シューマッカーのお嬢さん
ブリジットが大きめの鞄を携えて館を出て向かったのは、クルームの街だった。
郊外の屋敷からはね橋を渡って、街の目抜き通りを進む。
街はヅスカに比べると小さいものの、昼間の街中だからそれなりに人はいる。
人々の目にブリジットの姿も捉えられるが、彼らはブリジットの姿に眉をひそめた。
なんせブリジットの風体は、昨夜肝試しの連中に怯えられた時と変わらないのだ。
「うわっ? お化け?」
(生きてるってば……)
「浮浪者か?」
(お家も仕事もあるもん……)
「汚たねえ。ゴキかよ」
(……ああん!?)
しかし街の人々もすぐに、それが誰であるか気づく。
「なんだ。シューマッカーさんのお嬢さんか」
「そういや今日は仕入れの曜日か」
「まだあんな寂れたお屋敷に住んでいるのかしら?」
ブリジットは向けられた視線に対して、わざわざ反応を表に出すことはなかった。
思うところがないのではない。
面倒ごとが嫌なのと、いちいち言ってたらきりがないのと、それ以上にうまく口に出せないだけだ。
しかしそれでも彼らの注目を浴びるのは不快であり、逃れるように足取りは早くなる。
そうしてブリジットが到着したのは、冒険者や魔獣ハンター向けの道具屋だった。
様々な医薬品や対魔獣用の道具を作り、ここに納めるのが、ブリジットの仕事だった。
「こ、こんにちは……」
道具屋の主人に向けて挨拶をしたが返事はなかった。
「どういうことだコラァ!」
代わりに聞こえてきた罵声に、ブリジットは思わず身を縮めた。
道具屋の主人が数人の厳つい男たちに詰め寄られているところだった。
「いったいどうなってんだよ、お前んとこの商品はよぉ?」
「魔獣に負わされた傷より、手前の商品で負った傷のほうがでかいんだが!?」
「大変だな」とのん気にその様子を見ていたブリジットだが、すぐに他人事ではないことに気がついた。
「何がどうなれば! 瓶を開封したとたんに爆発するんだよ!? 傷薬が!?」
そう怒鳴る男の手に握られていた空き瓶に見覚えがあったからだ。
(げっ。あれこの間私が作ったポーション……)
これはまずいと感じて、いっそこの場から立ち去ってしまおうかとも考えたが、それより先に主人が困り果てて、硬貨の入った袋を差し出した。
「わかりましたよ。返金させてもらいます。無論、治療費も添えましょう」
男達は金と主人の態度に満足したのか妥協したのか、にんまりと笑って硬貨を受け取ると、道具屋を後にした。
主人は内心「二度と来るな」と思いつつも、やれやれと一息ついたあと、ブリジットに気がついた。
「来ていたのかい」
「え、ええと……」
自分のせいでいらぬトラブルが引き起こされたことが申し訳なく、ブリジットは主人から顔を背ける。
「ああ、今日は納入の日か……」
「は、はい!」
「それなんだがね……」
主人はいったん言葉を濁したあとで、神妙な面持ちで告げる。
「もう、やめにしようかと思ってね」
「えっ? お店をやめるの? そんなことになったら――」
「そうじゃないよ。言いにくいんだけどさあ。もうブリジットの商品を扱うのは、やめようと思ってね」
「そんな! 困る!」
ブリジットはこれからどうやって日銭稼ぎをやったらいいんだ、と食い下がる。
しかし「今のやり取りも見ていただろう?」などと言われれば「うっ……」と言葉を詰まらせるしかない。
「私は錬金術師でも薬師でもないが、道具屋としては長いから良し悪しはわかる。君の才能は、お父さんやお姉さんどころか、一般的なレベルにも遠く及ばない」
穏やかな口調で主人が述べた辛辣な内容に、ブリジットは顔を俯かせた。
「もう、錬金術師の真似事はおしまいにして、別の道を探したほうがいい」
「別って、どんな……?」
「そうだな。とりあえず働き口でも探すとか」
「でも、ろくな仕事なんかクルームには……」
「周りの鉱山もほとんど閉鎖されて街もすっかり寂れたけど、それでも何もないわけじゃないさ」
下を向いたまま会話をするが、ブリジットの肩と声は震えていた。
「そうでなくてもヅスカにでも行くとか、何なら縁談を探すのもありじゃないか? ほら、前もグウィン商会ってとこの御曹司との縁談があったんだろう?」
「あの話は無しになった……」
「実は商会がウチに商品を入れてくれることになってね。その伝手も仕えるんじゃないかと思うんだ」
「でも……」
「とにかく、もうあのお屋敷は出ないか? もう何年も、誰も帰ってこないんだろう?」
「……嫌だっ!」
突然ブリジットが叫んだかと思うと、鞄を振り回して主人にぶつけた。
「ブリジット!?」
「出て行ったりするもんか!」
普段の気弱が嘘に思えるほどの勢いで、ブリジットは喚いた。
「あのお屋敷は私の家で、私はシューマッカーの家のお嬢様なんだもんっ!」
「お、落ち着け? だ、誰か手を――」
瓶をみっしり詰めた鞄の一撃は思いのほか威力が高く、主人が思わず助けを求めると、近くにいた野伏らしき男が止めに入る。
「お嬢ちゃん、やめなって。どうどう!」
男に羽交い絞めにされると、ブリジットはしばらくはジタバタと抵抗したが、やがて観念して大人しくなった。
「よしよし」
その様子を見て野伏は拘束を解いた。
しかし途端にブリジットは弾けるように、そしてその場から逃げるように、鞄を置いたままで駆け出していった。
野伏はしばらく呆気にとられた後で、主人に向き直り手を差し伸べた。
「大丈夫かい?」
「ああ、ありがとう」
「ところでシューマッカーと言っていたが、ヒューズ=シューマッカーと関わりがあるのかい?」
「知ってるんですか?」
「ああ。そういう名の錬金術師が多くの同業やら学者やら職人やらを集めて、大がかりな研究をしているとは聞いたことがある」
「しかしもう昔の話だ。ヒューズ師が亡くなってからはみんな出ていって、屋敷も廃墟同然になっちゃって。あのブリジットだけが、頑固に屋敷に残っているんだ」
「ふむ、なるほどねえ……」
主人の話に、野伏は顎を撫でながら、それまでとうってかわって下卑な笑みを浮かべた。
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ブリジットはトボトボと帰宅したが、今日はやたらと扉が重い気がした。
「ただいま……」
そう口にしても、在りし日の家族の肖像が迎えてくれるだけで「おかえり」と返す者などいないことはわかっていたが、今日はそれがつらく感じた。
むしろ家族の姿が、自分の情けなく寂しく惨めな気持ちを駆り立てるかのようだった。
「なんで、行ってしまったの……」
ブリジットが涙目になってしまったときだ。
屋敷の奥から「あー、おかえり」という声が聞こえたのはその時だ。
ブリジットは一旦きょとんとしたあとではっと気づく。
(そういえばいたっけ……)
声の元をたどってブリジットがラグナの姿を見つけたのは、実験道具や書物がびっしり並んだ研究室だった。
ラグナは熱心に一冊の本を読みふけっているところだった。
「……おかえり」
ラグナはブリジットの姿を確認して、改めて言った。
「たっ、ただいま……」
その言葉を人間に向かって面と向かって言うのは久々のことだった。




