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第十話 『打ち上げ花火と雨』

 「こんばんは、ハルさん」


 「こんばんは、アダチくん、今日はすごくかっこいいね」


 「そんなことないですよ、いつも通りです」


 「とっても素敵だよ」


 「あはは、とっても素敵なのはハルさんの方ですよ」


 「うふふ、ありがとう」


 カレーをすくったスプーンを持ち上げたまま、だらしない顔をしているアダチ青年。


 「ねーアダチ、ねーってば!」


 「ふぇ? なんですか? 今いいところなんですから」


 妄想ワールドから引き戻したのは、ジュンの声だった。


 現実世界に返ってきたアダチ青年を待ち受けていたのは悲劇だった。

 スプーンからこぼれ落ちたカレーが皿にもられたルーにビタビタッと着地する。

 跳ねたカレーはおニューのTシャツに向かって羽ばたいてゆく。


 涙目になってアタフタするアダチ青年。

 カレーのシミの恐ろしさを説きながらTシャツを剥ぎ取るジュン。

 思いのほかカレーが飛び散って一つ一つ処理するのが面倒だったので

 シミになりそうなところには液体洗剤をちょちょっとつけて洗濯機に放り込んだ。

 洗濯機には自分の衣類も入っていたが、まぁいいかとスタートのボタンを押した。


 食卓へ戻ると、半べそだったアダチ青年が上裸でカレーを食べていた。


 「あいつ大丈夫そうですか?」


 「うん、洗濯しちゃったよ」


 「そうですか、助かりました」


 「それよりさ、落ち着かないからこれでも着てて」


 ジュンはそこらにあったTシャツをアダチ青年に渡す。


 「何から何まですみませんね」


 受け取ったTシャツを着るアダチ青年。

 着てみたら、すごいピチピチだった。ヘソも出ちゃっている。

 それを見たジュンは笑い転げてタンスに頭をぶつけ、痛がりながらなお、涙を流して笑い続けた。

 何がそんなに面白いのかわからないアダチ青年は、爆笑されながらカレーを食べ始めた。


 笑い死ぬという理由で、アダチ青年が見えない位置でカレーを食べ始めたジュン。


 「もう少しで漏れちゃうところだったじゃない、本当に危なかったんだからね!」


 お怒りである。


 「渡されたのを着ただけじゃないですか」


 「着た時に違和感あったでしょ!」


 「親切で渡された物にケチつけられないじゃないですか」


 「変なところ律儀だよね」


 カレーを食べ終えたアダチ青年は、借りたTシャツは洗って返すと言ってピチピチのまま帰っていった。



 この一週間、アダチ青年は少し油断すると妄想ワールドへ誘われる生活を送っていた。

 そして花火大会当日を迎える。


 昼過ぎに、待ち合わせの場所へジュンと向かう。

 アキラは少し遅れそうなので現地集合することになった。


 ハルさんに会える、と集合場所への歩幅が自然と大きくなるアダチ青年。


 「うれしいのはわかったから落ち着いて、信号赤だからね」


 首根っこをつかまれるアダチ青年。


 「いやーすみません。赤だと止まらないとダメなの忘れてましたよー」


 「幼稚園からやり直してきた方がいいんじゃないの?」


 呆れるジュン。


 集合場所に着くと、ハルはすでに待っていた。


 「お待たせー!」


 「ううん、私も今来たところだよ」


 天使の後光が眩しくて、直視出来ないアダチ青年は俯きながら挨拶をした。


 「こ、こんにちは!」


 「こんにちはー、なんか雰囲気違うね」


 「ねー、アダチじゃないみたいでしょ?」


 「そ、そうですかね、い、いつも通りですよ、はは、ははは」


 「花火楽しみだねー」


 「暑いから早くいこ!」


 現実は妄想と違ってドライだった。

 それでもハルに会えて、近くにいれるだけでアダチ青年は喜んでいた。

 花火大会の会場まで電車で1時間、車内は混み合っていたが幸せな時間とはすぐに過ぎるものだ。


 会場の最寄駅に着く。すでに改札から出るのにも長蛇の列が出来ていた。

 駅員さんが忙しそうにあっちやこっちに走り回り、大声で交通整理をしている。

 やっと改札から出ると、会場へ向かう群集と共に歩きだした。


 途中コンビニで飲み物やお菓子を買い込み、会場近くの屋台で小腹を満たした。

 普段は駐車場であろう場所に、たくさんの人たちが集まっている。

 ネットで調べたオススメの場所という事で、アダチ青年たちもここらか見物する事にしている。

 レジャーシートを引き、お菓子を開けて食べだした。



 薄暗くなる頃、アキラがやってきた。


 「わるいわるい、遅くなったけど間に合ったみたいだな」


 アキラは持参した缶ビールをあけ、うまそうに飲みだした。

 あ、そうだそうだと担いできたリュックをあさり、キャンプで使う簡易敷きマットみたいなのを取り出した。


 「ちょっとかさばるんだけどさ、これあると座ってるの楽になるよ」


 そう言って女子たちに渡す。

 そこに座った女子たちはこれはすごい!と大絶賛だった。


 少しすると、会場に音楽が流れ始めた。

 何事かをアナウンスしたあと、カウントダウンが始まった。


 「「「「「ゴー! ヨーン! サーン! ニー! イーチ!」」」」」



 天に昇る火の玉が、ヒュ~と空を切り裂いてグングン高く上がっていく。

 一瞬の静寂の後に、何万もの光の粒が弾け飛ぶ。

 大きな歓声があがると同時に、ドーンと腹に大きな衝撃が届く。

 照らし出された笑顔は、花火以上に輝いている。


 「すごーい、きれー」


 瞳を輝かせる。

 歓声と炸裂音が続くなか、目を奪われた。

 花火を見て、またアキラを見て幸せそうに笑うハル。

 それを見ていたアダチ青年は気付いてしまった。


 自分がハルを目で追ってしまうように、ハルもアキラにそうなのだと。



 暗闇に弾けて広がる火の粒を、ただただ見つめ続ける。

 そうしていれば、見たくないものを見ないで済むからだ。


 打ち上げ花火は1時間くらいで終わった。

 会場からは人が波になってそれぞれの家に向かって歩きだす。

 その流れに乗って、最寄の駅に向かって歩きだすアダチ青年たち。


 楽しげに笑いながら流れる人たち。

 アダチ青年は歩きながら幸せそうに笑うハルの顔を思い出す。

 そして、次の瞬間にはその視線がアキラに向けられてる事を思い出し、胸がえぐられるような感覚に襲われる。


 歩幅は狭くなり、体が重く感じる。

 前を歩いているアキラたちと少しずつ距離があく。

 そして、ついに立ち止まり道端で動かなくなってしまった。


 髪を切った。服も買った。髪の毛もセットした。

 少しでも良く思われようと頑張った。

 だけど、所詮は僕だ。アニキのようなイケメンとは、根本が違うのだ。


 人の波に追いやられ、道の端っこでただ呆然と立ち尽くす。

 考えるのが嫌になって、歩いていく人たちをボーっと眺めていた。

 携帯が鳴る。見る気もおきない。ただずっとポケットで振動しているのを感じていた。


 どのくらいそうしていただろうか。

 人もまばらになりだした頃、急にポツポツと降り出した雨はすぐに本降りになった。

 ザーっと辺りを濡らし、行きかう人たちは足早に駆けていく。

 アダチ青年はそれでも身動きが出来ず、雨に打たれながら佇んでいた。


 雨は降り続き、全身ずぶ濡れになったアダチ青年の肩に手がかかった。


 「やっと見つけた! こんなところで何やってるのよ」


 ジュンだった。

 ジュンは傘もささずに心配そうにアダチ青年を覗き込む。


 「なんで携帯でないのよ? 落としたの? ねー! アダチってば」


 何も言わないアダチ青年をとりあえず雨宿りが出来る店先まで移動させるジュン。


 「もしもし、見つけたよ、うん、大丈夫。遅くなっちゃうから先にアキラさんに送ってもらって」


 どうしようもないアダチ青年を見て、携帯電話でハルたちに先に帰るように伝えるジュン。

 電話が終わると、ねー帰ろと言ったがアダチ青年からの返事はない。


 アダチ青年は店先に座り込み、うずくまったまま何も言わない。

 その隣でもう何も言わなくなったジュンは静かに待ち続けた。


 人が行きかうのが少なくなり、車が通るのもまれになった。

 雨はアダチ青年の悲しみを、代弁するように降り続いた。

 雨宿りで軒先を借りた店も明かりが落ちて、営業を終わる時間になった頃

 気温はグッと下がって濡れたTシャツ一枚では肌寒くなってきた。


 アダチ青年はボンヤリと地面を見つめていた。

 すると、すぐ隣から『グゥゥ~』と立派な腹の虫の鳴く音が聞こえた。

 顔を上げると、ジュンが腹を押さえて照れ笑いしていた。


 「こんなに雨降ってるのに、聞こえちゃうんだね」


 「……はい」


 「ねー、お腹空いたし、帰ろ」


 「……雨、降ってるし」


 「いいから、ね」


 そう言うとジュンはアダチ青年の手を取り、立ち上がらせた。

 雨がジャージャー降っている道に、そのままアダチ青年の手を引き歩きだした。


 「どうせ二人ともずぶ濡れだし、こんだけ降ってれば涙なんてわからないよ」


 「……涙?」


 「そ! どうしようもない悲しい事があったら素直に泣けばいいんだよ」


 「……」


 「誰も見てないし、わたしも見なかったことにしてあげるから」


 そう言ったジュンは、前だけ見てアダチ青年の手を引っ張って歩いた。

 少し涙が出てきたアダチ青年は、つないだ手をギュッと握った。

 ジュンがギュッと握り返してくれた時、アダチ青年のダムが決壊した。


 わーわーと声を上げて、子供のように泣いた。

 涙は雨に流されて、雨音が泣き声を誤魔化してくれた。



 駅に着く頃には真っ赤な目をしていたが、すっかり泣き止んでいた。


 「うわ! やばい、もうギリギリだよ、走って!」


 発車のベルが鳴り響いて、時間ギリギリなのに気が付いた。

 二人は改札をくぐり、急いで電車に飛び乗った。


 「危ない危ない、電車なくなっちゃうところだったよ」


 間に合って安堵するジュン。


 電車に乗ったとたん、空いている車内に『グキュゥ~』と気の抜けた音が鳴り響いた。

 泣いて腹が減ったのか、今度はアダチ青年の腹からだった。

 それを聞いたジュンが自分の事は棚に上げてクスクス笑い出したので、アダチ青年も一緒になって笑った。


 「駅前に遅くまでやってるラーメン屋あったでしょ」


 「ありましたね」


 「よし、ラーメン一杯で手を打とうじゃないか」


 「口止め料ですか?」


 「無料とは言ってなかったしね」


 「こんな時間に食べたら、またふと――」


 バシッ――


 彼らがじゃれ合っている間、慣れない駅で飛び乗った電車は目的地とは逆方向へと進んでいた。

 20分後、聞いたこともない駅名のホームに降り立った二人は帰宅を諦めた。

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