3.『混ざり合い濁った色』
それは、雪が振り始める冬頃。クイナと美鈴が付き合って半年にもなる頃。
クイナが軽く”いじられて”いた頃。
「姉御〜〜〜!」
クラスメイトは下品な笑いでクイナをいじる。
それは決して本人に向けられていると確信できるようなものではない。
ふと、とある生徒の前をクイナが通り過ぎたときに突然言い出した言葉だから。
「…え?」
クイナは当然困惑した。自分が通ったときにピンポイントで放たれた言葉は、自分に向けられたものなのかわからなかったから。
だが、同じことを繰り返す内に嫌でもわかってしまう。自分がそう呼ばれていることを。
姉御。単語としてはいい響きで、本来尊敬の念を込めて使われることもあるその言葉はクイナにとって、真逆の意味を示す。
「姉御って双子ばりに似た従姉妹いるらしいぞ。」
「マジ?知らなかった。」
言われ始めたのは夏休み明けから。故にその呼び名はもう馴染みつつあった、が。どれほど自然に使われていようと、その言葉の裏には明確な悪意が込められている。
だからこそ、それは凶器に成り果てた。人をいとも容易く壊せる凶器へと。
「美鈴くん。…美鈴くん。しにたいなぁ…」
クイナからポロリと出た言葉は、数カ月もずっと悪意の中にいる彼女にとって当然といっていいほど正しい反応だった。
本当は、美鈴に言う前からクイナは縄に手をかけていた。でも、それでも、死ぬのは…怖いから。だから、できなかった。
けれど、彼女の心はもう取り返しのつかないところまで来ていた。心を理性で押さえつけることができなくなっていた。
「ぁ…え…?や、やだよ…?おねがい、やめて。ねえ…」
美鈴は突然そんなことを言い出したクイナにただ動揺する。
死んでほしくない。その一心、自分のエゴを優先させてただ言葉を紡ぐ。
「…ボクは死なないよ。だって、死ぬのはこわいから。」
それはどこまでも不安定な言葉だった。
恐怖よりも自殺願望が強まったときは死ぬ。結局そう言っていることと同じで、どこまでも予測はできなかったから。
「…そ、っか…でも、ぜったい、死なないでね。」
美鈴はどうしてクイナがこうなってしまったのかわからなかった。
同じクラスと言ってもクイナと美鈴の席はバラバラで、悪意の込められた言葉はいつだって本人に聞こえるものの他の人には聞こえないような微妙な声量だったから。
「じゃあクイナはそこ解けるか?」
教師がそう言ったときに、主犯格の男が口をすべらせた。
「ヒュー姉御〜〜!!!」
くだらない盛り上げ。他の授業の時だって言われていた。だけど教師はいつもそれを無視した。
が、この教師だけは違った。その言葉が飛んだ瞬間、教卓を叩く。
「今誰が言った!」
その教師だけは、クイナに向けられた悪意をハッキリと感じ取った。
なのに、当然名を上げる者はいない。
教師は相手が怯んだんだろうと思い、これでもうこんなこと言い出さないだろうと、普通に授業を終わらせた。
「あいつマジうざいw」
教師はしごく真っ当なことをしたのにも関わらず、影で悪く言われた。
教師の言葉は、何も効いてはいなかった。
「…美鈴くん。美鈴くん。心中って駄目?」
クイナが死を連想させる言葉を多く使う。
その度に何も知らない美鈴は嫌だ。やめてくれと言ってクイナからその話題を取り上げる。
「あのね、ボクね、本当はお姫様みたいな格好をしたいんだ。真っ白のワンピースで花冠を作って、お友だちとおしゃれなお店で喫茶店に行く。…全部きっと叶わないけど、そんなことが、した…い、んだぁ…」
クイナは脈絡に関係なく突然泣くことが増えた。
それは、面白いことを言ったときであろうがなんだろうが関係ない。ただ、突然張り詰めた糸が切れるように泣き出してしまう。
「ご、ごめ、ん。ごめん。大丈夫、どうせすぐ終わるから。いいよ、話続けてよ。」
美鈴は、確実になにかあると確信しているのにクイナには聞けなかった。
怖かったから。同時に、いつふわりと眼の前から消えるかわからないクイナの手を握っておくことで手一杯だったから。
「なんでクイナのこと姉御って呼んでんだ?」
「え〜だって、聞こえてても文句言わなそうじゃね?文句言ってきてもどうせ女やし勝てねえだろ。」
「あー、確かにw」
クイナにその言葉が聞こえたのは翌年のことだった。
毎年行われるクラス替え。主犯とクイナのクラスは別だが、廊下ですれ違う度に”姉御”そう言われた。
「文句を言わない度胸のない女…」
それら全ては紛れもない事実だ。だからこそ、影響が出るのは、ストレスの矛先は、いつだって美鈴だった。
「キミ、そんなだから嫌われてるんじゃないの。」
たまに出てくるその冷たい言葉は結局のところ心の中で思っていることであり、だからこそ苦しかった。
全て自分の言葉で、自分の言葉で相手を傷つけて、それをストレス発散にしている自分がいるから。
「…ごめん。直すように頑張るね。」
美鈴はそう言われて当然だと言わんばかりの対応をしていた。
彼はいつだって受け身だった。
だからこそ、余計にクイナの苦しみは重くのしかかる。
(せめて反発してくれたなら、自分の思いを思いっきり声にだして起こってくれる人なら…)
「こんな思いしてなかったのに…」
長い苦しみは既にクイナの心を壊していた。
彼女はよく嘔吐するようになっていた。拒食症とは別で、突然吐きたいという心に襲われるだけのもの。
だから、彼女は終わりを選んだ。
終わらせるのは、自分の人生ではない。美鈴との関係性。
彼女は人に八つ当たりをしないマシな人生を選んだ。
「終わりにしようか。ボク、キミと一緒にいるところをもう想像できなくなったから。」
対面だと、何も言えない気がして、文章でその言葉を送る。
そして、美鈴を即座にブロックした。
「これでいい。そうでしょ?」
美鈴は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
ただ自分の臆病に向き合えなかった。それだけだった。
「ごめんね、クイナ。」
だから、美鈴は自分を責め立てた。
ブロックされていても自分の友人をつたってどうにか連絡を取ろうとした。
「なんで姉御の連絡先欲しいんだよお前w」
全て知ったのは、その時だった。
ミーン、ミーン。
夏休みが近いことを知らせるセミが鳴く日に、クイナと美鈴の関係は終わりを告げた。
お互い、一人の人生を歩む。クイナはそう信じていた。これでいいと。
夏休み明け、集会で校長が静かに言った。
「3年2組の皮瀬美鈴くんが亡くなりました。」
その日もセミが鳴いていた。




