第八話「ステーション」
搬入口は、確かに無人だった。
グラハムのメモは正しかった。
機体を外に残して、二人はハッチから出た。宇宙服はなかった。でも施設内は与圧されていた。空気があった。
「……宇宙ステーションの中って、こんな感じなんだ」
白い通路。金属の床。重力があった。人工重力だった。地球と同じくらい。
「普通だね」とケンジが言った。
「海底基地も普通だったよね」
「白鳥機関、内装にこだわりがないのかも」
「そういう問題じゃないと思うけど」
耳の中でマリアの声がした。
『中央管理室まで、通路を真っ直ぐ進んで右に曲がって、エレベーターで上に三フロアです』
「見えてるの?」
『内部カメラに侵入しました』
「すごい」
『さっきやり方を覚えました』
「今覚えたの!?」
『はい。では行ってください。今は通路に人がいません』
二人は走った。
真っ直ぐ。右。エレベーター。三フロア上。
エレベーターの中でケンジが言った。
「マリアさんって、どんどん賢くなってる気がする」
『気のせいではありません』
「自分で言うんだ」
『アイコさんと行動するたびに、新しいことを覚えています』
「なんで私と行動すると覚えるの」
『血の繋がりかもしれません。お母さんが私を作ったので』
アイコは黙った。
お母さんが作った。この声を。この機体を。
「……お母さんって、どんな人だった?マリアさんから見て」
『優しかったです。でも頑固でした』
「頑固?」
『一度決めたことは曲げませんでした。コードを分散させて自分を眠らせたのも、誰にも相談しないで一人で決めました』
「……それ、私に似てる」
『よく似ています』
ケンジが横から言った。
「どっちが頑固なの」
「うるさい」
エレベーターが止まった。
中央管理室の扉の前で、二人は止まった。
扉が開いていた。
中に人がいた。
一人だった。白衣を着た女性。三十代くらい。黒髪。背が高い。こちらに背を向けてコンソールを操作していた。
(——入る?)
アイコはケンジを見た。ケンジが小さく頷いた。
二人は中に入った。
女性が振り返った。
顔を見た瞬間、アイコは固まった。
写真で見たことがあった。何百回も見た写真。リビングの棚に飾ってあった写真。
「——お母さん?」
女性が目を丸くした。
「アイコ?」
声を聞いた瞬間、全部崩れた。
アイコは走った。女性に飛びついた。三年分が一気に出た。泣いた。声を上げて泣いた。
「なんで——なんでここに——」
「アイコ、アイコ、大丈夫、大丈夫よ」
お母さんの声だった。お母さんの匂いだった。三年間変わっていなかった。
「眠ってたんじゃないの!?」
「眠ってた。でもマリアが起こしてくれた。さっき」
『コードが一つ集まったので、カプセルを部分的に開けられました』
マリアの声が耳に聞こえた。
「教えてよ!」
『サプライズです』
「そういうのいらない!」
お母さんがアイコの頭を撫でた。
「ごめんね。三年間、ごめんね」
「謝らないで。事情は聞いた。全部聞いた」
「全部?」
「グラハムさんから」
お母さんの顔が少し曇った。
「グラハムに会ったの」
「会った。コードも一個もらった」
「……あの人、信用していいか分からないんだけど」
「私も思った。でも情報は正しかった」
お母さんはアイコをもう一度抱きしめた。それからアイコの後ろのケンジを見た。
「あなたは?」
ケンジが言った。
「永瀬ケンジです。今朝、アイコさんと曲がり角でぶつかりました」
「今朝?」
「今朝です」
お母さんはアイコを見た。
「この子が今朝の出会いで、今ここにいるの?」
「そう」
「災難だったね」
「私もそう思います」とケンジが言った。
「でも来てくれた」
「来るしかなかったので」
お母さんは少し笑った。
「ありがとう。娘を助けてくれて」
「助けてもらった方が多いです」
そのとき、施設全体に警報が鳴った。
お母さんの顔が変わった。
「来た」
「誰が」
「別派閥よ。私がここにいるのがバレた」
「逃げる?」
「逃げる。でもその前に——」
お母さんはコンソールに向き直った。素早く操作した。画面に数字が並んだ。
「コードの二つ目、取り出す」
「自分で取り出せるの?」
「私が作ったシステムだもの」
コンソールから小さなチップが出てきた。お母さんはそれをアイコに渡した。
「これで二つ」
「残り一つはどこ?」
お母さんは少し間を置いた。
「海の底」
「海底基地じゃないの?」
「違う。もっと深い海の底。私が最初に機械を見つけた場所」
「場所は分かる?」
「分かる。連れて行く」
廊下から足音が聞こえてきた。たくさんの足音。
「行こう」
三人は走った。
お母さんが先頭で、アイコが真ん中で、ケンジが最後尾で。
「機体はどこ?」とお母さんが聞いた。
「搬入口に置いてきた」
「乗れる?」
「乗れる。私が操縦する」
お母さんがアイコを見た。走りながら。
「操縦、できるの?」
「できる。感覚で」
「——そう」
お母さんは何か言いかけて、やめた。
搬入口に着いた。機体が待っていた。
三人はハッチから飛び込んだ。
アイコが操縦桿を握った。お母さんが隣に座った。ケンジが後席に座った。
「狭い」とお母さんが言った。
「二人用だから」
「三人で乗るの?」
「乗ってる」
「密だね」
「そういう場合じゃない!マリアさん、出口!」
『搬入口を開けます。三秒後に出てください』
「行くよ」
機体が動いた。
宇宙空間に出た瞬間、後ろでステーションが爆発した。
「「「っ!?」」」
『別派閥が自爆装置を起動しました。私たちを逃がさないために』
「自爆!?」
『急いでください。衝撃波が来ます』
アイコは操縦桿を一気に前に倒した。
機体が加速した。爆発の光が後ろで広がった。衝撃波が追いかけてきた。
間に合った。
一秒だけ、間に合った。
地球が見えた。
お母さんが窓の外を見て、小さく言った。
「——きれいね」
「きれいでしょ」
「宇宙から地球を見たのは、久しぶり」
「三年ぶり?」
「三年ぶり」
お母さんはアイコを見た。
「大きくなった」
「当たり前でしょ、三年経ったんだから」
「泣いてた?」
「泣いてない」
「嘘」
「……少しだけ」
お母さんがアイコの手を握った。操縦桿を握ったまま、アイコはその手を握り返した。
「帰ろう」
「帰る。でも最後のコードを取ってから」
「うん。一緒に行く」
ケンジが後ろで言った。
「僕も行く」
「当然でしょ」
「そうだね」
機体は地球に向かって降りていった。
三人と一つで。
最後のコードを取りに。
つづく




