第100話 フィーレンス教授の独白(3)
もうだめだ。毎日毎日人喰い魚のような魔術師が研究室に押しかけ、「これはなんだ」「これはどういうことだ」と尋問の嵐。事前に「自分で考えろ」と言ってしまったせいで、奴らは毎回何十ページにものぼる詳細なレポートを書き上げてくる。しかしそれは、文字と呼ぶにはあまりにも烏滸がましい何か。しかも例の事務室で見たのと同じく、汚れて皺くちゃ。往々にしてドス黒い何かを纏っている。
こんなもの読めるかと突き返せば、
「ではまずお聞きしたいのがこのシンボルについて。魔法陣の中で何度も見受けられるが、これは一体何を示すのか。前回は自分で考えろと言われましたがついに閃きましたぞ。まずこのクリーンの魔法陣上では645個、ファイアにおいては710個。発動する属性要素によって増減すると思いきや、ウォーター上では跳ね上がって794個。これは属性要素に関わらずこの記号がスキル発動の役割を担っていると考えるに至ったわけですが、スキル発動時の魔素の動きを勘案するとこれは詠唱句の表現というよりは一定の方向に誘導する、もしくは絶縁体の役目を果たしているのではないかと推察し」
ほぼノーブレス。こいつらの肺活量はどうなっているのだ。てか、何言ってっかさっぱり分からん。文字だけでなく話し言葉を通してさえ意思疎通がままならない。
「ははっ。彼らの書類には、情報伝達の意図が感じられませんよねぇ」
とにかくなんとか今日の魔術師を追い払い、ぐったりとした私の隣で苦笑いするのは、セルバンテス魔導伯だ。彼は会計職を通して、人外が発する意味不明な信号を翻訳する術に長けている。魔術師たちがもっぱら私の研究室に群がるようになったため、せめてものお礼だそうだ。
「あなたが「塔」に来てくださって、本当に良かった」
それはそうだろうとも。これまであの気狂い共の相手をしていたのはこの男だ。まんまと私に擦りつけて、さぞ身軽になったろう。しかしこの塔で最も善良で、かつ私を気にかけてくれる最後の良心でもある。勤務時間外だというのに、今もこうしてレポートの翻訳を手伝ってくれる。皮肉なものだ。
そして更に。
「クラインベック師は、本来は薬学に精通されたお方。魔法陣を解明された暁には、より強力なポーションや魔法薬が作れると期待されています。もしどうしても明かしてはいけない領域まで踏み込まれて来るようなら、魔物素材などのお話を振られると興味がそちらに移られるかと」
「ほうほう」
「キーンツル師は、どちらかというと数学を通してこの世の真理に迫りたい哲学者のような側面があります。このレポートも数字の羅列で分かり辛いかと思われますが、実際は他者の世界観について非常に興味がおありです。きっとフィーレンス伯にもっとも伺いたいのは、魔術にまつわるエルフ族の伝承や因習などかと」
「む、そうなのか」
「ケラー師は、特に魔法発動理論に興味のあるお方です。このレポートにはこういう記述で切り上げていらっしゃいますが、きっとここをしつこ……重点的に突いてこられると思います。しかし逆にいいますと、実際に発動する様子をこう、ゆっくりと見せてあげると、比較的早く話が切り上がって助かるんですよ」
そう言いながら、セルバンテス伯は「シュ〜〜〜っとして、ファ〜〜〜っと」と言いながら、例のクリーンを精緻この上ないコントロールで繊細に発動してみせる。
「ねっ、簡単でしょう?」
あくまで邪気のない笑顔で、ニコニコと。
「お、お主、やるな……」
「いやぁ、ここに連れて来られてからもう何万回とやらされてますから……」
光を失った目でハハハ、と笑っている。ヤバい。深い闇を見てしまった。そして今更、クリーンなどと高度なスキルを使えるわけがないなんて言えない。言えないのだ。
気付いてしまった。あの気狂いどもが一度に押しかけて来ても対応できないが、毎日一人ずつ訪ねて来ることで、私は更に追い詰められることに。まだ「一度に言われても分からん」と押し切った方が、よほどマシだったのだ。しかも、何が書かれているのか分からないレポートを突き返し、早口で捲し立てられるのを聞き流す方がはるかに楽だった。
一日に一人ずつ面会する、そう言うと随分と負担が軽いように思われる。私も最初はそう思った。しかし、応対するのが一日一人になった分、奴らには次の面会日まで1ヶ月ほどの猶予がある。「自分で調べろ」と言っておいたことに対し、全力で検証と考証を重ね、ありとあらゆる角度から完璧な理論を組み上げて、レポートに上げてくる。倒し損ねたスライムが、翌月にはドラゴンになって襲いかかってくるような。
今や私の研究室には、面会を待つ魔術師たちのレポートが山と積まれ、毎晩予習に追われている。しかもセルバンテス伯が事前に理路整然と翻訳し、注釈まで付けたやつだ。彼は「塔」公認で、私のアシスタントに昇格。そもそも会計業務は、魔術師としての仕事の手空きに手伝っていただけであって、本来は魔術師の一人として「塔」に所属していることになっている。
「私には学がありませんので、こうしてフィーレンス伯のアシスタントをさせていただけるのは望外の喜びです」
人好きのする笑顔を向けるセルバンテス伯。この善意の塊のような男が、私を悪夢の淵からさらにどん底に叩き落とした張本人なのだ。
学がないなどとんでもない。我らエルフ族は魔術の祖であって、全ての種族の頂点だと思っていた。しかしここコルネリウスの魔術師たちは変態だ。魔術の理論? 世界観? そんなもの、どうでもいいではないか。使えるから使える。我らはそれ以上掘り下げたりしない。どうしてそんなものが知りたいのか。私とて本国で魔術についてそれなりに学んだが、人生でこれほど勉強したことはない。毎晩知恵熱で寝込むほどだ。
しかも奴らが持つ恐るべき魔力量。魔力は多く放出すればするほど、体内に蓄える魔素が増える。これはエルフ族の秘伝であって、他種族にはこの事実は伝えてこなかった。そして我らには、長寿というアドバンテージがある。偉大な魔術師といえば、我らエルフ族だと相場は決まっていた。しかしこの、来る日も来る日も狂ったように「シュッとしてファー」「シュッとしてファー」を繰り返す変態集団は、みな恐るべき魔力を蓄えている。だって一目瞭然だ。我らは精霊眼を通して属性や魔力量を目視できるが、あらゆる属性の精霊が、夏の焚き火に誘われるがごとく飛び交っている。
恐るべき知識量と魔力量。こ、これではエルフ族の未来が危ういのでは。
私は激務の合間を縫って、本国に鳩便を飛ばした。
「コルネリウスは脅威。応援頼む」
しかし本国からの回答はこうだった。
「秘伝厳守。万事良きに計らえ」
——見事に切り捨てられた。私は膝を抱えて泣いた。
そうだ。もうすぐウダールからイアサントが来るではないか。そうすれば奴をここに据えて、私は「一旦帰国」すればいいのだ。それがいい、そうしよう。
私はイアサントの到着の日を、指折り待った。




