皇女の馬屋
雪の魔女アナスタシアが立ち去ると、俺は真っ先に娘に駆け寄り、娘を抱擁する。
娘が無事だったことに感謝しつつ、娘の不安を和らげる効果を狙ったのだ。
事情を知らないおひつじ組の生徒たちからは、
「またカイト先生の親馬鹿が始まった」
と思われていることだろう。
ハーモニアなどは、
「先生は娘に甘すぎます。というか、もっと生徒ともスキンシップを!」
と、主張してくるが、華麗に無視をすると、俺はとある人物の到着を待って、学院に戻ることにした。
とある人物とは先ほど剣を交えた皇女ヴェロニカである。
彼女はアナスタシアと入れ違うかのようにやってくると、俺たちの安否を確認した。
俺と娘に傷ひとつないことを確認すると、彼女はほっと胸をなで下ろす。
ついでおひつじ組の生徒たちの安否も確認していた。
なかなか慈愛に満ちた人物かと思ったが、彼女はこう説明する。
「当然だ。先週付で我はリーングラード魔術学院の非常勤講師になったからな。学院の生徒の安否に気を遣うのも仕事だ」
「ヴェロニカさんは先生だったんですか?」
驚きの声をあげたのは娘だった。
「知り合いなのか?」
と尋ねると娘は教えてくれる。
なんでもこの数週間、学院でも学院の外でもよくこのヴェロニカに話しかけられたそうだ。
昼休みになるたびに、放課後になるたびに、
学院の廊下で、中庭で、あるいは公都の街角で話しかけられたとのこと。
ちなみに毎回偶然をよそおっていたらしいが、フィオナも少しいぶかしんでいたらしい。
毎回、フィオナがひとりになるタイミングを見計らったかのように現れるし、現れたときに交わされる話も変なものばかりだったそうだ。
いわく、
「君はお母さんが欲しくないか?」
「もしも君のお父さんが皇帝になったらどうする?」
「お姫様になって毎日綺麗なドレスを着たくないか?」
と、フィオナに接していたらしい。
人を疑うことを知らないフィオナであるが、さすがに怪しい人物だと思っていたらしい。
まさか先生だとは思わなかった、と驚嘆している。
それは俺も同様で、まさか帝国の皇女が俺たち父娘を追って学院にまで潜入し、教師にまでなるなんて夢にも思っていなかった。
お母さんが欲しくないか、俺を皇帝にする、フィオナをお姫様にする、それらはどれも聞き捨てならない言葉であるが、ともかく、今は彼女の力が必要であった。
俺はヴェロニカに協力して貰い、おひつじ組の生徒を娘を学院まで戻す。
学院の講師でもあるヴェロニカは当然のように協力してくれた。
近くに控えさせていた側近を呼び出すと遠巻きに彼らに護衛をさせ、おひつじ組の生徒を動揺させることなく、学院に連れて帰る。
俺はヴェロニカをハーモニアに続く『押しかけ女房』と見なしていたが、その手際の良さと組織力は高く評価することにした。
学院まで無事戻ると、ヴェロニカを自宅に招待した。
学院で詳細を聞くことも可能であったが、すでに日も暮れていた。
学院には食堂もあるが、一国の皇女を学食でもてなしながら話を聞くというのも非礼に当たるだろう。
俺は皇女ヴェロニカに、
「我が家のメイドの作るビーフシチューは絶品です。きっと皇女殿下の口にも合いますよ」
と、彼女を誘った。
ヴェロニカは、
「未婚の我を家に誘うと言うことはどういうことか分かっているのか?」
と、冗談とも本気ともつかない台詞を漏らしたが、黙ってついてきてくれた。
自宅に帰るとビーフシチューの匂いが鼻腔をくすぐる。
クロエは一足先に家に帰し、食事の用意をさせていた。
貴人、それも帝国の皇女様がやってくると伝えてあるので彼女は張り切って準備をしていたようだ。いつもより高価な香辛料の匂いが漂ってくる。
ともにやってきた皇女殿下に尋ねる。
「ヴェロニカ殿下はビーフシチューはお好きですか」
「皇族たるもの好き嫌いはない」
ヴェロニカは毅然と言い放つが、少しだけ表情を緩めると、ニンジンとキュウリのピクルスを添えて貰えると嬉しいと付け加えた。
どうやらビーフシチューは好物のようだ。
「我が家のメイドの作るビーフシチューは公都で二番目に美味しいです。ご期待あれ」
「大きくでるものだな。我は帝都で様々なビーフシチューを食べたのだぞ」
「俺は千年生きて貴女の100倍はビーフシチューを食べてきましたよ」
「なるほど、食した数が段違いというわけか。ならば説得力があるというものだ」
ヴェロニカはそう結ぶが、こう付け加える。
「しかし、そこまで言うのならばなぜ一番と言わない? もっと上手いビーフシチューを出す人物を知っているのか?」
「ええ、知っています」
「後学のためにうかがっておこう。公都に店があるのならば後日、行きたい」
「残念ながら店では食べられません。しかし、後年、店を開かせるのもいいかもしれませんね。それくらいフィオナの作るビーフシチューは旨い」
というと俺は娘の頭を撫でる。
娘はこそばゆいような顔をしているが、こう言った。
「お父さん、わたし、ビーフシチューなんて作ったことないんだけど……」
「…………」
その言葉を聞いて沈黙する皇女。
微妙な視線を向けてくるが、断固とした口調で主張する。
「食べたことなくても分かるのです。娘の料理の腕前は世界一ですから」
俺がそう言い切ると、ヴェロニカは口の中で、
「資料には親馬鹿と書かれていたが、頭に『超』の文字を付け加えないといけないかもしれないな」
と、漏らしていた。
まあ、その辺は好きにしてくれていい。
俺が知りたい情報はみっつ、
今後、ヴェロニカは俺とフィオナをどう扱うのか。
帝国は俺たち父娘をどうするつもりなのか。
そして冒険者ギルド前に現れた雪の魔女アナスタシアの思惑と今後の動向であった。
帝国の皇族であり、情報にも通じているヴェロニカならば多くの情報が引き出せると思い、家に誘ったのだ。
俺とフィオナの正体がばれてる以上、主導権はヴェロニカ側にあった。
彼女は俺と娘に危害は加えない、と約束してくれている。
見たところまっすぐな瞳をしており、約束を反故にするタイプには見えない。
帝国やアナスタシアの動向は気になるが、少なくともこの皇女は信用できるだろう。
そんな計算の元、ヴェロニカを我が家に招いたのだ。
なにもデートに誘っているのではない。
クロエの作るビーフシチューで舌と口をなめらかにして、有益な情報を引き出したかった。
そう思った俺は、ヴェロニカを家に招き入れる。
そこで彼女は天然というか、皇族らしい発言をする。
「ここが我が家です」
と、玄関前で説明する俺。
ヴェロニカは俺の家を見上げるときょとんとした顔をする。
「どうされたのですか? 皇女殿下?」
俺がそう問うと彼女は皇族らしい世間知らずでやんごとない台詞を漏らした。
「カイト殿、我をたばかるのではない。ここは馬屋ではないか。早く本宅に案内してくれないか」
どうやら宮廷暮らしが長いヴェロニカにとって我が家は馬屋に見えるらしい。
俺はこの馬屋が自宅であることを告げる。
皇女ヴェロニカは、
「まさか……」
と、顔を真っ青にしてそう漏らすと、最後にこう口にした。
「まかり間違えれば我はこの馬屋……、いや、家に降嫁することになるのか」
宮廷暮らしの長い我に耐えられるだろうか?
ヴェロニカは真剣な面持ちで考え込んでいた。




