第4話(第一章最終話)
「売り上げあったんだねえ、昨日、僕が出掛けてから」
翌朝、店に出勤してきた店長は、金庫の中から取り出したマーブル柄の缶を開けて言った。
中には砕いたような光を反射する様々な色形の宝石達──
昨日の店の売上だ。
その中には俺が聞いた女性の秘密である薄青い宝石も入っている。
現金の売上もあるが、それは金庫内に別で保管されている。
「まあ、ひとりだけですけどね」
今は朝の開店準備の時間だ。
店長は朝に焼き菓子を作るからその手伝いをしている。作る方の戦力にはなれないので、ボウルやらヘラやら秤やらの道具を並べ、冷蔵庫から材料を出す。
窓に目をやると、あれだけ深い闇だった外も、この時間は白んでいた。
「ちゃんと話聞いてくれたんだね、偉い偉い」と店長は自分の口髭を撫で、また缶に蓋をする。
「いや別に、聞きたかったわけじゃないんすけど」
手を洗いながら店長はくすりと笑った。
「いいんだよ。聞いてくれるかどうかはみんな大して気にしてない。とにかく、誰にも言えないことほど誰かに話したいだけさ」
そしてクッキーの生地作りに取り掛かる。
「特に外では、情報の取り扱いには注意しないといけないみたいだからね。それが嘘でも真実でもすぐ広まるみたいだし、情報源も特定されやすくて、噂話もうかうかできない。そんな感じかな?」
「まあ……そんな感じかもしれないですね」
ネットの力で情報はあっという間に拡散する。人の口には戸は立てられないというし、“ここだけの話”がここだけにならないことは珍しくない。
でも、大抵の人は、秘密を抱えておくことにストレスを感じる。
「まあ、だからこそ、そんな話には価値があるみたいだけどね」
店長は何でもないことのように言う。
この喫茶店は、サービスを提供し、代わりに人の秘密話を受け取っている。
店の扉を小刻みにノックする音が響いた。
まだ開店前だ。
「集金だねぇ」
店長はクッキーの生地をヘラで混ぜながら、俺に目配せをした。
俺は売上の宝石が入った缶をからからと言わせながら入口へと持って行く。
扉を薄く開けると、ぬうっと青い腕が一本、店の中に伸びてきた。
骨があるのかもわからないしなやかな動き。温度を感じられない皮膚。
その青色はとても鮮やかだが、綺麗というよりも毒を持つ生物のような不気味さがあって、近づくことにいまだに緊張してしまう。
異様に長い4本指を持つその手に缶を渡すと、それを持ってまた外に引っ込んでいく。
ややあって、空になった缶だけがまた青い手によって返された。
「……どうも」
いちおう声をかけるも何の反応もなく、腕は扉の向こうにするすると帰っていき、やがて外にいる何者かの気配は消えた。
なんとなく詰めていた息を吐いた。
空になった缶を持ってキッチンに戻る。
店長は次にパウンドケーキの生地作りを始めていた。クッキー生地は冷やしているのだろう。
「ありがとね」
粉をふるいながら店長が言う。
「昨日も、西くんが店番してくれたおかげでコーヒーの講習会に行けたし。ほんと、いてくれて助かるよ」
「……店長」
空き缶を金庫にしまい込んで立ち上がった。
「あとで……コーヒーの淹れ方、教えてもらえませんか」
店長は手を止め、俺を見た。
青銅色……とでもいうのか。灰色がかった青緑色の瞳には、不思議と冷たさと温かさが同居して見える。
「ココアだけだと、一人の店番のときにちょっときついっていうか。だからそろそろ俺も」
「コーヒーについては僕もまだまだ修行中だから」
店長は微かに苦い笑いを浮かべた。
「そのうちにね」
「……」
雰囲気は柔らかいが、鼻先で扉を閉められるような拒絶を感じる。
俺がいて助かるよ、と言いながら、店長は俺に多くを教えない。
それは「見て覚えろ」という昔ながらの指導法というわけでもなく、店長は俺がここでの知識を必要以上につけることをよく思っていないからだと思う。
どうせ君はここに長くはいないから。
その横顔が、そう言っているように見えた。
「……店の外、掃いてきます」
よろしく、という店長の優しい声を背に聞いて、俺は店の奥から外掃用の箒とちりとりを出して、緑の扉を押し開けた。
外は明るい。
太陽が照っているわけではなく、ただ明るい。
ある程度すればまた暗くなる。それは店長や俺みたいな、ここにいる者達の時間の感覚が狂わないようにするための配慮らしい。
──変なの。店員さんなのに、“らしい”ばっかりで
昨日の彼女の言葉が蘇り、自嘲にも似た笑みが浮かぶ。
2ヶ月が過ぎたが、俺はここのことをほとんどわかっていない。
2ヶ月経っても俺の髪も爪も伸びない。特に腹も減らない。
昼夜らしきものはあっても、ここでは本当の時間は流れていないからだ。
辺りには何もない空と大地が広がっていた。
世界を作ろうと思ったけど、途中で飽きて放り出されてしまったみたいな、そんな投げやりな景色だ。
それでも俺はここにいられて幸運だ。
接客も苦手だし、掃除だって好きなわけじゃないが……このままずっと居続けられるのなら、まあ頑張ろうとは思う。
店の前には掃くほどの塵もないが、いちおう形だけ掃除をしておく。
店に戻ろうとした時、微かな足音が聞こえた。
振り返ると、辺りをきょろきょろと不安そうに見回しながら歩いてくる老人が少し先に見えた。
──看板もないこの店には、今日も客が来る。
迷い込んでいるのか、誘い込まれているのか。
誰もが何かしらの秘密を抱えて。
閉じ込めるほどに溢れ出しそうになる「語りたい」という欲求を携えて。
俺は別に聞きたいわけじゃないけれど。
やがて、老人は俺の存在に気がついたらしい。覚束ない足取りで近づいてくる。
開店時間まではまだ少しあるが、最低限の接客マナーとして、俺は最低限の愛想笑いを作ってみせた。
「いらっしゃいませ」
──────
第一章 完




