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新たな闘神の誕生

そこに立っているのは――

もう、ホープの知っている人ではなかった。


花園で優しく微笑んでいた奥方様でもない。

訓練場で不意に自分を抱きしめ、涙をこぼしながらも困ったように笑っていた人でもない。

ほんの少し前、震える声で「あなたは私の子です」と告げ、十三年越しに母と名乗った女でもない。


そこにいるのは――

時の神。


神々すら恐れる存在。


花園の上では、時間そのものがひび割れていた。

空は裂け、黒雲は途中で止まり、風は流れを失っている。砕けた石片も、宙に舞った花びらも、落ちきれぬまま空中で震えていた。世界の法則が、その女を中心に捻じ曲がっている。


その中心に立つ母は、静かに微笑んでいた。


白い衣は血と土で汚れている。長い黒髪は風もないのにゆっくりと揺れ、その手には闘神の剣が握られていた。

花園の中で咲いていた花々は、彼女の足元で焼け、枯れ、また巻き戻るように形を戻し、すぐにまた崩れていく。時間の流れが壊れた場所では、命さえ一定の形を保てない。


だが、その笑みは。


あまりにも冷たかった。


やさしさの形をしているのに、そこにはもう人のぬくもりがなかった。

愛する者を失った悲しみが、壊れて、凍って、世界ごと止めようとする意思に変わっている。


神々が叫ぶ。


「やるしかない!!」


雷の神が雷を落とす。


黒雲の奥で青白い光が膨れ上がり、幾筋もの雷槍となって母へ降り注ぐ。一本だけでも街を消し飛ばせるほどの神罰が、いまは躊躇なく一人の女へ向けられていた。


炎の神が炎を放つ。


赤黒い炎はただ燃えるだけではない。触れたものの存在そのものを焼き崩す神炎だった。花園の上空でうねりながら巨大な獣のような形をとり、母を呑み込もうと牙をむく。


水の神が大地を押し潰す波を呼ぶ。


空中にありえぬほどの水塊が生まれ、城をも押し流す質量で花園へ落ちようとする。

風の神が空間を裂く。


見えぬ風刃が何十、何百と重なり、ただ切り裂くだけでなく、存在の境界ごと削り取ろうと迫る。


神々が一斉に。


総攻撃を仕掛けた。


世界が揺れる。


空は割れ、大地は呻き、花園の残った石畳まで悲鳴を上げるように軋んだ。

空から降るのはもはや天罰ではない。神々自身の恐怖そのものだった。


だが母は動かない。


逃げもしない。

構えもしない。

ただ、そこに立ったまま、静かに微笑んでいる。


そして言う。


「いいよ」


優しい声だった。


まるで幼い子に何かを許すような、やわらかな声音。

それが逆に、この場にいるすべての神の背筋を冷たくさせた。


「たくさん」


目を細める。


「苦しむ姿を見せて」


その瞬間。


手が動いた。


大きく振りかぶるわけではない。

ただ、空間へ軽く触れたような仕草だった。


時間が裂ける。


空間が崩れる。


神々の攻撃が。

すべて止まる。


雷が空中で固まる。

炎が止まる。

風が凍る。

波が落ちる直前の形で空間に縫い留められる。


それは防いだのではなかった。

“攻撃が届くはずの時間”そのものを奪ったのだ。


次の瞬間。


母が軽く腕を振る。


薙ぎ払った。


轟音。


止められていた攻撃の奔流が、今度は逆方向へ崩れ、神々の陣をまとめて薙ぎ払った。雷は神々自身を焼き、炎は味方の神気を呑み、風は神々の体を裂き、水は空中で彼らを叩きつける。


雷の神の体が裂ける。


肩から胸にかけて大きく走った亀裂から神の血が噴き上がる。

炎の神が地面に叩きつけられる。


地面と空の区別が崩れたような衝撃だった。神であるはずのその体が、花園の外壁へ激突し、石を粉々に砕きながら転がる。


神々が絶叫する。


「な……」


「強すぎる……!」


誰かの声が裏返る。

ついさっきまで処刑する側だった神々が、今は目の前の女を前に完全に怯えていた。


母はゆっくり歩く。


微笑んだまま。


一歩ごとに時間の歪みが広がり、足元の花びらが朽ちては戻り、神の血が宙に逆流する。

その姿は、もはや完全に――

神だった。


しかも、神々の理の内側には収まらない神。


「もっと」


小さく言う。


「苦しんで」


その声に、慈悲はない。

ただ終わらない苦痛を与えようとする静かな執着だけがある。


そのとき。


ホープは走っていた。


闘神の元へ。


「父さん!」


ようやく口にした呼び名だった。

まだ数瞬前に知ったばかりの真実。

なのに、その言葉はもう胸の底から勝手に出ていた。


膝をつく。


そこには――

動かない体。


闘神。


胸を貫かれたまま、花と血の中に横たわっている。

つい先ほどまで神々を前に立ち続け、妻とホープを背で守っていた男の体が、もう起き上がらない。


ホープの手が震える。


「……くそ」


歯を食いしばる。


涙が出そうになるのを、怒りと恐怖で無理やり押し殺していた。

泣いている暇などない。

目の前では母が壊れ、空では神々が怯えながらなお殺意を失っていない。


「母さんを……」


振り向く。


暴走する母。


神々を壊している。


その姿は恐ろしい。

だがそれ以上に、痛々しかった。


「止めないと」


拳を握る。


「母さんが」


声が震える。


「母さんが壊れる……!」


そのとき。


ホープの手が、闘神の胸に触れた。


鎧の砕けた隙間。

血に濡れたその場所へ、震える指先が触れた瞬間だった。


次の瞬間。


ドクン


衝撃。


ホープの体が震える。


胸の奥ではなく、世界そのものが一度脈打ったような感覚だった。

触れた場所から、何か巨大で熱いものが一気に流れ込んでくる。


闘神の亡骸から――

光が溢れる。


神の力。


闘神の力。


それが――

ホープの体へ流れ込む。


「……っ!」


視界が揺れる。


体が熱い。


焼けるようで、凍るようで、引き裂かれるようでもある。

さっき覚醒した力とは比べものにならない。

これは闘神が持っていた長い戦の力そのものだった。


重い。

圧倒的だ。

剣を握り、神を斬り、領地を守り続けてきた年月が、そのまま神気になって流れ込んでくる。


そのとき。


声が聞こえた。


低く。

優しい声。


「ホープ」


ホープの目が見開く。


父の声。


闘神の声。


それは外から聞こえたのではなかった。

胸の奥、流れ込んでくる神力の中に残っていた最後の意思だった。


「彼女を……救ってくれ」


「……!」


胸が震える。


「父さん……?」


声は続く。


「俺にはできなかった」


それは悔いだった。

最初に彼女を連れてきたこと。

苦しませたこと。

子を奪ったこと。

守りきれなかったこと。

最後に死の間際まで彼女を救えず、暴走へ落としたこと。


「だが」


「お前ならできる」


最後に。


静かな願い。


「頼む」


声が消える。


その瞬間。


力が爆発する。


ホープの体から、神力が噴き出す。


闘神の力。

時の力。


二つが融合する。


大地が震える。

空が割れる。

花園の残骸が吹き上がり、神々が一斉に振り向く。


「……何だ」


「また神力!?」


雷の神が血を流しながら呻く。


ホープが立ち上がる。


その動きは、ついさっきまでの十三歳の少年のものではなかった。

肉体そのものは変わらない。

だが、その中に立つ“核”が一変している。


目が変わっていた。


闘神と同じ目。


冷たく、強く、揺るがない。

それでいて、その奥にはまだ少年の痛みと必死さが残っている。


そして体から溢れる力。


闘神の圧倒的な神気。

そこへ、母から受け継いだ時の流れを読む感覚が噛み合い始めていた。


神々が震える。


雷の神が呟く。


「……闘神」


だがそれは闘神ではない。


それ以上の存在だった。


闘神の血を継ぎ、闘神の力を受け取り、さらに時の神の系譜までその身に抱いている。


まだ未熟だ。

まだ完成していない。

それでも、今ここで生まれたものが、かつての闘神の焼き直しでは終わらないことを、神々は本能で理解していた。


ホープが剣を握る。


闘神の剣。


先ほどまで母が握っていたその剣が、今はホープの手の中にあった。

重いはずなのに、不思議と手に馴染む。

まるで初めからこの刃が、自分へ渡ることを知っていたかのように。


ゆっくり空を見上げた。


その声は、闘神に似ていた。


低く。

強い声。


「……母さん」


その呼び方には、戦う相手としてではなく、救うべき相手としての強い意志が込められていた。


そして神々を見る。


「俺が止める」


その言葉は、宣言だった。


神々を止める。

母を止める。

壊れたまま進めば世界ごと無にしようとするその力を、自分が受け止める。


その瞬間。


ホープの神力が、完全に覚醒する。


花園の上空で、闘神のような重い神気と、時間を歪める冷たい力が渦を巻きながら一つへ噛み合っていく。

それは暴走ではなかった。

まだ不安定であっても、明確な意志がそこにある。


新たな闘神が誕生した。


だがそれは、ただ父の後継という意味ではない。

闘神の剣と、時の流れと、家族を救いたいという少年の意志が一つになった、まったく新しい存在の始まりだった。


花園は燃え、裂け、血に濡れている。

空にはなお神々がいる。

母はまだ狂気の中で立ち、創造の神は槍に貫かれたまま震えている。


それでも。


この絶望の中心で、もう一つの希望が生まれていた。

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