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蒼溟の覇王 外伝 島津群像  作者: 堀川うつら
蒼溟の覇王 外伝:大口の枯草と黒潮の俵

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第二章 獅子目ラボの査定と冷徹な算盤

大隅国、獅子目。

白いシラスの断崖に囲まれたすり鉢状の谷底は、雨上がりの湿った熱気と、立ち上る青白い煙に包まれていた。

かつては木を切り倒された丸裸の荒れ地だったその場所は、いまや異様な活気に満ちた「軍事産業特区」へと変貌を遂げていた。

斜面には孟宗竹の青々とした竹林が広がり、谷底には暗渠排水の溝が縦横に走る。湯気を吹き上げる製塩の釜、炭焼き窯の煙、そして鍛冶工房から響くリズミカルな金槌の音。

「だから言ったじゃないですかァッ! 孟宗竹を植えすぎるなって! 見てくださいよ、僕の寝床の板敷きの下から筍が突き破って出てきてるんですよ! 毎朝起きるたびに床が傾いてるんだ! 武士の労働環境はどうなってんだァッ!」

総会所の濡れ縁で、泥まみれの作務衣を着た弥三郎(二十二歳)が、手拭いを振り回して絶叫していた。

その横で、十二歳の楠千代丸は、薄板に木炭で記された歩留まり台帳から視線を上げもせず、淡々と答えた。

「弥三郎、喚くな。突き破った筍は即座に掘り出して塩漬けに回せ。乾燥兵糧の食物繊維枠として組み込む。それより、高須港からの塩の陸揚げはどうなった」

「順調ですよ! 順調すぎて倉庫番の鶴吉が『もう入らねえ』って泣いてますよ! ああもう、帳簿付けと現場監督と竹掘りを全部俺一人にやらせるなんて、過酷な労役にも程がある……!」

「文句を言う暇があるなら算盤を弾け。甚兵衛、街道の物見はどうだ」

「おう、若君!」

大広間の引き戸を開け、丸太のような腕で汗を拭いながら入ってきたのは甚兵衛(六十二歳)だ。

「大姶良方面は静かなものじゃ。橋口の爺め、高須の塩を安う卸してやってからというもの、すっかり牙を抜かれおってのう。境界の杭一本動かしてこんわい。ガハハ!」

「よし。不可侵の均衡は保たれているな。道純、入っていいぞ」

千代丸が促すと、部屋の天井板の隙間から、音もなく黒装束の道純が滑り降りてきた。

「若君。客人にございます」

道純の片目の古傷が、微かに緊張で強張っていた。

「客人? 本家の目付か?」

「いえ……北薩の大口城より。新納武蔵守忠元殿の直使、平山彦四郎と名乗る老武士が、供回り三名を連れて高須経由で参着仕り候」

「新納忠元!?」

茶をすすっていた弥三郎が、噴水のように茶を吹き出して畳に這いつくばった。

「嘘でしょォッ!? なんで北薩の生ける鬼神が、こんな大隅の吹き溜まりに使いを寄越すんですかァッ!? 『蒲生の残党が生意気に米を溜め込んでるから分捕りに来た』に決まってますよ! 首を刎ねられる! 全員串刺しだァッ!!」

「落ち着け弥三郎、胃に穴が空くぞ」

千代丸はため息をつき、薄板の帳簿を整然と揃えた。

(新納武蔵守忠元……。島津随一の猛将にして、当代屈指の文化人。大口の最前線で相良と死闘を繰り広げている男だ。なるほど、本家の蔵役人が米を渋り、補給が干上がってここまで買い付けに来たか)

千代丸の脳内で、中堅コンサル時代の損益計算シートが高速で立ち上がった。

「甚兵衛、居並ぶ武士たちに武装を解かせろ。槍襖で威圧するな。弥三郎、お前は帳簿を抱えて俺の斜め後ろに控えろ」

「えっ、俺も出るんですか!? 鬼の使者になんて会いたくないですよォッ!」

「筆頭家老だろうが。通せ」

通された平山彦四郎は、長旅の泥にまみれながらも、油断なく獅子目の要塞を検分する鋭い眼光を放っていた。

だが、上座に座るのが、鎧すら着ていない十二歳の華奢な少年であるのを見て、わずかに眉を動かした。

「某、大口城番・新納武蔵守が家臣、平山彦四郎と申す。此度は、又八様に折り入って商談の儀があり、罷り越した」

「遠道をご苦労様です、平山殿。形式の口上は省きましょう。大口の城塞で、米と塩、そして火薬が足りなくなったのですね」

千代丸が端的に切り出すと、彦四郎は息を詰まらせた。

「いかにも。我が主・武蔵守は、北薩の防波堤として日夜奮戦しておられる。されど本家の蔵役人は冷淡を極め、前線の飢えを意に介さぬ。貴殿が高須の海を押さえ、潤沢なる兵糧を抱えておると聞き及び、買い付けに参った。島津の御家のため、米百石、塩三十俵、ならびに火薬を融通願いたい。代金は、この大口の山林で伐り出した良質の木材の手形にて――」

「お断りします」

千代丸の冷徹な一言が、広間に落ちた。

「なっ!?」

彦四郎の背後に控えていた屈強な供回りが、柄に手をかけかけた。甚兵衛がすかさず丸太のような腕で刀の鍔を鳴らす。

「き、貴殿は島津の血を引く身でありながら、我が主・武蔵守殿の苦境を見殺しにする気か! 蒲生の残党風情が、島津の屋台骨たる大口を見捨てるなど言語道断――」

「平山殿。感情論で喚くのはおやめなさい」

千代丸は机を指先でトンと叩いた。その声には子供特有の甲高さはなく、地方の不採算工場を切り捨てる冷徹な監査官の重みが宿っていた。

「木材の手形など、大隅の山奥にいる俺たちには紙屑同然です。高隈山系にクスノキもスギも腐るほど自生しているのに、なぜわざわざ北薩から険しい山を越えて木を運ばねばならないのですか。輸送の手間だけで大赤字だ」

「ぐっ……し、しかし、銭の持ち合わせは……」

「銭も要りません。今の大隅で銅銭を溜め込めば、本家の歳久兄上に『蓄財して謀反を企んでいる』と疑われる口実になるだけですからね」

「で、では、どうせよと申すのだ! 米も塩も売らぬと言うのか!」

絶望と怒りに震える彦四郎に対し、千代丸は薄板を裏返し、一本の筆でさらさらと条件を書き殴った。

「米百石、高須の極上白塩三十俵。さらに、水で戻すだけで濃厚な豚汁になる『高密度戦闘糧食』五十人分をつけましょう」

「な、何じゃと?」

「ただし、代金は別の物で払っていただきます。大口・菱刈の境で採れる『鉄の地金』五十貫。それから、武蔵守殿が京の連歌師から取り寄せたと聞く『良質の和紙』五十刀、ならびに『古筆・連歌集の写本』です」

彦四郎は目を丸くした。

「て、鉄と……紙? 連歌集じゃと?」

「ええ。鉄は大口の境にある野良製鉄の粗鉄で構いません。俺たちのラボで精錬し直して農具と銃身に化けさせます。そして和紙と連歌集は……母上が奥向きで手習いをなさるためのものです」

「若君……!」

甚兵衛が目頭を熱くし、弥三郎が隣で「また出たよ、親孝行を隠れ蓑にした恐ろしい物々交換取引……!」と頭を抱えた。

千代丸は身を乗り出し、彦四郎の目を覗き込んだ。

「平山殿。大口城が相良に抜かれれば、敵は薩摩の喉元へ殺到し、巡り巡ってこの大隅の補給線も脅かされる。大口城を守りの盾として維持することは、俺たちの生存にとっても不可欠な投資なのです。だから物資は原価ギリギリ、輸送の手間賃だけで回します。持ち帰り、武蔵守殿にお伝えください。『大口が持ちこたえる限り、大隅の補給路は絶対に切らさない』と」

彦四郎は言葉を失い、やがて深々と頭を下げた。

島津の四兄弟の誰も語らぬ、胃袋と流通から戦場を組み替える異形の知性に、老武士はただ戦慄するほかなかった。


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