【Part 2】深夜のハイウェイと、助手席の体温
時刻は深夜十一時を回っていた。
都内での長時間の撮影と、立て続けに入ったネット番組の収録を終え、私たちは事務所のマイクロバスで帰路についていた。
「……んー、むにゃ……」
ルームミラー越しに後部座席を覗き込むと、陽斗はシートベルトに縛られたまま、窓ガラスに頭を押し付けて幸せそうに爆睡している。
その一つ後ろの席では、透が首にネックピローを巻き、イヤホンをしたまま静かに丸まっていた。二人とも、完全に夢の中だ。
(今日は本当にハードだったもんね。お疲れ様)
心の中で二人に労いの言葉をかけ、私はハンドルを握り直す。
深夜の首都高速。オレンジ色の街灯が等間隔に車内を照らし、通り過ぎていく。
タイヤがアスファルトを擦る静かな走行音と、微かなエンジンの振動だけが、心地よい子守唄のように響いていた。
「……代わろうか」
不意に、すぐ隣から低い声が落ちてきた。
ビクッとして横を見ると、助手席に深く背中を預けていたルイが、窓の外の夜景から視線を外し、こちらを見つめていた。
「ううん、大丈夫。ルイくんも疲れてるでしょ? 少し寝てていいよ」
「俺は別に。お前こそ、朝からずっと走り回ってただろ」
ルイは少しだけ身を乗り出し、コンソールボックスのドリンクホルダーに置かれていた、温かいブラックコーヒーの缶を私の手にそっと押し付けた。
さっきのパーキングエリアで、彼が「ついでだ」とぶっきらぼうに買ってきてくれたものだ。
「……ありがとう。でも、運転は私の仕事だから」
「またそれか。仕事仕事って、お前は本当に可愛げがねぇな」
ルイは呆れたように息を吐き出し、再びシートに背中を預ける。
でも、その視線は窓の外ではなく、ずっと私の横顔に向けられているのが、肌を刺すような熱で伝わってくる。
(見られてる……)
ただでさえ、今日のスタジオでの『間接キス事件』のせいで、彼をまともに直視できない状態が続いているのに。
暗い車内、オレンジ色の光が彼の彫刻のような横顔に深い陰影を作り、その色気を何倍にも増幅させている。
「……ねえ、ルイくん。あんまりじっと見られると、運転に集中できないんだけど」
私が前を向いたまま耐えきれずに抗議すると、ルイはフッと低く笑った。
「見とけって言ったのはお前だろ」
「それは、ステージの上のあなたたちを、でしょ」
「俺は、ステージ降りても四六時中、俺だけを見ててほしいけどな」
「っ……!」
ハンドルの上で、無意識に指先がギュッと硬くなる。
心臓が、エンジンの振動をかき消すほどの爆音で跳ね始めた。
「からかわないでよ……っ」
「からかってねぇよ。俺はいつだって本気だ」
ルイの大きな手が伸びてきて、シフトレバーに置かれていた私の左手の上に、そっと重ねられた。
ビクッと肩が震える。
彼の体温はいつも通り高くて、その熱が、私の皮膚から血管を通って、直接心臓へと流れ込んでくるようだった。
「……ル、イくん。運転中……」
「手くらい繋いだままでも運転できるだろ」
彼は私の手を払いのけることを許さないように、長い指を私の指の間に滑り込ませ、ギュッと恋人繋ぎの形にホールドした。
「〜〜〜ッ!」
完全に、キャパオーバーだ。
頭の先まで一気に血が上り、顔から火が出そうになる。
後ろには陽斗と透がいるとはいえ、彼らは完全に熟睡している。この暗い運転席と助手席の空間だけが、まるで世界から切り離されたような、危険で甘い密室になっていた。
「……お前、手が冷てぇな」
ルイは繋いだ私の手を自分の膝の上へと引き寄せ、もう片方の手で包み込むようにして温め始めた。
「……っ、ルイくんの手が、熱すぎるだけだよ」
震える声で精一杯の強がりを言うと、ルイは私の耳元まで顔を寄せ、吐息混じりに囁いた。
「お前が俺を、そうさせてんだろ」
「あ……」
「お前のその、誰にでも平等に優しい『保育士』みたいな態度、マジで気に入らねぇ。俺だけを特別扱いしろって、いつも言ってんのに」
甘いけれど、強烈な独占欲と少しの苛立ちが混じった声。
彼は、私が陽斗の世話を焼いたり、透の言葉に笑いかけたりするたびに、いつも不機嫌な顔をして間に割って入ってくるようになった。
それが彼なりの『ヤキモチ』なのだと気づいてしまってから、私はますます彼を『一人の男性』として強烈に意識するようになってしまったのだ。
「……特別扱い、してるよ。あなたがリーダーだから」
「リーダーとして、じゃねぇ。男として、だ」
ルイの親指が、私の手の甲をゆっくりと撫でる。
そのぞくぞくするような甘い感触に、私は反論する言葉を完全に失ってしまった。
車内は再び静寂に包まれる。
繋がれた手から伝わる彼の熱と、私の速すぎる脈拍だけが、この空間の真実だった。
「……三週間後」
不意に、ルイがポツリと呟いた。
「え?」
「次の大型フェス。うちの事務所みたいな弱小が、本来なら出られないようなデカいステージだ」
彼の瞳に、先ほどまでの甘い熱とは違う、鋭く研ぎ澄まされた光が宿る。
社長が取ってきた、彼らの快進撃を決定づけるための大勝負。数万人の観客が集まる、国内有数の野外フェスへの出演。
「絶対に、俺たちが一番の歓声をかっ攫う。……お前を、俺たちにしか見せられない最高の景色に連れてってやるから」
それは、あの日「俺たちを最強にするのはお前の仕事だ」と言った彼からの、初めての『約束』だった。
連れて行ってもらうんじゃない。彼が、私を連れて行くと言っている。
「……うん。楽しみにしてる」
私が小さく頷き返すと、ルイは繋いだ手にギュッと力を込め、満足そうに目を閉じた。
「……だから、それまで他の奴に余所見すんなよ。水瀬」
眠りに落ちる直前のような掠れた声。
やがて、彼から規則正しい寝息が聞こえ始めた。
私は、左手を彼にホールドされたまま、右手だけで慎重にハンドルを操作し続ける。
(……ズルいよ、本当に)
こんなに甘く縛り付けられたら、もう逃げ出せるわけがない。
マネージャーとしての責任感と同じくらいの重さで、彼を愛おしいと思う感情が、私の中で確かな形を持って育ち始めていた。
深夜のハイウェイ。
助手席からの温かい体温を感じながら、私たちの乗ったバスは、約束された『最高の景色』に向かって真っ直ぐに走り続けていた。




