第101話 フィーレンス教授の独白(4)
あれから3ヶ月。人喰い魚どもを煙に巻きながら、待ちに待ったイアサントの到着。奴はさっさと王宮に通され、謁見ののちに名誉魔導伯の地位を得て、意気揚々と「塔」に案内された。
しかし。
「おや、これはこれはイルマシェ名誉魔導伯。お久しぶりですな」
「うえっ」
「おお、イルマシェ君か。どうだね、その後は」
「あはは教授、お久しぶりです」
「僕は土属性の新たな可能性を切り開いて見せる! だったかな。是非その後の論文を見せてくれたまえ」
「えっと」
どうも私の時と違って、様子がおかしい。そればかりか、塔に着任するにあたって寮の割り当てや制服の支給など、庶務を担当する文官が訪れた時。
「イルマシェ魔導伯の担当をさせていただけるなんて光栄です」
文官が満面の笑みを浮かべる一方、イアサントは顔を真っ青にしている。
「ウダール大で教鞭を執っていらしたとか。さぞ優秀な教授でいらしたんでしょうね?」
「あ、ああ、それなりにな」
「さすがに学生時代のような、レポートの丸写しや名義の改竄はなさいませんよね。まあ、優秀なイルマシェ伯が本気を出せば、アルブレヒト伯や夫人なんか足元にも及ばないですもんね?」
「はは、な、なんのことかな」
出会う者出会う者、みなこの調子だ。私は悟った。期待した救援艇は、泥舟だったと。ちなみにイアサントは、その後「土属性の権威」として記憶水晶や希少金属の研究に回され、私よりも過酷な末路を辿った。
それからの私は、ひたすら自力脱出を試みた。
まずグレートポッポーズ四号の編成が急がれた。少しでも暇があれば中庭に赴き、ポケットにこっそりと忍ばせたパンを千切って撒く。しかしこの城の鳩は丸々と肥えていて、私のパン屑など見向きもしない。
「あら、フェベさんも御休憩ですの?」
ディアナ王妃がやって来て、手ずから餌を与える。彼女は博愛主義で知られており、この城の周囲の小動物はすべからく彼女に懐いているのだそうだ。なんたること……!
いやしかし、ここで諦めたら試合終了だ。こうなったら、いつか隙を突いて「蜃気楼」を使って脱出し、付近の森で潜伏するほかあるまい。
と思っていた時期が、私にもあった。
「フィーレンス伯、こちらにいらっしゃいましたか」
「うえっ」
研究室を訪ねて来たセルバンテス伯に、早々に見つかる。なんと彼は、生活魔法ダークネスの魔法陣を携えていた。
「ずっと根を詰めて研究をされていては、神経がやられてしまうでしょう。これ、リラックスに効くんですよ」
伯から伝わる、純然たる善意。しかし闇属性は、光属性の光学迷彩、蜃気楼を打ち消す天敵。しかも塔のみなが愛用しているという。部屋の隅で息を殺していた私は、その場にへなへなとへたり込んだ。
こうなったら長期戦、焦りは禁物だ。大人しく雌伏の時を過ごしつつ、他の方策を考えねばならない。なんせ私はフィーレンスの子。名誉魔導伯にしてウダール大教授、ユボーの軍師だ。やればできる子、YDK。なぜならここは潜伏に向いている。塔の魔術師には、快適な衣食住が無料で提供されているのだ。
まずは食だ。王宮の随所には食堂が設けられ、24時間好きな時に食事を摂ることができる。そしてその食事が、どれを取っても美味しい。中でもオムライスとハンバーグとやらは絶品だ。かつて数年前には、このハンバーグを作るために風属性の魔術師が駆り出され、朝から晩まで挽肉を作らされていたそうだ。今ではドワーフ製のミンサーがそれに取って代わっているが、次に魔術師団が取り組む予定なのは、周囲を傷つけずに食材だけを粉々にする魔法陣らしい。それは早急に開発せねばな。
それから住環境もだ。コルネリウスではクリーンの魔法陣が隅々まで普及しており、どこもかしこも清潔この上ない。なお、ユボー王国では帝国経由で魔法陣が入ってきているはずだが、王都の貴族が独占して表に出てこない。よって、ウダールの街も大学も様々な生活臭に満ちている。多少マシとはいえ、イルマシェ侯爵邸も同様だ。しかし、一度このコルネリウス王宮の清潔さを知ってしまうと、もうあそこに戻る気になどなれない。懐かしいフィーレンスの森とて同様だ。
エルフでも一握りしか習得できなかった秘法が、なんの変哲もない板きれに印刷され、あちこちに放置されている。このような価値あるものを庶民にまで無償で提供するなど、この国の者たちは馬鹿なのか。しかし、この清潔さには抗えない私なのだった。




