第10話
「ぜひ聞いてくれませんか? オレの話」
ほとんどの客は、秘密をまるで罪の告白かのように、重々しく、躊躇いながら口にしていた。少なくとも俺にはそう思えた。
しかし、目の前の少年は話したくて仕方がないという様子だ。
「もちろん聞くよ」
コーヒーをゆっくりと飲みながら、店長は頷く。
俺は氷をたっぷりと入れた背の高いグラスに出来立てのココアを注ぎ、生クリームを自分なりに品がよいと思える形に絞り出す。
ココアの粉末をまぶし、ストローと細長いスプーンを添えた。
席にココアを持って行くと、「こういうの好き」と少年は子どものように目を輝かせた。
スプーンも使わずクリーム部分にかぶりつく姿に、店長も苦笑いをしている。
俺はトレイだけを持ってキッチンに戻った。
「それで、オレの話なんすけど──」
少年は嬉しそうに話し始めた。
──道端の自転車のタイヤを、通りすがりにこっそりパンクさせる。
それが彼の秘密だった。
確かに世間を騒がせた未解決事件の真犯人なんかではない。
しかし確実に、加害者側の話だった。
最初は5台を目標にして、と少年は思い出すように言う。
「その最初の5台はかなりどきどきしてやりましたよ。でもその目標を達成すると、あれ、意外と簡単かもって。毎日ちょっとずつやって」
店長は特に表情を変えず、マグカップを置いて自分の口髭を撫でていた。
「それで今日、50台達成したんです。すごくないですか?」
なぜか俺の方に確認の視線を投げてきたが、どう反応すべきかわからない。
「……なんで、そんなことを」
代わりに出たのはそんな問いだった。
しかし言うべきじゃなかった。俺は誰かの話に介入するつもりなどないのに。
「それ」と少年は困ったような笑顔を浮かべて、スプーンの先で俺を指し示した。
「聞かれると困るんすよ。ちゃんとした理由はなくて。たぶん……初めは、ストレス解消ですかね。学校とか部活とか塾とか、色々あるじゃないすか。パンクがうまくいくと、ちょっとすっきりっていうか、やってると癖になっちゃって」
ココアを勢いよく混ぜて、氷ががちゃがちゃと音を立てる。その音がやけに耳につく。
「ここ最近はもうゲーム感覚っすね。全クリしたい的な?」
再び俺を見る。賛同を求められているような気もするが、その視線に気がつかないふりをして、出しっぱなしにしていたココアの瓶を定位置に戻したりする。
「オレ、学校とかではうまくやってる方なんで、まさか連続チャリパンク犯だなんて絶対にバレるわけにいかなくて」
「でもだからこそ、誰かに言いたいんですよね?」
しばらく黙っていた店長が口を開いた。
「そうなんです!」と少年は強く同意した。
「誰も知らないと、オレがやったことが全部無、みたいな気がして虚しいっていうか。いや、ほんとにバレたらまずいんですけど、でも誰も知らないのは悔しくて。だからここで言えてすっきりしました」
少年はとてもいい顔でココアを飲みきった。
「あー満腹、満足」
「それは良かった」
店長は静かに微笑む。自分の空になったマグカップをシンクに置いたので、俺はすぐにそれを洗い始めた。
何でもいいから手を動かしていたかった。
少年は椅子から降りて、大きなバッグを肩にかける。
「んじゃ、そろそろ帰ります。帰れるんですよね?」
尋ねながらも、少年に心配しているような様子はなかった。肝が据わっているというのか、怖いもの知らずというのか。
「うん、対価ももらったから」
「対価」
少年が店長に合わせて視線を落とすと、白く艶のある石のカウンターテーブルの上には、拳に収まるくらいの藍色の宝石が置かれていた。
俺がこの店で見たものの中では一番色が濃い。
少年はそれをつかむと、くるくると角度を変えて眺める。
「これが対価? これ、価値あるんすか? オレめっちゃ食ってましたけど、足ります?」
「十分だよ」
店長がキッチンから出てきて、少年から宝石を受け取った。
少年はポケットから自転車の鍵を取り出すと、指に引っ掛けてくるくると回す。
「次は100台達成したらまた報告に来たいですね」
「残念。一度しか来られないらしいんだよ、ここには」
「えー」
店長は口髭を撫でて微笑み、やや残念そうな少年に向けて腰を折った。
「ご来店ありがとうございました」
少年は「ごちそうさまでした」と礼儀正しく言った。
俺はキッチンから出て、店の扉を開けてやる。
少年と共に、店の外に出た。扉に掛けられた札をクローズにするためだ。
空はペンキでも塗りたくったように真っ暗で、温かくも冷たくもない微かな風が吹いている。
「雲もないのに月も星もない」
少年は空を見上げた。
「何かハリボテみたいっすね」
俺が返事をしないのを特に気にも留めず、少年は店の脇に停めた自転車の鍵を開けている。
「──あの」
そんな少年を見ながら、つい声をかけていた。
「パンクさせるとか……やめたほうがいいんじゃないかな」
「え?」と自転車に跨った少年は顔を上げた。
「なんか、大きな事故とかにつながったら、まずいと思う。それで誰か……亡くなったりとかしたら、嫌じゃない?」
自分の口に違和感がある。
客の話を聞き流して終わりのはずだ。それでいいはずなのに。
「えー」と少年は困ったような笑みを作る。
「でもほら、事故とかって、色んな不運が重なって起きるもんじゃないすか? オレがやってることは別に大したことないっつうか」
「何か起きても、君は、自分のせいだとは思わないってことか」
「思ってたらこんなことやってないっすよー」と朗らかに笑う。
少年は自転車のハンドルを握って方向転換してから、顔だけこちらに向けた。
「おにいさん、何でも自分のせいだって罪悪感抱えちゃうタイプ? それって生き辛そうっすね」
「……」
「それと」と少年の目つきがすっと冷たくなる。
「話していいって言うからオレは話したのに、それで何か言われるのは、ちょっとムカつくんですけど」
「あ……」
まあいいけど、と呟き少年は今度こそ背を向ける。
「じゃ」
強くペダルを踏み込んだ。
そのまま立ちこぎをして闇の中へと去っていく。
車輪の音はすぐに聞こえなくなった。
外の札をクローズにして店内に戻ると「おつかれさま」と店長に声をかけられる。
「今の子と話でもしてたのかい?」
「まあ、少し……」
濁しつつ、店長がまだ手に持っていた藍色の宝石に目が行く。
「……濃いですね、今回の」
「そうだね」
店長は手の中の宝石を天井の光に透かすように持ち上げた。
「それだけ隠したい気持ちが強いんだろうねえ」
店長はさらりと言った。
「……バレたくないって思っている話ほど、色が濃くなる?」
「僕の経験上、恐らくね」
「そういう宝石の方が価値があるんですよね。でもそうしたら」
泥のような不快な何かが喉に絡まるような気がする。
「犯罪とかの話は、バレたくないって思うじゃないですか。そういう話の方が店の売上的にはいいってことですか?」
宝石を手に金庫に向かう店長を目で追う。
「胸糞悪かったかい? さっきみたいな話」
「……」
「西くんにとっては初めてだったかもね」
「……はい」
店長は宝石を金庫に入れながら「でもね」と続けた。
「僕達の価値観に特に意味はないよ。お客さんは選べないし、彼らが話しやすいような雰囲気を作って促す。売上を得て集金に渡す。やることはそれだけ」
「……」
さて、と店長は手を洗い始めた。
「パスタ、あの子に全部食べられちゃったからね。作り直すから、ちょっと待ってて」
「……腹減らないんで、別に」
「だめだよ。生活はね、ちゃんとしないと」
穏やかに諭され、俺は曖昧に頷いた。
フライパンで炒める音を聞きながら、店の隅の方から箒で掃いていく。ほとんど汚れてはいない。
けれども、焦げ付いた鍋みたいに、自分の中に何かが残って拭えない。
俺にそんな権利など有りはしないのに、あの少年に注意をしようとした。
秘めた話を聞くことができるという店の立場を自分勝手に利用するような行為だ。
この店は懺悔する場所じゃないし、裁く場所でもない。
訪れた者に等しく、安全に秘密を明かす権利が与えられている。
俺はそこの見習い店員でしかない。
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第三章 完




