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間章


「ククルズ運送でーす! お荷物お届けに参りましたーって、あれ?」


 帽子を取って丁寧にお辞儀した後、頭を上げた女性は俺を見て目を丸くした。

 大きな瞳は空を吸い込んだかのように澄んだ青色をしている。

 その目で、上から下まで俺をじろじろと見回した。


「おやおやー? どちらさまですか?」

「え、み……店の手伝い、っていうか」

 俺が答えようとしている間にも「店長さんはどこです?」と店の中を覗き込もうとしてくる。

「出掛けてます、今……俺が店番してて」


 女性……俺と同じか少し歳下くらいに見える。

 店長と客以外にここで出会った初めての人間だ。初対面の人と話すのは苦手だ。

 何かを考えるように俺を見つめたまま、自分の顎を指でつまんでいる。


「あの、荷物、受け取ればいいんですよね。店長から聞いてます」

「あーそうですね。じゃ、伝票にサインをお願いします!」


 女性は作業着のポケットから折り畳まれた紙を取り出してペンと共に俺に渡した。


「私は倉庫にこれらを入れてきますんで」

 

 そう言って帽子をかぶり直し、重そうな台車を力いっぱい押していく。

 俺は急いでサインをして、その後を追った。


 倉庫の入口はシャッターが閉まっている。

 

「今開けます」

 

 配達員の女性にそう言って、シャッターの溝に手を掛けた。しかし……全く持ち上がらない。


「あれ? な、なんで……」

「ちがいます。ちがいますよー」


 女性は笑いながら台車にストッパーをかけ、倉庫の横に足を運ぶ。

 すぐに戻ってきた彼女の手には、細長い金属の棒。


「これをー、こうしてー。あ、手離してくださいね」


 言われたとおり俺はシャッターから手を離し、一歩退いた。

 彼女はシャッターの上部にある穴にその棒を差し込んで少し動かすと、シャッターががらがらと音を立てて勝手に上がっていく。


「こんな感じですかね!」

「あ、どうも……」


 得意気な彼女とは対照的に、俺はこの店への自分の知識の無さにちょっと凹んだ。

 彼女は勝手知ったように倉庫の明かりをつけて台車を押し込み、重そうな箱を持ち上げて運んでいく。

 それを見て俺も台車から「砂糖」と印字された箱を抱えた。


「あら、私の仕事なのに、悪いですよー」

「いえ、これくらいならできるんで」

「あららー、すみませんね」

 

 しかしながら、何をどこに置けばいいのか、倉庫の中の配置がまったくわからないことに気がついた。

 結局彼女に指示されるがままに運んだ。




「助かりましたー、ありがとうございました!」


 脱いだ帽子で顔を仰ぐようにして、彼女が言った。


「いえ……」


 感謝はされたが、結果的に彼女の手間を増やしてしまっただけのような気もする。


「じゃ、閉めましょっか」


 そう言う彼女と共に倉庫の外に出た。

 やかましい音を立ててシャッターを閉める。

 空は夕暮れだ。店長はそろそろ帰ってくるだろうか。


 トラックの荷台に台車をしまい、運転席に乗り込もうとした彼女は「伝票伝票」と慌てて戻ってきた。


「と、ペンも」

「あ……すみません」


 ポケットに押し込んでいたサイン済みの伝票とペンを彼女に返す。

 

「西さん、っていうんですね」

 伝票を見て彼女は言った。

「私、ククルズ運送の配達員のオストリーって言います。ここらへんの担当なんで」

「はあどうも……」


 生返事をしながらも、“ここらへんの担当”という言葉を考える。そう言うからには、他にも担当がいて、この空間はもっと広いということだ。


「いつからですか?」


 伝票を丁寧に胸ポケットに入れながら、彼女……オストリーは尋ねた。


「え?」

「お店のお手伝い」となぜか腕を振って走るような仕草をしてみせる。

「……10日、くらい前ですけど、大体」


 まだ、それくらいだ。店長はあまり教えてくれないし、知らないことが多くても仕方がないと自分に言い聞かせるが、情けなさはある。 

 目の前の彼女は、いろいろと知っていそうだ。訊けば答えてくれるだろうか?

 でも、訊いて、知ったところで俺はどうしたいのか。

 俺はここでの生活に不満はない。


「それじゃ、何か作れます? 飲み物」

 言いながらオストリーは店の入口に向かう。

「え……」

「今日の分はここで配達最後なんで、何か飲んで休んでから社に戻ろうかなーって」

「……」


 俺が黙っていたせいか「全然お水でいいんですけど」と振り返って言った。


「いや、ココアだけならいちおう」

「ココア」

 オストリーは顔を輝かせた。

「冷たくてうんと甘いやつ、お願いします!」


「はい」と俺は店の扉を開けた。



 何度かの練習を経て、「ココアなら提供していいよ」と店長から許可をもらっていた。

 しかし一人で店番するときに作るのは初めてだった。

 練習よりも手つきがぎこちなくなってしまう。

 オストリーはカウンター席にいる。

 自分の手際を見られているような気がしたが、さりげなく確認すると、彼女は帽子を脇に置いて頬杖をつき、ぼうっとしているだけだった。


 少し安心して、彼女の要望どおり、ココアに砂糖をかなり多めに投入して掻き混ぜた。


「おお」

 クリームをたっぷり盛りつけたアイスココアを持っていくと、オストリーは嬉しそうな声を上げた。

「クリーム、いい感じですねー。店長さんのよりセンスを感じます」

「そうっすかね…」

「ですです」と頷き、オストリーはスプーン大盛りの生クリームを口に入れ、すぐにココアを飲む。


「染み渡るー」

「甘すぎませんか」

「全然ちょうどいいです。西さんは元はお客さんですか?」


 唐突な話の繋ぎ方に、俺の口からは「へ?」という間抜けな声が出た。

 オストリーは少し飲んだ後、ストローでココアとクリームを混ぜ合わせている。


「ここにいるってことはそうですよね? 10日前から?」

「……」

「あっ、別にだからどうこうってわけじゃないんですけど」

 オストリーは顔の前で手を振る。

「でもでも私個人としては、あまり長く居ない方がいいかなーと思いますけど」

「……それは、どうして?」

「いち経験者としての意見ってやつですかね」


 オストリーの青い瞳が俺を見上げている。


「あなたも……元はお客さんってことですか」

「です。ここのお店じゃないですけどね」


 彼女はごく軽く頷き、唇の端についたクリームを指で拭った。


「長くいると、秘密も秘密じゃなくなるっていうか、秘密にしようって気持ちも薄れちゃうんですよね、たぶん」

「そうすると……」

「帰れなくなります」 


 オストリーは全く重々しくない口調で続ける。


 秘密にしたい気持ちが薄れる日が俺に来るのか。まったくそうは思えないが。


「それだけじゃなくて、なんでここにいるのかもだんだんわからなくなって、与えられた仕事をただこなすだけの存在になっちゃうんです、たぶん」

「それは君も……うちの店長も?」


 オストリーは「さあどうでしょう」と微笑むだけだった。


 彼女の言葉はやんわりとした警告なのかもしれないが、

「帰れなくても俺はいいんで」

 使った鍋を水に浸けながら言った。

「俺、ここにずっと居たいから」

「なんでです?」


 オストリーは責めるでもなく首を傾げた。


「それは、言えない」

「なるほど」とオストリーは大きく頷く。

「それ自体が西さんの持つ秘密に関わってるってことですか」

「……」


 他人が興味を持つほどの価値も、他人に明かすほどの価値もない話だ。


「あなたは、いつからいるんですか?」

 逆に訊いてみる。

「私ですか? 私はー……」

 オストリーは考えるようにぐるりと青い目を上に向けた。

「どれくらいでしょう。途中から数えるのをやめてしまったんで、よくわからないですね。あはは」


 冗談という雰囲気ではなかった。

 音を立ててグラスの底までココアを飲み切り、オストリーは満足そうな息を吐いた。

 その時「ただいま」と、扉が開く音と共に、革鞄を手に提げた店長が入ってきた。


「あ、オストリーちゃん。どうも」

「店長さん」とオストリーはするりと椅子から降りた。

「これはこれはのんびりしてしまいましたね。私、社に戻ります」


 オストリーは腰のポケットに手を突っ込み、札と、じゃらじゃらとした緑色のものをカウンターテーブルに置いた。たまにしか見ないが、こっちで使われる現金だ。


「お釣りは結構ですよ」

 店長と入れ替わるようにオストリーは扉に向かう。

「その代わり私が休憩してたこと、“秘密”にしてくださいね」


 冗談めかしてそう言って、彼女は店を出ていった。

 扉が静かに閉まる。

 店長はカウンターの椅子に革鞄をそっと置いた。


「オストリーちゃんと話せた? 良い子だよね、あの子」

「倉庫の開け方を教えてもらいました」

 

 そう伝えると店長は笑った。


「あの……どうでした? えっと、店長会でしたっけ」

「ほとんど他の店長との雑談みたいなものだよ」


 それから「ああ」と思い出したように鞄に手を突っ込む。

 取り出したのは分厚い冊子。


「店長会の資料だよ」


 差し出されたその表紙には『相手の心を開かせる会話術』とあった。


「……」

「専門講師の人が来てね、軽く研修もあったんだ。読んでもいいよ」

「……結構です」


 俺の返事に店長はまた笑った。


「確かに、西くんには必要ないかもね」


 

 俺には学ばずとも話術があるという意味なのか。

 まさかそんなはずはない。

 そんな技術を身につける必要がないというのは、店長は、俺がここで長く働くことを想定していないからだ。


 店長のその言葉は小さなささくれのように目立たず、それでも確かな痛みを伴って、今も残り続けている。

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