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第6話 雨に風花


とうとうMと破局してしまったのか

ハルオは何度も何度も自問します


 

 グラス片手の神様が降りてきて、こんなことを言う。

「あなたたち男性は、好きな女性や自分の子どもを抱いた時、いい香りがして気持ちよくなるでしょう?

 だいたいそこまでに造ってあるんでね。女子どもに救われることはあっても、彼らを救うなんてことはできないんです。自分で思っているほどタマシイが大きくはないですからね」

(それじゃ、おれは思い上がっているって言うんですか? おれが苦しむのは時間の無駄だと?)

「人間に無駄な時間なんて、ありゃしませんよ。それにわたしに言わせれば、あなた方の苦しみも歓びも元を正せば似たようなもんでね。それを分かれというのは酷でしょうけど……神は退屈ですよ、替わって欲しいくらいです」

(そんないいかげんな神様でいいんですか)

「いいも悪いも……おっと!」

 神様は出口でよろめいて、酒をこぼしながら帰っていった。



 それから先はというと、だいたい同じことの繰り返しになる。


 ハルオたちは恋人同士という感じではなかったけれど、ハルオがただ年上の保護者みたいな役割におさまっていることもできなくて、痴話げんかとも近親憎悪ともつかない、なにか……うまく説明できない押し引きをしていた。

 いろいろな考え方をハルオは編み出した。


(きっとMはおれのことを「むかつく」ことがあった時に何でもぶつけられる標的か、ゴミ捨て場くらいに思ってるんだろう。それで気が済むならそれでいいじゃないか)

(おれは女だからって話半分に聞き流すことができないたちで、なんでもまともに受け答えをするし、Mもそれが気に入ってるんだと思ってた……でももうそろそろ、ラクをしてもいいだろう。あいつの謎々には、意味なんてないんだ)

(なぜそこまでする必要がある? おれはそれほど女に餓えているとか、そばにおいて世話をさせたいとかいう人間じゃない。ひとりも苦にならない……あいつがあれこれ心配をかけるから、ほうっておけなくなる)

(ひところは悲劇の主人公みたいな気持ちになってたけど、おれたちはどちらかというと漫才コンビみたいなもんだな、だったら飽きるまでそれをやっていればいいんだ)


 それらの考えはみんな、Mと会っていない時の気休めのようなものだった。

 いったんMの顔を見るとそれまでの考えはみんなご破算になって、ハルオは嵐の海にイカダで漕ぎ出した心境になる。

 どちらが悪いとかではなく、Mはそういう女性だったのだと思う。


 それでもハルオたちは、会えばいつもにっこり笑っていて、それは仲がいいというより、けっして傷つけ合わないという契約のようなものだった気がする。

 それも時間が経過するにつれて、ずいぶん気易く深いところまで話をするようになったぶん、あやしいものになってきた。


 ある晩、ひどく内容のない疲れるばかりの言い争いの末、もうこれきりにしようと決めて、ハルオはMと別れてきた。

 そのあと真夜中に、本当に心臓が締めつけられるような痛みがあって息もできなくなってしまい、ハルオは涙を流しながらMに電話をした。

 Mは起きていて、いつも一緒に寝ている時のあの声で、大丈夫だよ、あたしがついてるよと言った。

 同じようにMが謝ってきたことだってあった、とハルオは思う。



 けれどその後、Mとは連絡が取れなくなった。

 ハルオは、ほうっておけばいいとアタマでは考えている。

 けれど、会いたい。

 会って抱きたいというより、そこだけ鮮やかに空気が切り取られたようなMの姿を見ていたいと思う。


(つまり、Mがもちこんでくる当たり前じゃない感じのほうを実はおれは愛していて、実際にMの話を聞いて現実的にそれに対処していくというのは、また全然べつの話なんだ)


 Mのことを考えていると、長い間、親しかった人たちに自分がどう思われていたかがわかる。何をやりだすかわからないヤツだから、怖くて消息を知りたいと思えなくなるのだ。


(ひどく自分を粗末にしてけらけら笑っているんじゃないか、その実めちゃくちゃに傷ついているんじゃないか……。誰もそういう人間に何もしてやれないから、手も出せず見ているしかない。そしてそっと見離していく。おれがどこかでMを見限れないのは、そんな自分と同じ姿をMに見ているからだ)

(人を愛する時のひとつの形だろうけれど、ちょっと……かなり苦しい)

 やっとそこまで考える。

 もう百年も考えているみたいで、迷っているとか苦しんでいるという感じではなくなっている。


 携帯が震えて、大きくひとつ息をしてからハルオは取る。

 いつもの仕事の依頼だった。予定が埋まっていき、これでまたしばらく生きられると考える。

 そういう感じ方は、商売には向いていない。全然ダメだ。

 しかし、とにかく仕事さえしていればMのことを考えなくて済むんだとハルオは思う。

(こんなことばかりしていたら、それこそ生きていけなくなっちまう……たかが男と女のことなんだ)


 小さく雨が降る中を、仕事の材料を受け取りに出かけた。

 上野、中央通りの分離帯のところに、ドラマの撮影にでも使ったのか細かい紙吹雪が溜まっていて、風とクルマのためにかき回され、小さく舞い上がっては落ちていく。

 夏の終わりに風花が舞っているのだと思った。

 それから、すこし安易かなと思い直した。

(そんなんじゃプレゼンには通らない)

 もうアタマは仕事のモードに入っていた。



 どれくらいの時間がいるのだろうか?

 幸か不幸か、ハルオにはいくつか経験がある。

 これきりMに会えなかったとしても、立ち直るというか比較的ましな記憶にできるだろうということはわかっていた。

 それには何はともあれ、時間の経過が必要となる。

(半年……かな)

 ひとりでお茶をいれたり、洗濯機のなかで回るシャツや靴下を眺めていなければならない。

 ご飯を炊いたり、なんとなくつけたテレビでやっていた古い映画を観たりする。

 しまっておいたアナログ盤を取り出して聴く……そうこうするうちに、自分はもうずっと前からこうやって暮らしていたんだなと気づく。


 まばゆく光るような恋だと思っていたものは、ただ偶然からだをぶつけ合っただけの、みじめで悲しい出来事だったような気がしてくる。

 それから思い直して、そこまで言うこともないな、あれはあれでよかったんだ何もなかったよりはと考える。


 そうしたことの全てを、アタマで理解するのは簡単かもしれない。

 けれど、コトバになる前の気持ちの部分で、からだの奥底で、自分がそれに慣れていくのを待つしかないのだとハルオは思う。

 ハルオがMについて考えた、文字にすれば何万字にもなるいろいろは、彼女にはただ邪魔なだけだったのだろうか。

 もちろんハルオは黙って彼女を眺めたり抱きしめたりしていたかったのだけれど、彼女がそうはさせてくれなかった。

 お人形さんではないから当たり前だ……やはり彼女はハルオに何かを伝えたかったのだろうと思う。

 ハルオがそれをさせなかった部分もあったのだろうか。


 預金通帳の残高も心細くなってきて、いつまでもそうやってぼうっとしているわけにはいかなかった。

 ハルオは新たな得意先を探して東京中を回り、何十件も面接に行った。

 いつ始まったのか思い出せない不景気のせいもあって、まともに話を聞いてくれたのはそのうち二・三件だ。

 けれど、面接者の前に出ればハルオはしゃべりだし、機械の前に座れば、何年も続けてきて手慣れた技術を披露する。

 この時ばかりは、自分に仕事があってよかったと思う。


失恋哲学者ですね

※以後第10話まで午後11時前後に更新します

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