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絶対君主のハリネズミは、専属マネージャーにだけ甘く牙を剥く〜崖っぷちアイドルをプロデュースしたら、世界一重い愛で包囲されました〜  作者: はりねずみの肉球
第3章:才能と崩壊の境界線

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【Part 3】新宿の熱狂と、狂い始めた歯車

ズンッ……ズンッ……!


足の裏から、地鳴りのような重低音が這い上がってくる。

地下特有のカビと埃が混ざった匂いに、ハードスプレーのケミカルな香りと、むわっとした人いきれ。

壁にかかったパイプ管が、上のフロアの熱気を伝えるように微かに振動している。


新宿のライブハウス、開演三十分前。

ベニヤ板で仕切られただけの狭い楽屋の空気は、張り詰めるというより、もはや『凍結』していた。


「……陽斗くん、少し水飲んでおこっか。唇、カサカサだよ」


私はクーラーボックスから冷えたペットボトルを取り出し、パイプ椅子で貧乏揺すりを続けている陽斗に差し出す。

彼はビクッと肩を揺らし、虚ろな目で私を見上げた。


「え……あ、うん。サンキュ……」


受け取ったペットボトルを開けようとする彼の手は、カタカタと情けない音を立てて震えている。

いつもなら「余裕っしょ!」とヘラヘラ笑うはずの口元は、血の気が引いて真っ白だ。

『チケットが完売しなければ解散』。

社長から突きつけられたその絶対的な条件が、目に見えない巨大なプレッシャーとなって、最年少の彼の肩に重くのしかかっている。


「……うざ。そんなブルブル震えてるなら、今すぐ帰れよ。目障りだ」


部屋の対角線、パイプ椅子に深く腰掛けて足を組むルイが、氷点下の声で吐き捨てる。

黒を基調としたステージ衣装。完璧にセットされた髪。

外見は非の打ち所がないほど仕上がっているが、彼が膝の上で組んでいる両手は、指の関節が白くなるほど強く、強く握りしめられている。


「……ルイくんこそ、何回同じとこ鏡で見てんの。自分の顔、不安なの?」


部屋の隅から、透の低く皮肉めいた声が飛ぶ。

彼は壁に背中を預け、目を閉じたまま首にかけたイヤホンのコードを指先で神経質にいじっている。

彼の顔色も、陽斗以上に青白い。


「てめぇ……本番前にぶっ飛ばされたいか」


「やれるもんならやってみれば。どうせ俺ら、今日で終わりかもしれないんだし」


「……ッ!」


ルイがパイプ椅子を蹴るようにして立ち上がる。


「はい、ストップ!!」


私は咄嗟に二人の間に割って入り、両手を広げる。

この一ヶ月、何度この光景を繰り返してきただろう。

才能はある。しかし、それを束ねる接着剤が彼らにはない。

お互いの不安を、相手を攻撃することでしか誤魔化せない。彼らは未熟で、あまりにも不器用だ。


「喧嘩してる暇があるなら、ストレッチの一回でもして! チケットは完売したの! 満員のお客さんが、あなたたちを待ってるんだから!」


私の言葉に、ルイはチッと舌打ちをして視線を逸らす。透もフイッと顔を背けた。

バラバラの視線。交わらない感情。

それでも、時間は残酷に前へと進む。


『――スターリーさん、本番五分前です! ステージ袖へお願いします!』


スタッフの緊迫した声が、楽屋のドアを叩く。


「……行くよ」


私が声をかけると、三人は無言のまま重い腰を上げ、薄暗い廊下へと歩き出した。


ステージ袖。

黒いカーテンの向こう側から、三百人の観客のざわめきが、巨大な波のように押し寄せてくる。

頭上を飛び交うスポットライトの熱気。焦げた埃の匂いと、スモークマシンの甘い匂いが鼻腔を突く。


「……っ」


私の横で、陽斗が小さく嗚咽のような息を漏らす。

彼は自分の両腕を抱きしめ、ガチガチと歯の根を鳴らしている。極度の緊張で、今にも倒れてしまいそうだ。


私は迷わず、彼の一歩前に立つ。

そして、彼が抱きしめている両腕の上から、自分の両手を重ねてギュッと強く握りしめた。


「……ひな、ちゃん?」


「大丈夫。陽斗くんのダンスは、誰よりもかっこいい。私が保証する」


真っ直ぐに目を見て断言する。

保育園の発表会で、泣き出してしまった子をステージに送り出す時と同じ。根拠なんてなくてもいい。大人が「絶対に大丈夫」と言い切ってやることが、彼らの唯一の命綱になるのだから。


陽斗の瞳に、微かに光が戻る。彼は大きく息を吐き出し、コクンと頷いた。


「……ありがと」


そのやり取りを、ルイと透が横目で冷ややかに見ているのを感じる。

それでも構わない。

私は彼らの背中を、一人ずつ力強くドンッと叩いた。


「さあ、行ってきなさい! あんたたちの最高を見せつけてきて!」


ドゴォォォンッ!!


会場のスピーカーから、心臓を鷲掴みにするような重低音のオープニングSEが鳴り響く。

客席から、鼓膜を劈くような悲鳴に近い歓声が上がる。

黒いカーテンが左右に引き開けられた。


三つの影が、眩い光の海へと飛び出していく。


『――♪〜!』


曲が始まった瞬間。

私の目に飛び込んできたのは、あのリハーサル室で見た『奇跡の数秒間』の、さらに上を行く光景だった。


「……すごい」


袖でモニターを見つめながら、私は自分の両手で口元を覆う。


陽斗のダンスは、重圧を完全にエネルギーへと変換していた。

床を蹴るたびに、金色の髪から汗が宝石のように飛び散る。誰よりも高く跳び、誰よりも深く沈み込む。彼の全身から放たれる圧倒的な陽のオーラに、観客の視線が釘付けになっているのがわかる。


そして、透。

彼はマイクスタンドを両手で握りしめ、目を閉じたまま、魂を削るような高音を響かせている。

狭いライブハウスの空気をビリビリと震わせる、圧倒的な歌唱力。

彼の孤独な声が、メロディに乗って観客一人ひとりの心臓に直接突き刺さっていく。


その二つの爆発的な才能を、中央で完全に支配しているのが、神城ルイだった。


彼の動きには、一切の迷いがない。

鋭い視線を客席に投げかけるだけで、最前列のファンが次々と膝から崩れ落ちていく。

長い手足から繰り出される洗練されたステップ。顎の角度、指先の余韻。すべてが『自分が世界の中心である』と疑わない絶対王者のそれだ。


「キャアアアアッ!! ルイくーーーんッ!!」

「透ッ! やばい、鳥肌が……ッ!」

「陽斗、こっち見てええぇッ!!」


熱狂。

狭い空間の酸素が、彼らの熱気と観客の興奮によって急速に奪われていく。

完璧だ。

三人それぞれの強烈な個性が、奇跡的なバランスで噛み合っている。

このままいけば、大成功だ。解散なんて絶対にさせない。


私は袖の暗闇の中で、祈るように両手を組み合わせる。

目頭が熱くなる。彼らの輝きが、私の胸の奥にあった喪失感を、強烈な光で塗り替えていくのを感じる。


(いける……! このまま、最後まで……!)


しかし。

時計の針がライブ中盤を指した、その時だった。


『――♪!』


バラードから一転、最も激しいダンスナンバーへと切り替わるイントロ。

そこで、私は微かな『違和感』を覚えた。


(……あれ?)


陽斗のステップが、ほんのコンマ一秒、早い。

テンションが上がりすぎたのか、彼の動きが規定のフォーメーションの枠をはみ出し始めている。

それに気づいたルイの眉間が、険しく歪む。

ルイは自分の完璧なタイミングを崩さず、むしろ陽斗を威圧するように、動きの『タメ』を極端に長く取り始めた。


(ズレてる……!)


加速しようとする陽斗と、それを無理やり自分の支配下に引き戻そうとするルイ。

二人の間に生じた見えない綱引きが、音楽のグルーヴを致命的に歪めていく。


その不協和音に最も敏感に反応したのは、透だった。

二人のズレたリズムがイヤホンモニターから流れ込み、彼の絶対的な音感がパニックを起こし始める。


『――っ、♪〜』


透の声が、ほんの少しだけ、半音の半分だけ裏返った。

本人はもちろん、最前列の観客の一部が「あっ」と息を呑むのが見えた。


「……嘘でしょ」


私の口から、絶望の言葉が漏れる。


歯車が、狂い始めた。

たった一つの小さな掛け違いが、巨大な連鎖となってステージ全体を侵食していく。


陽斗が焦ってリズムを修正しようとするが、逆に動きが硬くなる。

透は自分のミスに動揺し、完全に俯いてマイクを強く握りしめている。声が急激に細くなる。

そしてルイは、統率を失った二人に対し、隠しきれない『怒り』を全身から放ち始めていた。


(崩れる……ッ!)


私はステージ袖から身を乗り出し、無意識に彼らの名前を叫ぼうとしていた。

しかし、私の声など届くはずもない。


熱狂の渦だったライブハウスの空気が、急激に冷え込んでいく。

才能と才能がぶつかり合い、削り合い、そして……最悪の決壊の瞬間が、もう目の前まで迫っていた。

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