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第5話 Summer's almost gone


二人の関係は進むのか、立ち止まったままか

ハルオの考えだけが堂々巡りします


 

 公園の芝生の上には鳩が降りてくる。

 暑さが一段落した夏は静かで、ハルオは商店の窓に映った自分を見て、ちょっと老け込んだみたいだなと思った。

 煙草と缶コーヒーを手に、ベンチに座る。小休止だ。


 セミ取りの子供たちは全然やり方を知らず、捕虫網を木の上の方に投げつけたりしていた。

「もっとよく見て、捕まえる瞬間に網を返さなきゃダメだ、手首を使って」と教えたくなる。

 けれどそのままにして、かまうことはしなかった。

 もっと小さな子どもたちが母親に抱かれてやってくる。

 砂場で遊んだり、ブランコに乗ったりしている。

 まだ歩き始めたばかりの女の子にむかって、母親は風船みたいなボールを投げる。

 大きな弧を描くように、ゆっくりと。

 子どもは全然取れないのだが、母親は何度も走って取りにいき、同じことを繰り返す。

 十何回めかに子どもがボールをつかんで、母親は手をたたいて喜んでいる。

 Mをあの仲間にしてしまったら自分は安心するだろうか、とハルオは考えた。

(親子三人か……オヤコサンニン)


 べつに子どもや家庭がほしいのではなく、どうしたら一番いいかを考えているだけだ。

 ハルオは漠然と想像する。

 とはいっても夢見るようにではなく、もういいオトナだからけっこう具体的な見通しにして考える。

 Mが結婚を求めたことはないが、これから先、彼女と結婚して母親の面倒をみて元の夫相手に裁判を起こし親権を取り返して……気が遠くなるような時間とおカネがかかる。

 ハルオがそんなことを言い出したら「バカね、なに考えてんのよ」と答えるだろうけれど。



「ようするにどうしようもないオンナなんだ」

 カウンターで酎ハイ用のグラスを拭きながらいちさんが言う。

 ハルオが市さんにMのことを喋ったわけではない。例によって勝手にハルオの顔色を読んでいるのだ。

「どこで見てるっていうんだよ」

「わかるよ、背中にかじられたあとがあるもの」

 たしかに、Mと会ったあとのハルオはただ楽しかっただけでは済まなくて、いつもMの皮肉だか謎かけだかわからない捨てぜりふのようなものを浴びて、からだの一部分を持っていかれたような気がするのだ。

 ハルオは笑うしかない。

「なんで、どうしようもないって思うんだ」

「あんたについてくるぐらいだから」



 年齢の差や経済的な問題をはじめとして、いろいろと無理があるのは最初からわかっている。若い女友だちができたくらいに考えていればいいのだと思う。

 経験のある彼女はたまに抱いてくれる男がいたほうがいいだろうから、それでいいじゃないか、そう下世話な考えでもないだろうと。

 それでも、この段階で彼女がハルオの手をとったら、ハルオは裁判でも結婚でも何でもしていたに違いない。

 彼女に惚れ込んでいたからというより……そのくらいの意地はあるのだ。


 けれどハルオは、彼女の持つはじけた明るさと性的な魅力に惹かれながらひと夏を過ごし、それとは裏腹のよくわからない理不尽な仕打ちに苦しめられるうちに、だんだんと気がついていった。

 これから先は、楽しいことばかりではないんだろうなということ。

 彼女とずっとつき合っていくのは難しいんだろうなということに。



 降り始めた雨が地面をたたいて、降り積もっていた土ぼこりを巻き上げる。

 だから雨の日の空気は埃っぽい感じがするのだとハルオは思う。

 もっと本降りになってしばらく経てばそれは消えるけれど……そんな雨の匂いを身にまとうようにして、Mは部屋に入ってきた。

 ハルオの部屋に来るのは二度目のことだ。


 Mについて考えていたいろいろなことはもうどうでもよくて、今日は落ち着いて過ごせたらいいなと思う。

 考えて結論を出さなければいけないことなど本当はなくて、ただ一緒にいればいつかは、なるようになるんじゃないだろうか。

 そんなふうに考えて、ハルオはMの姿を見る。

 どんな時でもMのからだからは、そこだけ光っているような生気が漂っている。

 ハルオはただそれに触れていたいのだ。


 入ってくるなりMは、話したくてしょうがなかったというように口を開いた。

「聞いてよー、あたし元のカレにおカネ貸してたのね、それを返すっていうんだけど、会いたいって言うのね、あたしは仕事先に届けに来てくれればいいって返事したんだけど……」

「いくらなんだ」

「二十万」

「そのためにイヤな思いすることないだろ……むこうはよりを戻したがってるんだ、その気がないならあきらめたらどうだ」

「えー、でも二十万は大きいよ、だってなんでそうなったかって言うと……」


 ハルオはもう中年にさしかかった男のセンチな考えで、Mを手のひらに舞い込んだ蝶々か砂糖菓子みたいに思っていた。

 それを無神経に握りつぶしてはいけないとずっと気をつけていた。

 一度結婚しているといっても、ハルオから見ればずっと年下の女の子なのだ。

 その努力はまったくムダというもので、Mはハンマーでがんがん打ちつけるようにハルオの期待をぶち壊してくれる。


「ちょっと待ってくれ…なんでおれにそれを話したいんだ」

「……だって、ハルオさんはなんでも聞いてくれるもん」

「聞いたおれがどう思うか、考えないのかな……おれに嫌われたらどうしようって、そう思ったら言えないだろ、その話は」

「そうかなぁ」

「たしかにおれはきみより年上だし、たいがいのことは経験してる、平気っていやぁ平気だ。でもおれが……おれがおまえのこと好きだなんて、当たり前だろ? ちょっとは落ち着いて、好きでいさせてくれよ」


 そこまで、できるだけゆっくり言って、ハルオは椅子に背中をもたせかけた。

 天井を見た。

 視線を戻すと、Mは見る影もなくしおれて、いじめられた子どもみたいになっている。

「おこらないでよ……」

 これ以上弱々しい動物はいないんじゃないかという感じで、Mはハルオにからだをあずけてくる。

 まだすこし残っていた雨の匂いが、Mとハルオの体温で融けていく。


 Mはからだを離して、子猫みたいなポーズをとった。

 うれしくてしかたがないというように、にこにこ笑いながらハルオの横で丸まっている。

 ハルオはMの顔を見る。

 はんぶん透きとおったような薄い皮膚が包んでいる彼女の顔。形のいいアゴからノドにかけての線を、指先でなぞってみる。

 またMが話し始める。


「こないだ、ママのお使いでクルマ運転しててさ」

 Mが電話やメールでつかまらない時の説明はたいてい『ママの運転手』だ。

「高速を走ってて、もしここであたしが事故って死んだら、ハルオさんに連絡はいかないな、なんだ約束が違うって怒るだろうな、そう思ったよ」

「たしかに、おれたちのどっちかが死んでも、わからないだろうな。メアド書いて引き出しに入れとくか、死んだらここにメールしてくれって」

「あたしもそうしようかな、遺書?」


 なにを考えているのだろう、いつものロマンチックな想像なのか、それにしても死ぬ死ぬって、困ったもんだ……それからハルオはつぎの文句を思いついた。

『もしそんなことがあっても、おれたちはどっちかの心の中で生きてるから』

 ありきたりな、陳腐な台詞だ。冗談みたいにして口に出そうと思ったが、できなかった。

 喉がつまって涙が出そうになったからだ。


 泊まることはできないから、Mは帰っていく。

 駅前まで送りに出た。といってもただブラブラ歩いていくだけだ。

「もう雨は降ってないなぁ」

「わかるって」

「つっかかるなよ」

「だって言わなくったってわかるじゃん」

「だいぶ涼しくなったなぁ……こないだまでは大汗かいて走り回ってたのにな」


 こうして一緒に歩いていれば、何も悩むことはない。

 夕風でMの髪がひとすじ流れて、きれいな顔の前を横切る。

 さっきまでのちょっと芝居がかった感情も、風が冷ましていくのか、なにごともなかったみたいだ。

「まだずっと忙しいの?」

「うん、そうじゃないと困るしな」


 駅までの散歩道は短い。

 若い恋人たちがするみたいに別れ際に抱きしめることができればいいのだけれど、それは無理というものだ。

 ハルオたちはいつも握手をする。

 その日のMは、ハルオが差し出した手をとりあげて手の甲に小さくキスをした。

 男女が逆だと思うが、映画かなにかで観たのだろうか。

「びっくりさせるなよ」

「へへー」

「じゃあね」

 Mはもうはんぶん背を向けて、後ろにむかって手を振る。ちょっと薄情みたいな気もするが、ハルオの好きな仕草だ。


 さすがに市さんの店に寄る気もせず、部屋に戻ってすぐソファで横になった。

 まだ残り香というか、そこにMのいた雰囲気が残っている。


(いろんなことをちゃんと話すより、いまみたいな感じのほうがいいんだろうな、急に深刻になってもすぐに責任がとれるわけじゃないし……責任ったって)

(すぐ一緒になろうとか考えるのがマジメな態度とは限らないもんな、結婚なんかしたって、そのためにダメになる場合もあるし、一番いいやり方を探せばいいんだよ)

(おれがそういう言い方をして、逃げ口上と受け取られるならそれまでの話だし……ああ、もう考えたって仕方がねえ)


 急に眠気がきた。

 Mと過ごす時間を作るために二・三日、徹夜にちかい状態で働いていたから当たり前だ。

 それと、Mと過ごしているときのハルオは、冗談をいったり気楽にしているように見せても、けっこういろいろなものを自分のなかで燃やしているらしい。

(疲れて当たり前だ……老いらくの恋? ヴェニスに死す、痴人の愛……まだまだ早いって)


 明日になればハルオたちはそれぞれどこかに出かけていって、忙しく走り回らなければならない。

 ふたりともめんどうな事情を抱えているから、稼いだおカネは右から左だ。

 それが誰のためなのか、何のためなのかは、考えてしまうと動けないから考えないのだ。


(おれたちはなにをしているのだろう?)

(それだけじゃつまらないから、なんかイノチがボウボウ燃えるみたいな感じがおれには必要で、それはセックスばかりじゃなくていろんな面で……その相手になってくれるヤツが必要なんだ)

 眠りかけたアタマのなかで、そんなふうにハルオは考えた。


第4話と第5話で重複、前後した箇所を直しました

少し昔の話なので公園でタバコを吸おうとしています

※以後第10話まで午後11時前後に更新します

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