第二話 「砂絵の呼び声」1
二〇二〇年、夏。とある事情のため、私の入院生活は長引いていた。今年になって、急速な感染拡大を続ける新型コロナウィルスのせいだ。
二〇二〇年一月、国内での感染者が初めて確認されて以来、猛威を振るい始めた新型コロナウィルスの感染力は凄まじく、四月には緊急事態宣言が発令された。
それは、入院生活を続ける私や真美にとっても他人事ではなく、色々な対応策によって、窮屈な生活を余儀なくされている。緊急事態宣言は解除されたものの、不要不急の外出は避けるようにとの方針は継続され、病室を出る際はマスクを付けるように言われている。
四人部屋で暮らす私の病室でも、カーテンとカーテンの間に分厚いビニールのパーテーションと呼ばれる敷居が取り付けられ、コロナ病棟が備え付けられたことでお医者さんや看護師さんはとても忙しそうに仕事に追われている。
そのせいもあって、退院して児童養護施設に送られる予定だった計画は放任され、私の入院生活は予定外にも長引いているのだった。入院生活が好きなわけでは当然ないけど、児童養護施設に暮らしたいわけでもない私にとっては、パンデミックで世の中が騒がしくなっている現状は複雑な心境だ。
ある日、私は日常的に聞いているオーディオドラマの新作を聞きながら、退屈な一日を過ごしていた。
(登場キャラクターが全員猫だにゃんて! 猫の悩みは気楽でいいにゃ……)
別に猫語をにゃーにゃー言っているのではなく、誰でも分かるように日本語で会話が繰り広げられるわけだが、人間の営みを動物が繰り広げる、こういった擬人化系コンテンツは絶えず生産されているらしい。
原作は絵本であるため短く、隙間時間に聞いて楽しむことができることもあって、好評なのかもしれない。
(お昼寝タイムが長くて、ディナーの開店に間に合わないなんて、いかにものんびり屋さんの猫らしいかも)
猫の習性は総じて自由気ままだ。人間と違ってマイペースで時間にもルーズ。そういう習性を取り入れて、和やかなにゃんこ達の交流を描いている。私の聞いているお話は、猫が洋食屋さんを開くお話だけど、色んなバリエーションのお話がオーディオドラマになっていて、気軽に聞くことができる。目の見えない私でも、想像の羽を開きながら、楽しむことができるのだ。
そんな風に、昼下がりの時間を退屈に過ごしていると、カーテンの開く音がした。誰かがやってきたらしい。
「郁恵」
私を呼ぶ声だ。ほのかに漂う優しい石鹸の香り、真美がやって来たようだ。真美の近づく気配は今では声や香りですぐに感じられるようになった。
「今日は花を持って来たわよ。お母さんが郁恵にもどうぞって」
真美のお母さんは私と真美が仲良くしていることを知っていて、こうしてたまにお花を持ってきてくれたりする。実家が花屋さんをしているそうだ。
「ありがとう。今日はどんなお花?」
私はヘッドホンを外して、身体を起こすと、真美の方を向いて聞いた。
「チューリップよ。赤と白と黄色の三種類あるの」
「三種類も? それは賑やかだね」
「賑やか? 色鮮やかでしょ」
真美の言葉の裏で、私はチューリップ畑を脳内に思い浮かべていた。咲き乱れるチューリップ達が風に吹かれて美しく靡く。歩いても歩いても、周囲には触れられるチューリップがいて、賑やかな空間をしている。でもそこは、相変わらずぼんやりとしたモノクロの世界だった。人はそれを灰色の世界と表現して、退屈で刺激がなく、面白みのないディストピアの世界を想起させるらしい。まるでこれまで歩んできた私の人生みたいだ。
物心がついてからずっと、全盲の視覚障がいを持つ、視覚障害一級の私にとって“色”というものは簡単に答え合わせのできないものだ。
世の中の九割は視力・視野に見づらさがある弱視で全盲の割合は少なく少数派だ。だから、時々「どのように色を感じているのか? 生まれつき全盲の方に色の認識はあるんですか?」と聞かれたことがある。
その度に私は知識として色はインプットするようになったものと答えるようにしている。不思議な反応をされることが多いけど、色に対して印象や意味があることを知っているに過ぎないのだ。




