様がご納得できる使い道があることを僕も願ってますよ」
老人はさっきよりも少し明るい表情でこちらに軽く頭を下げ、陸と空しかない殺風景な景色の中へと歩き去っていく。
その後ろ姿はすぐに掻き消えるように見えなくなった。
店長はさっさと老人がいた席に戻り、秘密が結晶化した宝石を摘み上げる。
「小さいし、色も薄いねえ」
それが鼻で笑ったように、俺には聞こえた。




