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第7話 つれなきもの


Mと連絡が通じなくなったハルオ

酒に女にロクデナシです


 

 仕事を一段落させて、ハルオは秋向けに買った深緑の上着を手に家を出る。

 最近はいつもの居酒屋には寄っていない。

 いつか寝た女性に会うことはもうなかったし、そのせいではなかった。

 カウンターのいちさんにいまの不安定な自分を見透かされることが、少しうっとうしかったのだ。

 仕事はうまく行っているか、いま女性とつき合っているか、彼は何でも言い当ててしまう。

 観察眼が鋭いのはわかったから、すこし黙っていてくれればいいと思う。



「いらっしゃいませ……おひさしぶりです! ご指名は?」

 以前いた会社からふた駅ばかりのところにある、ときどき行っていた安いパブだ。

 昼間は専門学校や普通の会社に行っている女の子たちが、アルバイトで接客している。

 昔、こういう場所は、表向きはそう言っていてもプロの女性が多かった。いまは本当に素人なので最初はびっくりした。

「ああ、覚えてくれてたか……指名ったって、もう誰も残ってないんじゃないか、おれが知ってる子は」

 実際に学生とかだから、二月三月になるとほとんどの女の子は入れ替わるのだ。

 入口から「おはようございまーす」と言って、すらりと背の高い女の子が入ってきた。

 ちょっとしたモデルみたいだが、顔はひどく子供っぽい。リカだった。


 初めてリカに会ったのはもう二年前だ。顔を見るのは半年か一年ぶりくらいだったか。

「いま何やってんだ……仕事、これだけか」

「そうだよ。昼間も探してるんだけど」

「ホステスやるんなら根性すえてやりなよ、ラクしててもしょうがないぞ……われながら説教オヤジだな」

「ずっとやる気はないんだけどね」

 長い手足をたたむようにして、リカは隣にすわっている。

 言い方はむずかしいが、リカは安全な女の子だと思う。

 感じは悪くなく気楽に話ができるけれど、ハルオがリカに夢中になることはなく、その逆も当然ない。

 Mをそんなふうにしてしまうこともできたはずだった。何が違うのだろう。


「ハルオさん、携帯のアドもらってもいい?」

 そう言われてトボケるのは苦手だ。

「教えてなかったっけ……こうだよ、電話は出ないけど」

「なんでそう言うわけ?」

「出たって『来て来て』ばっかりになるからね。おれは来たい時しか来ないし」

「みんな自分から教えてきて、なんで連絡しないんだってうるさいよ」

「そういう奴らは……バカなんだ。おれ、べつにリカ落とそうと思ってないし」

「だからだよね、ハルオさんって安心できるんだよね」


 なんということもない、こういう話ができる相手がいてよかったと思う。

 目の前のリカには悪いと思いながら、ハルオはどうしてもMのことを思い出す。

(気楽な遊び相手にすればいいんだよ。Mだってそれ以上のことは求めていなかったはずだ。おれのほうに問題があるのか……惚れた弱味? 古くさいが……そうだったのか)


「リカ、男とかいるのか」

 ハルオは少し酔っている。

「ほんとに自分と合う相手はね、キスひとつでわかるんだ。頭の中に直接フェロモンを流し込まれるみたいにね、しびれるよ……作家の誰かみたいだな」

「そんなことってあるの? ハルオさんはそういう相手に出会ったんだ」

「あったかもしれない……たいていのニンゲンは一生会わずに終わるかもしれない。リカちゃん、そういう相手に当たったらね、離さないほうがいいな。何度もあることじゃないんだから」

「そうなんだ」


 リカには言わなかった。

 そういう相手に出会って、それから別れなければならなくなった時、人は死ぬよりもつらいという言葉の意味がわかる。

 そんな思いはできればしないほうがいい。成長するとかいう以前に、壊れてしまうから。

 そんなことで鍛えられる必要はないのだと思う。

(おれは誰の、何のことを言っているんだろう)

 誰も恋をしようと思ってそうなるわけではない。交通事故みたいなものだ。



 ハルオは、真夜中に他人の事務所でデスクを借り、自分のノートPCをLANに繋げて校正刷りを出す。

 基本的には自分の家でデータを仕上げて届ける仕事なのだけれど、出張しなければ間に合わない場合もある。

 長年やっていたことだから違和感はない。勤めていた時はきりがないのでイヤになったこともあったが、自分ひとりで始めてからは仕事があるだけありがたいと思うようになった。


 最後のプリントが出てきて、待っていた営業の人に渡した。

「戻ってくるとしたら、いつくらいですかね」

「明後日……もう明日ですか、それくらいになります、お電話いたします」

「どこにいても携帯でつかまりますから、よろしく」

 営業の人は紙の束を抱えて出ていった。もう午前三時だからこっちは足がないのだが、もちろん彼には関係ない。

 交通費はどこからも出ないのだ。

 信用があるところだから合い鍵を持たされている。事務所の戸締まりをして外に出た。


 ここから歩いて三十分ほどの場所にリカの勤めている店があり、朝五時まで営業している。

(クルマを拾わなくても、ぶらぶら歩いていけばいいか……一時間だけ飲んで、始発が出たら帰って寝よう)

 一度だけリカからメールが来ていたから、返信で「店にいるならいまから行く」と打って、歩き出した。

 九月の風はまだかすかな熱を残している。



 店のある駅前まで来たところで、リカの返信があった。

『返事がおくれてスミマセン。こんな時間までお仕事ですか?

 今日は疲れちゃってさっきまでソファーで寝てました。お店はもう終わるからゴハン食べに行きませんか』

 わかったと打って、二十四時間営業のファミレスに入って待つことにした。

 朝四時にここにいるのは、夜通し飲んで始発待ちのサラリーマン、仕事がひけたばかりの風俗関係者などが多い。そしてリカを待つハルオ。

 ごめんねと言って席まで来たリカは私服に着替えていて、あまり水商売の人間らしくないのはよかった。

 時間帯と場所柄でどうしてもホステスとその客に見えるのは仕方がない。事実そのとおりだが。


「まっすぐ帰ればいいんだけど、どうしても寄っちゃうんだよね」

「夜通し冷たいもんばっかし飲まされて、客のつまみもらったって大したもんはないしね……温かいものを腹に入れたくなるよな」

「わかるんだ」

「そりゃ、見てればわかるだろ、誰だって」

「やっぱりハルオさんだね」

「ん?」

「あたし帰りにお客さんと食事なんてめったにしないもん、これから寝ようとかうるさいから、でもハルオさんは違うもんね」

「それじゃ……言えねえじゃねえか」

「またぁ」

 リカはミルクティーとクラブハウスサンドを、ハルオはコーヒーとオニオングラタンスープをとった。

「水気ばっかりじゃないの」

「徹夜明けはこういうもんがいいんだ」


 温かいスープをゆっくり飲んで、目をしょぼつかせたリカの顔を見る。

「おまえ、あっという間にトシ取っちゃうぞ、いくらいま若くても」

「やなこと言うぅ、でもいいもん、ハルオさんとちょうどよくなるから」

「バカ言え……おれは」

 真剣に答えそうになってしまった。リカは目を細めて笑っている。

 水商売の女の子は芸能人みたいに目をぱっちり開けたまま笑顔をつくることが多いけれど、しおりは目を細めて笑う。

 ハルオが気に入っているところだ。


 リカから聞いた彼女の毎日。

 夜通し仕事をして朝方部屋に帰り、昼間はそうそう眠れないけれど、きれぎれに寝る。

 夕方になれば早めの食事をとり、シャワーを浴びて髪の手入れや化粧をしなければならない。

 見た目より時間がなくて、そう遊んでいるヒマはないのだ。

 ハルオも似たような生活だから、聞くまでもなくそんなものだとわかる。

 収入は人並みよりちょっと多い程度なのだが、それに慣れてしまうとなかなか昼間の仕事には戻れない。

 今度こそ面接まわりをしようと考えながら過ぎてしまうものだ。



 朝の五時に携帯の着信が光って、それはリカからのメールだとわかる。

 彼女はハルオの仕事が不規則なのでそう迷惑にはならないことを知っているし、ハルオがときどきリアルタイムで返事するからだ。

 内容はなんということもないものだ。

『今日は忙しかったよ』

『駅前で呼び込みをやらされてるけど雨がふって寒かった』

『おじいさんのお見舞いで二・三日休みます』


 彼女が自分を好きになったというわけではなく、気軽にメールできる相手がほしいのだろうとハルオは思う。

 遠回しに店に来てくれという意味じゃないのは性格を知っているから分かるのだが、仕事で近くまで行った時は店に顔を出すようにしている。

 もともとなんだかんだ言いながら酒を飲んでいる人間だから、ついでという感覚だ。


 ハルオは、リカには悪いがこれがMだったらよかったのにという感じはいつも持っていた。

 若い子たちがしょっちゅうメールばかりしていて、依存症みたいになっている感覚もわかってきた。

 話す内容はどうでもよくて、連絡がくるだけで自分の存在が忘れられていないと安心できるのだろう。



 そんなリカから、ごく最近の事情を知らせるメールが入っていた。

 経営者が代替わりして、彼女の勤めている店の名前が変えられたこと。

 さすがに在籍している中では古いほうから二、三番目になってしまい、やや微妙な立場に置かれていること。

 ハルオはひさしぶりに彼女の店に行くことにした。


 リカは指名でほかのお客のテーブルについていて、待つ間はヘルプといって別の女の子がハルオの話し相手をすることになる。

 まるで気がない態度では失礼なので、適当な会話をする。

「リカさんのお客さんなんですね」

 いや、ただ前から知っててときどき来るだけだよ、とハルオは答える。

 それはその通りなのだけれど、ハルオがそういうふうに言うのは、ハルオ程度のあまりおカネを使わない客が常連づらをしたり彼女のオトコを気取っていては、彼女に失礼というか仕事の邪魔になるからだ。

 そのくらいの考えもなく、一、二度来ただけで食事やホテルに誘う男は後を絶たない。

「そういう人はダメモトで誰にでもいくんだよ」とリカは言っていた。

 本当に始末が悪いのは、ろくに話もしていないのに女の子を恋人みたいに思い込んでしまう男で、そういうお客がいるから成り立つ商売だとはいっても、ひどく疲れさせられるという。

 ハルオは「そうならないように気をつけるよ」と言うことにしている。そういうお客とハルオとの間に、そう違いがあるわけでもないのだと思う。

 先客は帰ったらしく「あとはずっといられるからね」と言ってリカは席にやってきた。

 ハルオは笑って、そう長くはいないけどねと答えた。


 ちょっとルール違反のような気もしたが、Mのことを「若い子とつき合ってたけどダメだったよ」というように話した。

 リカが冗談っぽい口調で「あたしをなんだと思ってるの? あたしでよければ聞いてあげるけどね」と言ったので、ハルオは店がひけたあと彼女と食事をすることにした。その日の彼女は朝までの勤務ではなく早上がりだったのだ。


 ハルオは、たまにはまともなもんを食べようと言って、まあまあの中華料理店に彼女を連れていった。

 リカはフカヒレのスープを飲みながら「悪いけど、それはほかに本命のカレがいたってことじゃないの」と言った。

 それはそうかもしれない。たしかにそう考えればすべてが自然だ。

「カレとうまくいってない時だけ、ハルオさんのところに来てたんだよ」

 そう言われたのは、ハルオがリカにとっている態度がそうだと指摘されているような気もした。


 結局、彼女とは何度か食事をして、二回、そういう部屋に行った。

 べつに彼女をMのかわりにしようとしたわけではない。そういう流れだったんだとハルオは考えようとしていた。


主人公のダメ男ぶりは申し訳なし

あと少しだけおつき合いください

※以後第10話まで午後11時前後に更新します

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