【Part 2】熱狂の全国ツアーと、5万人の光の海
神戸でのキックオフイベントと『ハリネズミ雑貨展』の大成功を皮切りに、彼らの快進撃は、まさに誰にも止められない巨大な熱のうねりとなっていった。
夏を駆け抜ける、怒涛の全国ツアー。
地方のホールクラスから始まったライブは、公演を重ねるごとにチケットがプラチナ化し、瞬く間にアリーナクラスへと規模を拡大していった。
テレビの音楽番組への出演、雑誌の表紙、企業CMのタイアップ。
息をつく暇もないほどの殺人的なスケジュールの中、彼らは一度たりとも弱音を吐かなかった。
陽斗は底なしの体力と笑顔で現場の空気を明るく照らし、透は喉のケアを徹底しながら毎公演で完璧なピッチを叩き出し、ルイは絶対的なリーダーとして、チームのパフォーマンスをミリ単位で研ぎ澄ませ続けた。
そして――季節が少しだけ秋の気配を帯び始めた頃。
「……信じられない。本当に、ここまで来ちゃった」
国内最大級の収容人数を誇る、超巨大ドームアリーナ。
私は、開演を三十分後に控えた無人のアリーナ席の最後尾に立ち、頭上に広がる途方もなく巨大な空間を見上げていた。
本日のツアーファイナル。観客動員数、五万人。
あの日、数十人しかいない小さなライブハウスで、互いの音も聞かずにステージを崩壊させていた彼らが。
たった数ヶ月で、五万人もの熱狂的なファンを熱狂させる、正真正銘の『トップアイドル』へと登り詰めたのだ。
「水瀬さーん! メンバーのインカムの最終チェック終わりました! あと十五分でスタンバイお願いします!」
アリーナを走り回るスタッフの声で、私はハッと現実に引き戻される。
「はい! 今すぐ向かいます!」
私はバインダーを抱え、迷路のように入り組んだドームの裏側、熱気に包まれたバックヤードへと走り出した。
「ハァ……ハァ……ヤバい、さすがにちょっと緊張してきた……っ」
広大な専用楽屋。
豪華な装飾が施された真紅のミリタリー調のステージ衣装に身を包んだ陽斗が、落ち着かない様子で部屋の中をウロウロと歩き回っている。
「……落ち着け。お前のステップがブレたら、俺の歌の入りも狂う」
ソファに深く腰掛けた透が、ミネラルウォーターで喉を潤しながら静かに釘を刺す。その言葉とは裏腹に、彼の手元にあるペットボトルは、微かに、本当に微かにだが震えていた。
五万人の視線。それは、彼らが今まで経験したことのない、規格外のプレッシャーだ。
「二人とも、深呼吸して!」
私が楽屋に飛び込みながら声をかけると、二人は弾かれたようにこちらを向いた。
「今までやってきたことを思い出して。あなたたちはもう、どんなトラブルがあってもお互いをカバーできる最高のチームなんだから。……大丈夫、絶対に成功するよ」
私が一人ひとりの背中を力強く叩くと、陽斗はふぅっと長く息を吐き出して笑顔を作り、透は「分かってる」と小さく頷いてイヤホンを外した。
「――時間だ」
楽屋の奥、姿見の前で最終確認をしていたルイが、静かに振り返る。
真紅のロングジャケット。銀糸の刺繍。そして、五万人を完全に支配するために研ぎ澄まされた、氷のように冷たく、炎のように熱い切れ長の瞳。
圧倒的な王の帰還。
彼が一歩踏み出しただけで、楽屋の空気がピリッと引き締まり、陽斗と透の顔つきが完全に『プロ』のそれへと切り替わった。
「行くぞ。俺たちの証明を、五万人の目に焼き付けてやる」
「おうっ!!」
「……ああ」
三人が楽屋を出て、薄暗い長い廊下をステージへと向かって歩き出す。
私はその後ろ姿を、胸を熱くしながら追いかけた。
ステージの真下、ポップアップリフトの待機場所。
頭上からは、開演を待ちわびる五万人の地鳴りのような歓声と、手拍子が降り注いでいる。ズシン、ズシンと、コンクリートの床が揺れるほどのすさまじい熱気。
「スタンバイ、三十秒前!」
スタッフの鋭い声が飛ぶ。
陽斗と透が、それぞれのリフトに乗り込み、スタンバイの姿勢に入る。
私も最後のエールを送るため、中央のリフトに向かうルイの元へ駆け寄ろうとした。
ガシッ。
「……えっ」
すれ違いざま、暗闇の中で、私の手首が強い力で引かれた。
機材の影、スタッフの視界から一瞬だけ外れる死角。
ルイは私を力強く引き寄せると、そのまま私の背中を壁に押し当て、息がかかるほどの至近距離で私を見下ろした。
「ル、イくん……もう、本番……っ」
「知ってる」
ドームの轟音が響く中、彼の低く甘い声だけが、私の鼓膜を鮮明に震わせる。
「……ここまで連れてきてくれて、ありがとな。俺の、最高のマネージャー」
「……っ」
その真っ直ぐな感謝の言葉に、目頭が熱くなる。
でも、彼はそれだけで終わる男ではなかった。
ルイは私の顎を指先でクイッと持ち上げると、ギリギリで唇は触れ合わない、けれど確実に『熱』を共有する距離で、不敵に笑った。
「言っただろ。俺が誰も文句の言えねぇ頂点に立ったら、お前を俺の隣に引きずり出すって」
「ルイ、くん……」
「今日が、その日だ。……俺が五万人をひれ伏させる瞬間、一秒たりとも目ェ逸らすなよ」
暗闇の中で、彼の瞳が野心と強烈な愛情でギラギラと燃え盛っている。
私は胸の奥を鷲掴みにされたような甘い痺れを感じながら、力強くコクンと頷いた。
「うん。……行ってらっしゃい、私の王様」
その言葉に、ルイは最高に美しい笑みを浮かべ、私の頬を一度だけ愛おしげに撫でた。
「行ってくる」
彼は翻ってリフトに乗り込み、真っ直ぐに前を見据えた。
重低音のイントロが鳴り響き、五万人の絶叫がドームを揺るがす。
『――Ladies and Gentlemen! Are you ready!?』
バァァァァンッ!!!
特効の爆発音と共に、三人を乗せたリフトが一気に光の溢れるステージへと打ち上げられる。
私は機材の影から飛び出し、ステージ袖のモニターに張り付いた。
眩いばかりの光の海。五万個のペンライトが波打ち、割れんばかりの大歓声が彼らを包み込む。
最強のアイドルと、秘密の共犯者。
誰も知らない私たちの約束を胸に秘め、すべてを懸けた『頂点のステージ』が、今、華々しく幕を開けた。




