聖地
1
熱帯の暑さも異常な重力も消え、旅にでて初めて人心地のついた鈴音、リカート、バンボラの三人は鉛のような疲労感の中で幻想の世界にいた。
金で造られたような木々、エメラルドの葉、ルビーの実、サファイアの湖、瑠璃色の鳥や水晶のように透明な蝶が翔ぶ、そこはまさに夢幻郷である。
そして、三人を取り囲んでいる少女たちはみな、真珠の肌とプラチナの髪、トパーズの瞳をもち、美しい肢体を惜しげもなくさらしていた。
服のようなものを、一切身に着けていない。
ただし、全身が淡い光に包まれているため、シルエットのような輪郭しか見ることはできない。
少女が光っているのではなく、光が少女の形をしているだけと見るのが正しいのかも知れなかった。
その証拠に、彼女たちは鈴音たちを取り囲んでいるというよりも、黄金色の森の外延に沿って漂っているばかりで、ちっとも近づこうとはしていない。
近づいてこないのではなく、近づこうと思うような感覚すらないようなのだ。
もちろん、だからといってその身が美しいことに変わりはない。
「きれい・・・・・・」
夢見る眼差しで呟き、鈴音が手を伸ばす。その指先が少女たちの身体を包む光に触れそうなほどに近づいた。
「やめろ!!」
パシッ!
鈴音の行動を見て取ったバンボラが、鋭い声とともにその細い腕を素早く払った。
瞬間、鈴音の腕は地面に向かって叩き落とされ、勢いに抗しきれず上半身がグラつく。細く白い腕にはバルボラの大きな手形が、赤くハッキリと付いている。
「なっ・・・」
突然のことに面食らい呆然とする鈴音だったが、その表情はすぐに不満と微量の怒りに変わった。
ただ手を伸ばしただけなのに、こんな仕打ちを受けるなんて納得できるわけがなかったのである。
抗議しようと口を開けたが、適当な言葉が見つからず、仕方なく鈴音は口を閉じ思いっきりジト目で睨み付けた。
「あれを見ろ!!」
そんな鈴音を無視し、バンボラは少女たちの後ろにある広場を指さす。
そこには大きな水晶の柱があり、中にはなにかが入っているようにも見える。
だが、周囲の目映さに紛れてよくは見えなかった。目を凝らして、目が光に慣れてくるのを待つ。
「ああなりたいのか!!」
重ねて怒鳴るバンボラだが鈴音にも、隣で同じように水晶の柱を見ているリカートにも、『ああなりたいのか』の『ああ』の意味が見えていないためにわからず、バンボラが何をそんなに怒っているのか理解できずにいた。
ジッと見つめ続ける鈴音とリカート、その目が次第に光になれ水晶の中の影が、ある形をとりはじめる。
「えっ?」
「な、なに!!」
影が形となり、形が姿になると鈴音もリカートも驚きの声を上げた。
それは紛れもなく人間であった。
ミイラでも彫刻でもなく、生きていたときの姿のまま氷付にでもなったかのような状態で、何本もの透明な柱の中に一人づつ立っているのだ。
「な、なんなの? あれ・・・」
水晶の柱から眼を離そうともせず、鈴音が問う。その問いにバンボラは答えず、近くを這っていた十本足の蜘蛛をつまみあげると、少女たちに投げつけた。
投げられた蜘蛛が宙を跳び、少女たちの光に触れると一瞬にして水晶に閉じ込められ、固まってしまった。
「見ての通りだ。どんな仕組みなのかとか、何のためなのかなんてわかりゃしないが、あの光に触れると命を持つものはみな水晶に閉じ込められちまうんだ」
近づくでもなく、遠ざかるでもない動きで辺りを漂う少女たちに警戒の目を向けつつ、説明するバンボラ。
しかし、それによってもう一つ別の疑問が生まれた。
「あんたは何で、そんなこと知ってんのよ」
リカートの当然すぎるほどの突っ込み。
リカートとしてはさして考えを廻らせたわけではなく、言葉が口を突いて出た。そんな表現がピッタリくる軽い問いかけ。
「・・・・・・・・・・・・」
その軽い問いかけへのバンボラの答えは沈痛とも言える重い沈黙であった。
「手前に若い男女が見えるだろ?」
黙っていても仕方がないとでも思ったのか、長く重い溜め息を一つ吐き出し、バンボラがおもむろに問い返す。
言われて、リカートと鈴音は視線を奥のほうから手前に移動させる。そこには確かに動物の毛皮をふんだんに使った服に身を包んだ若い男女の姿があった。
むろん、水晶自体は別々なのだが、なにか一対のものとしての雰囲気がある。
「・・・・・・?」
その二人を見た鈴音は、ふと首を傾げた。始めてみるはずなのに、どこかであったことがあるような気がしたのである。
既視感、というやつだろう。なぜか、見覚えがあるような気がするのだ。
ひとたびそう感じると、もはや後戻りはできない。奥歯にものが挟まったようなもどかしさに耐えつつ、鈴音は記憶を探った。
頭の芯が熱くなるほど考えたとき、やっとその答えが見つかった。この二人は鈴音の知っている人物に似ているのだ。
そうと気がついて、その考えが正しいことを確認しようと、二人の面影を受け継ぐものに尋ねようとした。
が、その前に相手のほうが先に事実を認めた。そうでなければ、わざわざ見るように促しはしないだろう。
「あれが、俺の両親だ」
感情のないサバサバした口調で言うバンボラだが、それゆえにかえって飲み込んだ悲しみと苦しみが、鈴音とリカートにはありありと見てとれた。思わず胸がつまり、涙が我知らず込み上げてくる。
「俺の両親が行方知れずになってるのは知ってるだろ。もちろん親父の仲間たちが捜索してくれたんだが見つからなかった。見つからないって事は森にいないか、森の奥にいるかしかない。俺は奥だと思った。だから他の奴らが行かないような奥地にも好んで入っていたのさ。そして、二カ月前ここを見つけた」
まるで教科書を読んでいるような淡々とした声が、淡々と事情を話していく。
二カ月前、もはや生きてはいないだろう両親の姿を探して森を歩き尽くしたバンボラが最後の最後に行き着いた場所、それこそがここだった。
聖地と崇められ、森の恵で生きるものたちにとって絶対の禁忌、暗黙の了解、不文律によって立ち入ることどころか近づくことさえも禁じられた土地。
バンボラ自身、両親のことがなければ、立ち入ろうなどとは絶対に思わなかったったはずの場所である。
だが、バンボラは万難を排して踏み入った。そして重力異常の森を抜け、両親の異常極まりない姿を発見し、悲しみと怒りとそれ以外の全ての気持ちに混乱をきたして街へと逃げ帰ったのである。
そして、それ以来森に入ることを恐れ、自身の仕事が何であるかも忘れて酒に溺れる毎日を送っていたのだ。
鈴音らが訪ねていくまで・・・・・・。
「でも、何でこんな森の奥にまで入り込んだのかしら? 森の禁忌だって事ぐらいご両親だって知っていたでしょうに」
だいいち、あの重力異常の森を抜けてくるには相当に大きな理由があったはずだった。理由もなく入り込むには、余りにも体力と気力を使い過ぎる。
「親父が手にしているものを見な」
言われて再び視線を戻すと、バンボラの親父さんはなにかをシッカリと掴んでいた。それがなんなのか、鈴音には分からなかったが、何かの動物ではあるらしい。
それは漆のように光沢のある黒い毛皮を持ち、猫ぐらいの大きさ、頭には見事に螺旋を描く角が一本生えている奇妙な獣だった。
もっとも、そう思うのは鈴音だけで、この世界には普通にいる動物なのかも知れなかったが・・・。
「ダーリア、ね。癒しの力を持つ神獣、全身が魔法の薬として高値で取り引きされる神獣、神の獣の一種で、特にえぐり取った心臓から滴る青い血を飲ませれば死人すら蘇るという」
さすがに神官、戦いばかりでなく、ある程度の魔法の知識もあるらしく、リカートが強いうなずきとともに呟く。見ただけで大方の理由がわかったのだ。
「そう、その青い血さ。親父たちは病で死んだ娘、つまり俺の妹を生き返らせようとしてダーリアを血眼になって探してた。周囲の止める声なんて聞きもしなかったよ。結局親父たちが行方知れずになっているうちに妹は埋葬され、当人はあの様さ」
自分の家族の話、それもかなり悲しい部類に入る話なのに、バンボラの表情は微動だにせず、血の気が引いた青白い顔は蝋人形のようにも見えた。
ただ声だけが、その沈痛な胸のうちを吐露するかのようにかすれ、震えを帯びている。
「チッ!」
平静を装うつもりだったのが、完全に失敗していることを自覚し、バンボラは意識的な舌打ちをすると鈴音とリカートから視線を外した。
「森の中心はおそらく、あの広間の向こう側だ。急ごう・・・・・・」
・・・飲み込んだ言葉は、たぶん『長居はしたくない』。言葉には出ていなくても、その態度が声高に告げていた。本人は、本人だけは気づいていないのだろうが。
「え!! で、でも・・・」
まだ辺りを漂っている少女たちに警戒の目を向けつつ先へ行こうとするバンボラを見て、鈴音が慌てた様子で引き留めようとしていた。
が、その腕をリカートが後ろから引き、振り返った鈴音の困惑の色をたたえた眼を正面から見つめ、首を左右に振った。
鈴音が言おうとしていることが、口にすべきではないものだとリカートの目が語る。
『でも・・・』鈴音も目で反論しようとしたが、結局は唇を噛み締め、コックリうなずくとリカートと並んで、バンボラの後に付いて歩きだした。
鈴音が言おうとしたこと、それはご両親をこのままにしておいていいのか、ということだった。
だが、それは他人が口にしていいことではない。まして、鈴音はバンボラを彼にとっては最も過酷な地獄であるはずの地へと来させた張本人である。
水晶に閉じ込められた者を助け出す方法を知っているとでもいうならともかく、安易に口にしていいセリフではなかった。
口にしてみたところで、よけいバンボラの心に傷を付ける結果にしかなりえないであろう。
ありきたりの励ましを言って、どうにかなるようなものではないのだ。
バンボラが決めたことに従うのが、この場合は筋というものだ。
「今は先に進むことを考えましょう、自分の問題も解決してないうちに、他人のことに首を突っ込むのは良くないわ」
リカートの言葉に、鈴音はうなずくしかなかった。
鈴音自身、人に施しを受けなくては旅を続けるどころか、生きてさえいられない身なのである。自分の身も立てられないような小娘が、他人の悩みに口出しするなど増上慢と言う他なかった。
「そうね。自分のことさえまともにできない人間が、他の人のことにまで気を回すなんて身のほど知らずだわ」
まずは一つずつ確実にやっていこう、そう心に誓う鈴音だった。
自分を助け支えてくれる人たちのために、自分を待っていてくれる人のために、そして自分自身のために。
2
少女の姿をした光たちは今だに周囲をたゆっていたが、近づいてくる気配はなく。その美しさに見とれてしまう自分自身にさえ気をつければ、危険はないだろうと思われた。
見てしまうと、その美しさに魅かれ、ついつい手を伸ばしてしまいそうで鈴音とリカートはできるだけ視界に少女たちの姿が入らないようにしながら歩いている。
刈ったばかりの芝生のように整った外延の草地を横切り、白と黒の市松模様状に大理石を敷きつめたような敷石の上、人間を内包した水晶が林立する広間へと進む。
生気を失った人間たちが立ち並び、歩みすぎようとする三人を見つめている。
ガラス玉のように感情のない瞳が、目前を通り過ぎる三人の姿を写し、生きた人間を自分たちの世界へ招き寄せようとでもしているかのようだ。
そこは一種異様な空気が流れ、霧の中にでもいるかのような重々しい雰囲気があった。閉鎖された空間にありがちな臭気がたちこめ、鈴音はなぜか小さい頃に父と供に行った蝋人形館を思い出していた。
父としては人形好きの娘を喜ばせたい一心での事だったのだろうが、その頃の鈴音は蝋人形を理解するには幼すぎて、ただただ不気味なだけのものに見えたものだ。
あまりの恐さに鈴音は父の腕にしがみつき、決して動くことのない人間の群れを盗み見るので精一杯だった。
結局、父を急かして足早に暗い館内から出ると、外の明るさと行き交う人々の活気にホッとして泣きじゃくり、父を困らせてしまったのだ。それ以来、父にとって人形館の話は禁句になっている。
鈴音にしても、その一件以来デパートなどへ買い物に行ってもマネキンに近づけなくなっている。どんなに素敵なデザインでもマネキンが着ているものには絶対に触れない、トラウマというやつだろう。
ましてや、いま周囲に立つのは作り物の人形などではなく本物の人間、もしくは人間だったものである。
鈴音ならずも、生理的嫌悪寒に心と頭を支配されるのは仕方のないことだった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
無言のまま三人は、うつむきかげんの早足で広間を横切ろうとしている。
長く留まっていては、むろんそんな気は微塵もありはしないが自分たちまで水晶になってしまいそうな、そんな強迫観念めいた感覚に捕われていたのだ。
マンション群の直中にある公園よりも狭い広間を、まさに夢幻回廊を歩くがごとき精神力と体力の消費に耐えながら、三人はこれを踏破した。
まる一日は歩いた、そう思ってしまうほどの疲労感があった。先刻は重力に対する体力の消費が主な原因となっていたが、今は精神と気力が底を尽きかけている。
「・・・・・・いい加減にしてよね。なにが聖域よ、ただの異常地帯じゃない」
ふだんわりとマイ・ペースな鈴音でさえ、ふとそんな言葉を口にしてしまったほどの極限状態だった。
だが、どんなに辛かろうと楽しかろうと始まれば終わるのが世の理、この異常きわまりない森にも果てはあった。
鈴音たちには数時間にも及ぶような、実際にはほんの十分の徒歩による移動の後、あるべき姿の森が現れた。
それまでの異常さは毛ほどもなく、自然のままの森がそこにはあった。
樹齢数千を数えるであろう巨木が、細い葉を茂らせ凜として立っている。人工の手が一切入っていない乱雑な、それでいて微妙なバランスの上にたつ調和。紛れもない自然美が目の前に広がっていた。
「ここが、森の中心?」
期待していた、具体的に何があるのかがわかっていたわけではないのだが、なにか特別なものがあると思っていたのに自然のままの森があるだけという現実に戸惑いを覚え、リカートが呟いた。
「そのはずだが・・・・・・」
バンボラもまた、狐につままれたような顔で答えている。確かに、この森の木々はどれも数千年の歳月を越えたものばかりで、なにか神々しいものを感じさせたが聖地とまで言われ、あれほどの試練を越えねばならないような地とまでは考え難いものがった。
「あたし、エスティリア女神ヴァルナ聖典の導きで、勇者様にお会いしたくて参りました鈴音って言います。お願いです、勇者様に会わせてください」
なにもない虚空に向け、鈴音の文字通り鈴を鳴らしたように澄んだ声が来訪の目的を告げる。
だが、反応はない。
木々の梢が、ザワザワと騒ぐばかりである。
「誰もいないんですか?」
真剣、というより深刻な顔で鈴音が問いかける。誰もいないのであれば返事が返ってくるはずはないし、仮に誰かがいたとしても、返答を返さなければいないのと同じなわけで、考えようによっては相当に間の抜けた問いかけであった。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「・・・アアアアアアッ! イライラする!! いるのかいないのかハッキリしなさいよ。隠れてる奴、いるんならとっとと出てきなさい。でないと・・・・・・森ごと焼き払ってでも探し出すからね!!」
長い静寂に耐え切れず、リカートが怒鳴る。やはり、この娘は神官である前に戦士であるようだ。
神官なら、もう少しくらい忍耐心があってもいいはずである。
だが、リカートの最後通告も結局は無視された。誰かが隠れているのだとすれば、だが。 ………………………………………………。
再び訪れた静寂、リカートの忍耐はここで尽きた。
「やると言ったからには本当にやるわよ。あたしは!!」
言い放ち、やおら祈りの体勢に入るリカート。その口からは奇妙な抑揚を付けた言葉が紡ぎ出される。
「フラウ・フアウ・ヘファイト・ストフ。荒ぶる巨人の怒れる吐息、炎の力よ。我が祈り我が導きに従い煉獄となれ! ファイアー・ブレス!!」
言葉とともに突き出された拳が、突如として燃え上がり、次の瞬間には扇状に広がった炎の渦が前方に立ち並ぶ木々に向けて放たれていた。
RPGやファンタジー小説にはさほど縁のなかった鈴音にも、それが魔法であることは理解できた。科学ではないことがわかるだけのことだとも言えたのだが・・・。
ともかく、神官であるリカートが破壊のための魔法を唱え、言葉だけでなく実力で森を焼こうとしていることは間違いない。
リカートの腕から発生した炎は辺りの空気すらも焼くほどの高熱で、色は青に近かった。 火炎放射機など比較にならない火力だ。樹齢数千の木々といえども、まともに受ければ数分で炭と灰に変わるだろう。
神官にあるまじき自然、神への冒涜。少なくともかつて世界を救った勇者に会いに来た者のとる行動ではない。
「リカートさん!!」
慌てふためき、鈴音が抗議したが後の祭りだ。一度放たれた火を戻すことは人の身にては不可能なこと、炎の勢いは緩まず、この森にあって最も巨大な樹めがけてひた走っていった。
「ああ・・・」
鈴音が絶望の声を上げる。
その情景は全てを無に帰す、破滅の色に染まっていた。
「・・・・・・・・・?」
当然来たるべきであろう熱風を予想し、顔を袖で覆ったリカートが炎の樹を焼く音も匂いもないことを訝しみ、恐々目を上げる。
そこには信じられない光景があった。
「どうやら、人はいたらしいな」
最初から最後までを見届けていたバンボラが、無感動に呟いていた。
そこには、巨木を背に炎を受けとめる人物の姿があったのだ。
まるで枯れ木のようなしわ、色の肌を持つ白髪の老人。その老人が、片手であの火勢を受けとめていた。
あの火力の前では、触れただけで燃えつきてしまいそうな細い身体のどこにそんな力があるのか、焚火にでも手を翳しているような穏やかな表情で老人は立っている。
数秒か、数十秒か、しばらくの間があったあと、火勢が衰える刹那のタイミングで老人は炎を握り潰してしまった。
「近頃の若者は、年長者に対する礼儀を知らぬのか? いきなり森を燃やすとはせっかちにも程があろうに・・・」
木の葉が風にそよぐような物静かな声とともに、老人がゆっくりと鈴音のほうへ近づいてくる。
「いるんならいるで、はじめっから出てくりゃいいじゃないのさ。わざわざ訪ねてきてやったのに、そ知らぬ振りをするほうが無礼でしょ!」
火を操る術の中では中級程度の呪文。それもかなり手加減していたとはいえ、片手で防がれてしまった引け目も手伝って相当に強い口調で詰め寄るリカート。
だが、それは完全に無視された。
「鈴音殿と申されたかな」
老人は、面倒そうな挨拶関係はとっぱずして、いきなり語りかけてきた。見るからに好々爺然とした微笑みだったが、その瞳は哀しげに沈んでいる。
「はい。・・・あなたが、勇者様ですか?」
他に人のいる様子はないし、リカートの魔法を片手で止めるなんて事が普通の老人にできるはずはない。
だから、この人こそがヴァルナ聖典に告げられた勇者様に違いない。鈴音はそう確信した。逸る気持ちが言葉を弾ませている。
「勇者。勇者、か。ふむ・・・そうだとも言えるし、違うとも言える。わしは自分が勇者だなどと思ってもいない、が人はそう呼んでくれていた。今も呼んでくれるかどうかは知らぬがな・・・・・・」
そう言って、老人は渇いた笑い声を上げた。冗談だとでもいうように。
「して、この老体に何用あって会いに来たのじゃね」
「この世界全てを救う手立てを、お伺いしに参りました。あなた様が方法を見つけたとヴァルナ聖典に教えられて」
単刀直入を言葉にしたような問いと返答である。人間同士の、それも交渉ごとの会話であれば、もう少し駆け引きがあっていいと思うのだが、結論を急ぐ若者ととうの昔に現場を退いていた老人では、そんなまどろっこしいことはしていられないのかも知れない。
「・・・・・・聞いてどうする。誰一人として実行に移した、移せた者のない困難を極める仕事なのだぞ。おぬしの力だけでできるとでも思うか?」
「できない・・・でしょうね。でもやらなくちゃ、やらないままでいたらできるものもできない。やり始めてしまえば、どうにかなる可能性は出てくる。そうじゃありませんか?」
理屈である。人間の歴史の中でも何人もの偉人たちが困難に立ち向かうとき、必ず口にした言葉だ。
大き過ぎるから、と石を積まずにいればピラミッドは完成しないし、長すぎるからといって途中でやめていれば万里の長城は単なる国境の砦で終わっている。
可能性が低いからと放棄すれば、可能性はゼロになるが実行してみると案外簡単だったりもするのだ。
「・・・・・・よかろう。教えるだけは教えてやる。どうせ、無駄じゃろうがな」
短い嘲笑の後、ジジイ、もとい勇者はようやく重い口を開いた。
その口から語られたことは、世界全域の構造から始まる人間などには想像もつかないような、壮大な話であった。
巨人が倒れて後、その屍から生じたのは五つの異なる世界である。
天界、精霊界、妖精界、人間界、地界。これらの世界は一つの容器に入れられた水と油のように、決して交わることのない多層構造を形作って存在していた。
特に、地界と人間界の間には天界の住人である神々によって造り出され、精霊に支えられ、妖精たちの住む地上界によって仕切りがされている。
だが、いかに仕切られようともこれら五つの世界を産みだした根本が同一のものである限り、一つの世界の破滅は全世界の破滅につながる。
ちょうど五階建てのビルの二階部分が崩れれば三階から上も崩れ、その重みで一階も潰れてしまうようにだ。
だからこそ、各世界の住人たちは知らぬ間に他の世界との調和を保つよう、努力していたのだ。光と影、表と裏、男と女、どちらか一方だけでは意味を為さず、存在も危うくなるから・・・しかし今この絶対の調和は崩れつつあった。
まさに世界を食い荒らす寄生虫、ウォルヅァルによって・・・。
もし、一時的な恒久ならざる安穏を望むのであれば、このウォルヅァルを倒してしまえば用は足りる。
しかし、それでは根本的な解決にはならない。そもそも競争相手ならともかく敵対するもの同士が一体であること、いや、それ以前に敵対していること事態が間違いなのだ。
光か闇か、表か裏か、どちらか一方に偏った世界ゆえに戦い、戦うがゆえに滅びを招く事になる。
それぞれの世界が光と闇、表と裏を内包した存在ならば戦いのための争いなどする意味がなくなり、戦い、少なくとも世界の破滅につながるような争いなど起こりはしないのだ。
そう考えたとき、やるべきことは見えてくる。『世界全体の再編成』、それしかない。
が、実行することは難しい。元が同じなのだ、不可能ではないだろう。
しかし・・・・・・。
「誰もが、この『しかし』で諦めてしまった。じゃが、わしはこの『しかし』を消す方法を発見したのだ」
3
「その、方法とは?」
核心に近づいている手応えが鈴音の小さな胸を踊らせ、声を震わせていた。
「コアを利用することじゃ」
「コア?」
「さよう、くどいようじゃが世界は巨人の血肉から生み出された。じゃが、巨人の血肉がすべてというわけではない。いかに巨人といえど五つの世界ほどの広がりを持っていたはずはないからの。そこでじゃ、各世界の中心にあり世界を増幅し続けている巨人の血肉、恐らくは宝珠の形をとっておるじゃろうが、これを集めることができれば再び世界の創造を行なうことも可能となろう」
種を蒔けば実がなるだろう、とでもいうようにサラリと言ってのける老人である。
だが、種を蒔いたとしても水をやらず、肥料もやらず、草取りもせずに刈り入れはできないのと同様に宝珠を探し、世界を再構築するにも幾多のプロセスがあるはずで、全てが未知のものである以上その困難は想像を絶するものになることは容易に推測できた。
その推測に、鈴音の心は押しつぶされそうであった。まるで砂漠に打ち捨てられたような感覚に捕われている。周囲はグルリ砂の海、どっちの方角に歩き出せばいいのかさえ知らず、ただ立ち尽くす、そんな感じだった。
だが、彼女は独りではなかった。
「そんなこと言ったって、その宝珠をどうやって探せばいいの? 五つの世界って簡単に言うけど、一つ一つの世界だって狭くはないのよ!」
どんな壁でも突進してみないことには気のすまない性格のリカートが、体当たりしそうな勢いで尋ねている。
老人は、その勢いにも動じる様子は見せず、おもむろに懐に手を入れ五色に光る宝珠を取り出した。
「こいつは、この地上界を作るときに神々が各世界の一部から取り出したエネルギーを固めて作ったもの、性質的にはコアと同質じゃ。コアを探すための道標としては最適じゃろうて・・・・・・」
そう言って含んだような笑みを浮かべ、老人は宝珠を鈴音の手に握らせた。
「おぬしの選んだ道は茨の道じゃ、進めば進むほど自分自身を傷つけるじゃろう。じゃが、行き着く先が楽園となるか無間地獄となるかは、おぬし次第、強く生きるのじゃぞ」
さっきまでの嘲笑は何だったのかと訝しんでしまいそうな真剣さで鈴音を励まし、老人は霞のように消えた。
「・・・俺はどうやらとんでもないことに巻き込まれちまったらしいな」
とんでもないこと、と言う割には落ち着いた声と表情のバンボラが呟く。
その視線の先には世界そのものともいうべき宝珠を託され責任と義務という重圧のために全身からくる震えを自分の両腕で必死に抑えようと苦闘する鈴音と、そんな鈴音を慈しむように見守るリカート、戦士でも勇者でもない二人の少女の姿があった。
「・・・・・・なんか、危なっかしくて見てらんねぇな。毒喰らわば皿まで、ここまで関わっちまったんだ最後まで付き合ってやるか。ナイトって柄じゃねぇんだけどな、俺は」
聖地と言う特殊な世界は来るものを拒みはしても、去るものは追わないものらしく、鈴音らは来るときとは比較にならない楽な旅程を経てノーランディアはエスティリア女神の神殿へと戻っていた。
目的を果たしたことを報告するとともに、他の世界へと渡る方法を知るためである。
人間界に限らず、この世界でも異界との接触はごくまれなことだった。神々の特殊な能力によって戦いの場に引き寄せられることはあっても、自分たちの意志と力だけで世界の境界を越えることは難しい。
が、不可能なわけではない。幾つか方法はあるはずだった。鈴音たちは、それを知らなくてはならなかったのだ。
書物と知識を司る女神、エスティリアを奉じる神殿になら、その方法を記した書物、あるいは知っている人間がいるはずだった。
「・・・・・・確かに、方法はあります。ですが、平時であっても危険がありすぎますし、まして現状では死にに行くようなものですよ」
巫女頭の予想通りの答え、鈴音ですら最初の言葉以外は聞き流してしまっている。
何をするにも危険がつきまとうのは、こういった場合では当然のこと、いまさら強調される必要などない。
「と、言ったところでやめはしないのでしょうね、あなた方は」
そんな空気を感じ取ったのか、巫女頭は嘆息して呟いた。呟くと同時に近くにいた若い巫女に何事かを命じている。
命じられた巫女もまた、哀しく寂しげな瞳を伏せて部屋を出ていった。
ほどなくして戻ってきた巫女は、手に数冊の本を手にしていた。
鈴音たち三人は一様に巫女の手元に視線を集中させる。
もしも後で運んできた巫女がどんな顔をしていたか問われても答えられないが、書物のどこにシミがあったかは答えられる。そんな集中力。
その書物はいずれも全体的に古び、黄色く変色した古本だった。
「かつて、この地にて名を馳せた偉大なる賢者が、自らの冒険を綴った本です。ここに、地界へ渡る方法が記されています」
その本をテーブルへ置くよう若い巫女に無言で指示し、巫女頭が本の内容を解説している。もっとも、この時点で話を聞いているものなどいはしなかったのだが・・・。
「さすがは書物と知識の神を祀る神殿だな。知識に関しちゃ、なんでも揃ってやがる」
巫女の手でテーブルの上に仰々しいほどの恭しさで置かれた本の一冊を手にし、ページを繰りながらバンボラが呟く。
が、その顔と指は、あるページで凍りついた。
「な、なるほど、こ、これは確かに死にに行くようなものだと言われて当然だな」
声までも鼻白ませて言ったバンボラだが、その言葉に深く頷いたのは巫女頭と巫女だけで、鈴音とリカートは何のことかも判らずに血の気の引いた狩人の顔を見つめている。
この世界の地図表記の仕方を知らない鈴音と、地図の見かたは学ばなかったリカート、この二人には本に記された地がどこなのか知る術もなかったが、狩りを生業としているバンボラには場所も地形も鮮明にイメージすることができたのだった。
その危険性までも・・・。
その地は、ある意味で聖地よりもやっかいな魔術的秘境であったのだ。
「『ストイックの魔窟』とはな。まぁ、当然という気もしないではないが、やっかいなことだ」
「す、『ストイックの魔窟』ですって? あの『神を喰らうもの』と呼ばれる魔龍『アイオーン』の巣じゃない、あんな所に行かなきゃなんないわけ!!」
バンボラの呟きを聞きつけたリカートが全身を震わせて喚く、その震えは恐怖ではなく嫌悪感から来るもののようだった。
普段はさほど表に出さないが、彼女も一応は神に仕える神官である。そんな彼女が『神を喰らうもの』と友好的になれるはずはないのだから当然といえば当然であろう。
「・・・でも、確かに異世界へ通じる穴といえば、あそこぐらいのものでしょうね」
この地上界は意図的に創られた世界であるだけに、存在を知られていない謎や神秘などはありえなかっし、存在を知られている神秘にしても三つしかない。
一つは言わずと知れた世界の中心で聖地とも呼ばれる『支衛の森』であり、今ひとつは『神々の実験室』と称される『カプリチオ盆地』、そして、その中心に穿たれた穴こそが『ストイックの魔窟』であった。
「西の果て、無と有の境界線上にたゆたいし暗黒。全てを飲み込み、全てを現わすもの。生にして死、万有にして虚無。・・・賢者はそう語っています。何が起こるか判りませんよ」
無駄と知りつつも変心を促す巫女頭、その誠意ある説得は鈴音の決意と意志に裏打ちされた微笑みによってしか報われなかった。
「ありがとうございます。ご心配いただいて・・・。でも、あたし決めましたから。道を見つけ、走り出してしまったからには、止まりたくないんです。一瞬たりとも」
この華奢な体のどこにこんな強さが、と訝しく思えるほどの静かな強さをたたえ、鈴音は言い切る。
そこには意地も、見栄もなく、ひたすらに自然な勇気があった。
「俺としても、乗りかかった船だ。途中で降りる気はねぇよ」
「『聖地』に行ってしまったからには、あとはどこ行ったって同じようなもの。どこまでだって付き合うよ」
バンボラとリカートもまた、静かに言ってのけた。彼女らの心に迷いや気構えはもうないのかも知れなかった。風のように自然で水のごとく清らかな炎のように激しい情熱が、三人の瞳の奥で燃えている。
「しかたありませんね」
ゆっくりと息を吐き出し、巫女頭は中庭を臨める窓辺へと音もなく歩み寄った。
「あそこに叡智の化身、知識の番人たる黒鳥がいます。彼の背に乗っていけば明日の朝日を見る頃にはたどり着けるでしょう・・・入り口までは。中へは行きたがらないでしょうからね、彼にしても」
慈しむかのような響きを含んだ巫女頭の言葉とともに、大きな、それでいて軽やかな羽音が聞こえ、続いて銀色の鳴き声が耳から入り脳内を通り過ぎていった。
「神獣ホアンホア・ロイド。この世の知識を知り尽くしたビロードの翼を持つこの鳥は、知識の神たるエスティリアに勝負を挑んだ。戦いは幾日も続き、両者は一歩も引けをとらずにいたが最後の日、女神が出した謎に対し、この鳥は答える術を知らなかった。以来、この賢い鳥は答えを探し彷徨い続けている」
夢の中にいるような虚ろな瞳を虚空に向け、リカートが朗々と物語っている。
「よく御存知ですね。この話しは一冊の本に数ページ書かれているだけ、しかも本はここにしかないというのに」
意外と言うより、興味が巫女頭の口から漏れた。この物語が語られている本はこの世に一冊しかなく、ここ三百年ぐらいは読んだものもいなかったのである。
「本は焼けば失われますが、人の記憶と口を消し去ることは神とても不可能なこと、そうでしょ? あなた様にしても先代から直接聴かされたのではありませんか、いくつかの物語や知識は」
知識を統べる女王としての威厳すらも感じさる巫女頭に対し、傲慢とも取れる言い方ではあったがリカートにしては珍しくまともな意見である。もっとも、大半が長老の教えをそのまま焼き直しただけであったのだが。
「・・・なるほど、何もエスティリアの巫女だけが知識を得ているわけではない。そういうことですか」
別段、気負う様子もなくサラリと受け流した巫女頭、その視線の先に首を傾げたまま考え込む鈴音の姿があった。
「どうかしましたか?」
この世の悩み、謎に対する答えをただ一つの事柄を除いて答えうるとの自負を持ち、実際に答えてきた巫女頭は声をかけずにいられなかった。
「・・・・・・。今になって気づいたのですが、あたしたちがやろうとしていることって神々にしても魔王にしても看過できない暴挙に類することだと思えるのに、神々は何故あたしたちに好意的、協力的なんでしょうか?」
それは鈴音にとっては素朴な疑問、それ以外のなにものでもなかった。しかし、巫女頭にとっては存在そのものをも消失しかねない重大な意味を持っていた。
むろん、巫女頭はその答えを知っていた。知っているからこそ、伝説の神獣ホアンホア・ロイドはここにいるのである。
だが、それは答えてはならない謎、知らせてはならない秘密でもあった。
「それは・・・」
口ごもる巫女頭、深刻を通り越して悲痛な表情が、その温和な顔に浮かび出す。
「いいじゃないか、そんなこと。神が協力的だろうと邪魔してこようと、俺たちには突っ走ることしかできねぇんだからな。理由なんて訊くだけ時間の無駄だ」
巫女頭に助け船を出した、というわけでもなかろうがバンボラが口を挟む。
「そうですね」
もともとが、何となく気になっただけの疑問であるため、鈴音に深く追求するつもりはなく。簡単に引き下がった。
「話しすんだんだったら、早く行こうよ。はやく、はやく」
存在を知っていた、信じていたのではなく知っていたとはいっても、伝説にまでなった神獣を自分の目で見れる、触れる、乗れる、そんな期待には勝てず、すっかり子供に戻ってしまったリカートが鈴音の腕を引いて急かしている。
「はい、はい」
立場がいつもと逆になっていることを感じ、思わず微笑みがこぼれる鈴音。見送る巫女頭や巫女たちに軽い会釈で別れを告げ、庭のほうへと去っていった。
やがて、大きな羽音とともに鈴音、リカート、バンボラの三人を乗せた黒鳥ホアンホア・ロイドが窓の外を飛びすぎていき、あっという間もなく空に溶け込んでしまった。
「間に合ってくれるでしょうか?」
三人と一羽が空に溶けた後も、しばらく空を眺めていた巫女頭が室内に向き直り、先刻来ずっとそばにいた巫女に声をかけた。だが先ほどまでとは口調が微妙に異なっていた。目下のものへというよりも同格のものと接するかのような響きがある。
「間に合ってもらわなくてはね。もう、長くはもちそうにないですから」
ここにきて初めて口を利き、うつむきがちだった顔を上げた巫女。もし今ここに鈴音が残っていれば、聞き覚えのある声と見覚えのある顔に気づき、声を上げていたことだろう『女神ラファエラ』、と。
「彼女らは、わたしたちに残された最後の希望ですからね。唯一の勇者を失った今となっては・・・・・・」




