雪の魔女
飛翔を駆使し、公都の路地裏を駆け抜ける。
人様の家の屋根やベランダをガーゴイルのように飛び回ると最短距離で冒険者ギルドへと向かった。
到着すると勢いそのままにとある生徒の肩を掴み、フィオナの居場所を尋ねた。
肩を掴かまれた生徒はぎょっとした顔をしている。
今の俺はそれほどまでの形相をしているのだろう。
生徒を驚かして悪いが、謝っている暇はない。今は一秒でも早く娘の安否を確認したかった。
肩を掴んだ生徒は驚きながらもフィオナの居場所を教えてくれる。
冒険者ギルドの前でバスケットを持って売り子をしているフィオナを指さした。
その姿を見た瞬間、俺は憑き物が落ちたかのように表情を緩め、大きな吐息を漏らした。
「珍しく嫌な予感が当たらなかった――」
そんな台詞が漏れ出たがその台詞も最後まで口にすることはできなかった。
娘の横にとある人物の姿を確認してしまったからである。
メイド服を身にまといにこにこと接客中の娘、その娘からフォーチュン・クッキーを購入している人物は一目で常人ではないと判断できた。
見た目が奇異なのではない。
姿形はどこにでもいる女魔術師であったが、その眼光に宿る視線がとてもカタギの人間には見えなかった。
極北の地の氷を魔法のノミで彫ったかのような怪しげで透明感のあるアイスブルーの瞳。
その髪も流氷を溶かして紡ぎ上げたかのように蒼く美しい。
我が師であるイリス・シーモアとは対極にある容貌をたずさえた美女であった。
そしておそらく、その実力も我が師匠と同等――、あるいはそれ以上なのかもしれない。
目の前にいる女はまだいささかも魔力を解放していないが、それでも肌にぴりぴりと伝わるくらいの強大な魔力を感じた。
俺が恐れおののいていることに最初に感づいたのはクロエであった。
クロエは俺の横にさりげなく陣取ると、戦闘態勢に入り、ぼそりとつぶやいた。
「あるじ様はフィオナさまを、クロエはおひつじ組の生徒を逃がしましょうか。それともクロエが時間稼ぎをしている間にあるじ様が全員を逃がすという手もありますが」
無論、後者の手は使わない。
クロエは大事なメイドだ。捨て駒にするわけにはいかない。
ならば前者を選択すべきであろうか。
――いや、それもないな、と軽く首を振る。
目の前の魔女はそれほど簡単に振り切れない。
もしも本気を出して追撃されれば、生徒たちにも害が及ぶかもしれない。
いや、確実に害が及ぶだろう。
そう思った。
ならばどうするべきだろう。
悩んでいると、目の前の女は可笑しそうに微笑んだ。
「緊張しているようね、鮮血の魔女の弟子よ」
アイスブルーの瞳の女はそう言うとこう続けた。
「瞬時に妾の実力を計れるのは立派。世の中、自分と他者の実力も計れずに死んでいく間抜けは多い。そう言った意味ではあなたは長生きできるでしょう」
「――まあ、一応、千年生きているからな」
と、軽く冗談を漏らすが、警戒は解かなかった。
いまだ相手からは殺意を感じ取れないが、目の前の女から一瞬でも目を離せば次の瞬間に殺される、そんな恐怖感をぬぐい去ることはできなかったからだ。
目の前の女は俺が臆していることに気がついているようだ。
ただ、それを茶化したりも笑ったりもせず、指摘したりもしない。
淡々と話し始めた。
「安心なさい。今日は単にフォーチュン・クッキーを買いにきただけだよ」
女はそう言うとフィオナに金貨を握らせる。
「バスケットごと買い取るわ」
と、娘からバスケットを受け取った。
フィオナは勘の鋭い子、俺たちの態度から目の前の女が尋常ならざる人物であると悟っているようだ。警戒しながらではあるが、女の指示に従った。
「あ、ありがとうございます」
と、ちゃんと例を言うのが娘らしいと言えば娘らしかった。
「いえいえ、どういたしまして」
蒼い髪の女はにこり、と微笑むとこちらの方へ振り返った。
「あなたがこの子の父親?」
「そうだが」
「この娘はよい娘ね。大切にしてあげなさい」
「分かっていますよ」
そう言うと俺は娘の横に立った。もしも娘に手を出すのならば容赦しない。
そういった意思表示であるが、その意思は届いたであろうか。
それは分からないが、女は口を開いた。
「どのみち、妾とあなたはまた相まみえることになる。そのときは協力者となれるといいけど、それはそのときのあなたの行動次第――」
そして流れるように自己紹介をする。
「どうせ、あなたの師匠、あの赤毛のあばずれが妾の正体を明かすでしょう。ならば隠し立ても無益。だからここで名乗らせて貰おうかしら」
彼女はそう言うと、ひときわ妖艶な笑みを浮かべこう言った。
「はじめまして、かしら、賢者カイト。妾の名は雪の魔女のアナスタシア・エレノア。一応、この世界の6大賢者のひとりに数えられるものよ」
「雪の魔女アナスタシア……」
そうつぶやくとアナスタシアは、
「アナと呼んでくれてかまわないわ」
そう言ったが、俺がこの魔女をアナと親しげに呼ぶ日は到来しないだろう。
そう思った。
近い将来、俺とこの魔女は敵対する。そんな予感めいたものを感じていたからだ。
千年賢者カイトと雪の魔女アナスタシアは戦う宿命にある。
それを象徴するかのように娘の左手薬指には見慣れぬ指輪がはめられていた。
俺は娘にこの手のアクセサリーを買ってやった記憶はない。明らかに目の前の女が娘に装着させたのだと思われる。俺はその意図を尋ねた。
「うちの娘にはまだ早すぎると思うんだがね。指輪だなんて」
俺がそう言うと娘は初めて自分の左手に指輪がはめられていることに気がついたようだ。
必死でそれをとろうとしているが、指輪はとれない。
まるで呪われた魔法の指輪のようであった。
アナスタシアは解説する。
「あなたの娘も年頃よ。そろそろ指輪のひとつでも、と思ってね」
「そういうのは父親である俺が決めることだ」
「男親は意固地で頭が固い。なので同性である妾が勝手に決めさせてもらったわ」
「いますぐ外して欲しいんだが」
「それはできかねるわね」
アナスタシアは「ふふふ……」と漏らすと、最後にこう言った。
「もしも外して欲しいのならば、もう一度、妾と面会なさい。そのとき、場合によっては外してあげなくもない」
「俺がお前の軍門に降ったら、だろう?」
「その言い方は無粋ね。同志になったら、に変えておくわ」
アナスタシアはそう言うと、悠然と背中を見せる。
攻撃されることなど微塵も考えないような優雅な足取りで冒険者ギルドの前の石畳を歩いて行った。
俺はその姿を見守るしかなかった。
娘に装着された指輪の効力も分からなかったし、この場にはおひつじ組の生徒もいる。
ここで戦闘を始めれば彼ら彼女らも巻き込むことになるだろう。
それは愚策であった。
雪の魔女の後ろ姿が消えるまで凝視する。
魔女が視界から消えた瞬間、緊張を解き放つ。
そして考察する。
さて、ここで喧嘩を売らなかったのは賢明だったのだろうか、それとも下策だったのだろうか。
と――。
それは後日判明することになるのだが、今はともかく、娘と生徒たちの安全を確保できたことに感謝するしかなかった。




