第九話「海の底の答え」
大気圏に突入した瞬間、機体が燃えた。
外側が、だ。
「燃えてる!?」
「大気圏突入時の摩擦熱です」とお母さんが言った。落ち着いていた。
「燃えていいの!?」
「燃えながら降りるの。これが正しい」
「正しくない気がする!」
「慣れるわ」
「慣れたくない!」
ケンジが後席から言った。
「外側の温度、二千度超えてる」
「言わなくていいそういうこと!」
「事実だから」
「理系は黙ってて!」
三分後、炎が消えた。
雲の中に入った。それからすぐ、海が見えた。
日本の海だった。七月の、青い海。
朝に飛び込んだのと同じ海。
「ここ」とお母さんが言った。「この辺りに——」
「どこ?」
「もう少し南。三十キロほど」
機体は海面を滑るように進んだ。
「マリアさん」
『はい』
「この海の底に、機械の本体があるの?」
『そうです。最初に私が目覚めた場所です』
「マリアさんって、もともとそこにいたの?」
『はい。サチコさんが発見して、この機体に移してくれました』
アイコはお母さんを見た。
「お母さんが?」
「そう。三千年眠ってた機械が、海底に沈んでいたの。発見したとき、まだ動いてた」
「三千年前のものが動いてたの?」
「動いてた。しかも——話しかけてきた」
アイコはマリアの声を思い出した。
『ようこそ。長谷川アイコさん、永瀬ケンジさん』
最初から名前を知っていた。
「マリアさん、最初から私の名前を知ってたのは」
『サチコさんから聞いていました。ずっと話してくれていたので』
「何を話してたの?」
『アイコさんのことを。どんな子か。好きな食べ物。苦手なこと。笑うと可愛いこと』
アイコの顔が熱くなった。
「お母さん!」
「三年間、話し相手はマリアだけだったから」
「恥ずかしいこと言わないで!」
「事実だもの」
ケンジが後ろで笑った。
「笑わないで!」
「笑ってない」
「笑ってる!」
お母さんが言った。
「ここ。止めて」
海に潜った。
深く、深く。
深度計が増えていく。百。百五十。二百——
「お母さん、こんなに深いの」
「深いの。三百メートルくらい」
「九十一メートルで驚いてたのに」
「あれはまだ浅い方よ」
「そういう感覚やめて」
二百五十。二百八十。
三百メートルを超えたあたりで、光が見えた。
海底から、青白い光が漏れていた。
「あれ?」
「あれよ」
近づいた。
岩盤の裂け目から、光が噴き出していた。機体一機が通れるくらいの裂け目。
「入るの?」
「入る」
アイコは操縦桿を倒した。
裂け目に入った。狭かった。岩が両側を擦った。でも通れた。
抜けた瞬間、視界が開けた。
空洞だった。
巨大な空洞が、海底の岩盤の中にあった。天井が高い。壁が広い。そして——
光があった。
壁全体から、青白い光が滲み出ていた。床も。天井も。空洞全体が光っていた。
そしてその中央に、何かがあった。
巨大な、球体。直径は五十メートルくらい。表面に複雑な模様が刻まれていた。ゆっくりと回転していた。
「……これが」
「これが、機械の本体よ」
ケンジが息を呑んだ。
「きれい」
「きれいだね」
マリアの声がした。
『——久しぶりです。ここに戻るのは』
声が違った。いつもより柔らかかった。
「マリアさん、ここがおうちなの?」
『おうち。そうかもしれません』
「寂しかった?」
『サチコさんとアイコさんの話を聞いていたので、寂しくはなかったです』
お母さんが言った。
「コードを使う場所は、あの球体の頂上にある」
「どうやって届けるの」
「機体から出て、直接触れる」
「三百メートルの深さで?」
「耐圧服がある」
「あの狭いコックピットに?」
「ある。私が作ったから」
コンソールの下に引き出しがあった。開けると、三着の耐圧服が折り畳まれていた。
「……本当にあった」
「あると言ったでしょ」
三人は耐圧服を着た。狭いコックピットで、ぶつかりながら着た。ケンジがアイコの背中のファスナーを上げた。アイコがケンジのヘルメットをはめた。お母さんが二人を確認した。
「よし」
ハッチを開けた。
水が入ってきた。コックピットが満水になった。それからハッチを全開にした。
三人は泳いだ。
球体に向かって。光に向かって。
頂上に、くぼみがあった。
三角形のくぼみが三つ、並んでいた。
「ここにコードを入れるの?」とアイコが言った。声は通信機越しだった。
「そう」
お母さんがポケットから三つのチップを取り出した。
一つ目はグラハムからもらったもの。二つ目は宇宙ステーションで取り出したもの。三つ目は——
「三つ目は私が持っていた」とお母さんが言った。「ずっとここに」
服の中から、小さなチップが出てきた。
「ずっと持ってたの?」
「肌身離さず。三年間ずっと」
「眠ってる間も?」
「眠ってる間も」
お母さんは三つのチップをくぼみに入れた。
一つ。二つ。三つ。
何も起きなかった。
五秒。十秒——
球体が光った。
青白い光が一気に強くなった。回転が速くなった。空洞全体が振動した。
そして——声がした。
マリアの声ではなかった。もっと古い声。もっと深い声。言葉ではなかった。でも意味が分かった。
ありがとう、と言っていた。
三千年間待っていた、と言っていた。
アイコは球体に手を触れた。温かかった。
「……どういたしまして」
光が広がった。空洞全体に。岩盤を通り抜けて。海に。空に。
海面に出たとき、夕暮れだった。
オレンジ色の空。海が赤く染まっていた。
今朝、アイコが防波堤に座っていた海と同じ海だった。
機体は浮いていた。波に揺れていた。
コックピットの中で、三人は黙っていた。
お母さんが言った。
「終わった」
「終わった」
「帰ろう」
「帰る」
アイコはケンジを見た。
「ケンジ」
「何」
「今日一日、どうだった」
ケンジは少し考えた。
「朝、君に突っ込まれた。それが一番痛かった」
「それが感想!?」
「海に沈んで、宇宙に行って、また海に沈んで。でも——」
「でも?」
「悪くなかった」
アイコは笑った。
「悪くなかった、ね」
「うん」
お母さんが二人を見て、笑った。
「仲いいね」
「仲よくない!」
「仲いいと思う」とケンジが言った。
「うるさい!」
マリアの声がした。
『三人とも、お疲れ様でした』
「マリアさんはどうなるの」とアイコが聞いた。
『機械が目覚めたので、私の役割は終わりました』
「消えちゃうの?」
『いいえ。でも——この機体から離れます。もとの場所に戻ります』
「寂しい」
『私もです。でも——』
マリアが少し間を置いた。
『アイコさんの声、覚えています。ずっと』
アイコは目が熱くなった。
「また話せる?」
『海の底に来れば』
「行く。絶対行く」
『待っています』
波の音がした。
夕暮れの海で、機体はゆっくり揺れていた。
お母さんが隣にいた。ケンジが後ろにいた。
アイコは操縦桿を握った。
「帰ろう」
「帰ろう」
「帰りましょう」
機体は港に向かって進んだ。
今朝と同じ港に。防波堤に。
ただし、三人で。
おわり




