第96話 セルバンテス魔導伯の回顧録(4)
そんな私の鬱屈とした日常に、突然光明が照らされた。
「やあ、あなたがセルバンテス氏かな」
アレクシス・フォン・アルブレヒト魔導伯、18歳。アルブレヒト侯爵家三男。コルネリウス史上始まって以来の天才。飛び級を重ね、貴族学園高等部一年、わずか13歳にして大学院卒、魔法省入省。その後戦地を転々として戦績を重ね、15で叙爵。16の年に前デルブリュック公とともにレッドドラゴンを討伐、ドラゴンスレイヤーに。その功績をもって魔導伯に陞爵、デルブリュック家次女ディートリント姫と婚約。御伽話のような来歴の持ち主だ。自身も王子のような美貌。そのくせ、偉ぶったところもなく気さくな青年だ。
遠征から戻った彼は早速私の「シュッとしてファー」を聞きつけ、実演を迫った。しかし角度を変えながら何度か観察すると、なんと「シュッとしてファー」をマスターしてしまった。
「ハッ、さすがドラゴンスレイヤー様。出来が違いますな!」
嫌味を放つ男は魔導課長、実質現場の魔術師のトップであるが、アルブレヒト伯を最前線に追い遣っておきながら毎回功績を上げて帰ってくる魔導伯を妬んでいるらしい。
「いえ、皆の報告書と論文が優秀だったからです。特に課長のまとめた水の噴霧量と光量との相関性と範囲論が秀逸でしたよ」
一瞬、白い歯が輝いたのは幻視だったか。ヤバい。この男、外見だけじゃなく中身も王子だ。やっかみをぶつけた課長が頬を赤らめて吃っている。ここまで徹底した紳士ぶりを見せつけられると、嫉妬する気も起こらない。
ともかく魔術師たちは、辺境の村人が「シュッとしてファー」などといい加減に口伝していたスキルを、恐るべき精緻な分析を重ね、その分析をもって魔導伯はスキルをマスターしたと、そういうことのようだ。
「で、セルバンテス氏はいつドイブラーに?」
「はっ?」
「出来ればその村まで案内して欲しいのですが」
天使だ。魔法省の王子は天使だった。
アルブレヒト伯は遠征から帰り、即日国王陛下に謁見。その日のうちに論文を読み漁り、翌日「シュッとしてファー」をマスター、その場で即ドイブラー行きを決めてしまった。恐るべき行動力。
「だって村人みんなが「シュッとしてファー」を使えるなんて、そんな夢のような話があるかい?」
ああ、彼も所詮「塔」の人間だ。好奇心の前には、全てがどうでもいいらしい。しかもいきなり王国の末端ドイブラー、その先の開拓村まで直接足を運びたいなんて、「塔」の連中に輪を掛けて変態だ。
しかし、彼こそが救いの天使。当初は春までの転籍と言われていたこの私に、これまで誰もドイブラーへの帰還を許可してくれなかった。下手に会計業務で実績を挙げてしまったのが原因だ。考えなしに手伝いを申し出たことを、人生においてこれほど悔いたことはない。かといって、生ける屍のような同僚たちを見殺しにするのも良心が痛む。そんな私を、魔導伯が連れ出してくれるというのだ。こんなに心沸き立つことがあろうか。
時は早春。春の遅いドイブラー、本来なら完全な雪解けを待ってから向かうべきだが、アルブレヒト伯はそれまで待てないらしい。そして多少の雪も何のその、軍用馬車を仕立てての強行軍だ。同行するのは、彼の秘書官であり宮廷魔術師のベルント・フォン・バッハシュタイン卿、それから軍部の幾人か。
「身軽な方がいいじゃないか。さあ、行こう!」
——結論から言うと、残念ながらドイブラーへの帰郷は叶わなかった。
村はとんでもないことになっていた。春になったばかりだというのに、村人の手からは季節外れの作物をモリモリと手渡される。ツボで育てましたってお前たちは何を言っているんだ。
「ここで見たことは他言無用だ。もちろん「塔」にも。分かるね?」
アルブレヒト伯は私に小声でそう指示し、すぐさま「王都へ」帰還命令を出した。魔術に特段詳しくない私でも分かる。いや、徴税官だからこそ分かる。こんなのバレたら税金なんかめちゃくちゃだ。これは表立って発表していいものではない。私たちは、アルブレヒト伯とバッハシュタイン卿を残して王都へ引き返した。
私たちには緘口令が敷かれた。もちろん私とて漏らす気はない。こんなことをどこかで漏らしたら、また「もう一度見せてみたまえ」が始まるに決まっている。私が再現出来ようが出来まいが関係ないのだ。彼らが納得し飽きるまで、延々と「見せてみたまえ」「見せてみたまえ」「見せてみたまぁぁぁあああああ!
……
しかし今回は、アルブレヒト伯みずからがあの村で調査をされる。ということは、彼が王都に戻れば、彼自身が「塔」の連中に気が済むまでスキルを再現し、説明するはずだ。彼が戻るまで。あと少しの辛抱だ。私はその希望を頼りに、黙々と会計業務に励んだ。
彼が帰還したのは、それから3ヶ月後のこと。これでやっとドイブラーへ帰れると思った私だったが、少し甘かった。彼は村で研究観察した成果を、次々と王都で発揮した。果物の乾物が流行したかと思うと、冷えた炭酸水、ハンバーガーやサンドイッチなどといった食べ物が次々と話題をさらっていった。特にサンドイッチはいい。パンに惣菜を挟む食べ物は庶民の間では定番だが、王宮の食堂では貴族向けの柔らかいパンで、様々な種類が食べやすい大きさで供される。連日深夜まで書類と格闘する我々にとって、なくてはならない栄養源となった。
それに併せて、宮廷魔術師たちが果物の乾燥に、飲み物の冷却に、肉の粉砕にと駆り立てられる。いつも我々文官を悩ませる頭痛の種が、パーティーに夜会にと駆り出され、へとへとになるまで酷使される日々。気の毒に思う反面、事務方まで乗り込んできてゴネる力もないらしく、心の隅でざまぁみろと思ってしまう醜い自分がいる。
そんなある日。
「セルバンテス氏が辺境で学んだあのスキルを、「クリーン」という名前で魔法陣として広めたいんだけど、いいかな」
アルブレヒト伯に呼び出され、こんな提案がなされた。こうすることで、「シュッとしてファー」は万人に行き渡り、秘匿もしくは研究目的での軟禁から解放されるだろうと。私は一も二もなく了承した。てか、私って軟禁されてたんだな。今更だけど、毎日黙々と書類仕事をしているうちに麻痺していた。しかしこれで解放される。ドイブラーでのあの慎ましくも幸せな日々が帰って来ると。
——それが第三の地獄への扉だったことも知らずに。




