第97話 セルバンテス魔導伯の回顧録(5)
シュッとしてファー改め「クリーン」の魔法陣は、大々的に世間に広められた。アルブレヒト伯は、学園に代々偽書として伝えられてきた魔法陣の古文書を読み解き、ついにクリーンの魔法陣を編み出したのだという。しかし、彼が魔法陣を一から構築出来ると知られるのはまずい。なぜなら彼は、常に命を狙われているからだ。
アレクシス・フォン・アルブレヒト魔導伯。史上最年少の魔法省入省にして史上最年少の自力陞爵、そしてドラゴンスレイヤー。しかし輝かしい功績の数々は、そうせざるを得ない事情があったからだ。生家の第一夫人に疎まれ、度重なる暗殺の危機を乗り越えて学園に入園。しかしここでも命を狙われ、飛び級を重ねて魔法省に入省。ところが入省後も手を回されて最前線に送り込まれ、死線を掻い潜って戻るたびに陞爵。戦争では殺せないと悟った夫人に、今度はドラゴン討伐隊に編成されたもののこれを撃破。なまじ優秀過ぎたために起こった悲劇だ。
彼は今でも王都に戻ると刺客が次々と送られてくるため、遠征から戻るとすぐに次の遠征へ出発する。ドイブラー行きを急いだのもそのためだ。今となってはデルブリュック公爵家の後ろ盾もあり、彼の身辺はかなり安全になったとはいえ、人間死ぬ時は呆気なく死ぬ。用心を重ねるに越したことはない。
というような話を、あちこちから耳にした。アルブレヒト伯は目立つ男だ。彼に好意的な人物からも、敵対的な人物からも、あることないこと噂話が流れ込んでくる。
恐ろしいのは、彼に好意的に見える人物が彼を陥れる計略に加担していたり、逆に敵対しているように見えて、実は彼を庇ったりしている場合があることだ。ある日いきなり同僚を見なくなったと思ったら、実は何年も前から潜伏していた暗殺者だったり。かと思えば、彼に辛く当たる魔導課長が次々と遠征を命じ、彼を暗殺から守っていたり。
彼に関してだけじゃない。宮廷内では常に貴族間の闘争が繰り広げられており、昨日まで元気だった人が突然長期療養に入ったり、ある日全ての記録から抹消されるなど日常茶飯事だ。身近なところで言えば、私を何くれなく気にかけてくれていた先輩が、いきなり土木省に転勤となった。職場の格としては断然「塔」の方が上なのだが、
「地方からのこのこと田舎者が来てくれて助かったよ! これでやっと墓場からおさらばだ」
と話しているのを聞いてしまった。ここはまさしく伏魔殿。どこの貴族の息も掛かっていない私など、格好のスケープゴートだということだ。
話が長くなってしまったが、そういうわけで今回の魔法陣の功績の半分は私に付けられることとなった。宮廷魔導士の大半は貴族の子女だ、下手に功績をチラつかせれば血みどろの奪い合いになる可能性もある。その点、私は他国の貴族出身。そもそもクリーンの件でドイブラーから寄越された身だ。
アルブレヒト伯の人となりは、三週間の馬車旅で理解している。彼は魔法マニアとはいえ、「塔」の中では抜きん出た人格者だ。その上、
「君しかおらんのだ、頼む」
魔導課長に内々に頭を下げられてはたまらない。こうして私は、「アルブレヒト伯が推し進めていた魔法陣の研究中、偶然使ったスキルが魔法陣の一つに反応した」という筋書きのもと、共同功労者として発表されることとなった。私はこの功績をもって準男爵に陞爵され、俸給も跳ね上がった。うむ。私は正しいことをしたのだ。これで人一人、あの好青年の命が救われたのだ。
だがしかし。
「この紋様はこことここに見られるが、一体どのような意味が?」
「あの水属性の精密な霧状の発現。s - ch - j - u - u、この辺りがそうだと思うのだが、その先がどうも見つからん。君、魔法陣が光ったというが、どのようにだね?」
「あ、えっと、その……」
「その、ではない。いいから見せてみたまえ」
「ですから魔法陣が光ったのは偶然でして」
「偶然かどうか、やってみなきゃ分からんだろう! 千回やって、千一回目で光るかも知れん! さあ!」
確かに功績は半分肩代わりした。彼が暗殺されるよりはマシだろう。しかし、「見せてみたまえ」魔法陣ファー、「見せてみたまえ」魔法陣ファー、毎度なんの変化もないのに飽きない奴らだ。てか、自分達も使えるんだから自分達でやればいいだろうに、「次こそ魔法陣が光るかも」と離してもらえない。そのうち「やはりこの部分が」とか議論しだして私の存在を忘れた頃、私はそっと研究室を抜け出して事務室に戻る。そしてひたすら暗号解読だ。
そして時折侍女たちに誘拐され、立派な服を着せられたかと思うと、
「セルバンテス男爵。そなたを新しい魔法陣発見の功績で、子爵位を授ける」
知らない間に、また新しい魔法陣が開発されたらしい。私はその内容を一切知らされないまま、王に向かって首を垂れた。
あれからもうどれほどの時間が経ったのか。
来る日も来る日も魔法陣ファー、からの暗号解読。魔法陣ファー、からの暗号解読。サンドイッチを齧りながら時々魔法陣談義に付き合って、魔法陣ファー、からの暗号解読。ファーから解読、ファーから解読、ファーから解読——
ある時ふと、無意識に「帰りたい」とつぶやいている自分自身に気付いた。まるで周囲の同僚のようだ。ついに私も、この「塔」において一人前の官吏になったらしい。鏡を見ると、少し輪郭がぼやけてゆらゆらとしている。そんな私を見かねたのか、魔導課長が王都に妻子を呼び寄せ、面会をセッティングしてくれた。
「あなた、素敵よ! 子爵様だなんて鼻が高いわ!」
「パパぁ、王都の街はお店がいっぱいだね! あっ、これ食べていいですか?」
「ああ、いっぱいお食べ。ドライフルーツっていうんだよ」
別人のように愛想の良い課長の前で、子供が無邪気に菓子に手を伸ばす。彼らは以前より立派な服を着て、さらに肌艶が良くなっていた。彼らが健勝なのは何よりだ。思わず鼻がつんとしてしまった。
「父さんなぁ、いつか立派に仕事を務め上げて、必ずドイブラーへ戻」
「そのことなんですけどあなた。私たち、こっちで暮らしてもいいと思うの!」
「へっ?」
「そうです、それがいいですぞ奥方。なんせ「塔」には家族用の宿舎も充実しておりまして、ご子息の貴族学園への入園もスムーズに」
「ねぇママ、ボク学園に入るの?」
「ええそうよ! お友達がいっぱいできるわね!」
「わあい、やったー!」
そんな彼らを見て、どうして「ドイブラーに帰りたい」などと言えよう。いつの間にか子爵に名を連ねている私に、実家からは「四男のくせに生意気だ」と縁を切られ、義両親からは「婿が塔で子爵などと鼻が高い」と賞賛され。誰も私をドイブラーに帰そうなどと言う者はいなかった。
そのうちさらに湯を沸かす魔法陣だの炭酸水を出す魔法陣だのが開発されて魔導伯となり、今度は詠唱短縮だの詠唱破棄だのと話題になっている。何一つ理解が追いつかない。なのに、今度は私が次期宮廷魔術師団長だと? 無理だ。あんな意思疎通もままならない人外たちをまとめ上げ、矢面に立たされるなど——!
そんな折、俄かにもたらされた吉報。それは、「ウダール大学で教鞭を執っていた教授二名が魔法陣の監修に訪れるらしい」「しかもそのうち一人は魔術の本家、エルフ族らしい」ということだ。
苦節6年。見えない濁流に流されて、毎日必死で「塔」で生き延びた。そんな私が、やっと荒れ狂う運命の荒波から解放され、救われる時が来たというのか。未だ半信半疑のまま、しかし喜びに震えながら、私は王宮の応接室に足を運んだ。




