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第4話 夢と青空


ハルオとMは愛し合ったようで

青空の下へも出かけていきます


 

 深い眠りに落ちかけた時に一瞬、電気が走ったような伸びがきて目が覚めることがある。

 子どものころ「それはその時、背が伸びているんだよ」と言われたことを思い出す。もう、背は伸びない。



 最後に来たMのメールには、いくらか家庭の事情が書いてあった。

 一昨年Mの父親が亡くなって母親も体調を崩しがちなので、ちょうど結婚に失敗したこともあって(そのあとに冷や汗顔の絵文字がある)母親についてそばにいるそうだ。

『だからあまり夜に出たりはできないけど、また会ってくださいね』

 メールの最後はそんな言葉で終わっていた。

(それじゃ、出戻りといっても箱入り娘みたいなもんだな……おれはこの通り不規則なんてもんじゃない生活だし、どうしろっていうんだ)

 その答えは出ている。べつにどうにもしなくていいのだろう。

 都合が合った時にまた会って、酒でも飲んでいればいい。

 そう考えながらなぜかガードレールを蹴りつけていたのは、まだ若いといっていいのか。



 数日が経った。

 ハルオは、夜明け近くまで仕事をしていて、仮眠をとろうと横になった。

 寝つけずにフトンの上に上体を起こして、あれこれと考えごとをした。

 そのうちに疲れて、また横になる。

 手足の感覚が薄れて、もうすぐ眠りに入るなと思ってからなかなか眠れない。

 なかば醒めた夢の中で、シナリオの決まっていない映画撮影のようなものが始まっていた。

 あちこちに置かれたモニタの中、高速でラッシュが巻き戻されていく。

 その間も脈絡のない場面があちこちでばらばらに進行している。


 不規則な仕事と酒の繰り返しではもたないので、一日寝ていることにした。

 それでも休みと決めているわけではなく呼ばれれば出かけていくのだけれど、その前の十年間、起きている間中は仕事していたようなものだからマシになったほうだ。


 目が覚めると、Mのことを考えていた。

 メールチェックする。なにも来ていない。

 のろのろとギターを手にとって、いつも弾くソロをさらう。

 それからコーヒーをいれた。

 漠然とこんな考えが浮かんでくる。


『笑顔がかわいいといっても、女の子が笑顔をつくるのはそうしなさいと言われつづけてきた刷り込みのためだし、つまらない男たちの追求から逃れ、不安や恐怖を隠すための武装でもある。

 それを取り去った彼女は、いつも明るい元気な女の子をやっているわけではない。小さな楽しみを見つけて、ぼそぼそとひとりで遊んでいることのほうが多かったりするのだろう。

 男たちの目に自分が美しく映ることには、大して関心がなくて……それを利用することもできるが面倒なことの方が多いのは、もう知っている。みんなどうしてそんなことばっかりしているんだろうと思っている。

「あたしって面倒くさがりなの」と彼女はいつも言い訳をする』

 勝手に想像しすぎか。


 酒を飲む友だちから「おまえってなんで若い女とつき合えるんだ、そんなモテると思えないけどな」と言われたことがある。

 彼が想像するのとは違って、ハルオは会いたい時に彼女たちに会って、抱いたりしているわけではない。

 ほんの少し都合を合わせて、話を聞いているだけだ。

 人はみんな話を聞いてほしいもので、それは自分も同じだからだとハルオは思う。



『今日はどこにいますか』


 女の子と初めて寝るのは、いつも難しい。

 Mのように結婚を経験している相手だからといって、当たり前のように抱くということはしない主義だ。そっと抱いて彼女がリラックスするまでいろいろな話をしてから、いいかとハルオは訊いた。

 これをつまらない技巧だと言うこともできるけれど、悪い気はしないだろうと思う。

 どういう加減なのか、彼女との行為はけっこう長いものになって、最初にしてはうまくできた。彼女は頬を紅くして荒い息を吐いている。よく見ないとわからない、すり切れたような産毛が光って見える。


「……このあいだ、初恋の人が結婚するっていうから、どんなんだか偵察しに行ったんだ、あたしを振っといてどんな相手かと思ってさ」

「……見に行くか、それ?」

「あたし十七歳で処女だったんだよ、そしたらそれがイヤだって、初めての思い出なんて重荷になりたくないって言われて、振られちゃった」


 なぜハルオと初めて寝た時にその話なのかはわからない。ときどきMがするヒドイ話のひとつだ。

 若かったその男の子は何を考えてそんなことを言ったのだろう。どこかでやられてしまえ、そうしたら気楽にお前とできると……不良の色男を気取った、ただの子どもだったのだろうけれど。

 Mのガサツといっていい過去の話に慣れてきていたのでそれほど深刻には捉えなかったが、ハルオ自身は彼女をそんなお手軽で愚かな女性として扱うつもりはなかった。



 一緒に寝たことでハルオとMがより親密になったかというと、これといった変化はなかった。

 相変わらずMの連絡は気まぐれもいいところで、「ごめんなさい、あたし面倒くさがりだから」という言い訳も、聞き慣れたものになった。


 何度めかに連絡がついて会うことになると、とろけるような笑顔でMは現れ、弾丸のように近況を話し、わけのわからない相談事をもちかけ、最後にはクイズを始める。

「……で、最後にご主人と犬が渡るんだよ」

「すごぉい、まだ頭やわらかいんだねぇ」

「当たり前だろ、なんだと思ってんだ」


 会えば二回に一度くらいは、そういう部屋に行った。

 ハルオは、Mの顔が最初は紅潮し、それから血の気が失せて、貧血で倒れるんじゃないかと心配になるほど白く透き通るのを知った。

 そんな時のMは、思いつく限りのあまい言葉をハルオの耳に吹き込んで、彼女の態度にあきれて愛想をつかしかけたりしていたハルオに、いっときその考えを忘れさせた。

 ハルオはそう経験が少ないわけではない。

 それがたぶんMが男と寝る時の癖なのだということは想像できた。

 それと、何でも友だちのことにして話すのも。


「あたしの友だちもダンナと別れてきたんだけど、子どもがいてそれは向こうに取られちゃったのね。やっぱオンナ一人じゃ育てられないじゃん? でも子どもから離れて平気な母親なんていないよねぇ。彼女、眠剤中毒になっちゃってさ、いまはなんとかなったけど、ひところはタイヘンだったらしいよ」

 それがM自身のことだったのかは、最後までかなかった。

 正直に言えば、慣れて彼女のからだをよく見る余裕が出てきていたからハルオにはわかっていたし、彼女もそれは承知していたのではないだろうか。

 この世には自分が救われないよりもつらいことがいくつもあって、ときおり、なにかの拍子に涙が流れるだけだ。



 日曜日だった。入り組んだ広い駐車場の隅からけっこう歩いて、ハルオとMは入口のゲートの前まで来た。

 いまさら遊園地でもないが、たまにはMの言う通りにしてやろうと思ったのだ。

 それにしてもけっこうな道順だったなとハルオは思って、ここまでで義務の大半を果たした気がした。

 開園の時間が来て、子どもからいいトシの大人まで、勢いよくゲートを抜けて目指すアトラクションへと走っていく。

 子どもという感じではない若い女性がばたんと顔から転んでしまい、ハルオはどきりとした。

 すぐに顔を上げて、照れ隠しなのか、立ち上がってまた走り出して行った。

 幸いというか、傷は負っていなかったようだ。


「おいおい」ハルオはMに言った。

「何も逃げるもんじゃないんだろう」

「バカだね、すごく並ぶんだよ、人気のある乗り物は」

「バカって何だよ、おい」


 ハルオはMの顔を見た。

 さすがに走り出しはしないが、少し急いで足を進めながら、Mは笑っている。

 いままで見たことのない笑顔だ。

 空は間抜けに感じるくらい青く、見たことのない顔でMは笑っている。


美しかった一瞬だけは残ります

Mのクイズ、けっこう難しい

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