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絶対君主のハリネズミは、専属マネージャーにだけ甘く牙を剥く〜崖っぷちアイドルをプロデュースしたら、世界一重い愛で包囲されました〜  作者: はりねずみの肉球
第7章:最後のステージ

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【Part 2】熱狂の終わりと、冷たい鉄の扉

ラストナンバーの美しいピアノの旋律が、ライブハウスの熱気を優しく包み込んでいく。


私はステージ袖から続く暗い通路を後ずさりし、非常口を示す緑色の誘導灯の下で、ピタリと足を止めた。

これが、最後。

そう自分に言い聞かせ、もう一度だけ、眩い光が溢れるステージの方へと振り返る。


『――♪……』


透が紡ぐ、切なくも力強い最後のロングトーン。

それが空気の中にスッと溶けて消え、曲が完全に終わる。

コンマ一秒の、完璧な静寂。


直後。

鼓膜が破れそうなほどの、爆発的な大歓声と拍手が会場を揺らした。


「キャアアアアッ!!」

「最高ッ!! ずっとついていくからーッ!!」


熱狂。興奮。そして、割れんばかりの拍手の雨。

ステージの上の三人は、肩で激しく息をしながら、客席に向かって深く、長く頭を下げている。

二階席の社長も、立ち上がって惜しみない拍手を送っているのが見えた。


(……勝ったんだ)


誰も彼らを「寄せ集めのゴミ」なんて呼ばない。

彼らは自らの実力で、見下していた大人たちを完全に黙らせたのだ。


やがて、ステージの照明がふっと落とされる。

暗転したステージから、三人の影が袖に向かって小走りで戻ってくるのが見えた。


「ハァッ……ハァッ……」


荒い息遣いが、暗い通路に近づいてくる。


「やった……俺、間違えなかった! 最高のステップ踏めたッ!」


暗闇の中で、陽斗が興奮しきった声で叫ぶ。

彼はそのままの勢いで、隣を歩いていた透にガバッと抱きついた。


「うわっ、暑苦しい! 汗くっつけんな!」

「いいじゃん! 透の歌、マジで神懸かってたっしょ! 俺、踊りながら鳥肌立ったし!」

「……お前が邪魔しなかったからな」


透は口では毒づきながらも、陽斗を本気で突き飛ばそうとはしていない。暗がりでも分かるほど、その口元は達成感で柔らかく綻んでいる。

そして、その二人の背中をドンッと力強く叩く、大きな影。


「浮かれんな。ここからがスタートだぞ」


ルイだ。

彼もまた、全身汗だくで息を弾ませているが、纏っているオーラは王者の風格そのものだった。

彼は陽斗の頭を乱暴に撫で回し、透と短く拳を突き合わせる。


誰も、一人じゃない。

互いの才能を認め合い、背中を預け合える、本物の『チーム』。

私が喉から手が出るほど見たかった景色が、今、目の前にある。


「……ひなちゃん! ひなちゃん、どこ!」


陽斗が、キョロキョロと袖の暗闇を見回しながら私の名前を呼ぶ。


「あいつ、泣きすぎてへばってんじゃねぇの」


透が呆れたように言うが、その声色には確かな親愛がこもっている。


「……水瀬?」


ルイの声が、一段低くなる。

彼の鋭い視線が、暗闇の奥を、私のいる非常口の方へと真っ直ぐに向けられた。


(……っ)


心臓が、痛いほど跳ねる。

今すぐ駆け寄って、「最高だったよ」って、思い切り三人を抱きしめたい。

タオルを渡して、冷たいお水を飲ませて、一緒に泣き笑いしたい。


でも、私の足は前へは進まない。

コンクリートの床に縫い付けられたように、動かない。


(私は、保育士だから)


保育園の先生は、子どもたちをずっと手元に置いておくことはできない。

愛情を注いで、立って歩けるように育てたら、最後は笑って次の場所へ送り出すのが仕事だ。

彼らはもう、大人を恐れて威嚇する迷子じゃない。

光の当たるステージで、大勢のファンに愛されて生きていく本物のアイドルだ。


だから、ここで卒業。

これ以上私が彼らの内側に深く入り込めば、一人の女性としての情が湧き、彼らの足枷になってしまう。


ルイの足音が、一歩、こちらへ向かって踏み出されるのが見えた。


「おい、水瀬。どこに……」


私は息を殺し、静かに、非常口の重たい鉄の扉に手をかける。

そして、彼らの方へ向かって、誰にも聞こえない声で唇だけを動かした。


『――ありがとう。さようなら』


ガチャン。


冷たい金属音とともに、重厚な鉄の扉を押し開ける。


「水瀬ッ!?」


背後でルイの鋭い叫び声が聞こえた気がしたが、私は振り返らずに外へ飛び出し、そのまま力一杯扉を閉めた。


バタンッ!!


分厚い鉄の扉が閉まった瞬間、ライブハウスの爆音と熱気が、嘘のように遮断される。

代わりに全身を包み込んだのは、深夜の新宿の、氷のように冷たく鋭い夜風だった。


「……っ、うぅ……」


裏路地の暗がりに出た途端、堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。

両手で顔を覆い、しゃくり上げるようにして泣く。

足元がふらつき、冷たいレンガの壁に手をついて、必死に体を支える。


痛い。

胸の奥が、引きちぎられるように痛い。

彼らを立派なステージに送り出した達成感よりも、彼らの体温を、あの騒がしい日常を、二度と味わえないという圧倒的な喪失感が、私を容赦なく殴りつける。


『お前が無理やり繋ぎ止めたんだ。途中で投げ出すなよ』

『俺たちを最強のアイドルにするのは、お前の仕事だからな』


ルイの不器用な信頼の言葉が、耳の奥で呪いのように反響する。


(ごめんなさい……ごめんなさい、ルイくん)


私は彼らを見捨てたわけじゃない。彼らの未来を守るために、身を引いたんだ。

そう自分に言い聞かせても、涙は全く止まってくれない。


私は壁から手を離し、濡れた頬を袖口で乱暴に拭う。

早くしなければ。彼らが楽屋に戻って着替えを終える前に、マンションの部屋を空っぽにしなければならない。


私はヒールの音を響かせながら、ネオンが毒々しく光る大通りへと早歩きで向かった。


午前一時。

1401号室。私に与えられた、広すぎるワンルーム。


私は無言のまま、部屋の隅に広げたキャリーケースに、自分の荷物を次々と放り込んでいく。

洋服、化粧品、そして、保育園から持ち帰ってきたあの色褪せたウサギのエプロン。

元々荷物は少なかったから、パッキングはあっという間に終わってしまった。


ジッパーを閉める、ジーッという無機質な音が、しんと静まり返った部屋に響く。


隣の1402号室からは、何の音も聞こえない。

彼らは今頃、打ち上げの席で社長やスタッフたちに囲まれ、これからの輝かしい未来について語り合っているはずだ。そこに私の居場所はない。


私は立ち上がり、ガラガラとキャリーケースを引きずって玄関へと向かう。

最後に、下駄箱の上の小さなトレイに、二つのものをそっと置いた。


『1401』と刻印された、この部屋の銀色の鍵。

そして、『スターリー・プロモーション 専属マネージャー 水瀬ひな』と書かれた、プラスチックのスタッフパス。


「……お世話に、なりました」


誰もいない部屋に向かって、深く一礼する。


ドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

内廊下の冷たい空気が、私を現実に引き戻す。


隣の1402号室のドアを、一度だけじっと見つめる。

あの扉の向こうで、一緒に冷めた味噌汁を温め直して食べたこと。

ガラスの破片を片付けながら、ルイの背中を叩いたこと。


(全部、私の宝物だよ。……ばいばい)


心の中で最後の別れを告げ、私はエレベーターへと歩き出す。


マンションのエントランスを抜け、深夜の静かな通りに出る。

冷たい夜風が、私の火照った頬を冷ましていく。

ポケットに突っ込んだスマートフォンは、電源を落としてある。連絡が来ても、もう応えることはできない。


私はキャリーケースのハンドルを強く握りしめ、一度も振り返ることなく、暗い夜道へと歩き出した。

彼らのいない、私だけの一人の時間が、再び残酷に動き始めていた。

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