第六話「グラハムの話」
金庫扉の中は、金庫ではなかった。
広い部屋だった。本棚。机。ソファ。暖炉まであった。海底基地の最深部に、なぜか誰かの書斎があった。
「座りなさい」
グラハムはソファを示した。
アイコは座らなかった。ケンジも座らなかった。
「……話してください。お母さんのことを」
「座った方が楽だよ。長い話になる」
「立ったまま聞きます」
グラハムは小さく笑って、自分だけソファに腰を下ろした。
「君のお母さん、サチコさんは——優秀な海洋研究者だった」
「知ってます」
「ただの海洋研究者ではなかった。彼女が研究していたのは——この海の底に眠る、ある古代の機械だ」
アイコは黙って聞いた。
「三千年前。人類よりずっと前に、この地球に存在した文明がある。彼らは海底に巨大な機械を残した。エネルギー源として。あるいは——何か別の目的のために」
「その機械が」
「そう。君が乗ってきたあの機体の、心臓部だ」
耳の中でマリアの声がした。
『——聞いています』
声が、少しだけ震えていた。
「サチコさんはそれを発見した。そして理解してしまった。その機械が持つ力を」
「力って何ですか」
グラハムは少し間を置いた。
「エネルギーだよ。無限の。枯渇しない。汚染しない。人類が何千年も夢見てきたもの」
「それをお母さんが見つけた」
「見つけた。そして私に連絡してきた。彼女は私の教え子だったんだ、昔ね」
アイコは拳銃を握ったまま、グラハムを見た。
「なんでお母さんを眠らせたんですか」
グラハムの顔から、笑顔が消えた。
「眠らせたのは——私じゃない」
「じゃあ誰が」
「白鳥機関の中に、別の派閥がいる。私の言うことを聞かない連中だ。彼らはサチコさんを利用しようとした。機械の起動コードを奪うために」
「コードって——三か所に分散してるやつ?」
「そう。サチコさんが、彼らに渡すまいとしてコードを分散させた。そして自分を眠らせた。コードの在処を、誰にも言わないために」
アイコは息を呑んだ。
「お母さんが、自分で眠ったの?」
「そうだ」
「なんで——」
「君を守るためだよ」
部屋が静かになった。
暖炉の火が揺れた。
「コードの在処を知っているのは、サチコさんだけだ。彼女が眠っている限り、誰も機械を起動できない。そして——彼らはアイコさん、君を人質にするつもりだった。お母さんを目覚めさせるために」
「だから」
「だからサチコさんは眠った。君が狙われないように」
アイコの目が熱くなった。泣かなかった。
「……三年間も」
「三年間ずっと、君を守るために眠り続けていた」
ケンジが横から言った。
「でも今、アイコは狙われてここにいる」
「そう。残念ながら——彼らはもう一つの方法を見つけた。サチコさんを起こさなくても、娘さんを機体に乗せれば機械は反応する。血が繋がっているから」
アイコは全部繋がった。
「だから私が乗ったとき、機体が動いた」
「そうだ」
「白鳥機関が私を海に落としたのも——」
「機体に乗せるためだ。意図的にね」
アイコは拳銃を上げた。グラハムに向けた。
「あなたも白鳥機関でしょ」
「そうだ」
「じゃあ敵じゃないの」
「派閥が違う。私は機械を——誰のものにもしたくない。人類全体のものにしたい。あの別の派閥は、自分たちだけで独占したい」
「信用できない」
「当然だ」
グラハムは立ち上がった。金庫の奥の棚に歩いて行って、小さな箱を取り出した。
「これを君に渡す」
「何ですか」
「コードの一つだ。海底基地が持っていた分」
アイコは箱を見た。ケンジを見た。
「なんで渡すの」
「サチコさんを起こしてほしいからだ。彼女なら、機械を正しく使える。あの別の派閥には渡さない」
「信用できないって言った」
「分かってる。でも選択肢がない。私も、あの連中に追われている」
そのとき、施設全体に警報が鳴った。
『アイコさん』マリアの声が耳に入った。『白鳥機関の別部隊が施設に突入してきました。三十機以上』
「三十!?」
「行きなさい」グラハムが箱を押しつけた。「残り二つのコードは——宇宙と、もう一か所だ」
「もう一か所はどこ?」
「サチコさんに聞きなさい。彼女が知っている」
「起こせないと聞けない」
「だから急ぎなさい」
アイコは箱を掴んだ。ケンジの手を引いた。走った。
「グラハムさんは!?」
「私は大丈夫。年寄りには年寄りのやり方がある」
振り返ると、グラハムは書斎のソファに座り直していた。お茶を飲んでいた。
海底基地の最深部で、お茶を飲んでいた。
(——何者なの、この人)
考える暇はなかった。
アイコとケンジは走った。
機体に戻ったとき、施設の入口が爆発した。
白鳥機関の別部隊。さっきより大きい機体。さっきより速い。
「乗って!」
二人はハッチに飛び込んだ。アイコが操縦桿を握った。
「マリアさん、出口!」
『搬入口A、今なら開いています』
「行く!」
機体が動いた。別部隊の機体が追ってきた。通路が狭い。でも速さだけはこちらが上だ。
搬入口Aが見えた。
突っ込んだ。
海に出た。
外は暗かった。でも追ってくる光が見えた。十機。二十機——
「また多い!」
「戦闘形態!」
「もうなってる!」
アイコは操縦桿を握り直した。
「マリアさん!」
『はい』
「コード一個手に入れた!」
『聞こえていました』
「次は宇宙!行き方は!?」
『——それについては』
マリアが少し間を置いた。
『実は、この機体は宇宙にも行けます』
アイコとケンジの声が重なった。
「「は?」」
『後で説明します』
「また後でか——!」
追跡の光が迫ってきた。
アイコは操縦桿を思い切り前に倒した。
機体が加速した。暗い海を突っ走った。
一個目のコードを手に入れた。
次は宇宙だ。
中学二年生の夏が、とんでもないことになっていた。
つづく




