第三話 「静寂が覚める前に」2
「白のワンピース?」
私は真美に聞き返した。胸の鼓動が高鳴る。経験したことのない夜明け前の旅立ちに平静を装いながらも私の緊張はピークに達していた。
「うん、ハンガーの左から二番目に吊っておいてあるはずだから」
一足先に着替えを済ませた真美が私の着替えを手伝ってくれる。白のワンピースが郁恵には似合っているだなんて真美が言うから、私は素直に従うことにした。電気を付けたら不審な行動を取っているのがバレてしまうため、月明かりを頼りに真美は服を取って渡してくれた。
目の見えない私にとって何事にも自分の記憶に依存するところが多い。例えば物をどこに置いたかもちゃんと覚えていないと、手探りで探すことになってしまう。これは本当に大変だ。あらかじめ自分で決めたところにちゃんと置いていないとやりづらくて仕方ないのだ。
私は真美が取ってくれた白いワンピースに着替える。慣れていないと前と後ろを間違って着てしまったりするので焦りは禁物だ。
「変じゃない?」
着替え終わった私はクルリと一回転して真美に聞いた。人から私がどう映っているかは聞いてみないと確かめようがない。後で後悔するより、多少恥ずかしくても素直に聞いておくのが無難だ。
「綺麗よ。薄暗い部屋でもよく分かるくらい、とっても似合ってるわ」
「どんな風に似合ってるの?」
「そうね、どんくさいけど天界から降りてきた羽の生えた天使のようかしら。もう少し肉付きが良くなった方がそれっぽく見えるでしょうけど」
「どんくさいは余計だと思うけど……。病院食だけで運動もしていないとなかなかそれっぽくはなれないよ」
「これからそれっぽくなればいいじゃない。今の郁恵は病弱が過ぎるわ。そういう趣味の人にはウケるでしょうけど」
「また真美は変なこと言って、おべっかは嫌いだよ。それに、健康な身体は欲しいけど、綺麗になっても自慢する相手もいないし……」
照れ隠しもあるのだろうか。痛いところを突いていて、真美の言葉は的を得ているとも言える。でも、お世辞にしても、こう直球で容姿を褒められると恥ずかしかった。きっと真美は私のことを本気で応援してくれているんだろう。
「本当に、いつぶりかしらね。外に出掛けるのなんて」
「私も……。入院してからはご無沙汰だったなぁ……」
病衣ばかり着ていて、普段着を着ることさえ稀な生活がお互い続いていた。この服を着るのだって約一年ぶりだ。外出用の服は外出する時しか着ないと決めているから、この服には気付けば一年も待たせてしまった。サイズが合わなくなった気がしてちょっと複雑な気分だ。
「いいわよ、私が結んであげる」
髪を結ぶのに苦戦していると真美が手を差しのべてくれた。緊張で両手が僅かに震えていた。これから行く海は風が強いらしい。だからというわけではないけど、長い髪をしっかりと結んでおきたかった。私は真美に結ぶのを任せた。
髪を結んでもらっている間、距離が近づき、心音を通じてこの緊張が伝わってしまわないかと、心配になった。
「迷子になったら迷わず病院に電話するのよ」
真美が両手を私の肩に乗せて真剣な口調で言った。
「分かってるよ」
念押しする真美に私は頷き、返事を返した。昨日も言われたことだった。大事なことだから分かってはいるけど、気にしてばかりでは楽しみよりも不安の方が大きくなってしまうから、私はそれ以上考えたくなかった。
「それならいいけど。はい、出来上がり」
そう言って髪を結び終えた真美は私の手を握る。他人同士なら肘を私の方が掴むのが一般的だけど、親友である真美相手なら私はこれでも気にならなかった。
「ありがとう、これで支度はちゃんと出来たかな」
「えぇ、後は逃げずに前を向いて行くだけね」
既に靴も履き終わった私は真美に導かれるままにベッドから立ち上がった。
今日はこの手を信じよう、私は血の巡りを感じながら決意を固めた。
「さぁ、みんなが起床する前に行きましょう!」
「うん、真美、今日はよろしく!」
お互い元気を出して、確かめ合うように気合を入れ直した。私はもう一度だけ、右ポケットにスマートフォンが入っているのを確認して、それから長年連れ添ってきた白杖を握った。
周りに視覚障がい者であることを知らせるため、白杖に鈴を付けているが、今は取り外して財布の中に閉まっている。
「本当にちゃんと目的地までたどり着けるの?」
出掛ける時になって、ちょっと不安になった私は小声で真美に聞いた。
「大丈夫よ、決めたルート通りに行けばちゃんと着けるわよ」
真美の温かい言葉を受け止める。話し終えた私達はカーテンとパーテーションを潜り抜け、みんなを起こさないようにゆっくりと病室を後にした。




