【Part 3】フラッシュの海と、最上階へのルームキー
パシャパシャパシャッ!!
神戸の海を背景にした『メリケンパーク』の特設ステージ。
無数のカメラのフラッシュが、三人の姿を白昼夢のように照らし出している。
「それでは神城さん、今回の全国プロモーションの意気込みと、ファンの間で話題になっている『ハリネズミ』のアンバサダー就任について一言お願いします」
最前列の記者がマイクを向ける。
センターに立つルイは、余裕に満ちた笑みを浮かべ、手元のマイクをゆっくりと口元へ運んだ。
「俺たちが今まで東京で培ってきた熱を、この神戸から全国へ感染させていくつもりです。……それから、ハリネズミについてですが」
ルイの切れ長の瞳が、ふと悪戯っぽく細められる。
「俺たち、最初は互いに威嚇し合ってチクチクしてたんで、まさにハリネズミそのものでした。でも今は、そのトゲの奥にある温かさを知っています」
「キャアアッ……」と、取材に来ているはずの女性記者たちから、思わずといった様子の黄色い声が漏れた。
「来週、6月7日に開催される『ハリネズミ雑貨展2026』では、公式アンバサダーとしてハリスタバ先生のワークショップにも参加させていただきます。俺たちのトゲの奥を……ぜひ、直接確かめに来てください」
完璧なコメント。そして、計算し尽くされた極上の視線殺し。
会場の空気が、完全にルイの放つ色気とカリスマ性に支配されていく。
その横で、陽斗が「俺の作ったハリネズミグッズも見てねー!」と無邪気に手を振り、透が「……トゲ、抜かないように気をつけます」とクールに落とす。
三人の絶妙なバランス。
私はカフェの壁際に立ち、バインダーを胸に抱きしめながら、その光景を誇らしい気持ちで見つめていた。
(……すごい。本当に、遠いところまで来たんだな)
彼らはもう、自分の見せ方を完璧に理解している。
私の出番なんて、もう表舞台には何一つ残されていない。
でも、寂しさはなかった。なぜなら、あの絶対君主が、世界中の誰よりも熱い視線を『裏方』である私に向けてくれていることを、知っているから。
『今日のイベント終わったら、そのままホテルの最上階だ。逃げられると思うなよ』
イベントの最中だというのに、彼のあの甘く低い声が鼓膜に蘇り、私の頬は勝手に熱を持ってしまうのだった。
午後九時。
大成功に終わったキックオフイベントと、地元メディアの個別取材をすべて終え、私たちは神戸の夜景を一望できるラグジュアリーホテルへと到着した。
「うわぁーっ、ベッドふっかふか! 夜景ヤバっ!」
陽斗と透に割り当てられたツインルームに荷物を運び込むと、陽斗は靴を脱ぐなりベッドへダイブした。
「……おい、汗かいた服でベッド乗んな。先にシャワー浴びろ」
透がキャリーケースを開きながら、眉間にシワを寄せて陽斗の襟首を引っ張る。
相変わらずのやり取りにクスッと笑いながら、私は二人に明日のスケジュール表を手渡した。
「明日は朝九時ロビー集合ね。移動が長いから、今日は二人ともゆっくり休んで」
「はーい! ひなちゃんもお疲れー!」
「……おやすみ」
二人の部屋を後にし、私はふぅ、と小さく息を吐き出す。
重厚な絨毯が敷かれた、静まり返ったホテルの廊下。
私の手の中には、二つのルームキーが握られている。
一つは、私の部屋の鍵。
そしてもう一つは……セキュリティゲートの先、このホテルの最上階にあるスイートルームのスペアキーだ。
(……どうしよう)
リーダーであるルイの部屋は、セキュリティの観点から常に最上階の奥と決められている。何かあった時のために、マネージャーである私がスペアキーを預かるのも、業務上の通常ルールだ。
だが、今夜ばかりは、この小さなカードキーが恐ろしく重い。
『マネージャーとしてじゃなく……俺の女として、な』
頭の中で、警報が鳴り響いている。
行けば、もう完全に『仕事』という言い訳は通用しなくなる。マネージャーとタレントという境界線を、完全に越えてしまうことになる。
でも。
(……逃げたくない)
私は、ギュッとカードキーを握りしめた。
彼が私を必要としてくれて、私が彼を求めている。その真実から目を背けて、一人で安全な部屋に閉じこもるなんて、もうできない。
私は覚悟を決め、最上階行きのエレベーターのボタンを押した。
チーン。
静かな電子音とともに、エレベーターの扉が開く。
最上階のフロアは、他の階よりもさらに照明が落とされ、静寂と高級感に包まれていた。
フカフカの絨毯が私の足音を完全に吸収する。
一番奥の角部屋。
『Presidential Suite』と刻まれた重厚なドアの前に立つ。
心臓が、肋骨を突き破りそうなほど激しく打ち鳴っている。
息を整え、ノックしようと右手を持ち上げた、その時だった。
カチャリ。
私がカードキーをかざすよりも早く、内側からドアが開いた。
「っ……!」
「……遅ぇよ」
ドアの隙間から現れたのは、シャワーを浴びたばかりの神城ルイだった。
ホテルの備え付けの、黒いシルクのバスローブ姿。
濡れた黒髪から水滴が滴り落ち、はだけた胸元からは、引き締まった筋肉と鎖骨が惜しげもなく覗いている。
「ル、イくん……私、まだノックも」
「足音で分かった」
ルイは私の腕を掴むと、そのまま強引に部屋の中へと引きずり込んだ。
バタンッ!
背後で重たいドアが閉まり、オートロックが掛かる音が響く。
間接照明だけが灯る、広大でラグジュアリーなスイートルーム。窓の向こうには、宝石箱をひっくり返したような神戸の夜景が広がっている。
だが、そんな景色を見る余裕は一秒たりともなかった。
「ちょっ、ルイくん……っ!」
ドアを背にした私に、彼が覆い被さるようにして両手をつく。
逃げ場のない『壁ドン』。
シトラスの香りが混じった熱いシャワーの残り香と、彼の放つ圧倒的なオスの熱気に、頭がクラクラする。
「……逃げずに来たな」
ルイが顔を近づけ、至近距離で私を見下ろす。
切れ長の瞳には、アイドルの仮面を完全に剥ぎ捨てた、一人の男としての強烈な飢餓感が燃えていた。
「に、逃げないよ。……約束、したから」
私が震える声で精一杯強がると、ルイの口角がフッと上がり、凶暴なまでに甘い笑みを浮かべた。
「上等だ」
次の瞬間。
彼の手が私の後頭部を優しく、けれど力強くホールドし、熱い唇が、私の唇を完全に塞いだ。
「んっ……!」
重なる唇から、彼の熱が直接流れ込んでくる。
それは、今までのような言葉による威嚇でも、牽制でもない。
私という存在を隅から隅まで自分のものだとマーキングするような、深くて、甘くて、どうしようもなく情熱的な口づけだった。
「……っ、ぁ……ル、イ……っ」
息が続かず、私が微かに唇を離して甘い吐息を漏らすと、ルイは私の腰に腕を回し、さらに身体を密着させてくる。
「もう……絶対、手放さねぇからな」
耳元で低く囁かれたその言葉は、呪いのように甘く、私の理性を完全に溶かしていく。
神戸の夜景を見下ろす最上階の密室で。
私たちは、マネージャーとアイドルという境界線を完全に飛び越え、後戻りできない甘い熱の中へと、深く沈んでいった。




