【Part 2】ハリネズミの告知と、神戸の潮風
カタカタカタ……ッ!
事務所のデスクで、私はキーボードを叩く手に熱を込めていた。
パソコンの画面に並んでいるのは、彼らの公式ブログと、熱心なファンが多く集まる『note』の編集画面だ。
「……よし。これで検索からの流入もばっちり拾えるはず」
彼らの魅力を一人でも多くの人に届けるため、SEOを意識したキーワード設定は欠かせない。記事のタイトルや見出しに自然な形でワードを散りばめ、さらに視覚的に目を引くためのヘッダー画像も、私が専用ソフトを使って自作した。
画面に映し出されているのは、二つの大きな告知グラフィックだ。
一つは、6月に神戸の『メリケンパーク』で開催される、全国プロモーションのキックオフイベント。
そしてもう一つは、6月に開催される『ハリネズミ雑貨展2026』と、そこで行われる特別企画――ハリスタバ先生によるワークショップの案内である。
「ひなちゃん、何作ってんのー?」
後ろからヒョッコリと顔を出した陽斗が、私のパソコンの画面を覗き込む。
「あ、これ! ハリネズミのやつじゃん! うわ、グラフィックめっちゃ可愛くできてる! さすがひなちゃん!」
「ふふ、ありがとう。アンバサダーとしてあなたたちもワークショップに顔を出すから、ファンの子たちがいっぱい来てくれるように気合入れて作ったの」
「ハリネズミかぁ。最初は俺たちのことチクチクしてるって言ってたのに、今じゃ公式アンバサダーだもんな。なんかウケる」
陽斗がケラケラと笑う。
その隣を通りかかった透が、画面を一瞥して小さく息を吐いた。
「……可愛いグラフィックと俺らの顔が並んでるの、シュールすぎないか。特にルイのあの鋭い顔とハリネズミのイラスト」
「いいの! そのギャップがたまらないって、SNSでバズってるんだから」
私が胸を張って答えると、透は「はいはい」と呆れたように手をひらひらさせてレッスン室へ向かっていった。
忙しくも充実したプロモーションの準備期間は、本当に飛ぶように過ぎていった。
メディアへの露出が増えるたびに彼らの知名度は跳ね上がり、それに比例して私の業務量も爆発的に増えたが、不思議と疲れは感じなかった。
彼らが確実にスターダムへの階段を駆け上がっているという手応えが、私にとって何よりの特効薬だったからだ。
そして――季節は初夏を迎え。
私たちはついに、新プロジェクトの幕開けとなる地、神戸へと降り立った。
「うわぁっ、海だ! 潮風の匂いがするっしょ!」
新神戸駅から車で移動し、海沿いのエリアに出た途端、陽斗が車の窓に顔を張り付けて歓声を上げる。
初夏の太陽が、穏やかな波をキラキラと反射して眩しい。
「陽斗、窓開けんな。髪のセットが崩れるだろ」
助手席に座るルイが、ルームミラー越しに冷たく注意する。
彼らはすでに、新曲のコンセプトに合わせた完璧なヘアメイクと衣装を纏っていた。
車が停まったのは、洗練されたレンガ造りの洋館やスタイリッシュなカフェが立ち並ぶ、神戸の海辺のエリア。
その一角にある『メリケンパーク』が、今回のプロジェクトローンチイベントの舞台だ。
「お疲れ様です! スターリー・プロモーションさん、お待ちしておりました!」
貸し切られたカフェの入り口で、現地のイベントスタッフたちが慌ただしく出迎えてくれる。
店内は、ヴィンテージ感のあるウッド調の家具と、海を望む大きなガラス窓が特徴的な、息を呑むほどお洒落な空間だった。
すでに中央には記者会見用のステージが組まれ、数多くのメディアのカメラがズラリと並んでいる。
「うわ……結構な数のカメラだな」
透が少しだけ緊張した面持ちで呟く。
彼らがここまで大々的な記者発表を行うのは、これが初めてだ。
「大丈夫。あなたたちのパフォーマンスを見せつければ、全部のカメラがあなたたちの虜になるから。……さ、控室で最終確認するよ!」
私が背中を押すと、三人は頷き、カフェの奥に用意された控室へと向かっていった。
イベントの開始時刻まで、あと三十分。
私は彼らの動線の確認と、マイクのセッティングを最終チェックするため、誰もいないカフェのカウンター裏へと入り込んだ。
「よし、音響も問題なし。あとは照明のタイミングを……」
バインダーに目を落としながら呟いた、その時だった。
「……水瀬」
背後から、不意に手首を掴まれて強く引かれた。
「わっ……!」
声を出しかけた私の口が、大きな手のひらでスッと塞がれる。
そのまま壁際の死角――カウンターの影の、暗い隙間へと強引に引きずり込まれた。
むわっと押し寄せてくる、シトラスとスパイスの香り。
そして、完璧な衣装に身を包んだ、神城ルイの凶暴なほど美しい顔が、至近距離に迫っていた。
「ル、イくん……! もうすぐ本番なのに、こんなところで何して……」
私が慌てて声を潜めると、ルイは壁に手をつき、私を完全に退路のない状態に閉じ込めた。
ガラス窓から差し込む神戸の明るい日差しが、彼の背中越しに逆光となって輪郭を照らしている。
そのせいで、影になった彼の切れ長の瞳が、獲物を狙う肉食獣のようにギラギラと光って見えた。
「確認しに来たんだよ」
低く、甘い声が耳元を掠める。
「か、確認って……マイクなら今チェックしたし、台本も……」
「そういう仕事の確認じゃねぇよ」
ルイの指先が、私の頬から首筋へと、ぞくぞくするほどゆっくりと滑り落ちる。
ビクッと肩が跳ね、全身の産毛が逆立つような強烈な感覚に襲われた。
「あのエレベーターで言ったこと、まさか忘れたとは言わせねぇぞ」
「……っ」
『夜は、俺の部屋に来いよ。俺の女として、な』
あの日、彼が耳元で囁いた絶対的な命令が、一気に脳内にフラッシュバックする。
顔がボンッと音を立てそうなほど熱くなる。
「……忘れて、ない、けど」
「ならいい。今日のイベント終わったら、そのままホテルの最上階だ。逃げられると思うなよ」
ルイは私の顔を覗き込み、フッと満足そうに口角を上げた。
「……ほんと、どこまで王様なのよ」
私が真っ赤になりながら睨み返すと、彼は一瞬だけ目を細め、私の唇に、自分の親指の腹をそっと押し当てた。
「俺が王様なら、お前は女王様だろ。……俺の隣に立つんだからな」
その言葉と同時に、遠くから「スターリーさん、スタンバイお願いします!」というスタッフの声が響いた。
ルイは瞬時にアイドルの顔へと切り替わり、「行くぞ」と短く言い残して、光の当たるステージの方へと歩き出していく。
取り残された私は、カウンターの影で、爆音で鳴り響く自分の心臓を必死に押さえつけていた。
神戸の潮風よりも、初夏の日差しよりも熱い、彼からの逃げ場のない宣戦布告。
全国プロモーションの幕開けとなるこの美しい港町で、私たちの甘く危険な夜が、静かに足音を立てて近づいていた。




